第56話 ラビュ・ハラ(前編)
登校中、校舎に向かう制服の群れの中で、見慣れた金髪が揺れていた。
早速会えるとは実に幸先がいい。
「ラビュ、おはよう」
小走りに近づき声を掛けると、彼女がわずかに振り向く。
「あ……うん……」
……なんか普段と違って表情が暗いっていうか……テンションめっちゃ低いな。
こちらがビビるくらいの超絶ローテンションだ。
いつもなら俺を見つけた瞬間、体当たりしそうな勢いでグイグイ迫ってくるのに、今は目も合わせてくれない。
あまりにも珍しい状況に困惑していると――。
「ごめんね急いでるから」
そう言ってパタパタと駆け出していく。
校舎に吸い込まれていく彼女の後ろ姿をぼんやりと見送りながら、俺はふと思った。
もしかしてラビュのテンションが低いっていうか……。
俺が避けられてるだけじゃない?
◇◇◇◇◇
放課後がやってきた。
ラビュの態度に不安を覚えていた俺にとっては、待ちに待った時間である。
「ラビュが?」
「はい。どうも避けられてる気がして……」
昔からの知り合いでありラビュの生態に詳しいナギサ先輩なら、きっと素晴らしいアドバイスをくれるはず――ということでナギサ先輩と合流するなり、ラビュの素っ気ない態度のことを伝えてみた。
「んー」
夕陽に横顔を照らされたナギサ先輩は、旧校舎の廊下を歩きつつ、首を傾げる。
「その現場を直接見ていないからよく分からないけど……タイミング的にシュアルさん絡みじゃないかな。コウちゃんが嫌われたわけじゃないと思うよ」
「ああ、なるほど」
さすがはナギサ先輩、的を射たアドバイスだ。
思い返してみると、つい先日もシュアルさんと一緒に帰れないのを残念そうにしていたっけ。
きっと昨日の夜にシュアルさんと喧嘩でもして、テンションが地の底まで落ちてしまったのだろう。
しかしそれならそれで、喧嘩の原因が気になるところではある。
このあいだの口ぶりからいくと、シュアルさんが革命軍の一員として動いているのは間違いなさそうだし、もしかして革命軍に誘われたんじゃないか?
いやそれどころか、革命軍に所属している男との結婚を勧められたとか……。
「たぶん部室にはラビュもいるだろうから、私も様子を探ってみるよ」
「お願いします。あんなに素っ気ないラビュ、初めて見たんです」
「そっか。まあ、私に任せておいて」
頼もしい言葉に安堵しながら廊下を進み、部室の扉をガラガラと開ける。
目に入ったのは、キラキラとした金髪の輝き。
もちろんこんな髪色の少女はこの学園にひとりしかいない。
「うー……っす!?」
いつものように挨拶をする俺だったが、目の前に広がる光景が「いつも」とかけ離れていることに気付き、思わず立ちすくんでしまう。
そこにいたのは確かにラビュだった。
しかし彼女は椅子に座ったまま、死んだ魚のような目でこちらを見ているのだ。
……なにこれ怖い。
ラビュは顔立ちが整っている分、無表情だと変な迫力があるな。
「どうかしたかい、ラビュ。妙に元気がないね」
俺の身体を軽く押しのけるようにして部室に足を踏み入れたナギサ先輩は、目の前に広がる異様な光景にも臆することなく、普段通りの落ち着いた調子で尋ねている。
「………………」
しかしラビュは無言で目を伏せるだけ。
「シュアルさんと喧嘩でもした?」
ナギサ先輩はどこまでも優しく話しかける。
その温もりが心の氷を溶かしたのか、ようやくラビュが重い口を開いてくれた。
「…………ううん。ラビュが一方的に怒っただけ。ケンカじゃないよ」
その拗ねたような口ぶりに、ちょっとホッとした。
落ち込んでいるだけで、いつものラビュのようだ。
「珍しいね、ラビュが自分の非を認めるなんて。いつもはお姉ちゃんが悪いと罪をなすりつけてばかりなのに」
「……今回はラビュが悪いって分かってるから。だって……お姉ちゃんの物が欲しくなって、嫉妬で怒っただけだし」
「嫉妬で怒った?」
よく分からないが、少なくとも革命軍関連ではなさそうだな。
本当にただの姉妹喧嘩って感じ。
「なにが欲しくなったんだい?」
「そ、それは……言えない」
「ふーん、そっか」
いかにも興味なさそうな返事をするナギサ先輩だが、その言葉にかすかな緊張感が含まれていることに俺は気づいた。
……ごく普通の姉妹喧嘩としか思えないのに、先輩はなにを気にしてるんだ?
「頼んだけど断られたってことは、シュアルさんにとってよっぽど大切なものなんだね」
「ううん、頼んでもない……」
「…………」
でもたしかになんかこう……さっきからラビュの受け答えに違和感があるな。
要領を得ないというか、話の核心に触れるのを恐れてるというか。
「よく分からんが、一度シュアルさんにきちんと頼んでみたらどうだ。『欲しいんだけど』って」
「できないよ、そんなこと……」
「どうして?」
「……ハラスメントになるから」
「…………」
どういう意味だ?
いやまあ、そのままの意味なんだろうけど。
「なにを欲しがったんだよ」
ハラスメントになりそうなもの……下着とか?
でも御城ケ崎から大量にプレゼントしてもらったばかりだしなぁ。
イマイチピンとこない。
「……ハラスメントって言っても、別にセクハラじゃないよ……」
考えていることが顔に出ていたのか、ラビュに答えを先回りされてしまった。
でもそれ以外で該当しそうなハラスメントがあるか?
パワハラ? アルハラ?
いやいやいや……。
ラビュとシュアルさんの関係だと、そういうのはちょっと考えにくい。
「ラビュは、どんなハラスメントになると思ってるのかな?」
優しく尋ねるナギサ先輩に、ラビュはうつ向いて答える。
「――ラビュ・ハラになるんじゃないかって……」
「…………は?」
意味が分からん。
というかそんな言葉、聞いたことが無いぞ。
いやもちろんラビュの名前としてなら聞いたことはあるけど……。
ラビュは目を伏せたまま言葉を続ける。
「人の物を欲しがるのは、『ラビューニャ・ハラスメント』になるの。だからそんなお願い誰にも言えないよ……」
「…………」
やっぱりよく分からない。
困り果てた俺がナギサ先輩に視線を向けると、意外なことに先輩は沈痛な面持ちだった。
その態度はまるで、恐れていた事態が起きたとでも言いたげだ。
そして、そんなナギサ先輩の様子を見るうちに、俺もだんだんと不安になってきた。
――ラビュ・ハラ。
たしかにそれは、冗談では済まない話なのかもしれない。
今では誰もが当然のように使っている『セクハラ』という言葉だって、元々はセクシュアル・ハラスメントという人物の行動から生まれた新語だ。
その成り立ちを思えば、ラビュの行動から『ラビュハラ』という言葉が生まれる可能性は否定できない。
セクハラ、パワハラ、アルハラ――これまでいくつもの新語を生み出してきたハラスメント家の人間にとって、それは決してありえないことではないのだ。




