第31話 元クラスメイトのギャル(中編)
「助けた? それ、なんの話?」
「んー? ま、ウイカの身も心もタロタロに弄ばれちゃったって話かな!」
「ほう!」
「いや、ほうじゃないから。柚子島もあんまり適当なことを言わないでくれ。ラビュに悪影響だ」
「えー、なぜに? 事実じゃん」
「いやなにが事実だもごぉ!?」
急に背後から口をふさがれてしまった。
慌てていると、御城ケ崎の声が耳元で聞こえてくる。
「申し訳ございません、そのお話を詳しくお聞かせください、初夏さん」
「お、やっちゃう?」
「はい、やっちゃってください」
いや、やめてくれ。
どんな話が飛び出るか分かった物じゃない。
「これはね、ウイカが中等部に通っていた頃のエピソードなんだけど……」
「この学園の中等部ですよね」
「そそ。で、当時のウイカは電車通学だったわけ。あんまり人が乗らない、各駅停車ね。それでも通学時間はさすがに混んでるから、ぜんぜん座れなくって。だっるぅーって思いながら立ってたら……そこにタロタロも乗ってきたの」
そうだ。
そして俺も、人目を惹くギャルが同じ車両に乗っていることには気付いていた。
……そして、彼女に近づく黒い影の存在にも。
「んでね、タロタロはわざわざウイカの後ろにくるわけ。まーね、たしかに混雑はしてるけど、でもべつにギュウギュウ詰めってわけでもないのにだよ。それでちらっと窓に反射する顔を見ると、ウイカのおしりをすっごいギラギラした目で見てるの」
「もごお!」
そんなことしてない!
しかし俺の抗議の声は、御城ケ崎に口をふさがれているので誰の耳にも届かない。
「あ~、わかるわかる。ういういはお尻がキュートだよね。コータローは見る目があるよ」
「ええ、どれほど大量の女子生徒が乗車していたとしても、光太郎様がこの美ボディを見過ごすはずがございません。さすがです、光太郎様」
しかしなぜか俺は、非難されるどころか褒められていた。
女体研究部ならではの光景だと思う。
「しょーじきウイカね、ドキドキしてたんだ。もしかしてタロタロは、イタズラするためにウイカの後ろに立ったんじゃないかって」
「イタズラ?」
「そりゃあもー、やらしーイタズラをね。おしりを撫でたりとか?」
「ふむ」
御城ケ崎は顎に手を当て思案の表情を浮かべつつ、柚子島の身体を上から下まで存分に眺めた。
そしてコクリと頷く。
「光太郎様ならありえますね」
「もごお!」
「しょうがないよ、コータロー。男の子って本能には逆らえない生き物だから、ういういのおしりをスルーできないのも当然だって」
なぜか俺は慰められていた。
そもそも冤罪なのに。
「でもね、ちがったの。タロタロがウイカに近づいてきたのは、おしりを触るためじゃなかった。むしろその逆で、痴漢の魔の手から救うためだったの。でしょ、タロタロ?」
「もごお……」
本当に気付いてたんだな。
しかしだとしたらこいつも、ずいぶん危険な行動をする。
車両を変えるくらいすればよかったのに。
「もごお、もごもごもごお」
「『いや、それは分からない』と光太郎様はおっしゃっているようです」
なぜ通訳できるんだ、御城ケ崎。
そしてなぜ手を放せという言葉だけは伝わらないんだ御城ケ崎。
「分からないって……どういう意味?」
「もごもごもごもごお、もごもごもごおもごもごもごおもごもごもごお」
「なんかずっと、もごもご言ってる……」
「……仕方がありませんね」
解放するよう強く訴えかけると、ようやく御城ケ崎が手を放してくれた。
ふう。
俺はひと息ついてから、柚子島に向けて話を始める。
「たしかに、痴漢としか思えないような怪しい動きをするおじさんはいた。でも、実際に痴漢行為に及んだわけじゃない。あのおっさんが伸ばした手は、柚子島のおしりのほうに伸びていったけど、でもその前に俺の手と触れ合ったからな」
「『触れ合った』じゃなくて、タロタロが掴んで防いでくれたじゃん。なら痴漢から守ってくれたってことっしょ?」
「まあ、俺の気持ちとしては頷きたいけどな。でもあいつが痴漢だったのか、真相は誰にも分からないさ」
「……なぜ……警察や変態管理局に引き渡さなかったのですか……?」
「なんの罪で引き渡す? さっきも言ったけど、あのおっさんは実際に痴漢行為を行ったわけじゃない。かといって、実際に触らせるわけにもいかないだろ?」
「……」
俺の返事は納得しがたかったようで、御城ケ崎にしては珍しく不満げに眉根を寄せていた。
そしてラビュも、御城ケ崎の隣で首を傾げている。
「でもさ、そのおじさんをそこで見逃したんなら、調子に乗ってそれからも来たんじゃない?」
「うん、ちょっとしつこかったかなー」
「……そうですよね……。しばらく付きまとわれたのでは……?」
「しばらくっていうか、それから3年間付きまとわれちゃって」
「3年間!?」
御城ケ崎は目を見開いていた。
「中等部の1年生から3年生になるまで、その痴漢につきまとわれたということですか!?」
「そゆこと。ま、朝の電車限定だけどね」
「そんな軽く……光太郎様も3年間毎日同じ電車に乗り合わせるとは限りません。いくらなんでも危険すぎるかと……」
「いや、毎日同じ電車だったぞ。ちゃんとタイミングを見計らったからな」
「……本当になぜ警察に突き出さなかったのか、理解に苦しみます……」
御城ケ崎の言葉は正論だ。
たしかにあのおじさんが柚子島のおしりに手を伸ばした時点で痴漢とみなし、警察に突き出すべきだったと今でも思う。
でも俺はそうしなかった。
いや……できなかったんだ。
俺はそのことには触れず、頭を振った。
「結局は3年の冬、もうすぐ卒業ってあたりで、そのおじさんが駅員さんに突き出されたって話を聞いたな。よくわからないけど、女装したおっさんの尻をもんでたらしくて……」
「おじさんがおじさんのおしりを? なんかあんまり聞きたくないにゃー……」
「まあ気持ちは分かるが女装おじさんは単なる被害者だろうし、そう言ってやるなよ」
げんなりした表情のラビュを俺がたしなめると、柚子島もウンウン頷いている。
「ウイカも女装おじさんはいい人だと思うよ。タロタロが陰ながらウイカのことを助けてくれてたって話も、その人から教えてもらったし」
「女装おじさんから……?」
……もしかして、ただの女装おじさんではなく、変態管理局の人だったのか?
変態管理官がおとり捜査をやっているような話は聞いたことがあるし、可能性はあるな。
「まあなんにせよ、柚子島を助けたとかそんな大げさな話じゃないさ。俺はたまたまその場に居合わせただけだから」
「でもその女装おじさんが言ってたもん。凄まじい攻防だったって。お尻を触ろうとする痴漢おじさんと、それを防ごうとするタロタロの手が、シュバババババって凄い勢いで交錯してて、最初見たときはふたりが超高速で印を結んでるのかと思ったって」
「そんな仲良しじゃねーのよ。なんで見知らぬおっさんと朝の電車で忍者ごっこしないといけないんだ」
俺が嘆くと、御城ケ崎が不思議そうにこちらを見てきた。
「忍者ごっこ……? マンガをご存じないのに……忍者ネタは通じるのですか……?」
「別に忍者ってマンガだけじゃないだろ?」
そう、例えばドージンシーにもそういう話があった。
いやでもあれも結局はマンガか。
しかしあれは面白かったな。
そのうちナギサ先輩に頼んで、もう一度見せてもらおう。
「……ですが、不思議です……」
「そんなに俺が忍者を知ってるのが変か……?」
「いえ、そうではなく……たしか初夏さんは、光太郎様に身も心も弄ばれたとおっしゃってました。ですが今の話からはそんな要素を感じませんでしたので……」
「にゃるほど、たしかに。まあ、心を弄ばれたっていうのは分からなくもないけど、でも身体は弄ばれてないよね?」
「えっと……」
言いづらそうに頬を指でかきながら、柚子島はつぶやく。
「実際におしりを触られてはいたから。――タロタロに」
「は!?」
そんなことするはずがない。
いくら冗談のつもりでも、言って良いことと悪いことがある……!
「そ、そなの、コータロー?」
「いや、やるわけないだろ!」
「べつに隠さなくてもダイジョブだから。たしかに恥ずかしかったけど、でもむしろ感謝してるくらいだし。痴漢に触られずに済むように、タロタロが先にウイカのおしりを触って防いでくれてたんだよね?」
「そんな対処法が……!」
「いやいやいやいや」
なぜかラビュは納得していたが、まじで身に覚えが無い。
「ふむ」
一方で御城ケ崎は、困惑する俺を見て瞳をキラリと輝かせていた。
「わたくし、ピンときました。おそらくそれは誤解でしょう。光太郎様は同意も無しにそのような行為をなさる方ではございません」
「ご、御城ケ崎……俺のことを信じてくれるのか……?」
「ええ。とはいえ、実際に光太郎さんが痴漢を防ぐ場面をきちんと見ないと、正式な判断はできないのも事実」
「まあそうだろうが……実際に見ないとわからないって言われてもな。あのときのおじさんをここに呼ぶわけにもいかないし」
「……このわたくしがひと肌脱ぎましょう」
覚悟を固めた様子で、力強く頷く御城ケ崎。
なんだかすごく不安だ。
「なにをするつもりなんだよ」
「わたくしのおしりを提供いたします。この場で再現するのです、痴漢おじさんと光太郎様の攻防を。痴漢役は……」
少し考え込んだあと、御城ケ崎はカーテンに向けて声を掛けた。
「ひかりさん。よろしいですか?」
「なに?」
ひょっこり顔を出した倉橋。
カーテンが膨らんでいたのでいるのは知っていたが、呼びかけない限り出てこない最近の幽霊部員っぷりはマジで凄いと思う。
「申し訳ありませんが、光太郎様の無実の証明にご協力をいただけないでしょうか」
「無実の証明? えっと、あたしはなにをしたらいいの?」
「わたくしのお尻を撫でようとしてください。そして光太郎様はそれを防ぐのです。そうすれば自然と、初夏さんの誤解は解けるでしょう」
「ふーん?」
倉橋はよく分からなかったようだが、それでもこちらに来てくれた。




