第30話 元クラスメイトのギャル(前編)
ふとした瞬間に、思い出す言葉がある。
耳の奥にこびりついて、何年たっても消えてくれない……そんな言葉が。
――それは連城村が崩壊してから数ヶ月たった、ある冬の日のこと。
東京で暮らし始めてからというもの、定期的に体調を崩すようになってしまった俺は、その日も小学校を休んでいた。
広いマンションには、俺ひとり。
みなもは俺の看病をすると散々ごねていたが叔母さんに説得されてしぶしぶ登校していたし、その叔母さんも午前中こそ家にいてくれたが午後には職場へ出勤していた。
そう聞くと、なにやら叔母さんの態度が冷たいように思えるかもしれないが、別にそういうわけじゃない。
俺の体調不良の原因が、彼女には分かっていたんだ。
――『洋服酔い』。
それは全裸村に住む人間が下界におり立った時に避けては通れない奇病のひとつである。
叔母さんも村を出てすぐの頃は、視界に入るすべての人物が洋服を身にまとっているという異常な光景に、何度も気を失いかけたそうだ。
しかし、持つべきものは先達である。
そんな叔母さんだからこそ、俺をマンションに放置することが、洋服酔いへの一番の対処法だと分かっていたわけだ。
広々としたひとりだけの空間で、のびのびと全裸になる俺。
これはまさに魂の洗濯。
結局のところ、全裸村の住人はこうすることでしか心を癒せないのだろう。
そうやって、マンションの一室で全裸を満喫していると――突如、インターホンが鳴った。
時計に目を向けると、時刻はすでに夕方。
みなもが帰って来てもおかしくない時間だが、彼女ならインターホンを鳴らしたりはしない。
来客のようだ。
叔母さんからは、誰が来ても出る必要は無いと言われていた。
けれどテンションが上がっていた俺は、興味本位でインターホンのディスプレイをのぞきこむ。
映っているのはこのマンションのエントランスホール、その自動ドアの前。
そこにランドセルを背負った少女が、緊張した様子で立っていた。
同じクラスの柚子島初夏だ。
いつもモコモコとした洋服を着ていた彼女は、俺にとってちょっと気になる女の子。
クラスメイトの見分けがほとんどついていなかった俺も、彼女だけは顔と名前が一致していた。
そして画面に映る彼女が着ているのは、やはりモコモコとした綿菓子のような服。
俺の胸はときめいた。
震える手がインターホンへと伸びていき、通話ボタンを押す。
「も、もしもし……連城です……」
「あ、えっと……コータローくんのおうち……ですか? 今日お休みだったから、プリントを持って来たよ……です」
声だけでは俺だという確信が持てないのか、あやふやな答え方で、こんなときだというのに俺は思わず笑ってしまった。
「ちょっと待ってて。いまエントランスの鍵を開けるから。そしたら目の前にあるエレベーターに乗ってもらって――」
俺は柚子島さんをマンションに招き入れた。
……招き入れてしまったんだ。
数分もたたないうちに、チャイムが部屋に鳴り響く。
俺は病人らしく見えるよう、暗い表情を苦心して作りながら、柚子島さんを迎え入れるため玄関のドアをガチャリと開けた。
――自分がとんでもない失策を犯していることなど気付かないまま。
「ありがとう、柚子島さん。わざわざプリントを持って来てくれて」
「…………」
玄関のドアを開けた瞬間から、彼女の様子がおかしかった。
モコモコの洋服に包まれた可愛らしい彼女は、こちらをうつろな瞳で見てくるだけで、なんの反応も無い。
「えっと……?」
「……コータローくん」
ぼつりとつぶやく彼女。
その声には困惑だけでなく、かすかな軽蔑が含まれていた。
「――どうしてお洋服を着てないの?」
◇◇◇◇◇
「……」
目を開けると、白い天井が視界いっぱいに広がっていた。
一瞬混乱するが、ラビュの鼻歌が聞こえてきて、ホッと息をつく。
……ここは部室か。
いつのまにやら、ソファで寝てしまったようだ。
授業中眠らなかっただけマシだが、さすがにこうも居眠りが続くとなると、睡眠時間についてもう少しきちんと考えないといけないな。
――それにしても懐かしい夢だった。
天井を見つめたまま、そんなことを考える。
当時の俺は柚子島さんに淡い恋心を抱いていたように思う。
正確に言うと、彼女が着ていた手触りの良さそうなモコモコした洋服にときめいていただけなのだろうが、それでも彼女を見るたびに胸の高鳴りを感じていたのはたしかだ。
でも結局は、彼女と疎遠になってしまった。
あの日以来、会話はもちろん目も合わせてくれず……まあ、その程度の拒絶で済ませてくれたことに感謝するべきなんだろう。
全裸で出迎えるという失態を彼女がクラスの皆に内緒にしてくれたおかげで、あの日以降も俺は普通に小学校に通うことができたんだしな。
もっとも彼女の心には、消せない傷を残してしまったかもしれないが……。
そんなことを静かに考えていると、ネームを描いていたラビュが、ふっと顔を上げた。
「そういえば出るみたいだね」
「……出る? なにが?」
「これだよこれ。ひゅーどろどろーってやつ」
ペンを机の上に置き、両手の甲をこちらに見せてきたラビュ。
いわゆるオバケのポーズだ。
「オバケが出る?」
「ええ。今日は幽霊さんがいらっしゃる予定の日なのです」
「……ああ」
御城ケ崎が補足してくれたおかげで、ようやく言いたいことが分かった。
「幽霊部員の子が来るのか」
言われてみれば、同じ部活に入っているのに、いまだに会ってない部員がいるんだよな。
幽霊部員という話を事前に聞いていたので特に気にしてなかったが、とうとう姿をあらわす気になったらしい。
「きっと、コータローびっくりするだろーね」
「ですね……」
「ん?」
俺がびっくりする相手?
いったい誰だ?
「あっれ?」
入口の扉がガラガラと開き、少女がひょいと顔をのぞかせてきた。
明らかに染めている真っ赤な髪。
やたらと短いスカートと、ガバッと開いた胸元。
ギャルだ。
それも見覚えのあるギャルだった。
いろいろと印象に残る出来事があったので、彼女のことは今でもよく憶えているのだ。
俺が中学生だった頃、同じ通学電車に乗り合わせていたギャルに間違いあるまい。
もっとも名前も知らぬ身元不明のギャルだったので、こんなところで再会するとは思っていなかったが……。
「ホントにいんじゃん。ちゃんと誘えたわけ? やるぅ、ぶちょー」
「おっ、来たねー、ういうい」
見た目通りの軽い調子で発せられたギャルの言葉に、明るく応じるラビュ。
ずいぶん親しそうだ。
そういえば電車で見かけた彼女の制服は、この学園の中等部のものだったような気がするし、ふたりは中等部の頃から友達だったりするのかもしれない。
と。
「いっひっひ~」
ギャルギャルしい少女がこちらに一歩近寄ってきた。
そして俺を見て、ニッと笑う。
「やっほー、タロタロ♪」
「タ、タロタロ?」
さすがはギャル、陽キャヒエラルキーの最上位に位置するとウワサの無敵生物。
まともに話したことが無いのに、このフレンドリーっぷりは凄い。
正直対応に困るが、同じ部員同士だし俺も友好的に接するべきだろう。
「あー、俺は連城光太郎。最近この部活に入ったんだ。よろしく」
「え?」
自己紹介すると、なぜかラビュが不思議そうな顔をしていた。
けれど俺が視線を向けても、それ以上なにか言ってくるわけでもない。
「あっは! タロタロまじウケる!」
そしてギャルさんはウケていた。
「今さら自己紹介とかいらんくない? しちゃダメとも言わんけど」
「は、はあ」
「はぁだって、なにその返事ウケる!」
またウケていた。
どうやら嫌われてはいないらしいが、対応に困ることには変わりがない。
「えっと……でもほら、やっぱ自己紹介は大切だろ?」
向こうは俺の名前を知っているようだったが、俺はまだギャルさんの名前を知らないのだ。
「まーねー。たしかにそーかも。えっとじゃあ、タロタロが自己紹介してくれたお礼に、ウイカのことも色々教えてあげよっかな」
「ああ、頼む」
押し問答が続くかと思いきや、あっさり話に乗ってくれた。
意外と察しが良い子だと喜んだ俺だが。
…………ウイカ?
なんか聞き覚えがある単語なんだけど……。
記憶を探る俺の目の前で、『ウイカ』さんが自身の口のあたりにピースサインを当て、可愛く微笑む。
「柚子島初夏15さい! タロタロのことが大好きな高校一年生でーす♪ いえーい!」
「…………」
「ほらタロタロも! いえーい!」
「い、いえーい!」
テンションの高いギャルさんとハイタッチしつつ、俺は内心衝撃を受けていた。
このギャルが、あの柚子島……!?
大人しくて内気な少女だったのに、成長するとこんな感じになんの!?
人間って……不思議だ……。
俺のことが好き云々というのは、ギャル特有のその場を盛り上げるためのノリであって深い意味なんて無いんだろうが、いったい彼女の身に何が起きたというんだ……。
「あの……おふたりはお知り合いだったのでは……?」
「え? そだよ、小学校のオナクラ」
「おなくら? なんだそれ」
「同じクラスということです」
疑問を浮かべる俺に解説してから、御城ケ崎は首を傾げる。
「ですが……どうにも光太郎様の反応が鈍いような気が……」
「あーね、実はウイカも『これタロタロ気付いてないなー』って前々から思ってたり? でも、ほら、ウイカって昔は地味っ子だったから。しゃーなしって感じ」
「わ、悪い。たしかに気付いてなかった。でも別に柚子島が地味だなんて思ったことは無いというか……なんかシンプルに変わったよな、柚子島は」
「……変わったんじゃなくて『変えられた』んじゃん」
「ん?」
「べっつにぃー、なんでもないでぇーす!」
そういって笑いながら、俺に身体ごとぶつかってくる。
やっぱ変わったよ柚子島。
昔はこんなコミュニケーションの取り方してこなかったし。
「うりうりぃ」
それに肘で俺のお腹を削ろうと試みることもなかった。
「あっは! なんかごめんね、ウイカまじでテンション上がってるみたい!」
さすがに本人にも自覚はあったようだ。
とはいえ、にやにや笑いながら俺の頬を人差し指でつんつんとつつくのをやめる気は無いらしい。
「す、すごいですね……もともと陽キャの方だとは思っておりましたが、まさかここまでとは……」
「た、たしかに。いままでは女の子同士のじゃれ合いでしかなかったからラビュもあんまり気にしてなかったけど、こうして男の子と絡んでいるところをみると、まさに陽キャガールって感じ」
ぶっちゃけラビュに関しては他人事のように言える立場ではないと思う。
なんなら今の柚子島よりよっぽどどうかした絡み方をしてくるし。
「これはまー、照れ隠しみたいな? やっぱ、素直に気持ちを伝えるときはどーしてもねー」
そう言って柚子島は俺から一歩離れる。
そして軽く首を傾けながら、明るい笑顔を向けてきた。
「あのね、タロタロ。電車の中でウイカのこと守ってくれて、ありがとね!」
「……」
こいつ、気付いてたのか……。




