幕間 連城村が崩壊した日 その3(連城双龍視点)
結局シグマはその後、丸1日かけて東京を案内してくれた。
村に戻ったのは翌朝のこと。
幸いなことに父さんは未だに健在で、妹にこそ嫌味を言われてしまったが、ちょっとした行き違いから村を抜け出したホタルとそれを説得し無事に連れ戻した僕という形で今回の騒動は丸くおさめることができた。
とはいえ今回の事件の前後で、何も変化がなかったかといえば、そういうわけでもない。
あの日以来、シグマが我が家に出入りするようになったのだ。
今までにない村長家とホタルとの交流は恐らく周囲を驚かせただろうが、父が黙認する態度を取ったこともあり、表立って文句を言う人間は誰もいなかった。
そして裏で文句を言う人間もいなかったようだ。
ここ数十年この村から暴走者がでていないことが大きかったんだと思う。
まるで罪人のようにホタルたちが村から離れて暮らしている現状を、村人たちも疑問視していたというわけだ。
そして今回の東京行きで心身に何の異常も起こらなかったこともあり、僕自身にもある疑念が生じていた。
――あるいはカンリシャの暴走というのは、どうしようもない変態たちを田舎の村に閉じ込めるための方便に過ぎないのでは……?
僕たちは、国に騙されているのでは……?
モヤモヤした感情が、胸の奥にこびりつく。
とはいえ、その疑念を表に出すような真似はしなかった。
皆の前でそんな主張をすれば「双龍は村を出ていきたくてそんなことを言うのだ」と、村人たちが不安に思うに決まっている。
それは本意ではない。
たった1日。
シグマと東京で過ごしたたった1日が、僕の気持ちをがらりと変えた。
全裸を愛する村人たちの想いがはっきりと理解できるようになっていたんだ。
もちろん服飾文化は素晴らしいものだ。
実用的なだけでなく、人々の心を豊かにしてくれる。
実際、東京で見た様々な服、そのすべてが僕の胸をときめかせてくれた。笑顔にしてくれた。
けれど今回の旅路で僕の印象に一番残ったのは、東京が誇る華美な洋服たちではなかった。
――帰路に見た、朝日輝くこの村の風景。
それこそが僕の心を撃ち抜いたんだ。
どこまでも広がる雄大な景色が、僕の胸に感動と興奮を与えてくれた。
それは初めて黒スーツを見たとき以上の衝撃。
……きっと父さんの狙いは最初からこれだったんだろう。
距離が近すぎると見えなくなるものがこの世の中にはあって、住み慣れた場所が持つ魅力というのはまさにそれなのだ。
一時的とはいえこの村から離れることで、ぼくは連城村の魅力を――村人たちがこの村に惹きつけられる理由をあらためて知ることができた。
東京の人々がオシャレを楽しむように。
この村の人たちは全裸を楽しんでいた。
それは別に露出行為に快感を得ていたということではない。
僕自身そう思っていたが、実際は違うのだ。
彼らは自然と一体化し、四季折々の風景を着込むことに無上の喜びを感じていた。
――春は零れ桜をその身に羽織り、夏は蛍の明かりで裸体を照らし。
秋は色づく紅葉で全裸を彩り、冬は新雪のコートで村を闊歩す。
この村の住人がいつも笑顔なのは、自然という偉大な衣を全身にまとって暮らせるのが嬉しいからなのだ。
……その気持ちなら。
綺麗な衣服を着てはしゃぎたくなる気持ちなら、僕にも分かる。
――やがて父が死に、僕は村長と呼ばれるようになっていた。
もっとも父が床に臥せっている期間が長かったこともあり、僕の日課はあまり変わらなかった。
その一方で、連城家とホタルの交流はいよいよ密接になった。
特にシグマとの交流は、恐らく村外であれば夫婦と呼ばれる類のものになっていた。
連城家と表裏一体の存在、ホタル。
連城家の当主が理性を失い暴走を始めたら、その身を犠牲にして暴走を止める、この村のセーフティネット。
もし僕が暴走しても、シグマが止めてくれる。
僕より彼女のほうが強いから、そこは安心だ。
もし手違いで命を落とすことになったとしても、あとのことはシグマがうまくやってくれるだろう。
ただ……。
シグマとの間に光太郎という子どもを授かり、少し考えが変わった。
懸念があったのだ。
暴走に対する懸念が。
僕は構わない。
この村で生き、この村で死んでいくのなら本望だ。
まして、シグマの手に掛かるのなら悔いはない。
けれど子どもは――光太郎はどう思うのだろう?
そんな生き方を望むのだろうか?
もしかすると、連城村に縛られていると思ってしまうのではないのだろうか。
この村に生まれたことを……あるいは僕たちの子どもとして生を受けたことを後悔するとしたら、それはとても口惜しい。
……そんなことを考えるようになったこともあって、ここ最近はドレッドさんに相談する機会が増えた。
ドレッド・ハラスメント。
彼女がこの村に来てから、もうどのくらい経つだろう。
ドレッドさんは遠い異国からわざわざこの村の噂を聞きつけてやってきたというかなりの趣味人で、まだ若いというのになかなかに見聞が広かった。
そのうえなにやら催眠という特殊技能が使えるらしい。
催眠。
……有効利用したいと僕が考えたのは、むしろ当然だろう。
結局のところ、すべての問題はカンリシャの血の暴走だ。
様々な文献を読み漁った結果、僕はこれを遺伝病の類と認識するようになっていた。
――催眠の力で、この病気を治療したい。
暴走さえ制御できれば、光太郎がこの村に縛られる必要なんて無くなる。
シグマの役目だってそうだ。
できることなら、優しい彼女には人を傷つけて欲しくない。
僕が暴走さえしなければ、シグマもそんなことをしなくて済むようになる。
そうすればみんなで穏やかに暮らす日々がいつまでも続くのだ。
やはり、暴走は悪だ。
共に生きるという消極的な対処療法ではなく、根本的な治療法を手に入れたかった。
――催眠実験の被検体には妹が名乗りを上げた。
どうやら彼女は僕とは違いこの村に嫌気がさしていたらしく、成功したら村を出ていくことを条件に引き受けてくれたのだ。
そして暴走を抑え込むために実施した催眠実験の結果は……実のところ、よく分からなかった。
そもそも暴走状態に陥ったことがないのだから、抑え込めているのか判断できないのもやむを得ないところだろう。
なんとも冴えない話だ。
もっとも妹はそんな腑抜けた結論に納得するはずもなく、全てがうやむやの内に東京へと飛び出してしまった。
暴走のリスクが不明瞭なことを考えれば連れ戻すべきだと思わなくも無かったが、最終的に本人の意思を尊重することにしたのは、シグマの言葉があったから。
彼女の見立てによると、妹は、「カンリシャの血が薄い」そうだ。
もし何か問題が起きたとしてもそれは暴走なんて大層なものではなく、子どもの癇癪と大差ない危険度なのだとか。
どうやらホタルの中でも優秀といわれる彼女は、そういった感知能力が異常に高いらしい。
シグマは適当な気休めを言うタイプではないので、放置しても問題ないと断言する以上は実際にそうなのだろう。
そしてその一方で。
「光太郎はカンリシャとしての血がかなり濃いみたいだ」と言うシグマの言葉には、じゅうぶんに注意を払う必要があるというわけだ。
村長家の血をひく僕と、優秀なホタルであるシグマの間にできた子どもなのだから、血が濃くなるのも当然といえば当然だが……。
光太郎に催眠を掛けたとして、果たして本当にそれで安心できるのだろうか。
ドレッドさんは信用できても、催眠の効果となると話は別だ。
……もっと確実な方法が欲しい。
絶対に暴走を抑え込めるような、二度と不安を抱かずに済むようなそんな手段が……。
とはいえ、そんな都合の良いものがあれば、この村の長い歴史の中でとっくに試しているはずで。
結局のところ僕は、失意の日々を過ごさざるを得なかった。
そんな僕の姿を見かねてか、ドレッドさんは世界各地の変態集落に赴いてくれたが……それでも暴走の可能性を完全に排除できるような決定的な情報を得ることは叶わない。
そんななか、想定外の事態が起きた。
秋海さんにカンリシャに関する掟を不完全な形で知られたせいで、暴走に関するこの村の秘事をすべて打ち明けざるを得なくなったのだ。
あの人は決して悪い人ではないが、結局は警察の人間だ。
この村に永住するわけでもない以上、内部情報はあまり知って欲しくなかったし、伝えるつもりはなかった。
もっともこれは結果的にはプラスだったように思う。
全てを知った秋海さんの反応は明らかにこちらに同情的で 「もしそんな事態になれば、暴走した光太郎君を無傷で確保できるよう全面的に協力する」という心強い言葉まで返ってきた。
無論、カンリシャの血をひく我々のような頑強な肉体を持たない彼なので現実的に対応することは難しいだろうが、そう言ってくれる気持ちが何よりもうれしい。
――そうやって希望と失望が混ざり合うぬるま湯のような日々を過ごし、数年が経った頃のことだ。
御城ケ崎家から、ある連絡が届いた。
カンリシャの血の暴走について、現代の医学で対応できる目途がたった。
そんな内容だった。
我々と同じく変態パラダイス村を管理する彼ら一族の名は、さすがに僕とて聞き及んでいた。
日本を支える大財閥のひとつであり、有名な私立病院の経営母体としても知られている御城ケ崎家。
そんな彼らが、暴走を抑える手段を見つけた?
……盲点だった。
考えてみれば、暴走に悩まされているのが僕らだけのはずがない。
……ドレッドさんには、国内を調査してもらうべきだったな。
そうすればもっと早く解決の道筋がついたかもしれないのに。
そんなことを考えて苦笑する余裕さえあった。
だってその時の僕は未来への希望に満ち溢れていたんだ。
けれど今にして思えば。
そういう時にこそ足元に気をつけなければいけなかった。
運命のあの日。
すべてが絶望に染まったあの日。
――決して起きてはならないことが起きてしまった。
「双龍さん、大変だ! 広場に来てくれ!」
突如家に駆け込んできた秋海さんは顔面蒼白になっていて、並々ならぬことが起きたとすぐに分かった。
一瞬の躊躇が致命的な結果を生みそうな予感。
僕は慌てて立ち上がると、秋海さんのあとを追い玄関を飛び出す。
「いったいなにが……!?」
秋海さんの背中に向けて疑問を投げると、返ってきたのはあまりにも予想外の言葉だった。
「シグマさんが暴れてる! ホタルの連中は返り討ちにあった!」
「な……」
シグマが?
「け、喧嘩の理由は?」
「いや違う、喧嘩じゃないんだ! おそらくあれが、双龍さんが言っていた――」
息を切らしながら広場へたどり着くと――そこにシグマがいた。
極端な前傾姿勢はまるで獣のよう。
そして彼女を包む、どす黒いオーラ。
それは明らかに暴走状態を示していた。
――僕のせいだ。
咄嗟に思ったことはそれだった。
シグマが僕に似合う洋服を見繕うために、度々東京に出かけていたことは知っていた。
そして、情報の波がカンリシャの精神に悪影響を与えることも当然分かっていた。
分かっていたはずなのに……。
僕は将来の希望に目を向けるあまり、現在そこにあるリスクをあまりにも過少に見積もってしまっていたのだ。
スーツに作務衣、防寒着……彼女はことあるごとに洋服をプレゼントしてくれた。
どれもお気に入りで……でも彼女より大切な物なんてひとつとしてない。
少なくとも、暴走の件が完全に解決するまでは外出は控えるように言うべきだったのに、なぜ僕はこうも露骨に油断してしまったのか……。
後悔がにじむ。
と。
「アァァァァッ!」
シグマが放ったその野生の獣のような叫びにハッとした。
彼女は猛烈な勢いでこちらに突進し、右腕を無造作に振る。
「がっ……!?」
ガードは間に合っていた。そのさりげない動きとは裏腹に威力が高いと察し、受け流す体勢も取れていた。
にもかかわらず、彼女の腕の一振りで、僕の身体は糸の切れた凧のようにどこまでも吹き飛ばされてしまう。
威力に押し負けた……!?
受け流すのではなく、全力で回避するべきだった……!
しかし後悔してもすでに遅く、僕の身体は広場の中央に植えられた大樹の幹に激突する。
「……っ!」
衝撃に息が詰まった。
追撃を警戒し慌てて起き上がりはしたが、呼吸しただけで胸が灼けるように熱い。
そして両足もがくがくと震え……。
結局は立っていられずに、その場にへたり込んでしまう。
……まずい、これはまずい。
激痛のせいで、身体がまともに動かせない……!
痛みに顔をしかめつつ前方に視線を向ける。
シグマが秋海さんに狙いを定めているのが見えた。
暴走する彼女は、必死の形相で回避する秋海さんが落とした拳銃を踏み潰し、なおも追撃を加えていく。
秋海さんは互いの力量差を考えれば驚くほど巧みに避け続けていたが――。
「ぐあああああ!」
とうとうシグマの一撃をまともにくらい、僕とは逆方向に吹き飛ばされていった。
あれでは戦闘不能だろう。
――どうすればいい……?
ホタルがやられ、僕も秋海さんも負傷し、唯一彼女を殺傷できる可能性がある武器すら失ったとなると、八方ふさがりだ。
今の彼女に対抗する手段がないというのなら、せめて連城村の村長としてこの身を犠牲にしてでも村人たちを逃がしたいのに……肝心の身体が動いてくれない。
……なんて体たらくだ。
シグマが暴れていると聞いた時点で、カンリシャの血が暴走したと想定しなければいけなかったのに。
暴走者が出ると、どれほど悲惨な結末を迎えるのか、父からも相談役からも叩き込まれたはずなのに。
彼女を殺すつもりで挑まなければいけなかったのに……!
村長である僕が、自身に課せられた役目を甘く見たせいで、この村が滅びてしまう……!
気ばかり焦る。
そんなとき僕の視界に飛び込んできたのは――。
「お……かあさん……?」




