第54話 カンリシャ級の変態
「こいつ、連城村の出身だよな? 知らねえのか?」
「そのようであるな」
「……ま、いいさ。見習いとはいえ、てめえも変態管理官のはしくれ、説明くらいはしてやる。別に、秘匿事項ってわけでもねえしな」
ん?
このふたりが戦闘狂なだけかと思ったが……もしかしてきちんとした理由があるのか?
留岡管理官はその場にどっかりと座り込むと、両手で床をドンと叩いた。
今さら気づいたが、この訓練室の床には大きな日本地図が描かれている。
そして彼の手は、関東と東北の境目のあたりに置かれていた。
「変態の洪水。それはまず、田舎町から始まった。それまでとは比較にならないほど大量の変態が、突如として湧き出てきたわけだ」
その話は知っていた。
というか現代の常識なので、知らない人のほうが珍しいくらいだ。
俺の訝しむ視線を受けてもなお、留岡管理官は冷静に話を続ける。
「当初警察は、応援部隊をその田舎町に派遣することで対応した。拘束し署に連行し、尋問。裁判を受けて刑務所送り。しばらくはそんな臨時対応でなんとかなっていた。だが……」
「そんな変態連中のなかに、異常な個体があらわれるようになったのだ」
「異常な個体……ですか」
「うむ。何十人もの警官が取り押さえようとしてもまるで対処しきれん、驚異的な頑強さを持った個体だ」
「何十人掛かりで……!? それはいくらなんでも……」
「――ありえない。ま、そう言いたくもなるわな。だがな、こいつはマジな話だ。しかもその変態は、警官を恐れて逃げ回るわけじゃねえ。白昼堂々街を闊歩する。風呂上がりに家の中をうろつくかのような気軽さで、全裸のまま悠然と散歩を続けるのさ。そして奴が通ったあとには、這いつくばる警官たちだけが残される。取り押さえるどころか、ついていくことすらできねえってわけだ」
「そしてその強靭極まる変態は、他の連中から『カンリシャ』と呼ばれ崇められていた」
「カンリシャ……?」
そういえば、連城の三箇条にもそんな言葉があったな。
へんたいカンリシャ。
まあさすがに無関係だろうが……。
「難しい点は、別にそのカンリシャは他人に暴力をふるうわけじゃねえってことさ。ただシンプルに頑強なだけ。全裸で街を歩くそいつはたしかに犯罪者かもしれないが、取り押さえられないからという理由で射殺するわけにもいかねえ」
「それは……そうですね」
「結果として警察側に求められたのは、カンリシャに対抗できるような一騎当千の人材。そこで名乗り出た人物こそが、当時はまだイチ警察官に過ぎなかった秋海局長だった」
「秋海局長が……」
「うむ。連城双龍の逮捕という功績のおかげか、すんなり現地への派遣が決まったと聞く。そして彼は見事にやり遂げたのだ。カンリシャの確保という重要ミッションを、なんと即日達成したのである」
「そしてその後も各地に出没したカンリシャを確実に捕縛し続け、やがて国からもその能力の高さを認められるようになり……現在どういう地位についているかはお前さんも知っての通りさ」
……俺の村を離れたあと、秋海局長はそんなことをしていたのか。
でも、村にいたころの彼は、優しいだけの冴えないおじさんという印象だった。
そんなバケモノみたいな変態を、単独で取り押さえられるほど体術に優れた印象はない。
なにか違和感があるな……。
とはいえあの村は平和だったから、その腕前を披露する機会が無かっただけという可能性はあるか。
「ちなみに特別対策室も元々は、カンリシャに対抗するために作られた部署でな。カンリシャを単独で取り押さえることができること。それが特別対策室所属の管理官に求められる、最低ラインってわけだ」
「つまりおふたりは、そんなバケモノ染みた変態が相手でも対抗できると?」
「一応はな。まあカンリシャっつっても力量にはピンキリあるし、実際に対応するときはチームで動くからそう大したもんでもねえが」
……父さんの救出作戦に参加するには、この人たちと同レベルの力が必要と城鐘室長が言っていた。
それはつまりカンリシャが出てくる可能性を考慮していたのだろうか。
だとすると、確かにいまの俺では足を引っ張るだけだろう。
倉橋を相手にしてもギリギリの戦いになってしまう『千手』では、明らかに出力不足。
『瞬着』だってそうだ。
相手を拘束するどころか、腕の一振りで簡単にはじき返される光景が、容易に想像できる。
いや、もちろん俺だって、ただ全裸でうろつくだけの変態を力づくで取り押さえたくはない。
でもそこまで強靭な肉体の持ち主だというのなら、向こうが攻撃に転じてきたときのために、対抗手段を確保しておくべきだろう。
……奥の手の封印を解くか?
幼いころナギサ先輩と共に編み出した、すべてを滅する奥義――『全裸ボタル』。
相手の動きを止めるという意味では、あれ以上の技は無い。
殺傷能力に関する懸念点も、相手がそこまで頑丈なら問題にならないだろう。
とはいえあの技を発動するためには俺が全裸になる必要があるから、結局のところ使いどころは難しいんだよな。
管理局の人たちに見られると、俺も一緒に逮捕されかねないし。
というかそもそもの話、いくら小手先の技を磨いたって、カンリシャの動きを止めた後がどうしようもない気がする。
例え相手を拘束しても、隙を見て抜け出されるんじゃあ意味がない。
……ん?
でもそれは、特別対策室の人たちも同じでは?
「あの……カンリシャを確保できたとして、そのあとはどうするんです? 牢屋に入れても力づくで抜け出すんじゃないですか?」
それでは無意味、というより爆弾を内部に抱え込むようなもので、むしろ危険行為ですらある。
「そこだ。なんでもウチの局長が、テメエの村に駐在していたときにこのシステムに気付いたらしいが……」
「システム?」
「おう。変態っつーのはよ。より強力な変態に従う習性があるんだろ?」
「……」
知らない。
少なくとも俺はそんな話、聞いたことが無い。
「よく分かりません。ただ連城村で父さんのことを尊敬してた人たちは、別に暴力に従ってた感じじゃなかったです」
「ま、お前さんにはそう見えたんだろうな。子どもの教育に関しては賢明な親父さんだったらしい」
こちらの感情を逆撫でするような表現に一瞬カッとなりかけたが、心の中で深呼吸。
ここで言い争っても意味がないのだ。
「……結局は、カンリシャを暴力によって強制的に従わせるってことですか? 一度叩きのめしたらそのあとは大人しくなるというのは、いくらなんでも発想が野蛮すぎませんか?」
「ったく。不服そうなツラしやがって。テメエも実際にカンリシャ級の変態にでくわしたら、文句を言う気は消え失せるぜ」
「あれはまさしく、人間の形をした災害。我輩たちも、バケモノと呼ばれることもあるが、それでもやつらの強さは比較にならん。大人しくする方法があるのなら、どんな手段でも取るのは当然だ。そうでなければこちらの身が持たんよ」
「……そうですか」
別に不服があったわけじゃない。
暴力を恐れて、だから大人しく振る舞う。
たしかに当然の話のように思えるが、でもそれって本当に従っているといえるのか?
もし俺がカンリシャの立場なら、反撃の機会を虎視眈々と狙うと思う。
面従腹背ってやつだ。
あくまでも従うフリだけをして、相手にとって最悪のタイミングで一斉に蜂起するのだ。
例えば――父さんの奪還作戦の最中とか。
特別対策室の人間が出払うタイミングを狙えば、脱獄するだけでなく、勢いそのままに変態管理局を支配下におさめることだってできるんじゃないか……?
そうやって俺が考え込んでいると。
「あらあら。やっぱりここでしたか」
訓練室の入口に、華真知管理官の姿が見えた。
「あん?」
留岡管理官は片膝をついたままその場で振り向くと、彼女の姿を仰ぎ見た。
「珍しいな、訓練嫌いのヒャプルがここに来るとは」
「うふふ、さきほどまで光太郎さんとデートしておりましたの。はい、これをどうぞ」
「あ、どうもです」
冗談めかした華真知管理官が渡してくれたのは、ペットボトルの水だ。
そういえば飲み物を買いに行ったのになにも買わなかったな。
深い意味は無いのだろうがベストチョイスだ。ありがたい。
「デートねぇ……。こいつはまだ未成年なんだ。あんまりはしゃぎすぎて、捕まるようなことをすんじゃねーぞ」
「うるっさいですわ。そんなことするわけがありません」
「ほうデート! 若人のそういう艶やかな話は、いくら聞いても良いものだ」
顔をしかめる留岡管理官とは対照的に、意外と獅子宮管理官が興味津々だ。
恋愛トークなんて適当に聞き流しそうなタイプに見えるが、嬉しそうにうんうん頷いている。
そんな彼をめんどくさそうに見やってから、留岡管理官が俺に探るような視線を向けてきた。
「んで、実際のところはなにをやってたんだ」
「訓練をつけてもらっていたんです」
「訓練ン?」
いぶかしそうな彼に、俺は事情を説明した。
対セクシュアル・ハラスメントを想定した、催眠特訓について。
「ほー。そりゃまた無駄な努力をしたもんだな」
しかし返ってきたのは、予想外に冷たい反応。
別に褒めてもらえると思ったわけでもないが、さすがにちょっと淋しい。
「無駄ですか?」
「無駄だね。いや、テメエの目的がヒャプルを口説くことだったのなら別に無駄じゃねーが」
「ほう、そんな意図が。若人のガツガツした気概は、我輩も見習わねばならぬな」
「い、いえ、特にそんなつもりは」
「だったら、やっぱり無駄じゃねーか。セクシュアル・ハラスメント。アレは変態としては間違いなくカンリシャ級だ。そんな奴相手に、付け焼刃の特訓でなんとかしようとするのは馬鹿げてるとしか言いようがねえ」
「……そうですか?」
「はっ、不満そうだな。ヒャプルとの特訓が続けられないと困るか?」
「別にそういうわけじゃ……」
などと言葉を濁しつつ、特訓が打ち切りになったら大いに困るというのが本音だった。
だって華真知管理官の催眠は、俺の長年の夢を次々と叶えてくれるのだ。
とはいえそれはエロス的なあれこれなので、堂々と主張できるはずもなく、だから俺としては言いよどむしかない。
そんな俺の代わりというわけでもないだろうが、華真知管理官は挑戦的な視線を同僚に向けている。
「でしたらあなたには名案がございますの?」
「当然だろ」
妙に自信満々に言いきる留岡管理官は、俺を見てにやりと笑った。
「仲間を呼ぶ。これが一番確実だ。もちろん雑魚を集めても意味はねえ。セクシュアル・ハラスメントに声を掛けられたら、のこのこついて行く前にまず俺らに連絡しろ」
「連絡……」
「そうだ。テメエの昨日の判断、悪くなかったぜ。のこのこと奴の誘いに乗ったのは迂闊だったが、それでもきっちりナギサには連絡したろ。あれが無けりゃ、お前さんの未来は大きく変わってただろうな」
「…………」
そう。
確かに俺はかなり露骨な形でナギサ先輩に電話をしていた。
あの行動がシュアルさんへの牽制になったというのは、大いにあり得る話だ。
「つっても、ナギサじゃああの女は抑えられねえ。今後はヤバそうだと思ったら、俺たちに直接連絡しろ。相手が『単なる雑談だ』といったとしても、決して油断するな。見習いとはいえ管理官になった以上、変態相手に膝を屈するのは決して許されない。俺たちへの連絡が空振りに終わったとしても気にしなくていい。変態管理官は、もしもの事態に対応するのが仕事だ」
「……はい」
「しかし」
じろりと華真知管理官を見やる。
「ヒャプル。カンリシャ対策の基本は集団で囲むこと、んなことはテメエも分かってたはずだな? なのに、そんな基礎も伝えずになに浮かれてデートなんてしてやがる」
「妬いてますの?」
「妬くかよ」
がっくしと肩を落とす留岡管理官は、やたらと疲れて見えた。
意外と苦労人だな、この人。




