第36話 彼女の叫び
「連城光太郎が変態管理官に向いていない!? そんなはずがありません!」
俺のすぐそばで、先輩は叫んでいた。
勢いよく立ち上がった拍子に椅子が倒れたことなど気付いた様子もなく、彼女はただ前だけを見ている。
居並ぶ特別対策室の面々を。
「彼の対応は、完ぺきでした! むろん結果論です。でも彼が出した結果は、素晴らしかったんだ! 被害者も犯罪者も出さないまま痴漢願望の持ち主を改心させた、これ以上の成果がありますか!?」
美しい髪が乱れるのもお構いなしで。
部屋の片隅で立ち上がり、俺をかばうために必死に戦っていた。
「皆さんもご存じの通り、この国の変態対策は常に後手に回っています。被害者と、そして犯罪者が生まれる。そこがスタートラインでした。事件が起きてからようやく変態管理官の仕事が始まることを、誰もが当然だと思っていたはずです。けれど彼は、事件が起きる前に事態を収拾してみせたんだ!」
俺は先輩の勢いに圧倒されていた。
いつも冷静な彼女が、ここまでの激情を隠し持っていたとは……。
ナギサ先輩のボルテージはますます上昇していく。
「現実的でない!? でも彼はそれを現実でやったんです! 被害者も犯罪者も出さない変態対策! これこそが我々にとっての理想ではないんですか!? 誰もが平和に暮らせる日常を維持するというのが、我々の活動目的ではないんですか!? 変態を一般市民に引き戻し、人々の日常を守ってみせた彼が、変態管理官に向いていないなんてそんなはずありません! どうか、もう一度ご検討をお願いします!」
「…………」
管理官たちは口を挟むことなく、最後まで彼女の主張に耳を傾けていた。
百戦錬磨の管理官が、ナギサ先輩の熱意に心を打たれたということはないだろう。
けれどたしかに彼女の訴えは、この部屋に今までとは違う空気を送り込んだのだ。
もっとも――。
「――はたしてそうかね」
空気が変わっただけですべてがうまいくほど、甘い状況でもなかったわけだが。
アロハ男は自身の顎を撫でながら、ナギサ先輩に厳しい視線を注いでいる。
「被害者も犯罪者も出さない変態対策? ……たしかにそれが事実ならたいしたもんだが、はっきり言って疑わしいね。このガキが痴漢を見逃したせいで新たな被害者が生まれてないとは、お前さんだって言い切れんだろ」
「言い切れます」
「根拠は」
「留岡さんが、被害者を見つけてないからです」
アロハ男の眉が、ピクリと動いた。
ナギサ先輩はそんな彼に静かに語りかける。
「痴漢が自首してきてから半年。裏付け捜査を進めたのは留岡さんでしょう? あなたが徹底的にヤツの行動を洗って、それで被害に遭ったと思われる人物がいまだに見つかってないのなら、それは被害者がいないということです」
「ふん」
留岡と呼ばれたアロハの男は、つまらなそうに鼻を鳴らしている。
「俺だって万能じゃねえ。過去に戻って尾行ができるわけでもなし、見落としくらいはあるさ。それにもし本当に被害者がいなかったとしても、やっぱりそれは結果論としか思えねーな。話が堂々巡りになってわりーけどよ」
「……」
先輩は沈黙していた。
諦めたわけではなく次の言葉を探しているだけなのは、その表情を見れば分かった。
そんな彼女を見つめるうちに俺は――。
思わずその場に立ち上がっていた。
「コウちゃん……?」
背後から不思議そうな声が聞こえてきたが、そちらには視線を向けず、俺はアロハ男を真っ向から見返した。
反論の言葉なんて無いと思っていた。
変態管理官の責任は、俺には背負いきれないと感じていた。
でも――ナギサ先輩が叫んでいたから。
そうだ。
彼女が俺のために立ち上がったというのに、肝心の俺が腑抜けている場合ではない。
先輩の視線に背中を押されるように、俺はゆっくりと口を開いた。
「痴漢と遭遇しておきながら、対処せずに放置した。そう言われれば、否定はできません。でも俺は感じたんです。この人は改心できると」
「お前も同類だからか?」
「かもしれません」
即座に頷く。
ためらいこそが、よけいな疑念を生む。
ナギサ先輩に事前にいわれていたとおり、俺が全裸村の出身であることくらい彼らは当然知っているのだ。
「俺はあのとき、痴漢が伸ばす手を必死に防ぎ続けました。電車に揺られながら何分も何十分も防ぎ続けるうちに――ふと思ったんです。なぜこの男はこんなにもムキになっているのだろうかと。痴漢が目的なら、俺という鉄壁の守護神がいるこの場を離脱するのがもっとも賢明なはずなのに、まるでそんな様子がない。そう考えて気付きました。この攻防を続ければ、やがて彼が抱える痴漢願望そのものが消えるかもしれないということに」
「……悪いが、貴殿がそう考えた根拠が分からんな」
太い腕を組み威厳たっぷりに首を傾げる獅子宮管理官だが、この反応は想定内だ。
俺が説明しようとすると――。
「……昇華か。防衛機制ってやつだな」
つぶやいたのはアロハ男だった。
昇華も防衛機制も、心理学の用語だ。
変態管理官である彼が知っているのはむしろ当然といえる。
そして全裸村の村長を目指している俺だって、その方面の知識は蓄えていた。
もちろん付け焼き刃に過ぎないが、今はそんなことを言っている場合ではない。
使えるものは何でも使って、彼らに俺という存在を認めさせてやる……!
「ええ、社会的に許されない欲求を、社会的に許されたそれ以外の行動で満たす。おっしゃるとおり『昇華』と呼ばれる心の防衛機制です。奴が抱える痴漢願望が、俺との攻防の中で少しずつ消えていくのが分かりました。破壊願望をスポーツで解消する例があるように、この状況を続ければ奴が持つ痴漢欲求が、俺への対抗意識で塗り替えられるんじゃないか。俺はそう考えたからこそ、電車内での対痴漢戦術を継続したわけです」
それは必ずしも事実というわけでは無いが、まったくのウソでもない。
だから堂々と言葉を続ける。
「そもそも痴漢といっても、別にそういう種族の人間がいるわけではありません。満員電車や人混みなど、ある特定の場所で『痴漢になってしまう』だけで、そこ以外では彼らもごく普通の一般市民として平和的な生活を送っています。つまり一番の問題は、痴漢願望を誘発させる場にこそあるんです。そういった場所の存在自体を無くす。それが難しいのであれば管理官を変態多発スポットに常駐させ、欲望に打ち勝てるようにサポートする。理想論かもしれませんが、俺の行動はその理想に沿ったものだったんですよ」
「ふむ……」
そのつぶやきには重厚な響きがあった。
無言で俺の主張に耳を傾けていた獅子宮管理官は、ゆっくりと腕組みを解き重々しく頷く。
「なるほど、貴殿の弁明の趣旨は理解した。そして痴漢に対する弱腰とも思える振る舞いに、多少の理があったことも認めよう。だが……それを考慮に入れても、『所詮は結果論にすぎない』という留岡管理官の言葉に頷かざるを得んな。痴漢願望を昇華させるために電車内での攻防を続けた? たしかに聞こえはいいが、あまりにも不確実ではないか。いまこうしているあいだにも変態の数は着々と増え続けているのだ。変態犯罪者は発見次第、即逮捕。これこそが変態管理における理想であり、すべての変態管理官はこの理想に沿って動くべきなのだ。なぜならば吾輩たちは、健全な社会を守る最後の砦。『改心する可能性があるから』などという不確実な理由で、無責任な行動を取るわけには断じていかんのだからな」
……思わず頷いてしまいそうなほど、説得力を感じさせる主張だ。
だがその理論の根本的な部分に破綻があることを、俺は知っていた。
短く息を吐き、呼吸を整える。
ここが主張のしどころだと思ったのだ。
「……それはむしろ逆でしょう」
「……逆、とは?」
「獅子宮管理官もおっしゃった通り、今もなお変態は増え続けているんです。つまり――」
目の前の管理官たちに挑戦状を叩きつけるような気持ちで、俺は薄く笑いながら言葉を続ける。
「――失敗してるんですよ、あなたたちのやり方は」




