第48話 急転直下
休日の昼間は数少ない憩いの時間だ。
食事を済ませた俺が自室のベッドに全裸で寝転がり、秘蔵のファッション雑誌を眺めてぼんやりしていると……。
「…………!?」
突如背中が総毛立つほどの気配を感じた。
――変態だ。
それも超強力な。
思わず周囲を見回してしまったが、もちろん発生源は室内ではない。
おそらくマンションの外。
しかしこんなところにまで変態オーラが届くなんて、ちょっと尋常じゃないぞ……。
……様子を見に行くか。
念のためナギサ先輩にメールで連絡を入れた俺は、手早く着替え、スマホ片手にマンションを飛び出す。
が。
「消えた……?」
マンションの敷地から歩道に向かうまでのわずか数秒ほどのあいだに、俺の全身をつつんでいた悍ましいほどの変態オーラが、跡形もなく消えていたのだ。
勘違い……?
まさかそんなはずは……。
「あら、奇遇ね」
背後から声を掛けられた。
どこか納得しつつ、ゆっくりと振り帰る。
視界に入ったのは金色の髪。
そして周囲を圧倒するほどの美貌。
――セクシュアル・ハラスメント。
おそらく物陰に潜み、マンションから出てくる俺をやりすごしたのだろう。
してやったりと言いたげな表情はどこか子どもっぽくて、こんな時なのになんだか可愛らしい。
そんな気持ちを読まれないために眉をひそめた俺は、低くつぶやく。
「……なにか御用ですか」
「もう。そんなに怒らないで。別に貴方を呼び出そうと思ったわけじゃないの。このマンションに貴方がいると思ったらちょっと気が昂っちゃって、そしたら貴方がその気配を察知しちゃったわけ。私は悪く無いと思わない?」
「……どうしてここに俺がいると分かったんです? 住所を教えた記憶はないですけどね」
「そんなことなんの問題にもならないわよ」
そう言って、彼女は肩をすくめている。
たしかにそれはそうだろう。
調べる方法なんていくらでもある。
しかし問題はそこじゃない。
なぜ俺の住所を調べようと思ったのか。
そしてなぜわざわざ俺の家にまで足を運ぼうと思ったのか。
……その答えに興味が無いとは言わないが、どう考えてもさっさと撤退したほうがいいよな。
彼女に1対1で立ち向かうのは、ちょっと分が悪そうだ。
「悪いんですけど、用事がないのなら帰らせてもらいます」
「――本当にそれでいいのかしら」
すでに背を向け歩き出していた俺だったが、思わず動きが止まる。
彼女の言葉に無視できない響きを感じたのだ。
そして背後から音もなく近づいてきた彼女は、ゆっくりと顔を寄せてくる。
ふわっと甘い香りがした。
「大切な話があるの。真偽が不明だから伝えるべきか迷ったんだけど、やっぱり言うだけは言っておかないと寝覚めが悪いじゃない?」
「……なんの話です」
「――貴方のお父さんについてよ」
「……!」
横目で彼女の表情をうかがいつつ、俺は考えを巡らせる。
……これは罠だ。
彼女――というより、変態革命軍が仕組んだ露骨すぎる罠。
父さんの名前を出せば、俺が無視できないと知っているのだ。
実際、無視できるわけが無い。
「こんなところじゃ内緒話もできないわね。ついてきて」
「…………」
彼女はこちらに見向きもせず、歩道に向けて歩きだしている。
……どうする……?
いやもちろん、本来であれば選択肢などない。
どれほど興味があろうとも安全策を取ってマンションに戻るべきだろう。
ただ今回はすでにナギサ先輩と連絡が取れていた。
スマホのGPS機能で居場所を辿ってもらえば、最悪の事態は避けられると思う。
もちろん100%安全とはいえないので、悩みどころではあるが……。
……でも父さんに関する情報ならば、どんなことでも聞いておきたい。
――行くか。
不安を押し隠しつつ、彼女を追った。
それから数分。
たどり着いたのは駅にほど近い、高級ホテルだ。
フロントに向かうシュアルさんの背中を眺めつつ、俺は内心ホッとしていた。
ここには何度も来たことがある。
ホテルの上階にあるレストランは叔母さん御用達で、よく連れて来てもらったものだ。
もちろんシュアルさんの目的地が、レストランではなくこのホテルの別の場所という可能性はあるわけだが――。
「光太郎くんは食事は済ませたかしら」
ホテルのフロントに声を掛けた彼女は、こちらに戻ってくるなりそんな質問をしてきた。
やはりレストランに向かうらしい。
「はい、食べてます」
「そう、残念ね。ここのレストランが出すランチは絶品なのに」
知っている。
ただ食事が済んでなかったとしても、一緒にランチを楽しむ気にはなれない。
「申し訳ないですけど、話を聞くだけです。終わったらシュアルさんが食事の途中でもすぐに帰ります」
「ええ、もちろんそれでいいわ。……来たわね」
エレベーターに乗り込んだ彼女は、レストランのある階のボタンを押してから、壁にもたれかかる。
そして天井を見上げた。
……ちょっとした仕草が絵になる人だ。
「……私だって、内密の話をするのにもっと相応しい場所くらい知ってるの。例えば我が家とかね。でもそんなところに招待したら、あなたが警戒しちゃうでしょう? その点、ここのレストランは理想的よ。他人の会話を盗み聞きするような下品な連中がいないもの」
下品な連中……盗み聞きするような……?
それは記者のことを言っているのだろうか。
たしかにシュアルさんならそんな連中に追い回されていてもおかしくはない。
そういえばさっきは、うちのマンションの周囲に記者の姿が見えなかったな。
たぶん叔母さんをつけまわしているのだろうが、完全にひとりもいないのは珍しい。
……と、エレベーターが目的地に到着した。
「お先にどうぞ」
「あ、はい」
促されるまま先に下りてから、シュアルさんに向き直る。
「あの、レストランに入る前にちょっとトイレに行かせてもらってもいいですか?」
「ふふっ、そんな許可なんて求めなくていいわよ。私は中で待ってるから」
「すいません」
頭を下げつつ、そそくさとトイレへ。
もちろん用を足すためではなく、ナギサ先輩に連絡するためだ。
露骨すぎる動きなのでシュアルさんにもその意図はバレただろうが構いはしない。
むしろバレたほうが、彼女も迂闊な行動が取れなくなってありがたいくらいだ。
トイレの個室に入った俺は、現在地と状況についてナギサ先輩にメールを入れた。
即座に届く返信に安堵しつつ、優雅な足取りでレストランに入る。
「『ロストパラダイス』を下さるかしら」
俺が席に座るなり注文をするシュアルさん。
そして恭しく頭を下げる店員。
「かしこまりました。お客様は……」
「えっと、俺は――」
「彼も私と同じので」
「かしこまりました」
「…………」
勝手に注文されてしまった。
いや別に飲みたいものがあったわけでもないが。
「とりあえずそれだけでいいわ、ありがとう。……また怖い顔してる。嫌われちゃったのかしら?」
「メニューすら見てないのに勝手に注文されたら、怖い顔にもなりますよ」
「安心して。代金はもちろん私が支払うから」
「別にそんな心配はしてないですけど……ところで『ロストパラダイス』? 聞いたことが無い名前でしたけど、カクテルの名前だったりしませんよね?」
「アルコールが入ってるんじゃないかってこと? そんなわけないじゃない」
彼女は軽く吹き出していた。
「貴方の見た目は明らかに未成年だもの。アルコールが含まれているのなら年齢確認くらいするわよ」
まあ、それはそうだ。
……とはいえ一応、口はつけないでおくか。
変な薬でも入れられては困る。
「お待たせいたしました。ロストパラダイスです」
「ありがとう」
「…………どうも」
目の前に置かれたグラスを念のため観察。
香りは柑橘系。
見た目もオレンジにやや赤みが混ざったフルーティな感じで、あまり危険そうではない。
……まあ飲まないけど。
飲み物から視線を外した俺は、シュアルさんに目を向ける。
「それで、話を聞かせてもらえますか」
「……」
彼女は答えず、ジッとこちらを見つめている。
俺が飲み物に口をつけるのを待っている――そう考えるのはさすがに穿ちすぎだろうか。
しかしこうやって向かい合うとあらためて感じるが、シュアルさんはとんでもなく美人だ。
あとなんかいい匂いがする。
美女特有の匂いとでも言うのだろうか。
甘くて頭の芯が痺れるような香り。
そういえばいつだったか、華真知管理官も似たような匂いを――。
「あの子はうまくやってる?」
「あの子?」
考え事をしている最中に質問をぶつけられたせいか、うまく頭が働かない。
そんな俺の様子がおかしかったのか、シュアルさんは微笑んでいた。
「ラビュよ。あの子、学校でのことをなにも教えてくれないんだもの。うまくやれてるのかしら」
「ああ……」
そういえばこの前もラビュのことを気に掛けてたっけか。
意外とシスコンなのかもしれない。
「ラビュはどこにいてもその場の中心になってますよ」
「でしょうね」
当然のようにうなずいている。
まあ、俺も当然だと思う。
だってラビュだ。たとえその場にいなくてもいつの間にか話題の中心になる、そんなタイプの華やかな少女。
シュアルさんが喜びそうなエピソードならいくらでも思い出せるが、とはいえ俺はそんな話をするためにここにきたわけではない。
「それで、そろそろ本題に入ってもらえますか」
「あら? 本題ってなにかしら?」
「……」
ジト目を向けると彼女はくすくす笑い出した。
「冗談よ。そんなに怖い顔をしないで」
「はあ……」
なんかこの人と会話をすると、すごい疲れる。
もしかすると緊張のせいかもしれない。
さっきから身体がやたらと重いんだよな。
「……」
そしてシュアルさんもこのタイミングで無言になってるし。
なんだこれ、もしかして時間稼ぎか?
でも一体何の意味が……。
……いきなりこのレストランに革命軍の幹部とかが押し寄せてきたりしないよな?
いやそんなのがいるのかも知らないけど。
「……」
でもやっぱり変だよな。
この状況で黙る意味なんてあるか?
明らかにおかしい。
――逃げるか?
思わず腰を浮かせかけると、こちらをじっと見つめていた彼女がふっと息を吐いた。
「ごめんなさい、妙な態度に見えるわよね。でも貴方が私を警戒するように、私も貴方を警戒してるの」
「俺を……?」
「だって貴方だけには分かってほしいじゃない?」
「……」
甘えるような視線を向けてくるが、そんなことを言われてもなんの話かすらよく分からない。
話に脈絡がないというか、中身がないというか……。
「貴方の父親である、連城双龍。その居場所は――変態管理局よ。あの組織が匿っている」
……そして急に本題に入るのか。
本当に脈絡が無い。
でも彼女の話は明らかに嘘。
俺もつい最近まで同じことを考えていたから、あまり強く言えないが、父さんが管理局に監禁されているとは到底思えないのだ。
だってあそこには城鐘室長がいる。
もし管理局の内部に父さんがいるとしたら、城鐘室長はそれを政治的に利用しただろう。
秋海局長をその地位から引きずり下ろすため、組織ぐるみの監禁事件としてスキャンダラスに報じるよう仕向けたはずだ。
城鐘室長にはそれができるだけの能力と人望がある。
短い付き合いだが、そのあたりに関しては俺は確信を持っていた。
つまりシュアルさんの言葉は、いかにもそれっぽいだけで事実ではない。
もちろんシュアルさんも革命軍に騙されているだけという可能性はあるが……なんにせよ彼女の話をこれ以上聞く価値はないな。
密かに重心をずらしつつ、問いかける。
「正直、信じられません。根拠はあるんですか」
「もちろんあるわ。根拠は――」
答えに興味はあったが、だからこそわき目もふらず入り口へと走り出す――つもりだった。
「……うぅ……?」
立ち上がろうしたのに……身体が動かない……?
「ふふ」
軽く笑った彼女は静かにこちらを見ている。
その深い青色の瞳に吸い込まれそうだ。
一瞬自分の居場所が分からなくなる。
いや、一瞬ではない……?
「なんだか……意識が……」
くらくらとする。
それに身体全体が奇妙なほど重く感じて……。
「あら、どうしたの」
席を立った彼女はこちらに近寄ると、そっと肩を抱き寄せてきた。
目の焦点が合わない中、そのぬくもりだけを感じる。
「ずいぶん甘えんぼうじゃない」
耳元でささやきつつ、軽く耳を甘噛みされているのが分かった。
けれど、なんの反応もできない。
なすがままで――。
「まったくしょうがないわね。私の部屋でちょっと休みましょうか」
「……」
まぶたが恐ろしく重い。
でも、目を閉じることすらできない。
いったい……なにが……
店員と彼女がなにやら話しているのが聞こえる。
「――どうかされましたか?」
「――ふふ、おねむの時間みたい。大丈夫よ、この子には時々あるの、こういうこと。そうよね?」
すると、その呼びかけに答えるように俺の口が開いた。
「……はい。よくあるんです」
……俺が……返事をしたのか……?
俺の口が言葉を発した、それは確かだ。
でも、自分の意思で答えた気がしない。
言わされたというか……彼女に見つめられると、そう答えるべきだと思ってしまった。
「支払いは部屋につけておいて」
「かしこまりました」
彼女は俺の頬に口を寄せた。
「安心して。やさしく可愛がってあげるから」
ああ……そうか……俺は罠にはめられ……。
………………………………。




