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(6)姫君は竜と微睡む

「お前の弟は、いつからああやって暮らしている」

「ああやってが、どこまで指すのかはわからないけれど。身体が弱いのは生まれつきで、あからさまに命を狙われるようになったのはお母さまが亡くなってからね」


 部屋に戻り刺繍を刺していると、竜がじれったそうに尋ねてきた。どういう原理なのか理解できないが、本当に竜は、別室にいる彼女と弟の様子を観察することができていたらしい。


「母親の死因に心当たりはあるのか?」


 手持ち無沙汰だったのだろうか、ステファニーが仕上げた部分の刺繍をふんふんと匂いを嗅ぐように確かめながら、竜は彼女の返事を待っている。どうせなら、刺し間違いがないかじっくりみてもらおうと、彼女は手を止めて服を竜に渡した。


「もともと、身体が丈夫ではなかったそうよ。子どもを産むことは難しいと言われていたらしいわ。私を妊娠したときにも、お医者さまは良い顔をしなかったそうよ。弟を妊娠したときには、明確に反対したのだとか」


 本当は王妃になるべきではなかったのかもしれない。あるいは、せめて側妃を娶るべきだったのだろう。けれど政略ではなく心から想う相手と結婚できた両親は、幸せだったに違いないのだ。記憶に残るふたりの姿は、いつも穏やかに微笑んでいた。


「伯父さまも、母が生きていた頃はとても優しかったように記憶しているの」

「伯父のことを憎んではいないのか」

「嫌いとか憎いよりも、どうしてという気持ちの方が大きいの。でもそうも言ってはいられなくなったわ。降りかかる火の粉は払わなくては」


 ため息をつきたくなるのをこらえて、ステファニーは裁縫道具を手に取る。どうやら間違いはなかったらしい。竜の確認が済んだ服を受け取り、残りの部分への刺繍を再開した。花のような文字のような複雑な模様は、気を抜くと刺し間違えてしまいそうだ。


「あなたが用意してくれていた鱗、早速使わせてもらったわ」

「念のためと渡しておいたが、まったく。無味無臭どころか、あんなに臭いがきつい毒を使うなんて、犯人は何を考えているんだ」

「気にするところはそこなの?そもそも人間の鼻だと、わかりやすい臭いではないのよ。それに、向こうも私たちが馬鹿正直に飲むとは思っていないでしょう。あくまで脅しとはわかっていても、自分が誰かに嫌われていると突きつけられるのは結構疲れるのよ。っ!」


 刺繍は嫌いではないけれど、得意ではない。おしゃべりしながらの作業はできなくて、また針で指を刺してしまう。慌てたように竜が顔をぐいぐいと手元に近づけてきて、大きく息を吹きかけた。ぷっくりと膨らんでいた血の玉が霧散し、指先には傷ひとつなくなる。


「ありがとう」

「おしゃべりはいいから作業に集中しろ。見ているこちらが不安になるような動きをするんじゃない」


 竜に叱られ、ステファニーは手元に集中する。気がつけばいつの間にか竜との会話を忘れてしまっていた。


「今、何時かしら」

「もうすぐ夕食の時間になるところだ」

「あなたのことをほったらかしにして、ごめんなさい。集中していないと指を刺しちゃうの」

「別に気にしてはいない。血まみれの指で刺繍をされるより、よほど安心できる」

「あなたといい、あの子といい、怪我のことは抜きにしてもう少し誉めてくれてもいいんじゃない?」


 驚いたように瞬きした竜は、刺繍の文様をまたひと嗅ぎするとしっぽを床に軽く叩きつけた。


「強い願いが込められている。良い刺繍だ」

「あら、そんなことがわかるの?」

「ああ。全体的に布がよれたり引きつったりしているが、どの文様からも弟の幸福を願う心がよく伝わってくる」

「ちょっと待って。さらりと私の刺繍の腕前を貶めないでちょうだい」

「ハンカチとは違って、布地も硬い上にそれほど長い時間もとれなかった。それなのに、ここまでの刺繍を仕上げられたのなら大したものだ」

「そう言いながら、裏側から刺繍を確認するなんてちょっと意地悪じゃないの?」

「裏に糸が長く渡っていても、別に死にはしない」

「私は、恥ずかしさで死にそうよ。まったくもう。散々私の刺繍をネタにしてくれたのだもの、いつかあなたに私の刺繍が入った飾りをつけてあげるわ。嫌がってもダメよ」

「そ、それは……」


 珍しくうろたえるエルヴィス。一体どうしたというのだろうか。身に付けることがためらわれるくらい、自分の腕前は壊滅的なのか。ステファニーの顔が引きつった。なんだか無性に腹が立って、首筋に抱きついてやる。


 頬を寄せてひんやりとした鱗の感触を味わうと、エルヴィスは居心地悪そうに身体を震わせるのだ。普段はどちらかというと偉そうな竜が戸惑っている姿が妙に可愛らしくて、この嫌がらせはここ最近のステファニーのお気に入りだったりする。


「あら、どうしたの。私の下手くそな刺繍を身につけるなんて、声も出ないくらい嫌ということかしら」

「いや、その逆だ。お前の刺した刺繍を身に付けることができるなら、どんなに幸せだろうと思っていた。お前の手が穴だらけにならないのであれば、俺の服にも刺繍を施してくれないか」

「あなた、服を着るの?」

「……この話はおいおい話す」

「それはあなたが、最初に出会ったときに壁の向こう側で行き倒れていたことと関係があるのかしら?」


 都合が悪くなってしまったのか、無言のままそっぽを向いてしまったエルヴィスの後ろ姿に、ステファニーはとりあえず許してやることにした。残念ながら、離れる気はないのでぴったりとくっついたままだが。


「いつかちゃんと話してね」

「ああ、竜競べが終わったらすべて話そう」

「竜競べが終わったら、ね……。いいわよ、覚悟しておいてちょうだい。私の趣味ですごいのを作ってあげるんだから」


 ステファニーはにっこりと微笑むと竜にもたれかかり、再び刺繍に没頭するのだった。

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