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僕らは最高の現実逃避をする

作者: ほまりん

 誰かを助けるのに理由がいるかい?


 そんなセリフを言うキャラクターがいた。

 幼少期にプレイしたゲームの主人公。


 私は自分でゲームを買うことはしなかったけど、お父さんのコレクションをやってみることはあった。


 それだけ。


 だけどそのセリフが胸の奥底に残った。

 人を助けることが当たり前になった。


   ・

   ・

   ・


羽咲はねさきさーん。これやっといてくれない?」

「いいよー」


 そんな生き方をしていると、人から物事をよく頼まれるようになる。

 でも嫌ではなかったしむしろやってあげたい。


「羽咲さん。あのね、昨日爽太(そうた)がね……」

「うん」


 相談事も良くされる。

 聞いてあげて共感して、それで相手の心が晴れてくれたら何よりだ。


 人は救われる。


 頼まれ事をこなすと頼んできた人は喜んでくれるし、相談事に真摯に向き合うと相手は嬉しそうにする。


 救えない人なんていない。

 それが私の出した答え。


 相手のお願いを聞いて、相手の悩みを解決してあげて、そうしていれば必ず助けられる。


 苦しくて、悲しい結末を迎えてしまうような人たちだって。

 きっと、みんなが手を差し伸べれば救えたはずだ。




「あー、うちのクラスに今度転入生がやってくる」


 ある日、担任の先生がそう言った。

 クラスは過剰に盛り上がって、「鎮まれ」と先生が制する。


「だが先に一つ、言っとかなきゃいけないことがあるんだ。その子は……」


「うつ病らしい」


 教室内がまた騒がしくなる。

 しかしさっきとは打って変わったざわめきだ。


「それをみんなには知っておいて欲しい。何も特別扱いしろって訳じゃなく、ただ知っておいて欲しいんだ。実際は普段通りに振る舞って、普段通りに接してあげてくれればいい。周りが理解してくれてるってだけで随分違うと思うから」


 「それに」と先生が続ける。


「俺は実は心配していない。うちのクラスには羽咲がいるからな」

「!」

「みんなのことを考えてあげられて、信頼も厚いお前だ。きっとその子も助けてあげられるだろう?」

「……っ、はい!」


 先生の信用が嬉しかった。

 クラスメイトたちも口々に叫ぶ。


「そうだ、羽咲さんがいる!」

「私たちいつも救われてるもんね」

「うつ病だってきっと治るよ!」


 それに照れるように笑ったあと、自信のついた私は堂々と宣言した。


「その転校生の子が楽しい学校生活を送れるよう、私がんばります!」


 だけど。


「ふっ」


 ふと、誰かが鼻で笑う声が聞こえた。

 騒がしいクラスの中ではかき消されそうだったけど、私の耳はそれを鮮明に捉える。

 それを聞き逃さなかったのは私だけじゃない。


「端ノ木、何笑ってんのよ」


 一人の女子が腹立たしそうに立ち上がった。

 彼女の目は教室の隅っこ、窓際最後列の席へと向いている。

 そこに座っているのは端ノ木(はしのき)依一よりいちくん。

 私の左隣の席だ。


「別に」

「はあ? 別にって何?」

「ちょっと、やめようよ」

「嫌。あいつムカつくし」


 立ち上がった女子を別の女子が制そうとするが、無駄に終わって、クラスが静まり返る。


「で、何で今の流れで笑った訳? 明らかに悪意でしょ」

「悪意じゃないって」

「じゃあ何よ」

「おかしいから笑ったんだよ。ニュース番組の芸能人コメンテーターがよく知らない話題にコメントするみたいな滑稽さを感じたから」

「は?」


 端ノ木くんは根っからのオタクで、いつも本を読むなりゲームをするなりしていた。

 彼はほとんどの時間を一人で過ごしている。


 その陰気さから友達も少なく、周囲からは邪険にされている。


 でも邪険にされている一番の理由は、この性格だろう。


「意味分かんないこと言ってんじゃないわよ」

「意味が分からないんじゃなくて、意味を分かろうとしてないだけじゃない?」

「あんたっ」

「こら、千羽せんば。その辺にしとけ。口喧嘩するにしてもせめて後にしろ」

「っ! 分かりました」


 千羽せんば千鶴ちづるさんが乱暴に座り直す。


「話が逸れたが……とにかくそういうことだ。転入生を受け入れてやってくれ。あと端ノ木。空気は読まないと生きづらいぞ」

「空気は読むんじゃなくて吸うもんでしょ」

「……偏屈ここに極まれり、だな。お前の言うことはもっともだが、処世術を身につけてない奴が淘汰される社会なのは聡いお前なら理解してるはずだ」

「理解と納得は別です」

「はぁ……どうしてうちのクラスは厄介な奴が多いんだ」

「はい先生! 生徒を厄介者扱いは良くないと思います!」

「……すまん」


 空気を読まないのは端ノ木くんだけじゃない。

 こんな時に真面目な男子が真面目なことを言うものだから、先生は素直に謝ることしかできなかった。


「……これで今日のホームルームは終わりだ」


 微妙な空気感のままホームルームが終わる。

 教室内のところどころでヒソヒソ声が上がった。

 みんな端ノ木くんのこういう一面には慣れているが、受け入れられるかと言われればまた別の話。


 パンッ。


 そんな空気を吹き飛ばすように、手を叩く音が鳴る。


「みんな! 今日暇な人はカラオケ行かない? 私、たまには大勢で歌いたくってさ」


 クラスのムードメーカー、二葉ふたば莉音りおんちゃん。

 ポニーテールがいつも揺れていて、笑顔はみんなを明るくしてくれる。

 とても可愛くて男子からの人気も高かった。


「どうかな?」

「え、あ、い、行きます」


 近くに座る男子に尋ねている。

 莉音ちゃんに聞かれて断る男子は少ないだろう。

 そんな感じで一人一人順番に聞いていくものだから、結局部活や塾のない人はほとんどの人が了承した。


 もちろん私もだ。


「あ、えっと……端ノ木もいく?」

「「!」」


 そして最後は端ノ木くんにも、若干苦そうに笑いながら聞いていた。

 まさか声をかけるとは思っていなかったクラスメイトたちがびっくりしている。

 でもちゃんと考えたら、一人だけ誘わない方がまずい。


「あー、やっぱり行かないかな?」

「ああ。パスさせてもらう。悪いな」

「ううん。気にしないで」


 帰ってきた答えは案の定で、来て欲しくなかったみんなはホッとする。

 そのままカラオケに向かう流れになって、私も席を立つ。


「羽咲」

「え?」


 すると端ノ木くんが、珍しいことに私に声をかけてきた。


小松こまつのこと見ててやれよ」

「何の話?」

「カラオケ」


 小松とはきっと、小松こまつ瑠璃奈るりなさんのことだ。


「どうして?」

「行けば分かる」

「?」

「……と、思う」

「??」

「美春ー、行くよー」


 よく分からないまま、友達に声をかけられる。


「はーい」


 だから聞き返すことはしなかった。



   ◇


 十人ぐらい集まってカラオケに行くことはそうそうない。

 団体客用の大部屋が空いてなかったら困るところだったけど、電話で空室を確認し、予約もしたのでバッチリだった。


「一番、遠藤えんどう爽太そうた、歌います!!」


 ミラーボールが設置されていて、電気を消すと大人びた雰囲気になる。

 落ち着いた大人っぽさではなく、クラブ的な大人っぽさ。

 ドリンクを用意したみんなは、各自好きな場所に座る。


「端ノ木の奴、ほんとないよね」


 最初の話題がいきなりそれだった。

 千羽さんはまだ怒りが治まっていないらしい。


「何なのあの態度。ウザすぎ」

「うん、ほんとキモい。私たちのこと見下してそう」

「分かる分かる!」


 他人の悪口で盛り上がるのはよくあることだ。


「ホームルームのアレとかあり得ないでしょ。空気悪くする天才」

「な。羽咲さんのこともバカにするように笑ってさ」

「羽咲さん、あんなの気にしなくて良いからね」

「え、あ、うん」


 悪口を言うのはあまり好きじゃない。

 だから相槌だけ打っておく。


「莉音もさ、よく端ノ木を誘ったよねー。まあ一人だけ誘わないって方がいじめてるみたいでアレだけどさ」

「あはは、でも端ノ木って話してみるとフツーだよ」

「え、話したことあんの!?」

「そりゃあるよ。グループワークとか、それ以外の時とかもちょくちょく」

「流石のコミュ力だわ。私には絶対無理」

「私も私も」

「俺も話しかける勇気はないなー」


 そこで端ノ木くんの話は終わった。


 各自曲を入れつつ、誰かが歌ってる時は歌に耳を傾けたり、あるいは友達と話したりしながら、各々楽しむ。


 そして30分ぐらいが経過した頃、ふとあの言葉を思い出す。


 ――小松のこと見ててやれよ。


 小松さんの座る方に目を向ける。

 すると小松さんはドリンクをストローで飲みながら、ソファの真ん中で一人座っていた。

 別に普段から浮いているような印象は受けない。

 今も周囲に溶け込んでいる。


 ただ今日は話し相手がいないようだった。

 誰とも話していないのに、浮いているように見えないのは不思議だ。


「小松さん」

「! 羽咲さん」


 だから話しかける。

 このままじゃ小松さんは楽しめないだろう。


「お腹減らない? なんかポテトとか頼もうかなって思ってるんだけどさ」

「うん。頼も」

「みんなも食べるよね。何人前ぐらい頼もうか?」

「うーん、3人前とか?」

「そうしよっか」


 話しかけてみたら、特に落ち込んでいる様子のないいつもの小松さんだ。

 それでも私が話しかけなかったら話し相手がいなかったのも事実。

 フライドポテトを3つ頼みながら思う。


 端ノ木くんは小松さんが一人になるって分かってたのかな?



   ◇


 それから数日が経って、遂にその日が来た。


雨森あまもり黒羽くろはです。みなさんはもう聞いていると思いますが、僕はうつ病です。ですが普通に接していただけたらと思います。よろしくお願いします」


 転入生がこのクラスにやって来る。

 みんなで拍手をして出迎えた。


「雨森の席はあそこだ」


 先生が指差したのは、私の右隣の席。

 元々違う生徒の席だったけれど、その子は今回のために、前もって別の席に移動していた。

 みんなの計らいで、転入生の席は私の横になったのだ。


 期待されている証だ。


「私は羽咲はねさき美春みはる。よろしくね」

「うん、よろしく」


 雨森くんの座り際、挨拶をする。

 彼の第一印象は『想像よりも明るい』だった。


 うつ病と言うからもっと静かな子なのかと思っていたけどそうではないらしい。

 なんなら端ノ木くんの方が雰囲気は暗い。


 だから最初は、大したことないって思ったんだ。


   ・

   ・

   ・


 雨森くんは普通だった。

 みんなと変わらない。

 はしゃぐし、笑うし、勉強は面倒そうだし、昼食後は眠そうだし。


「ねえ、雨森くんって本当にうつ病なのかな?」

「それ私も思った。全然そんな素振りないよね」


 だからそんな疑問がクラス内に生まれ始めた。


 うつ病の人はいつも気が沈んでいて、生きるのがしんどくて自殺してしまう人だっている。


 そういう風に聞いていたし、雨森くんはそんな印象とは全然違った。

 

 そんなある日のこと。


「今日は雨森が休みだ」

 

 突然雨森くんが休んだ。


「だがまいったことに、今日はなるべく早く配りたい告知プリントがあってな。配布が遅れたのは学校側の責任なんだが……誰か雨森の家まで行ってやってくれないか?」


 先生がそう言うと、何人かの目が私に向く。

 私も知っている。

 こういうのは私の役割だ。


「はい、私が行きます」

「そうか。羽咲が行ってくれるか。いつも助かる」


 手を挙げて宣言すると、クラスメイトも先生も最初から分かっていたような顔を見せる。


 不意打ちだったのはこのあと。


「俺も行きます」

「「「!!」」」


 端ノ木くんがそう申し出たのだ。


 思いもよらない人物の申し出にみんな唖然として、ざわめきさえ起こらない。


「俺もってことは、羽咲と一緒にってことか?」

「そうです。羽咲だけじゃ心配なんで。もちろん俺だけで行っても良いっすけど」

「心配……まあ、未成年が見知らぬ土地を歩くなら、一人きりじゃない方が良いのは間違いないが……」


 先生と端ノ木くんが話す間に、ようやくクラスメイトたちがざわつき出す。


「あれってさ、美春と二人になりたいだけじゃないの?」

「だよね。羽咲さん可愛いし、誰にでも優しいし」


「優しくされて勘違いしちゃったとか?」

「うわー、ありそー」


「なんかタイミング見つけて襲いそう」

「流石にそれはないでしょ」

「そうだね、言い過ぎた」


 私と端ノ木くんは端っこの席だから、みんなが何と言ってるのかはあまり聞き取れない。

 それでも大体は察することができた。


「あー、羽咲は良いか? 端ノ木と一緒でも」

「はい、大丈夫です」


 ハッキリと頷く。

 端ノ木くんは別に悪人ではないのだから、害なんてないはずだ。


 それに、何でだろう。


 理由は分からないけど、私は端ノ木くんが行くといったことを意外に感じなかった。


「じゃあ今日の放課後、二人で雨森の家に行ってくれ。住所は後で教える」


 それで話がまとまった。


   ・

   ・

   ・


 放課後。

 雨森くんの家に向かう道中。


「ねえ、端ノ木くん」

「なんだ?」


 私は気になっていることを尋ねた。


「この前私がカラオケ行った時さ。小松さんが一人になるって分かってたの?」

「一人になってたのか」

「あ、うん」


 質問が返ってきて、そういえば何の報告もしていなかったことを自覚する。


「小松と仲が良いのは全員陸上部で、あの日カラオケに行かなかった。それから小松は普段、自分から他人には話しかけないタイプ。それだけだ」

「そうなんだ」


 そんなこと知らなかった。


「小松、浮いてたか?」

「え?」

「カラオケで」

「ううん。特には」

「そうか」


 端ノ木くんとの会話はいつも要点がつかみにくい。


「……みんながいる場で一人になってるのに浮いてる気配がないのは、みんながいる場でも一人になるのが当たり前になってるからだ」

「……?」

「要は小松は、周りに馴染めないことが普通になってるんだよ。話しかけなきゃって思うことさえなくなってる。そんな奴はごまんといるが、小松はそうなったらダメなタイプな気がする。勘だけど」


 正直、言ってる意味は分かるけど、言いたいことはよく分からなかった。

 そうこうしているうちに雨森くんの家に着く。


「ここか」


 どこにでもありそうな一軒家。

 インターホンを押すと、しばらくして中年の女性がドアから出てくる。


「あら、あなたたちは……」

「雨森くんの友達です。配布物を届けにきました」

「まあ、わざわざありがとう」


 おそらく雨森くんのお母さんだろう。

 配布物を渡して用件は終わりだ。


 だけど私は雨森くんに一目会いたかった。


「あの、雨森くんに会ってもよろしいですか?」

「ええ、むしろ会ってあげて。その方があの子も喜ぶと思うから」


 簡単に受け入れてもらえる。

 私と端ノ木くんは家の中に入り、靴を脱いで、お母さんに案内されるまま二階に向かう。


「ここがあの子の部屋」


 トントンとお母さんがノックした。


「くろちゃん、お友達が来たわよ」

「ほんと? 入ってもらって」


 ドア越しに返事がある。

 お母さんが「じゃあ私はこれで」と一階に降りて行ったので、私がドアを開けることにした。


 ガチャリ。


「いらっしゃい」


 普通の部屋だった。

 モノはそこまで散らかっていない。

 というより、そもそもモノが少ない。


 あるのは漫画のたくさん入った本棚や、テレビに繋がれたゲーム、電源のついたパソコン、その他必要な家具だけだった。

 漫画は数冊だけ床に置かれているものがある。


「こんにちは」


 そして肝心の雨森くんの様子も、やっぱり普通だった。


「今日はどうしたの?」

「配布物を届けに来たの。さっきお母さんに渡したけど」

「そうなんだ」

「休んだのってやっぱり……」

「うん、ごめんね。なんか死にたくなってさ」

「!」


 だけどその発言は普通じゃない。


「でも今は大丈夫だから、安心して」


 そう言って笑う雨森くんの顔が、途端に儚いものに映る。


「安心って何だ?」

「え?」

「安心して、って、何に対してか聞いてる」


 私が言葉を失っていると、端ノ木くんが口を開いた。


「えっと……なんだろ。今はそんなにネガティヴじゃなくて、普通だから、気を遣わなくて良いよっていうか」

「別に俺は、雨森が死にたいって思ってても落ち込んでても、不安にならないし気も遣わねえよ」

「!」

「ちょっと端ノ木くん、そんな言い方……」

「だから雨森の方こそ安心しろ」

「……うん」


 私が口を挟んでも端ノ木くんは全くの無視だ。

 酷い言い草に思えたけど、雨森くんはどこかホッとしたようだった。


「?」


 私にはそれがどうしてか理解できない。

 理解できない二人のやりとりは気にせず、私は私の思いを伝える。


「ねえ、雨森くん」

「何?」

「あのさ。死にたいって思うぐらい辛いことがあるんだよね。良かったらそういう悩み、私に教えてくれない? きっと何か力になれると思うからさ」

「うん、ありがとう。でも大丈夫だよ」


 にっこりと雨森くんは笑う。

 だけど今度は、さっきのようなホッとした気配は感じられない。


 大体、大丈夫とは何なんだろうか。

 大丈夫じゃないから、彼は今こうなってるのに。


「なあ、羽咲」

「なに?」


 ふと、端ノ木くんが私に話しかけてきた。


「死にたいって思うのに、何か劇的な辛いことがないとダメなのか?」

「え?」

「死にたいって思うのにさ、そんな重大な悲しい出来事とか苦しい出来事とか、そういうのが必要だと思うか?」

「……必要っていうか、あるから、そんな風に思っちゃうんじゃないの?」


 端ノ木くんが何を言いたいのか、相変わらずサッパリだ。


「なあ、羽咲」


 それでも彼は問うてくる。


「一番不幸なことって何だと思う?」

「一番?」

「ああ、一番」


 それは分かりきった答えだった。


「そんなの決まってる。死んじゃうことだよ」

「違う」

「!」


 だけど、簡単に否定された。


「一番不幸なことはさ」






「幸せを、感じなくなることだよ」

「「!!」」


 その一言に、私は鈍器で頭を殴られたような衝撃を受けた。


 でも、何がそんなに衝撃なのか自分でも分からない。

 ただそれは、私の何か大切な根底を覆す言葉だと直感した。


「楽しいはずのことも楽しいと思えなくて、面白いことで笑ってもどこか虚しくて、好きなことをしてても何故か心が熱くなれない。それが」


 「一番の不幸だ」と、端ノ木くんは締めくくった。


「そんなこと、あるの?」

「あるよ。誰にだってある。羽咲だって落ち込んでる時、素直に物事を楽しめないだろ?」

「うん」

「それの強化版。不幸ってのは幸せじゃないことを指す。だから死ぬことよりも、幸せを感じないことの方がよっぽど不幸だ」


 ここに来て、ようやく端ノ木くんの言いたいことが分かった。


「うん、そうなんだ」


 そして雨森くんが、端ノ木くんの発言に便乗する。


「そうなんだ。心のどこかに穴が空いていてさ、そこからどんどん幸せが抜け落ちて行くんだよ。どうしても止められなくて、止めたくても止められなくて、結局何も残らないんだ。ううん、嫌な気持ちだけが残る。日常の些細な、勉強が面倒とか寝不足で頭が痛いとか、そんな誰にでもある小さな鬱憤だけが積み重なっていく。そしてある時突然」


「耐えきれなくなるんだ」


 その声音は微かに震えていて、でもかけてあげられる言葉が見つからなかった。


 これまでの私の人助けは、悩みがあったら解決してあげたし、相談事があったら乗ってあげた。

 彼らには明確な負の出来事があって、それらを取っ払ってあげたら良かったのだ。


 でも今回は違う。


 幸せなことに幸せを感じない。

 正の出来事に正の感情を抱けない。


 そんなの、どうすればいいんだろう。

 取っ払ってあげられるものがない。

 打てる手立てがない。


 あの時、うつ病の転入生が来ると聞かされた時、端ノ木くんが笑った理由が分かった。

 そりゃあ、おかしくて笑うだろう。

 私のやろうとしてたことは、的外れにも程があるんだから。


「なあ、雨森。今はうつ、大丈夫なんだよな?」

「うん」

「だったらゲームしようぜ。何か複数人でできる奴ある?」

「あるよ。マリモカートとか」

「よし、それでいこう。羽咲もやるか?」

「え、あ、うん」


 端ノ木くんの提案で、みんなでゲームをすることになる。

 Smitchを起動して、ショイコンを二つに分けて、ブロコンを一つ用意して、三人プレイを始めた。

 うつが引いている雨森くんも、その対戦はすごく楽しんでいて、


「羽咲、お前……」

「めちゃくちゃ上手いね……」

「ふふん」


 だけど私がずっと一位を取っていた。

 ゲームは普段やらないけど、ゲームセンスは昔からあった。


 二時間ほどプレイして、そろそろ帰ろうかという話になる。


「また遊ぼうね」

「うん。また遊ぼ」


 「お邪魔しました」と雨森くんのお母さんに挨拶をして、家を出た。

 時刻は午後六時を過ぎていて、外はもう暗い。


「こうして二人で歩いてるとさ、カップルみたいだよね」

「お前、そういうこと気軽に言うなよ」

「どうして?」

「男は勘違いする生き物だからだ」

「端ノ木くんはしないって分かってるからするんだよ」

「そうかい」


 私だって、自分に気がありそうな人には言わない。


「……端ノ木くんって、良い人だよね」

「それはない」

「あるよ。私なんかより、ずっと良い人」


 端ノ木くんがついて来てくれた訳はもう分かっていた。

 多分私だけだったら、ずっとお門違いな問答を雨森くんと繰り広げていただろうから。


 端ノ木くんはきっと、私より他人の気持ちをずっと理解している。


「はぁ…………羽咲、お前勘違いしてないか?」

「勘違い?」

「俺が今日、羽咲に同行した理由は何だと思う?」

「それは、私が全然雨森くんのことを分かっていなかったから……」

「半分正解だ」

「半分?」

「ああ」


 その時、すぐそばを車が通って一瞬会話が途切れる。


「じゃあもう半分は?」

「羽咲が良い奴だからだよ」

「へ?」


 予想外の一言だった。


「羽咲が何でもかんでも助けたいっていう、バカで呆れる考えの持ち主だからちょっと感化された。羽咲がいなきゃ、今頃俺は何もしてない」

「!」

「だから良い奴なのは俺じゃなくて羽咲、お前だ」


 どうしてだろうか。

 同じような褒め言葉なんて、今まで腐るほど聞いて来た。


 ――羽咲さんって良い人だよね


 ――羽咲さんほど優しい人見たことないよ


 ――みんなのために動けるなんて尊敬する


 だけど端ノ木くんの言葉は、どこか違った。


「私さ」

「ん?」

「端ノ木くんに嫌われてると思ってた」

「……は? 何で?」

「だって、転入生が来るって聞いて、私が頑張るって言った時も、鼻で笑われたりしたし」

「あれは相変わらずな羽咲に吹き出してしまっただけ」

「え、でもコメンテーターがどうとか言ってなかった?」

「あれも半分ほんとだな」

「じゃあやっぱりバカにしてたんじゃん!」

「言ったろ。羽咲はバカで呆れる考えの持ち主だって。最初からバカにしてる」

「なっ……」

「ははっ」


 あ、笑った。


 端ノ木くんの純粋な笑顔を、もしかしたら初めて見たかもしれない。

 夜だったから見えにくかったけど。


「冗談だよ。バカだとは思うけどバカにはしてない」

「バカなことは否定しないんだ」

「否定されたいか?」

「ううん。私も自分がバカだと思う」


 電灯の手前で、ゆっくりと私は足を止めた。

 足元を見るように俯いて。


 すると少し前の所で、私が止まったことに気づいた端ノ木くんが振り返る。

 彼の立つ場所は、ちょうど電灯の真下だ。


「バカ、だからさ」


 拳を握りしめる。


「バカだから、やっぱり、雨森くんも助けたいんだ」


 脳裏に浮かぶのは


 ――なんか死にたくなってさ


 そう平然と言った雨森くんの顔だ。


 あの顔を見た時、胸を締め付けられた。


「どうすればいいか、分からないけど。何も知らない私には、何も分からないけど。でも、助けたいんだ。雨森くんのこと」

「…………」


 多分雨森くんは、明日にはまた何でもないような顔で学校に来るだろう。

 みんながうつ病じゃないと勘違いするぐらい普通に振る舞って、普通に勉強して、普通に遊ぶんだ。

 でもその裏側にはきっと、想像もつかないような深い何かを抱えている。


 いや違う。


 抱えているんじゃない。

 深い穴が空いていて、抱えられなくなっているんだ。

 幸せを。


「できる、かな?」

「できる」

「!」


 端ノ木くんは即答した。

 それが思いがけなくて、私は顔を上げる。


 彼は不敵に微笑んでいて、今度は電灯の真下だから、その表情がよく見えた。


 つい見惚れてしまう。


「ゲームやってる間、雨森は楽しそうだったろ?」

「うん」

「それを見て思ったんだ。まだ取り返しのつかない所までは来ていない。物事を楽しむ余裕がまだ雨森には残ってる。これがもし、ずっとうつ状態で、もう何をしても楽しめないってなってたら手遅れだったけど……」


 「あいつはそうじゃない」と、端ノ木くんは強く言い切る。


「雨森の部屋には何があった?」

「えっと……漫画とか、ゲームとか」

「そう。幸いなことにあいつの趣味は二次元だ。現実じゃない」

「?」

「うつ病ってさ、現実がクソゲーだからなると思うんだよ。楽しめることが少ないのに、嫌なことだけ積み重なっていくから、どんどんうつになっていく。俺はうつになったことなんてないし、勝手な予想だから、根拠なんてないんだけどさ。でももしそれが当たってるなら、雨森の好きな二次元の世界に逃げ込んじゃえばいいと思わないか?」


 不謹慎だけど、端ノ木くんはどこかワクワクしているように見えた。


「だからさ、現実逃避しよう」

「現実逃避?」

「うん。最高の現実逃避」


 この日一番の笑顔を端ノ木くんが見せる。






「ゲームを作ろう。現実なんて忘れてしまえるような、最高のゲームを」






 その笑顔に私は惹かれて、考えるより先に私は頷いていた。


「うん!」


 バカな私たちの、最高にバカげた現実逃避が始まる。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 本当に素晴らしい作品でした。 端ノ木くんの言葉が胸に刺さりました。こういう話、好きです。
[一言] いいなぁ、って思えた。
[良い点] 電車の中で一気に読んでしまいました。 非常に興味深い作品でした。 明るく他人想いな主人公とクラスの厄介者の組み合わせというのは、大半が正義の主人公が厄介者を自身の色に染めるor仲違いする…
2020/07/25 15:23 退会済み
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