第95話 崩壊する日常 その3
「おい、どうしたんだ。さっさとやれよ」
「……おまえはなにも分かってねぇ」
かろうじて俺の耳に届いたのは、絞り出すようなか細い声。
「快楽? あるわけねえだろうが。――苦しいんだよ」
男が顔を上げる。
――その顔は歪んでいた。
涙と鼻水にまみれ、ぐしゃぐしゃになっている。
「馬鹿だよお前は。どうして俺なんかにつきまとう? どうだっていいじゃねえか。俺はもう犯罪者としてしか生きられないんだよ。もっと有意義に時間を使えよ」
「よく分かってるじゃないか、俺は実際馬鹿なんだ。あんたが犯罪者として生きることを認める気なんて無い。だから悪いけどそっちが諦めてくれ。真っ当に生きられるよう、俺もサポートするから。ほらとりあえず、さっさと脱いでくれよ。今日の露出願望を全部発散させて、さっさと帰ろう」
「……俺の負けだ」
「……え?」
勝ち負けの話なんてしてたか……?
意表を突かれぼんやりしてしまう俺を、露出魔はじっと見つめていた。
「分かってたんだ。本当は、とっくの昔から分かってた。俺だってこんなことをしたかったわけじゃねえ。連城村の存在を知ったとき、俺の胸はたしかにときめいたんだ。大自然の中を裸で駆け回りたい、それは子どもじみた純粋な憧れでしかなかった。……なのに今じゃ……」
後悔が滲むつぶやきを発してから、男はこちらに背を向ける。
「手間を取らせて悪かったな……」
そう言って歩き出す男の背中はやけにしょぼくれていて。
だから察した。
彼はきっと、自首するつもりなのだろう。
……このまま帰すわけにはいかない。
だってこの露出魔は、連城村に光を見出したんだ。
けれど、あの村はすでに崩壊していて……だからこんな状況にまで追い込まれてしまった。
彼のとった行動は決して許されるものでは無いし、きちんと司法の裁きを受けるべきなのだろうが、でも俺はそもそも変態を裁くためにこんなことをしているわけじゃない。
力になりたいんだ。
助けを求めて村を訪れる変態たちに、救いの手を差し伸べていた父さんのように。
俺にも力になれることはきっとあるはず……!
「待ってくれ!」
そう叫びながら彼の背中に手を伸ばし、そして――。
異変に気付いた。
男のロングコートに、いつの間にか大量の荒縄が巻きついている。
これは変態捕縛術『荒縄縛り』……!
でも、いったい誰が……?
慌てて周囲に視線を向けると、薄暗い公園の隅にある名も知らぬ遊具の前に2つの人影が見えた。
小柄なものと、大柄なもの。
……ゆっくりとこちらに近づいてくる。
その動きに不穏なものを感じた俺は、思わず身構える。
大柄な方は、小柄な人影に付き従うような動きを見せているが、闇と同化していてよく分からない。
近づく2人の輪郭が、だんだんとはっきりと見え始め――。
「捕獲した変態の処理は任せます。わたくしは光太郎様とお話がありますので」
「えっ……」
黒づくめの男に手慣れた様子で指示を出す、小柄な少女。
その姿に見覚えがあった。
いや見覚えなんてものじゃない。
彼女は――。
「御城ケ崎……?」
間違いない。
というか、ついさっきまで一緒にいたのだから間違えようがない。
「なぜここにいるんだ……?」
嫌な予感がした。
いるはずのない彼女を見て最初に考えたのは、また催眠によって操られているのではないかということだったが。
「…………」
とはいえ、こちらに視線を向けた御城ケ崎が返事をためらう様子を見せたことで、その疑惑は多少薄れた。
もしドレッド・ハラスメントが再び御城ケ崎を操っていたのなら、俺を納得させられるような理由を事前に準備していただろう。
少なくともこんなに初歩的で、容易に想定できる質問に詰まることはないはずだ。
もちろんあくまでも可能性の話なので、完全にセーフとも言い切れないわけだが……。
と、御城ケ崎の背後に控えていた黒ずくめの男が、荒縄で捕縛した露出魔に無造作に近づいていく。
思い起こされるのは、先ほどの御城ケ崎の言葉。
――捕獲した変態の処理は任せます。
「……そいつをどうするつもりだ」
「無論、警察に突き出すことになるでしょうね」
今度はすんなり返事をしてくる御城ケ崎。
その内容自体は妥当なものだろうが、だからこそ俺も動揺せざるを得なかった。
「い、いや、でもそいつはまだ犯罪行為をしていない――」
「それはどうでしょう」
彼女は小声でつぶやいてから、スマホの画面をこちらに見せてくる。
「たしかに光太郎様の放った『瞬着』は見事なものでした。けれど、この通り。我々が撮影した映像にはこの変態の局部が映っている」
「……!」
御城ケ崎が示したスマホの画面には、言い逃れが出来ないほどはっきりとした証拠――コートを思いっきり広げた露出魔の全裸の姿が写っていた。
俺すら認識できていないような一瞬のタイミングを見事に切り抜いてみせるとは……。
それはまさに神業としか言いようが無い。
盗撮慣れした御城ケ崎の撮影スキルは、俺の想像をはるかに超えているようだ。
御城ケ崎はスマホを懐に戻すと、陰鬱な表情をこちらに向けてくる。
「ここまではっきりした証拠がある以上、不起訴処分にはならないでしょうね。有罪判決は決定的です」
「ま、まってくれ! そいつは……」
「――いや、いいんだ」
「えっ?」
その声は拘束された男が発したものだった。
こちらに背を向けたまま、彼は言葉を続ける。
「その人の言う通りさ……。俺の行動はれっきとした犯罪行為。そもそも自首するつもりだったんだ。でももしかしたら逃げてしまうかもしれなくて……だから、警察につきだしてもらえるのなら、その方が俺も良い」
「そんな……」
「良い覚悟です。――連れて行ってください」
「分かりました。……おい、行くぞ」
「……ああ」
闇の中、男たちの姿が消えていく。
公園に残されたのは、俺と御城ケ崎のふたりだけ。
「御城ケ崎……なぜ……」
呆然とつぶやく俺に、御城ケ崎は鋭い視線を向けてきた。




