黒い煙
焼紅火煤は歩を進めていた。村の中心部から外れた、雑居ビルの立ち並ぶ区域に向かって。スーツ姿は場違いとは言えなかったが、それでも場所が場所だけに通行人自体が目を引く。たとえそこにいる者が同じような連中だとしても。たとえ煤が人でなく人天であるとしても。
薄汚れたビルの一つへと、煤の姿は吸い込まれていった。どれも似たような外観で左右に立つビルとの違いがはっきり分からない。たとえ追跡者がいたとて、見失いかねないほどに紛らわしかった。
しかし、それでも煤は油断しない。さりげなく、かつ絶えることなく周囲の様子を窺っていた。
人天の中でも視覚に関する能力が高い煤にとって、眼球そのものは実のところ大して重要ではない。言うなれば全身の毛穴が目になっているようなものだからだ。勿論、もののたとえ。人天である煤には毛穴等存在しない。
警戒しつつ音も立てず階段を上り、4階まで。目的地はそこから最も遠い部屋。フロアの奥。角。
扉の横、顔の高さ程の位置にあるブザーを押す。
……ッ、ブブブブブー。
ワンテンポ遅れて、間の抜けた音。気怠げな蜂の群れが立てる羽音はきっとこんな感じだろう、と煤は実際に耳にしたことは無かったがいつも思う。
ッ、ブヅ。部屋の主がインターホンを通話状態にしたらしく、ノイズ。
「お前か?」
「分かるだろう」
くぐもった声も、やり取りの内容もいつも同じ。間を置いて、布が擦れるような足音がドアへと近付いてくる。
透過防止扉は機能しているようで、煤の目をしても人の形がぼんやりとした影にしか見えない。透視能力が人天中でも最上位とされる自分にさえこれならば、と回るドアノブを見つめた。
「入れ」
ギリギリ通れるだけの隙間を開け、室内に滑り込む。警戒はし過ぎるということがない。
派手なウェットスーツのようなものを着た、初老の男。その男の背中を追って部屋に入ると、煤は前置きもせず本題に入った。
「今週分」
「……はー、臭い。穢れそのものだな、おい?」
いつの間にか煤の右手には、トランクのような銀色のケース。手のひら大に圧縮して袖口に隠していたものを、元に戻したのだった。人天に共通して備わる基礎的能力の一つ、空間干渉の応用である。
ケースを開き、男に中が見えるようにした。茶色いガラス瓶が大小合わせて7つ。どれも黒っぽくドロリとした何かが、容積の半分程入っている。それらは煤が何も力を加えていないにも関わらず、ブルブルと振動していた。
良く見れば単なる振動ではなく、中の何かが出口を求めるかのごとく蠢いている。黒いゴム栓がされ、封をする細かな崩し字のようなものが描かれたテープ。中身が出て来ないように何らかの呪い(まじない)を込めたものが貼られているのは、明らかだ。
きちんと密封されているはずのそれらからは、ヘドロに似た異臭が微かに漂う。
確かに男の言うように臭いが、煤は「さあ?」と小首を傾げた。本当の穢れは知らないからだ。これはあくまで穢れに近い何かでしかない。
「相変わらずだな。……ん!」
男はまるでそれも穢れであるかのように、厚さ1cm程の封筒を突き出した。
「……どうも」
封筒を透過して、中身が見える。1万円札が112枚。男はそんな煤を無表情に眺めている。
「薄気味悪いなぁ」
「ははははっ、外でそんなこと口にしてみろ。袋叩きだぞ?」
「分かってら。けどよ、取り繕われるよか良いだろ?」
「どっちだって変わりないよ」
納得がいかないようで頭を振る男に背を向け、煤は足早に部屋を出た。
そう、どっちだって変わりない。好奇か侮蔑。プラスかマイナス。ゼロなんてない。
人天は人のように見えるだけ。人とは異なる存在だ。人は煤たちを見ると、大別して二種類の反応を示す。未だに、この町でさえ。人に備わった本能的なものなのかもしれないな、と煤は考えていた。異物は速やかに見分けなくては、群れの危機にも繋がりかねない。
だから、反応ゼロなんて無い。ゼロだと思えばお仲間の、人天だ。
「先生、こんなとこで何してんのさ?」
そうそう、こいつのように。煤はビルを出たところで突然現れた少年を、横目で見た。
名前は知らないが十中八九、外から来た監査役。人天としての固有能力が把握出来るまで泳がせることにして、これまでは警告のみで見逃してきた。
しかしそれは、前回までの話。
光のような特性を持つのだろうと初対面の時点で予測してきたが、鏡やガラスを利用した反射による移動だ。このビルまで、わざと残しておいたルートを利用している辺り間違いない。
煤は燃焼能力を持つ。名前どおりに。物質の表面を煤けさせるといった、地味な作業さえ容易い。光が反射可能なガラス等は一部を残し、煤けて使えなくしておいた。元より薄汚れたビルが立ち並ぶ区域、この程度の細工なら目立ちはしない。
流石に、バレバレではあったろうが。そんなことに気付けないようなら、監査役にはなれないはずだ。
だが、問題はない。重要なのは、こちらも向こうの能力について知っていることだから。
「さぁ、何だろね。ところで、お前の先生になった記憶は無いんだが?」
「冷たいな、相変わらず。……見たんだね?」
「隠すつもりなんて無かっただろ」
相変わらず、か。3度目の遭遇で、馴れ馴れしい。
その距離感、監査役の立場で同胞ぶる態度。何もかも気に食わない。
知らず、トゲも出る。
「何でそういう言い方するかなぁー、オレ今日は良いこと教えてあげようと思ってるのに」
「誰かに見られてた、とか?」
そう、ずっと見られている感覚が付き纏っていた。この区域に来るよりも前から、ずっと。
あまりにも微かな気配だったので、監査役では無いことだけは分かっていた。監査役を囮としたパートナーか何かだと煤は考えていたが、どうやら違うらしい。
「……何だ、つまんね」
「私の監視は不要だ、と言ったろ。……次はない、とも言ったよな?」
空気が一変する。
見ている誰かがどういった勢力の何者であれ、目の前の監査役が邪魔でしかないことは変わりない。こちらを見ている者にとっては牽制となるか、はたまた挑発に映るか。いずれにしても、何か動きは見せる可能性がある。
しかし、ご丁寧に能力を見せてやる必要は無い。知識として仕入れてはいるだろうが、実際に見るのとは情報量が違う。この監査役以上に、何者か分からないのだからなおさらだ。
「人天同士でやり合うとか無しでしょ?」
「ここは、そういうルールの外にある」
やすやすと領域の外へ獲物を逃がす程、煤は甘くない。二人の周囲が黒煙に包まれた。幸いここには燃焼物は多量にあるし、何なら念のために普段から隠し持ってもいる。これで能力による逃走は封じた。
「馬鹿か。私も人天なんだ、知らないわけないだろ?」
それは人天のやり方についてなのか、別の話なのか。何にせよ死ぬ間際に話すこととは思えない。悩む煤の前で、監査役は呆気なく消滅した。
目多支天に由来する視力を用いた燃焼術。これが煤の能力、本来の使い方である。人天さえも一瞬で燃やし尽くす力。
その時、黒煙の揺らぎを目が捉えた。咄嗟に煤の体が動く。
先程まで煤が立っていた場所、その足元に槍のようなものが突き刺さっている。
「その為の煙、か」
ボソリ、黒煙越しに呟く声がした。




