3 動作アシスト(ポンコツ)
「グルルルル……!」
唸り声を上げ、威嚇しながらジリジリと近づいてくる虎。
怖い。
超怖い。
平凡な男子高校生に過ぎない俺の感覚は悲鳴を上げている。
だが……
「虎の魔獣……!」
実際に口から出るのは、怒りに満ちた声だ。
心の九割は怯えてるのに、残りの一割が凄まじく自己主張してきて、体は無理矢理戦闘態勢に入った。
端的に言って、とっても気持ち悪い感覚。
「ワータイガー。貴様は恐らく、奴とは無関係なのだろう。だが、今の私は機嫌が最悪だ。そんな私の前に、奴と同じ虎の魔獣として出てきてしまった己の不運を恨め」
口から勝手にそんなセリフが出てくる。
ワータイガーって……ああ、思い出した。
序盤のエリアボスだ。
平均レベル10くらいの勇者パーティーで狩れる相手だったはず。
というか、この体、口調の支配権はユリアにあるんだろうか?
思い返してみれば、これまでも汚い男言葉は口から出なかったような……。
「ゴアァッ!!」
「行くぞ!!」
そして、虎が飛びかかってきた。
俺、というかユリアの体は勝手に動き出し、足に力を込めてサイドステップ。
まずは虎の突撃を軽やかに避ける。
……つもりだったみたいだが、なんか予想外に体がすっとんで、森の木に思いっきり突っ込んでしまった。
「ぬわっ!?」
痛っ!? ……くはないな。
樹齢何十年もありそうな木がへし折れるくらいの勢いで突っ込んだのに、ネコパンチを食らった時ほどの痛みもない。
魔王の攻撃でもノーダメージの絶対防御が仕事してるらしい。
だけど、ワータイガーにはなんか「何やってんの、お前?」みたいな目で見られてる気がする。
肉体的なダメージに反して、精神的なダメージは結構あるぞこれ。
屈辱! くっ殺!
というか、
「なんだ、今のは……?」
なんでサイドステップでこんなことになる?
あ、もしかして、急にレベル99の力がインストールされたもんだから、感覚が狂ったのか?
今の動きは、流れ込んできた記憶にもあったユリアが鍛錬で体に覚え込ませた動きだったし、そりゃいきなり身体能力が跳ね上がったのに、いつのも感覚で動けばこうなって当然か。
レベル99とはいえ、基礎ステータス上昇以外では全く強化してない速度だが、それでもユリアの感覚との差異から考えて、元の二倍くらいにはなってそうだからな。
「!」
また体が勝手に動く。
愚直にいつも通りの感覚を貫き通し、今度は泉に突っ込んだ。
水が冷たい。
ワータイガーの視線も冷たい。
「ちょ、待っ……!?」
体が勝手に動く。
感覚の違いによって吹っ飛び、転び、ワータイガーにぶん殴られ。
ダメージこそないが、一向に攻撃ができない。
おぃぃ! 止まれや、このポンコツ女騎士!?
暴れ馬じゃないんだぞ!?
というか、これだけ動いて欠片も動きが修正されないとか、不器用さんか、お前は!?
「……ああ、いや、違うな」
感覚でわかる。
こうなっちまってるのは、多分俺のせいだ。
今のユリアは残留思念的な何か。
体を普通に操る力なんて殆ど失われてる。
今は体と心に染みついた癖みたいなもので無理矢理動いてるだけだ。
なのに、判断能力の大部分を持ってるはずの俺が腑抜けて動けないせいで、今のこの体は癖に任せた反射的な動きしかできていない。
「ふー……落ち着け」
クールだ。
クールになるんだ。
大丈夫。
これだけやられてもダメージはない。
つまり、目の前のこいつに俺を害する力はない。
だったら、怖くない。
怖くないなら、ビビる必要はない。
平凡男子とはいえ、男だろ俺は。
だったら、ジャジャ馬娘の手綱くらい握ってみせろ。
ユリアの感覚を俺が修正して戦え!
「ハッ!」
足に力を込めてダッシュ。
今回は込める力を弱くして、俺が混乱しない程度のスピードで突っ込んだ。
全力ダッシュは練習してからだ。
ユリアは天才でも、俺は凡人。
練習してないことはできない。
だから、これでいい。
「ガァアアッ!!」
こっちが近づくと同時に、ワータイガーもダッシュで近づいてきて爪を振るった。
筋肉がギッシリ詰まった、太くてたくましい前脚による一撃。
これをまともに食らったら、前の俺の体どころか、元のユリアでも致命傷を負う。
故に、ユリアの感覚は回避を求めた。
盾を持ってれば受け止めようとしたかもしれないが、今のユリアはあの化け物から逃げるために重い装備を手放したのでステゴロだ。
本来なら、回避という判断は間違っていない。
しかし、この体は防御特化ユリアLv99。
実用性度外視のネタキャラだが、魔王の攻撃ですらダメージを受けない頑丈さという一芸だけは誰にも負けない。
だったら、ここは回避ではなく防御!
腕を上げて、ワータイガーの爪を受け止める。
体はユリアの癖より俺の判断を優先して動いてくれた。
やはり、体の支配権は俺の方が上みたいだ。
「グルゥ!?」
そして、思った通り、奴の爪はこの体に傷一つつけられない。
予想外の手応えに、ワータイガーが驚愕したような声を上げた。
「ぬ!?」
だが、防御力はあっても、俺は体重差による当たりの強さというものを甘く見ていた。
力でもこっちが上のはずなんだが、力だけで当たり勝てるなら、お相撲さん達があんなに太る必要はない。
こういう真っ向勝負では、力や頑丈さだけでなく体重も重要なのだと、俺はこの時、初めて実感させられた。
「ッ!?」
やべぇ!?
また吹っ飛ばされる!?
と思ったが、ここでユリアの感覚が俺を支えてくれた。
染みついた癖が体を動かし、掲げた左腕を盾に見立てて頭の上へ。
腰は可能な限り落とし、足で踏ん張り、重心を低くしてワータイガーの一撃を耐えた。
おお!
すげぇそれっぽい動き!
このポンコツ動作アシスト、ちゃんと使えれば強いわ!
さすがは天才ユリア様!
そんなユリア様のおかげで、敵の攻撃を正面から止めて、ワータイガーの動きが止まった。
今だ!
俺は腰だめに構えた右拳を、全力でワータイガーの顎に叩き込む!
「おおおおおおおッ!!」
「グギャッ!?」
必☆殺!!
女騎士スクリューアッパー!!
ステータスポイントもドーピングアイテムも使っていない素の力とはいえ、それでもレベル99の怪力から繰り出された必殺パンチ。
序盤のエリアボス程度が耐えきれるはずもなく、哀れ、ワータイガーの頭部は爆発四散した。
「うっ……!」
やべぇ、吐き気が。
頭部爆散はグロ過ぎんよぉ。
でも、こういうのに慣れたユリアの記憶と感覚を受け継いでるおかげで、リバースまではしなかった。
ホント、異世界人のメンタルは現代人とは比べものにならんわ。
「ふぅ」
なんにせよ、終わった。
ワータイガーはお亡くなりになり、胸の奥から湧いて出た八つ当たりの感情も消えてくれた。
残ったのは巨大な虎の死体と……手に残る、生き物を殺した嫌な感触のみ。
「ああ、本当に、実感させられる……」
ユリアっぽく変換されたが、今のは間違いなく俺のセリフだ。
この生々しい感触、絶対にゲームのそれではない。
感触以外もそうだ。
体重差、踏ん張り方の技術、どれもターン制のゲームでは無かった要素。
どこまでも現実的な要素。
「これは、ゲームではない」
ここはゲームの世界なのかもしれないが、紛れもなく現実だ。
死ねばゴールドの半分とアイテムのいくつかをロストして、セーブ地点からリスタートなんてことはない。
死ねば、それで終わりと思った方がいい。
目の前の虎が、ドロップアイテムも残さず無惨な死体になったように。
魔王の攻撃でもダメージを受けないという無敵性も、どこまで信じていいかわからない。
無敵のキャラを倒すなんてストーリーは、漫画でもアニメでも何度も見た。
生コンクリートで固められて海の底にでも沈められたら、窒息で死ぬだろう。
縛り上げられて放置されるだけでも、いずれ餓死する。
そう考えれば、このネタキャラスペックは無敵でもなんでもない。
油断せず、できうる限り慎重に戦おう。
なんとか元の世界に帰れる、その時まで。
なお、その直後。
ワータイガーとの戦いと、ここまでの大逃走で汚れきった体を洗おうと水浴びを敢行したところで、元の世界に帰りたいという俺の決意は大いに揺らいだ。