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(10)姫君は竜と交わす

 伯父を突き飛ばしたステファニーの前に鋭い刃が迫るが、それは彼女に届くよりも先にぼろぼろと腐食し崩れ落ちた。ステファニーを背にかばった美貌の男が、目の前の男を嘲笑う。濃い紫の服に映える艶やかな長い銀髪が、風になびいた。

 

「俺の女に手を出すとは、よほど死にたいらしいな」

「貴様、一体どこから現れた!」


 動揺を隠すためだろうか、さらに吠える従兄弟が男に一瞬で足蹴にされ、地べたを這いずり回る。そこへ伯父が慌てて(ひざまず)いた。


「この場でなぶり殺されても仕方のないことをしでかした息子ではありますが、何卒それなりの死に方を(たまわ)ることはできないでしょうか」


 どうか名誉ある死を。仮初めの王だった男は、必死に赦しを乞う。従兄弟は伯父に愛されていなかったと腹を立てていたが、本当にそうなのだろうか。ステファニーから見た従兄弟は、姪である自分とは違う形でちゃんと家族として想われているように見えた。


「今までステファニーを苦しめた人間の言うことを聞く必要があるのか。お前は彼女を導くために自ら泥を被っていたようだが、あの男はただの阿呆だろう?」

「子どもの罪は、親であるわたしの罪でございます」


 深々と頭を下げる父親の横で、男はなおも言い募った。あるいは、自分の抱えていた不満が的外れなものだと知りたくなかったのかもしれない。


「父上、この男になぜ(ひざまず)いているのです!」

「可哀想に、本当に見えないのだな。ステファニー、お前はどうだ。相棒の竜を見ていて、何か違和感を感じたことはなかったかい」


 伯父に問われて、思い出した。最初にステファニーがエルヴィスの身体を清めてやったときに、手足を見ようとするとなぜか疲れ目のように視界がぼやけてしまったことを。


「エルヴィスの指をうまく確認することができませんでした。時々、指が多くあるように見えてしまって。三本爪のはずなのに五本爪に見えるなんてそんな馬鹿なことがあるわけないと……、まさか」


(龍神さまは、ご自分の姿に似せて龍人と竜を創られた。けれど、ふたつの姿を持つことができるのは龍帝ただひとりだけ……)


 うなずく伯父の横で、従兄弟がうろたえ始める。神聖な竜競べを引っ掻き回せていたのも、所詮バレるはずがないという驕りがあったからなのだろう。よもや皇国の龍人が、しかも皇帝がいるとは思わなかったのだ。


「陛下がこのような小国にいらっしゃるはずがありますまい!」

「いい加減にそのうるさい口を閉じろ」


 龍帝が指を少し上に向けると、悪あがきする従兄弟が突然宙に浮かんだ。そのままうまく呼吸ができなくなったのか、ひゅうひゅうと耳障りな音を立てる。一気に顔を青白くさせた従兄弟の姿に、慌ててステファニーがエルヴィスに駆け寄った。


「龍帝陛下、ご無礼を承知で申し上げます。何卒、今この場での処分だけはお許しいただけないでしょうか。王族の血は流れていないとはいえ、王族として生きていた男です。国のため、民のためにも、地に這いつくばっても生きて罪を償わなければなりません」


 それは従兄弟のためではなく、エルヴィスのため。


(エルヴィスの手をこんなことで汚してはいけない)


 大切な相棒の竜は、もはや手の届かない高貴なひとになってしまったけれど、あの優しく美しい竜が人々に恐れられるところをステファニーは見たくなかった。


(それに伯父さまの振る舞いが計画的なものだったのなら、弟が王位を継いだ後こそ、王の支えとして伯父さまが必要になってくるわ。そのためにも、従兄弟殿には生きていてもらわなければ)


 従兄弟が死んだら、きっと伯父の心はそこで死ぬだろう。ステファニーにはそう思えてならなかった。


「ステファニー、どうしてそんな他人行儀な話し方をするんだ。悲しいじゃないか」

「陛下とはつゆ知らず、今までの無礼な行い、何卒お許しを」

「毎夜共寝していた仲だろう?」

「恐れ多いことでございます」


 深々とこうべを垂れる王女を前に、エルヴィスは興ざめしたように従兄弟を放り投げた。男の首もとにぐるりと、どす黒くもやが絡みつきうごめく。


「ここで死ぬよりも、生き恥を晒す方が辛いだろうがな。隷属の首輪だ。逃げられるとは思うなよ」


 さらに冷ややかに伯父を見据えた。


「この馬鹿の振る舞いは、お前が露悪的に生きてきた結果だ。義姉とやらが何を望んだかは知らんが、感傷に浸らずもう少し考えて動くべきだったな。お前は幽閉の上、死ぬまで国のために働け」

「感謝いたします」

「黙れ、お前のためではない。ステファニーが俺以外のために泣くのが許せないだけだ。何かあれば、次は容赦なく消す」


 腰をしたたかに打って悲鳴をあげる男を振り返ることもせず、ステファニーの頬に手を当てる。


「竜競べには勝ったな。約束を守ってもらおうか」

「一体、私は何をすれば……」

「俺は妃を探してここまでやってきた。俺と結婚してほしい」

「そんな、私などと」

「俺はお前がいい。俺の好きな女のことを、『私など』と言うな」


 突然の告白に、ステファニーはおろおろするばかり。今まで彼女には婚約者がいなかった。伯父や従兄弟と敵対してまでステファニーを婚約者に据えようと考える貴族がいなかったためだ。その上、パートナーが必要な公式な場面に出てくることも少なかった。つまり、彼女は男性からのアプローチに対して免疫がほとんどない。


「お前は、俺のことが嫌いか?」

「そ、それは」

「俺はお前がいい。お前以外の女なんていらない。龍帝の伴侶になりたい奴はごまんといる。最初は面倒だから、政略結婚でもなんでも適当な相手と結婚してしまえと思っていた。だが慣例に従って旅をしていて、お前を見つけてしまった」


 龍帝の言葉に心当たりがなく、ステファニーは首を傾げる。


「最初に聞こえたのは、弟を想う祈りの声だった。次に歌だ。風に乗って届く花びらのようなきらめきに導かれて、この国へやってきた。飲まず食わずで、夢中で飛んでしまうほど恋しかった」

「見つけた相手が王女らしくない女で驚いたのではありませんか?」

「大切なものを守るために立ち上がったお前は美しかった。理不尽な境遇にじっと耐えるお前は健気で守ってやりたくなったが、誰かのために戦うお前にこそ、俺は惚れたのだ。俺の元に来てはくれないか?」


 麗しすぎるご尊顔を前に問いかけられて、彼女は顔を赤らめた。


(伯父さまより美しい方がいらっしゃるなんて、思ってもいなかったわ。そんな方が、私なんかを望まれる? 私、本当は切り殺されていて実は天国にいるのかしら?)


 竜と一緒に過ごしてはきたが、それは竜競べという同じ目標に向かう相棒だからこその気安さだった。大国の皇帝の伴侶となると、好き嫌いでは答えられなくなってしまう。


 現実逃避をしながらうつむくステファニーだったが、エルヴィスの手が彼女の顎にかかる。唇が触れてしまいそうな距離で見つめあったそのとき、天の助けがやってきた。


「姉上、ご無事ですか!」


 上空にいた竜の上から、ステファニーの弟が顔を出し手を振れば、周囲にどよめきが広がった。


 竜競べが始まる前に、隠し通路から神殿へ密かに避難させられていた弟王子が、竜に乗って城に戻ってきたのだ。棺桶王子と言われていた王子の溌剌とした姿に、歓声が上がる。


(竜競べに勝っただけでは、ここまで歓迎されなかったはず。エルヴィスのお陰で、あの子は健康を取り戻した)


 ベッドから起き上がるのもやっとだった弟が、竜に乗って自由に動き回っている。薬湯を飲んだあとから普通のひと以上に元気になり、さらりと諜報活動をしてくれていたようだが、実際に溌剌と動く姿を前に、目頭が熱くなってしまっていた。


「龍帝陛下、ご機嫌麗しゅう」


 続いて登場したにこにこと笑う神官長を前に、エルヴィスは頬を膨らませる。どうやら既知の仲であるらしい。ステファニーは慌てて礼をとろうとするが、ぎゅうぎゅうとエルヴィスの腕の中に閉じ込められてしまい身動きがとれない。


 弟に見せる姿ではないことに気づき、恥ずかしさでのたうちまわりたくなったが、弟王子はというと自身の姉の姿になぜか妙に納得した様子を見せていた。


(どうしてあの子は姉のこんな姿を見ても驚かないの。それに、神官長さまも竜に乗っていらっしゃった。これも何かあるということなの?)


「嫌がる女性を無理矢理手篭めにするなど言語道断ですぞ」

「そんなことはしておらん」

「さてさて、どうでしょうなあ。陛下は、どうも我儘気質ですからな。ご自分の希望に沿わないものはないとお思いなのでは?」


 そこで何か気がついたのか、ステファニーの拘束が緩む。慌てて抜け出したステファニーを逃がすように、神官長がエルヴィスの前に立ちはだかった。


「何事も焦りすぎてはいけませんぞ。陛下のお父上はまずそこで失敗して、お母上に」

「わかった、わかったから!」


 なぜか長いお説教が始まったため、これ幸いとステファニーは弟に駆け寄った。


「身体は大丈夫なの?」

「羽のように軽いんですよ。でも義兄上には後で謝らなければいけませんね」

「え?」

「本当はあれって、一生を誓う好きな相手に飲ませるものらしいんです。生えるまでに結構かかるみたいで……」

「えっ!」

「あと、姉上が刺していた刺繍は結婚の誓いの言葉だって、神官長さまに教えてもらいました。姉上が知らずに刺していたから無効かなとも思ったんですけれど、相手を信頼する想いがしっかり一緒に刺されているのでギリギリ術として完成しているそうです。婚約者とみなされる程度には……」


 どん詰まりの状況で出会ったエルヴィスは、ステファニーにとって唯一の希望だった。弟のために立ち上がったが、エルヴィスがいなければステファニーはそのまま崩れ落ちてしまっていたことだろう。


(刺繍に込められた気持ち……私は、エルヴィスが好き?)


 頭に血がのぼり、一気に頬が熱くなる。神官長にいまだお説教をされるエルヴィスをそっと盗み見ると、気配に気がついたのか、とろけるような笑みを返された。


「良いですかな。王女殿下との結婚は、弟である王太子さまが成人されてからです」

「刺繍は、竜競べ中に落下しても怪我をしないように加護を与えたかっただけだ」

「そういうことにしておきましょう。龍帝陛下が独占欲の塊だということは周知の事実ですが。まずは足元を固めてからですぞ。いくら龍帝陛下の後ろ楯があるとはいえ、ひとは急には変わりますまい」

「それはそうだが」

「大体もう一度逆鱗をきちんと飲んでいただくためにも、ある程度の時間が必要となりますゆえ」

「わかっている」

「まずは婚約からというのが、妥当なところでしょうな」

「待ての時間が長過ぎるんじゃないか?」

「おや、お友達からの方がよかったですかな?」

「ああ、もう、わかったわかった」


 好好爺に詰められたエルヴィスは、降参とばかりに手をあげてステファニーの元に逃げ出してきた。そのままひざまずき、彼女の手の甲に唇を落とす。


「愛している。どうか、婚約者から始めてくれないか」


 いろんなことで頭が真っ白になっていたステファニーだったが、ゆっくりと恥ずかしそうに微笑んだ。


「これから、どうぞよろしくお願いいたします」

「ステファニー、他人行儀なのは勘弁してくれ」

「……よろしくね、エルヴィス」


 困ったように頬を染めるステファニーに抱きついたエルヴィスは、今はこれで我慢してやると言わんばかりに、唇をかすめる程度の口づけをしてにやりと微笑む。


 声も出せないままはくはくと唇を動かすステファニーを抱え上げると、エルヴィスが人型のまま空へと飛び上がった。


「ちょ、ちょっと、エルヴィス、あなた何をしているの!」

「なんだ、ようやくいつもの調子に戻ったか。あんな押し倒したくなるような顔を晒しているお前が悪い」

「まだ婚約者になったばかりなんだから。清く正しいお付き合いから始めさせてもらいます!」

「わかった、わかった。それで、早く結婚しような」

「だから、ゆっくり、慌てないでってば。私の話、ちゃんと聞いてちょうだい!」


 ふたりのおしゃべりは、春の風と花びらに彩られながら、天高く昇っていく。世界を見守る龍神のもとへと急ぐように。

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