プロローグ セクシュアル・ハラスメントの帰還(セクシュアル・ハラスメント視点)
――東京は今日も寒々しい。
くだらない感傷だとは分かっていたが、灰色の空を見るたびにそんなことを思う。
もちろんどれほど天候に恵まれなかったとしても、私の天使が迎えに来ていたらどうということもないのだけれど……。
空港のロビー。長いエスカレーター。待合のカフェ。
いくら周囲に目を向けても、あの可愛らしい笑顔を見つけることはできない。
そして――とうとう空港の外にまで来てしまった。
あの子が空港に来て、車でおとなしく待っていることはあり得ない。
つまり我が愛しのラビュは、ここにいないということだ。
「……ふん」
風に煽られ目の前に垂れてきた金色の髪を指で軽くはじいてから、再び歩き出す。
それはいら立ちを隠す仕草だったが、どうやら周囲の注目を集めたらしく、軽い歓声が上がるのが分かった。
「ねえ、あれって……」
「間違いないよ……あのオーラ、ぜったいシュアル様だって!」
様付けで呼ぶところを見ると、恐らく私のファンなのだろう。
「…………」
声を掛けるか悩む様子の少女たちを無視して駐車場に向かいながら――実に気分が良かった。
誤解されやすいけれど、私は決して人嫌いではない。
見た目が良いだけで荷物がろくに入らないような小さなスーツケースを転がし、他人にぶつからないか不安になるほどつばが広いハットを頭に乗せ、まぶしくも無いのに黒光りするブランド物のサングラスを掛けているのだって、世間から求められている役割を知っているからこそ。
――セクシュアル・ハラスメントは美しくあらねばならない。
私が常に美の仮面を被って暮らしているのは、見栄などではなく周囲への配慮なのだ。
と。
目の端に気になるものが映り、思わず立ち止まる。
友人を見送りにでも来たのだろうか、空港に来るには随分ラフな格好の少女が立っていた。
そして目があった途端、彼女の身体がビクンと跳ねる。
……悪くない反応だ。
じっと見つめていると視線に込められた意味に気付いたのか、彼女の頬が徐々に赤く染まっていく。
本当に悪くない。
もっともあの様子ではすぐに私の『セクハラ』を受け入れてくれるだろう。
それではダメだ。意味が無い。
視線を戻した私は、スーツケースの取っ手を強く握り、再び歩き出す。
「……」
分かってる。悪いのは私だと。
『セクシュアル・ハラスメント』が悪名になってしまったのは、すべて私の行いのせい。
でも……これ以外の生き方なんて、私にはできそうもない。
だからこそラビュが必要なのに。
私が素直に愛情を注げる相手は、彼女だけなのに……。
鬱々と歩くうちにロータリーにたどり着いた。
サングラスをずらし軽く視線を彷徨わせると、その車はすぐに見つかった。
遠目にもすぐ分かる、黄色の丸みを帯びた車体。個人的には派手すぎると思うが、母様の趣味なので仕方が無い。
後部座席に乗り込んでから、安堵の息を吐く。
「ふう。あなたに会うのも久しぶりね」
運転席には、私より年下の従者が乗っている。
母様がこの国で拾ったとかいう黒髪の少女で、私にとっても馴染みの顔だった。
基本的に無表情、そして言葉にも感情を乗せないタイプのなかなかに面白い子で、率直に言って嫌いではない。
というか母様のお気に入りでなければ、即座に手を出していたと思う。
「ラビューニャお嬢様がお会いになりたがっておりましたよ」
「ふっ」
思わず鼻から息が漏れた。
どんな魂胆でそんなことを言い出したのやら。
「嘘ばっかり。あの子が私に会いたがるわけないじゃない」
「なにをおっしゃいます。私がシュアルお嬢様相手に嘘をつくはずがございません」
極めて疑わしい話だ。
とはいえこのメイドが私の逆鱗に触れかねない話題で嘘をつくほど迂闊だとも思わない。
「……本当なの? あの子が私に?」
のせられていると頭では分かっていたが、ふつふつと沸きあがる喜びが抑えきれなかった。
「ええ。会いたいとおっしゃっておりました。ラビューニャお嬢様も社交辞令をおぼえられたようです」
「社交辞令ねえ……」
つぶやきながら窓の外を眺める。
久しぶりの東京は相も変わらず曇り空――のはずだったが、いつのまにやら晴れ間が見えていた。
強風が雲を押し流してくれたようだ。
「……そういえば母様は、館にいるのかしら」
「いいえ、ここ数週間はお戻りになられておりません。各地を旅されているそうです」
「ふふ、なるほど」
その返事で、いろいろと察した。
普段ならいくら母様のやることとはいえ、ラビュの心をもてあそぶ行為には強く反感を覚えるところだが、今回ばかりは素直にありがたい。
「ラビュも寂しがるはずだわ。わざわざ旅に出てくれた母様には感謝しておかないと」
「生贄として捧げられたラビューニャお嬢様は、お気の毒なことです」
「あら? もしかして喧嘩を売ってるのかしら?」
「滅相もございません。私はシュアルお嬢様の忠実なるしもべでございます」
「とても信じられないけど……まあいいわ。今の私は機嫌がいいから許してあげる」
言いながら後部座席の窓ガラスを下げる。
春風を感じたい気分だった。
「そうですか。それならばもう一つ、お嬢様のご機嫌がさらに良くなるご報告が」
「なにかしら?」
「ラビューニャお嬢様におかれましては、学園生活を何不自由なく過ごすうちに、とある男子生徒と親密な関係になられたようで」
「…………は?」
心にどす黒いものが沸き上がってくるのを感じた。
――殺そう。
そう決意しながら、静かに尋ねる。
「お友達ができた。そう解釈すればいいのかしら?」
「ラビュ様の胸を鷲掴みにしていたようですが、そういった関係性を友達と呼ぶのならそうかもしれませんね」
「…………」
「つい先日も、その男子生徒の自宅に遊びに行かれたそうで。そういえば、ラビュ様が胸を鷲掴みにされている写真がございますよ。見ます?」
「見るわけが無いわ、ばかばかしい」
「しかし、お姫様だっこをされたラビュお嬢様はとても楽しそうでした。まさしくエンジェルスマイルというやつです。まあ、天使のように愛らしいのはいつものことですが」
「……」
まったくもって同感なだけに、彼女の言うエンジェルスマイルを見たいという気持ちが消せない。
スマホを取り出すと案の定、写真データがすでに届いていた。
本当に、嫌になるくらい優秀なメイドだ。
いまいましく思いながら、画像を開く。
……たしかにラビュは楽しそうだった。
けれどラビュを抱き上げる少年の、困惑したような表情と胸を鷲掴みにしている手。
それらが目に入った途端すべての感情が闇に塗りつぶされていくのが分かる。
デレデレになるならまだしも、なぜそんな余裕ぶっているの……!?
どれほどの幸運に恵まれているのか分からないわけ!?
コロス……!
「……だから言ったのよね。ラビュを学校に通わせる必要なんてないって」
怒りを押し隠しながらつぶやくと、危険を感じ取ったのかメイドも反論せずに即座に頷く。
「たしかにおっしゃっておりましたね」
「その男子生徒の情報はもちろん調べてあるわね? いますぐ転校してもらうよう計らわないと。名前は?」
「ふふふ」
「……?」
思わずミラーに映る彼女の顔を見た。
告げ口をするときの彼女はたいてい後ろめたそうな顔をするのが常だった。
本心は分からないが、彼女にとってはラビュだって雇用主なので自然とそうなるのだろう。
けれど今の彼女は違う。
本当に楽しそうな表情を浮かべている。
「どうかした? 貴方が笑うようなことを言ったつもりはないのだけれど」
「――連城光太郎です」
「……なに? なんて言ったの?」
「その写真に写っている少年の名前は――連城光太郎。そうです、あの連城村の跡取りと目されていた彼です」
……連城村?
連城双龍が管理していた、あの?
言われてみれば、あの男の面影があるような……。
「うふふふふふ」
写真を眺めるうちに、自然と笑みがこぼれた。
母と共に訪れた連城村で、あの男と交わした会話を思い出す。
――君の心を満たせる人間は、世界広しと言えど僕の息子くらいだろうね。数年後を楽しみにしているといいよ。
あのときは親バカのたわごとだと思った。
当時の私は12歳、彼は5歳。
その年齢で一体何が分かる?
それにあの頃の私はまだ変態に目覚めていなかったのだ。
だから心を満たすことの困難さを知らなかった。
けれど――それから10年が経ち、すべては変わった。
連城双龍が私に告げた言葉の数々は腹立たしいものばかりだったが、時が流れていくにつれて、たしかに未来を言い当てていたと分かった。
分かってしまった。
だとしたら、あの言葉はどうなのだろう。
連城光太郎が私の心を満たしてくれるという、あの言葉。
あれも『言い当てている』のだろうか?
……確かめたい。
「てっきり嫌味かと思ったけれど、あなたが言ってた意味、ようやく分かったわ。たしかにそれは良い情報ね」
「お嬢様に嫌味など……」
「そうね、ごめんなさい。転校の話は無しよ。ラビュから連城光太郎を引きはがしつつ、私のものにする。一挙両得ってやつね」
「かしこまりました」
素直な返答に満足しつつ、再び窓の外を眺める。
そして心地よく流れていく風に、うっとりと言葉を乗せた。
「すべてを受け継ぎし者、連城光太郎。あの父親と、あの母親が生み出した変態界の風雲児。早く見たいわ、あなたの嫌がる顔を……。うふふふふふ」




