番外編1-1 在りし日の思い出(前編)秋海ナギサ視点
いったいどうすれば……。
どうすれば、この地獄のような状況から抜け出せる……?
自分の部屋にたてこもったわたしは、ベッドのそばで膝を抱えてうずくまり、そのことだけをずっと考えていた。
お父さんは、とっくにお仕事に出かけた。
家にはわたしとおかあさんだけ。
――この常軌を逸した村の片隅に建つ一軒家に、わたしとおかあさんしかいない。
それはシンプルに恐怖だった。
だってここは変態たちの楽園、連城村。
全裸を他人に見せつけることが唯一の生きがいというろくでもない住人たちに見つかれば、どんな目に遭わされるか分かったものではない。
本当にこんな危険地帯に私たちを連れてきたお父さんが恨めしい。
お母さんもお母さんだ。
普通は反対くらいはするだろうに、なぜお父さんが言うことに素直に従うことにしたのかまるで理解できない。
いくらなんでも呑気すぎる。
わたしは泣きそうな気持ちで、カーテンの隙間からちらちらと窓の外を覗き見る。
連城村は、一見すると自然豊かでのんびりとした場所のようだった。
けれどその裏では、ろくでもない全裸の変態どもが潜んでいるのだ。
ベッドの陰に隠れるように座り込んだわたしは、はあとため息をつく。
幸いなことに、今のところこの村の変態たちにはお目に掛かっていない。
父さんの運転する車で村にたどりつき、この真新しい一軒家に入るまでのあいだ、変態どころか普通の通行人の姿すら見かけなかった。
たぶん、うちのお父さんは警察官だから、みんな怖がっているんだと思う。
だからこの家に近寄る変態なんて、いるはずがないとも思う。
……でも今は、お父さんがいない。
相手は常識なんて持っていない、全裸の変態。
これ幸いと、この家に襲撃を掛けてきてもおかしくないのだ。
不安な気持ちに背中を押されたわたしはのろのろと立ち上がると、再びカーテンの隙間から外をのぞき込み――。
「……!」
すぐその場にしゃがみ込んだ。
いた。
窓の外に、裸が見えた。
心臓がバクバクしている。
でも――。
なんか小柄だったような?
冷静に思い返してみると、子どもサイズだった気がする。
「……」
恐怖より好奇心が上回ったわたしは、そーっと窓から顔をのぞかせる。
……遠くの草むらに小さな人影が見えた。
目を凝らすが――やはり子供のようだ。
裸の男の子が、草むらにしゃがみこんでいる。
……本当に裸で暮らしてるんだ、この村の人たち……。
……というか、あれが男の子の裸。
初めて見た……。
まあ、こちらに背中を向けているから、よく見えないんだけど。
なんとなく視線を外すことができずジッと見つめていると、その少年が不意に振り向いた。
「ふわぁっ!?」
目が合った。合ってしまった。
慌ててしゃがむが、我ながら行動が遅い。
まちがいなく向こうにわたしの存在がバレたし、服を着ていたことも分かったかもしれない。
泣きそうになりながら、必死に考える。
わたしはいったいどうなるんだろう。
この村の住人にしてみれば、服を着たわたしこそが異常者なはず。
洋服なんて脱げと、ひん剥かれたりする?
でもあの子はわたしより小さいし、いざとなったらグーで思いっきり頭を叩いて言うことを聞かせるしかない。
……いやでも。
不意に希望の光が見えた。
もしかしたら目が合ったというのは私の勘違いかも?
ほんの一瞬だったし、結構距離もあった。
外は日差しがあるし、この部屋は暗いので、わたしが見ていることに気付かなかった可能性は結構高いと思う。
そーっとそーっと慎重に身体を伸ばし、窓から外の様子をうかがうと――。
「じー」
「わあっ!」
男の子がすぐそこにいた!
窓に張り付くようにしてこちらを見ている。
しかも裸!
裸の男の子が、こんなに近くに!
「あ……あ……」
恐怖のあまり言葉を失っていると、その少年はにっこりと微笑んだ。
「こんにちは!」
……。
「あれ? えっと……こんにちは!」
な、なんかすっごい挨拶してくる……。
意外と友好的だ……。
「あれえ?」
返事がないのが不思議なのか、少年は首を傾げていた。
というか、身体全体を折り曲げていた。
「えっとぉ、こんにちはっ!」
「こ……こんにちは……」
勢いに押されて、つい返事をしてしまった。
あまりにも小さな声だったので、分厚い窓ガラスの向こう側にいる少年に届いたかはかなり怪しい。
「あはははは!」
でもなんか笑ってる。
すっごい笑ってる。
なんだろうこの子。
悪い子ではなさそうだけど……。
「あのね、見てて! ボク、前転できるから!」
「え?」
意味が分からない。
そんな話してなかったのに、なぜ急に前転なんて単語が出てくるんだ……?
全裸の少年はこちらになんの説明もしないまま、全力で遠くに駆け出していく。
そして、さきほどいた草むらのあたりで立ち止まると、宣言通り前転。
その場で不思議なポーズを取った後、再びこちらに全速力で戻ってきた。
「ね?」
「うん……」
すっごく良い笑顔でこちらを見てくるけど……なんでわざわざ遠くに行ってから前転するんだろう……。
そしてそれを見せて、わたしになんて言って欲しいんだろう……。
「あとね、後ろに前転もできるんだよ!」
「後ろに前転?」
「見ててね!」
そう言って、こちらの返事も聞かずに再び駆け出していく。
立ち止まったのはやはり草むら。
ちょっと躊躇しながら、それでもたしかにくるんと後転をしていた。
そして再び駆け足で窓の前まで戻ってくる。
「後ろに前転するのはちょっと怖かった!」
「うん……ちなみにそれは後転だね」
「後転?」
「そう。前に回るのが前転。後ろに回るのが後転」
自分でもなぜこんな話をしているのか分からないが、全裸の少年はわたしの言葉を聞いて感心したように瞳を輝かせていた。
「へー! 後ろに回るのは、後転っていうの? じゃあね、ボク後転できたよ!」
「そうだね。たしかにできてた」
「偉い?」
「え?」
「ボク、前転も後転もできるんだよ。偉い?」
偉いかどうかは正直疑問だが、褒めてもらいたがってるのは明らかだ。
向こうが友好的に接してきてる以上、こちらも友好的に接する。
それこそ文明人の取るべき態度だとわたしは思う。
「偉いよ。すごく偉い」
「えへへぇ」
我ながら雑な褒め方だったが、少年は特に気にした様子もなく嬉しそうに身体を傾けにっこりと笑っている。
何だこの子、可愛いな。
警戒してたのかバカらしくなる。
「あのね、お姉ちゃん」
「お、お姉ちゃん?」
「うん。ボクより歳が上なんでしょ?」
「ああ。まあ、そうかもね」
見た感じ、たしかにわたしのほうが年上のようだった。
しかし……お姉ちゃん、か。
いい響きだ。
そういえばわたし、妹か弟が欲しかったんだよなあ……。
「一緒にお外に行こうよ」
ぎょっとした。
これは悪魔の誘いだ。
まあ正直にいえば、この幼い子どもがわたしをどうこうしてくるとは思わない。
でもこの村に住む大人たちのことはまるで信用できないわけで。
安易に外に出たりせず家に閉じこもっておくのが一番安全なのだ。
「わ、わたしは外には出ない」
「そう? じゃ、おうちで遊ぼ!」
「おうちで?」
「ボクのおうちくる? それともお姉ちゃんのおうちがいい?」
……この子の家は論外だ。
でも、私の家にも入ってほしくない。
裸でうろつかれるのは、なんかいやだ。
この子、泥んこになってるし。
というかそもそもの話、この子と遊ぶ理由がわたしにはない。
「なんでわたしにかまうの? 他にもお友だちがいるでしょ。その人たちと遊びなよ」
「でもね、お姉ちゃんのお洋服が綺麗だから。もっとたくさん見てたい!」
「……え……?」
それは、あまりにも予想外の言葉だった。
洋服が綺麗?
たしかにいま私が着ているパジャマは自分でもお気に入りだ。
思わずうっとりするような良い水色をしていて、袖に可愛らしい白いフリルがついた、とっても可愛い洋服だと思う。
でもまさか、全裸村の住人に洋服が綺麗なんて言われるとは……。
彼らにもそんな概念があるというのだろうか?
洋服を愛でる気持ちは、彼らの心にも存在している……?
……子どもだからかもしれない。
わたしはそう結論づけた。
あらゆることに興味を示す子どもだから、洋服に興味を持ってもおかしくはない。
でもそれはつまり、この子はまだ真人間の道に引き戻せるということなのでは?
全裸で村をうろつく変態ではなく、きちんとしたスーツ姿で社会生活を送るまともな大人になれる?
そうだ、考えてみれば全裸村で生まれ育ったのは別にこの子の責任じゃない。
だったら……わたしがこの子を助けてあげないと!
だってわたしは警察官の娘!
困ってる人は、助けてあげるんだ!




