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時読みの異能者

作者: 新井真

 異能。およそ10万人に一人が持つと言われている。発現する理由、時期、能力は未だ誰も解明できていない。




――時読みの異能者――




「助かったわ。いいところに町があって」


 木々の間から差す夕焼けを受けた赤茶色の髪を帽子から覗かせ、旅人フェルツは元気な笑顔を作ってそう言った。すらりと高い背は、女性的美しさを際立たせている。幼さが残る愛嬌のある顔から感じさせるイメージとは裏腹に、登山家のような大きなバックパックを背負っている。

 声をかけられたのは彼女の前を歩く少年だった。高そうな服を着ているが、ところどころ破けていたり、手入れがなっておらずしわが目立つ。


「あはっ、それはよかったです。イナリスは森の中の町ですし、中央道からかなり離れているのに、よく見つけましたね。お姉さん、運がいいみたいです」


 少年は振り返り、後ろ向きに歩いていく。足場の悪い獣道の中、フェルツのような運動に適した靴も履いていないが、転ぶ様子はない。二人の背の違いから、少年は彼女を見上げるかたちになる。ぱちっと目が合うと彼は木へと目を逸らした。

 イナリスはこの町の名前、そして中央道とはこの国の両端を結ぶ巨大な道である。そこから八百を超える数の側道が枝分かれし、街へと繋がる。


「まあねー。最近は盗賊の噂があるじゃない? 一人で野宿なんて憂鬱だったのよねー。ていうか、そもそも物資も切れちゃったし。……案内させちゃって悪いわね」

「いや、これがぼくの役目なので。この町に来る人は滅多にいないんです。お姉さんのような外部の人を見るのは何日……何ヶ月ぶりかな」

「ねえ。カシムくんって何歳?」

「え? あ、14歳です」

「へー。まだ全然若いじゃん。もうちょっと上かと思ったわ。さっき握手した時の手、かなり『男』って感じがしたもんね。カッコイイなあ」

「いやいや、そんなことないです……」


 カシムは照れる。そして前を向き、彼女を見ることなく三つ目の柵を開けて言った。


「も、もうすぐ中心です」


 木ばかりだった景色はいつの間にか建物が並ぶ街並みへと変わっていた。そして人工物が増えるにつれ、電飾が多く、明るくなってきた。町の中心にある、噴水がある広場には仏頂面の男がいた。


「あの方は?」

「この町の長ですよ。ば、バギーさん。こちら、お客さんです」


 心なしかカシムの声が少し小さくなった気がする。

 二人は町長のもとへと歩いた。町長バギーは名乗り、会釈をした。フェルツも帽子を取り、深々と頭を下げる。


「はじめまして。この町をおさめています、バギーです。ようこそ、イナリスへ」

「フェルツと申します。突然で申し訳無いのですが、一晩だけこちらの街で滞在させていただけないでしょうか」

「ああ、構いませんよ」


 二つ返事だった。

 お礼を言おうとした彼女には見向きもせず、バギーはカシムの手をぐいっと引き寄せる。

 彼は「わっ」とバランスを崩しながら町長の方へ。そしてフェルツには見えない角度で、脇腹に拳が打ち込まれた。


「うっ……!」

「おい、ちゃんと見たんだろうな」


 バギーは小声でカシムに圧をかける。彼は咳き込みながら答える。


「ち……ちょっと思うことはありますが、間違いなく安全ではあります」


 パンッ

 バギーがカシムの頬を叩いた。乾いた音が出る。


「長い。はいかいいえで答えろ。見たのか?」

「は、はい」

「最初からそう言え」


 町長は乱暴に少年の背中を押し、フェルツの方へと寄越した。


「御婦人、生憎で悪いのですがこの街には宿がなく、空いている家もありません。時間も遅く、一軒一軒まわるのは苦しいでしょう。ということで今回はそいつの家にお願いしますよ」

「ええっ!? ぼ、ぼく!?」

「いいだろ」

「は、はい」


 バギーに睨まれ、カシムはさらに萎縮する。町の人々はその様子を見てくすくすと笑うだけだった。

 周りを見るフェルツ。困惑と怒りが混じった表情が浮かぶ。そんな彼女を見て町長は静かに言った。

 

「フェルツさん、でしたか。この町にはこの町の事情というものがあるのです」

「……行きましょう、カシムくん」


 彼女は彼の手を優しく握り、その場を去った。

 カシムの家は町のはずれに存在していた。中心部の所狭しと並んだ住宅とは違い、貴族が住むような広い家。否、家よりも屋敷と言った方が適切であろう。

 屋敷に近づいていくと、周りの木に傷が目立つようになってきた。中には穴が空くほど傷つけられている。嫌がらせもひどいものだな、とフェルツは目をつぶった。


「それにしても町長さん、ひどいわね。いいや、それだけじゃなくて、町の人全員。カシムくん、随分邪険にされてるみたいじゃない」

「いいんですよ。バギーさんのビンタ、そんなに強くなかったし。最近は町を襲う盗賊が出るってんで、皆さんピリピリしてるんですよね。無意識に攻撃的になっちゃってるのかもしれません」

「ふうん。いい人なのね。でもそれを君が全部受けることないんじゃない?」

「……着きました。どうぞ上がってください」


 はぐらかされてしまった。

 カシムの家は、外観こそ豪勢であるが、内装はそれに見合わないものだった。正面玄関から入ってすぐの廊下には何も置かれておらず、まるで建てたばかりのようだ。だが、当然新築ではない。窓の縁を指でなぞると埃がついた。


「広いわね。物は少ないけど」

「親が事故で早くに死んじゃったので。この家を見て分かると思うんですが、結構お金持ちだったんですよ。でも今じゃぼく一人ですから、たくさんあった家具もいらなくなっちゃいまして。あるのは最低限ですね」

「大変ね。でもそんな大変な中私を泊めてくれるんだから、感謝しなくちゃねー。最初会った時に言ったけど、食べ物とかも無くなって野宿なんてできなかったから。カシムくん、ありがとうね」

「いえいえ……とんでもないです。あっ、荷物はこちらに。ぼくの部屋は物で溢れてるので申し訳ないんですが、近くの空いてる部屋まで運びますよ」

「あら、ありがと」


 フェルツは、バックパックをカシムに渡した。それを受け取った瞬間、彼はよろめき、荷物は床に落ちた。


「うわあ! すみません! ごめんなさい!」

「あー……ごめんね〜。重かったわよね」

「フェルツさん、これ、なに入ってんですか?」


 彼はもう一度バックパックを持ち上げ、苦しそうな声でそう言った。フェルツはそれを片手でひょいと持ち上げる。急に軽くなったことでカシムは戸惑う。

 見上げると、フェルツの顔が迫ってきた。思わず彼は後ろにさがる。背中が壁につく。彼女のもう片方の手がカシムの顔の横に突き立てられる。


「フェルツさ――」

「大した物は入ってないわ。でも、中身は聞かないでね。秘密なの」

「は、はい……」


 返事をしたカシムの息は上がっていた。日が沈んで少し暗くなった廊下で、二人は見つめあっていた。


#


 夕食は、冷蔵庫にあった材料を使って、フェルツが作った。ずっと一人で旅をしてきただけあって、ある程度のことはできる。カシムからは「こんなに美味しくできるものなんですね」と感想をもらった。

 屋敷の部屋は10を優に超えるが、使われている部屋は片手で数えられる程度だった。調理場はその一つだが、長い間料理をしていなかったであろう道具たちは使いものにならず、結局はフェルツが持ち運んでいた簡易な調理道具を使うことになった。

 彼女が後片付けをしている間に、カシムは入浴の準備をした。時には雑用をさせられることもあり体が汚れることが多く、浴場の使用頻度の高さから、常に綺麗に保っているらしい。フェルツはそれを聞いて安心した。


「ありがとう、お風呂先にいただいちゃって。あんなにのびのびとできたのは久しぶりだったわ」


 フェルツは入浴後、カシムの部屋に入った。彼の説明通り、そこは家具と本で溢れていた。入浴中に傍に並べられ、道のようになっている。さらに彼女の荷物をここに入れるとなると移動ができなくなってしまうだろう。

 彼女はかつてカシムの母が使っていたという寝巻きを借りた。サイズは少し小さかったが、十分だ。長い間放置されていたにしては状態がいいのは、最後に残った両親の持ち物を綺麗にする彼の日々の働きによるものだった。

 そして先ほどからカシムがこちらをチラチラと見ているのは母を重ねているのか、それとも風呂上がりの大人の女性が自室にいることの非日常感に落ち着かないのか。


「それはよかったです。ベッドは綺麗にしておきましたんで、フェルツさんどうぞ」

「あら、いいの? ……そんなこと言って、私を襲う気?」

「な、な、な、何を言ってんですか!」

「あは。冗談よ。かわいいわね」

「からかわないでください……」


 そう言って彼は顔を赤くする。

 ベッドはカシムが使っているもの以外にはなく、それを彼女に貸すため、彼はソファで眠るつもりだった。それも狭いので座りながら。


「そういえば、フェルツさんはどうして旅を?」


 そのソファを別の部屋に運び出そうとしながら、カシムは尋ねた。フェルツはベッドの上に座り、近くの机の上にあった写真を手にとって見ていた。


「見たことないもの、知らないものに出会いたくて」

「はあ」


 曖昧な目的だ。返答に困ってしまう。押して運ぼうとしたソファは部屋のちょっとした段差につまり、持ち上げなくてはならなくなった。


「ねえ、ちょっと思ってたこと言っていい?」

「はい?」


「あなた、異能者でしょ?」


「!?」


 手が滑り、ソファがガタンと落ちる。


「……え?」


 カシムは恐る恐るフェルツの方を見る。彼視点で自分の顔は見えていないが、多分、引きつっているだろう。


「『なんで』って言いたそうね。異能者のことはもちろんよく知ってるし、見たこともあるの。町の人のあなたへの視線が異能者へのそれだったわ。能力は……そうね、ずばり『相手のことを知る』って感じかしら?」


 カシムはふっと笑った。そしてまたソファを運びはじめた。


「鋭いんですね。正確には『過去を見る』です、触った相手のね。フェルツさん、最初にぼくと握手したでしょ? それでフェルツさんの過去を見て、怪しい人じゃないか見たんです」

「町の人はみんなあなたのことを知ってるのね」

「ええ。誰かが町の前に来たらぼくが向かうんです。過去を見て、危険な人なら理由をつけて帰ってもらいます。もしそれで諦めてくれなくても、町を囲う三層の柵があるので入れません」


 ソファは段差を乗り越えたが、幅が広くて扉を抜けられない。片側を押して向きを変える。


「ぼくは特別力があるわけでもないし、特別頭が良いわけでもない。つまりなんもないんですよね。人の過去が見える力も、何もないぼくへの、神様のプレゼントですよ」

「とんだプレゼントよね。で、私のことを事細かくじっくり見たんだ? えっち」

「ち、ち、ち、ち、違いますよ! 断片的にここ一週間の様子をちょいちょいっと見ただけです! あまりじっくり見るとなると体力の消耗が激しいので!」


 カシムは慌てて否定する。


「冗談はさておき、世間の、異能者への風当たりは強いわ。異能者は自己防衛の手段を持ってないとすぐに死ぬわよ。強くなるか、武器を持つか。とにかく気をつけることね」

「町の人はそんなことしませんよ」

「誰かが来たら外に出るじゃない。みんながみんな私のようにいい人じゃないでしょ。危険な目に遭うこともあるんじゃない」

「そりゃありますよ。でも、これがぼくの仕事ですから」

「それなのにあんな扱い受けてるんだ。それでカシムくんは悔しくないの?」


 彼の作業の手が止まった。そして、震えた声で言った。


「ぼくはこの町の過去を知っています。例えば、バギーさんは、両親が死んでからぼくの世話をしてくれました」

「え?」


 カシムはフェルツの方を見た。悲しそうな顔だが、その目には感情が宿っていない。


「大農園を経営するベータさんは、野菜を分けてくれたことがあります。酒屋の店主のロワンハさんは、来訪者の案内という役目をぼくに作ってくれました。町一番の書庫を持つアッドさんは、ぼくの話し相手によくなってくれました。医者のノターさんは――」

「もういいわ」


 フェルツは手を出し、とめどなく喋るカシムを黙らせた。

 彼の光がなかった瞳に生気が戻った。乱れた心を落ち着かせようとしているのか、深呼吸をする。


「あなたが今まで受けた恩は分かったわ。でも、全て過去形ね。過去がどうであれ、時が経つにつれ人は変わるのよ」

「そうでしょうか?」

「現にさっきの態度が証拠でしょ」

「……やっぱりぼくにとってはお世話になった人たちなので」


 それを聞いたフェルツは笑う。


「またそれ? 本当にいい人ね」

「あ、いやあ」


「生きづらそう。つまらないわ」


「え……」


 カシムも笑おうとした瞬間、フェルツの笑顔は変化し、氷のように冷たくなる。軽蔑したような、哀れむかのような、鋭い目線がカシムを刺す。

 張り詰めた空気。息が苦しい。

 フェルツははっとして、視線を逸らし、暗いだけの森しか見えない窓の外へと目をやった。


「言いすぎたわ。ごめんなさい。忘れてくれる? ベッド、ありがたく使わせてもらうわね」

「え、あ、はい……おやすみなさい……」


 二人はそれ以上お互いを見ることはなかった。カシムはソファを押し、部屋を後にした。

 適当な部屋にソファを運び、明かりもつけずにそこに座った。フェルツの放った言葉がまだ頭に残っている。


『いい人なのね』


『生きづらそう。つまらないわ』


「〜〜〜っ!」


 彼は拳を握りしめ、部屋を出た。


#


 フェルツはまだ外が暗い内に目を覚ました。

 のんびりしている暇はない。今は一刻も早くイナリスから出て行かなくてはならない。

 ベッドを整え、借りた服も綺麗に置いておく。テーブルの上のメモに「ありがとう」の書き置きをしておいた。

 別室の荷物を取って庭に出る。

 夜明け前に町を出ていく。それが彼女の計画だった。だが、それは一人の少年によって阻まれた。


「……!?」


 庭には眠っているはずのカシムがいた。木で作った粗雑な槍を手に持ち、振り回していた。

 おかしい。どうして。


「なにしてるの。こんなはやくに」


 フェルツは思わず声をかける。彼女の声は焦っていた。今まで経験したことのない感情が湧き上がる。

 カシムはそれに驚かず、こう返した。


「『夕方には次の町に着く。中央道から北に大きく外れている。この町で夜を過ごすことになる』」

「えっ」


 焦りは確信へと変わっていく。頭の中が一瞬真っ白になる。


「『案内後、カシムという異能者の少年の家を借りる』。名乗った覚えがないのにぼくの名前を知ってたのはこういうことですか」

「……」

「『翌日、夜明けと共に盗賊が街を襲う。町の人全員が眠っている間に東の森を抜けて立ち去るのが最も安全。柵は木の上から抜けられる』。つまりフェルツさん、今から出発するつもりだったんですね」

「見たのね、私の未来記録……!」


 背負ったバックパックを一瞥する。中に入っていたのは未来記録と名付けた幾冊ものノートだった。


「はい。これ、昨日の日付が書かれてたページのものです。見ちゃダメだって言われましたけど、フェルツさんのおかげでちょっと悪い人になりました。あなたも異能者だったんですね。それも未来が見える」

「……ええ、そうよ」


 フェルツはそれを認めた。


「おかしいと思ってたんです。昨日あなたの過去を見たときに。この町を偶然見つけたにしては全然焦りがなかったですもん。日が暮れそうだってのに、森の中に入って来るのも不自然です。それこそ、最初から知っていないと」

「なぜ逃げなかったの。未来記録見たんでしょ!? それで私が異能者だって思ったんでしょ!? なら盗賊が来るのも本当だって分かってたはずよ」


 フェルツはカシムに近づき、彼の肩を掴む。彼は黙ってフェルツの言葉を聞く。


「手に持ってるのはなに? 武器? 戦うっていうの? こんな町のために? どうして? 言うつもりはなかったけどね、昨日町長に会った時に彼の未来が偶然見えたの。昨晩あの後飲みに出かけたんでしょうね。町の人たちとの会話で何て言ったと思う!? 『あいつはやく死ねばいいのに』よ! 君のことそうやって見てたの! 異能者はそうやって見られてる。目的はあなたが持っている財産だけ! みんなそんな奴らなのよ!?」

「知ってますよ。家の物を手放す時だって、皆さんこぞって訪ねて来ましたから。みんなぼくを見てたわけじゃない。ぼくの家、ぼくのお金を見てたんだってね」

「じゃあどうして!」


 カシムは笑う。


「昨日言ったじゃないですか。何かあっても、ここはぼくが生まれ、お世話になった町なんですよ。今がどうであれ、過去は変わることはないんですよ。絶対にね」


 その目は強い信念を宿している。真っ直ぐな目が、フェルツを見つめていた。


「は……なにそれ……いい人すぎ……」


 呆れたように顔をおさえる。手を退けた時には、口は笑っていた。


「そこまで突き抜けてるとちょっと好きになってきちゃうじゃん」


 彼女は槍をサッと奪った。カシムは驚き、手を伸ばす。が、それは避けられてしまう。


「な、何を?」

「君のかわりにこの町助けてあげるのよ。これ、よろしくね」

「それは無茶――」

「私に任せなさい」


『異能者は自己防衛の手段を持ってないとすぐ死ぬわよ』


「!」


 カシムは昨日の彼女の言葉を思い出した。そして何も言わず、彼女の背中を見送った。


#


 数分後、盗賊は全滅していた。全員気絶した状態で、縄に括り付けられていた。じきに中央警備隊が駆けつけるという。


「フェルツさぁん!」


 カシムは屋敷まで戻ってきたフェルツに駆け寄った。噂によると盗賊は武器を多く持っていたらしいが、彼女には致命傷になる怪我はなかった。


「これ、返すわ」


 カシムの槍は折れに折れ、元の長さの一割も残っていなかった。


「服ボロボロじゃないですか……。でも、まさかほんとに盗賊倒して来ちゃうなんて」

「これは私の知らない未来だった。ちょっと楽しかったわよ」


 フェルツはにこっと笑う。


「あっ、いた!」

「ん? あっ。皆さん、何しにきたんです?」


 バギーをはじめ、多くの人々が屋敷までついてきていた。フェルツのトゲのある言い方などそっちのけで、深々と頭を下げた。


「あんたのおかげでこの町は助かったんだ! なにをお礼しようか! なんでもいい! 言ってくれ!」


 フェルツはしばらく考えた後、ふっと笑った。そしてカシムの手を取り、それを掲げた。


「この子を貰っていくわ」


「え!?」

「フェルツさん!?」


 驚いたのは町の人々だけではない。一番驚いていたのはカシム本人だった。


「いいじゃない。これから私と旅をするの。ついてくるの? 来ないの?」


 悪戯っぽく笑い、抱き寄せる。カシムは一瞬考え、答えた。


「……行きます。ぼくも未来を見たくなりました」


 その声はおどおどとしたものではなかった。


「お、おい!?」

「今までお世話になりました! この町も皆さんも大好きでした! ぼくが出て行ったあとは、この家は好きにしてください」


 町の人々は何も言わなかった。ただ、今まで彼らに見せなかった最高の笑顔を前に、カシムを嘲笑するものなど一人もいなかった。

 カシムもフェルツにならって小さな荷物を作った。着替え数点、気に入った本、残された資産、その他日用品、そして最後に両親の写真を持った。使うことがなく眠っていたスーツケースが役に立った。

 イナリスを出て次の町へ向かう二人。もう未来記録はあてにならない。次に向かう町を示したり、天気を予報するなど、旅の便利道具程度になった。


「ほんとについてきてくれるとはねー」

「変わらないものだけを見てましたが、変わっていくのも悪くないんじゃないかって。変わることを恐れて、今まで行動できていませんでしたからね」

「ふふ、それはいいことね」


 盗賊を成敗する際、ふと思ったことがある。よくできた武器だと。

 なぜ屋敷の庭にあんな綺麗な武器があったのだろうか。あれを作ったのは誰なのだろうか。

 

 彼女はカシムを見る。彼が引く荷物を持つ手に目がいく。


 盗賊と戦おうとした理由は守るためではないのではないか。力仕事をせず、また、なにもしていないという子供の手があそこまでゴツくなるのだろうか。屋敷に着く前に見た傷つけられた木々、あれは斬ったものではなく、何かで突かれたものだった気がする。

 まさか。


「ぼくに足りなかったのは勇気ですね。過去を惜しまずに、新たな未来へ踏み出す勇気」


 過去とは、両親が住んでいた頃から変わらない平和な町。それならば未来とは――。


『ぼくは、この町の過去を知っています』


 それは、両親が死んだ事故のことも……?


「カシムくん、ご両親の事故って……」

「え?」


 カシムと目が合う。聞こえなかったのか、聞こえているのにその返事なのか、彼はそれ以上の言葉を発しなかった。否、発する必要がなかった。その目が全てを物語っていた。


「ごめんなさい。なんでも……ないわ」

「あは、そうですか?」


 ガラガラとスーツケースの転がる音と共に、二人の異能者は歩いていく。まだ誰も知らない未来へと。

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