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9. 観客席で見つめる私

「振り逃げは、結局一塁に進めないことがほとんどなんだ」


 私はうなずく。

 まだ二回しか試合を観ていないけれど、何度かその場面には遭遇した。

 けれど、捕手が一塁に投げて、アウトになっている場面しか見ていない。


「けれど相手のミスを誘ったりして、セーフになることもある」

「まあ」

「捕手の送球ミスとか、一塁手の捕球ミスとか。絶対にないとは言い切れない」


 そして殿下は私の目をじっと見つめて、真剣な表情で続けた。


「諦めてはいけない。そういうプレーだよ」


 私は真摯な表情を浮かべる殿下を、見つめ返した。

 その顔に、野球に対する愛情が見え隠れしている。


「私は、諦めずに走る選手たちを、誇りに思うよ」


 そう付け加えて、柔らかく微笑んだ。

 殿下のそんな表情を、もっと見ていたい。

 そんな気分にさせられた。


「素敵な、プレーですね」

「うん。わかってもらえて嬉しい」


 殿下は満足げに目を細める。

 彼のために、なにかしたい。そう思う。


「あ、あの、わたくし、思うんですけど」

「うん?」


 本当にお役に立てるかはわからないけれど、でも言うだけ言ってみよう。

 きっと私と同じような女性はいると思うから。


「まずは女性たちに、わからなくても観てもらえばいいと思います」

「うーん、来るかな?」


 殿下は顎に手を当てて思案している。だって今まさに、女性が来ない、という状況なのだ。

 けれど私は兄に誘われて球場に足を運んだ。

 だったら。


「殿下が招待なされば、皆、来るはずです」


 私がそう断言すると、殿下はさらに考え込んだ。


「私が招待するとなると、命令のように感じはしないかな」

「でも、野球はゲームなのですよね。ゲームへのお誘いですもの、命令とは思わないのではないでしょうか」

「そう思う?」

「はい」


 私は自信を持って首肯した。


「それで楽しかったと思えばまた来るし、興味が湧けば自分でルールを調べるんじゃないでしょうか。招待した日は、女性たちの周りに警備兵を配置していただければ怖くないでしょうし」


 そして躍動する選手たちを見て素敵だと思えば、きっとまた来る。

 ウォルター殿下をまた見たい、と思った私のように。


「そうだね、そうしよう」


 彼は、うんうん、と二度ばかりうなずいた。


「実は、それも考えないでもなかったのだけれど、命令されて来ても楽しくないのではないかと思っていたんだ。けれどコニー嬢にそう言ってもらえて、勇気が湧いた」


 そう話して、殿下はまた口元に笑みを浮かべる。


「ありがとう、言ってくれてよかった」

「い、いえ、わたくしなど」


 私は小さく頭をふるふると振った。

 殿下が元々思いついていた話なのだ。もっと起爆剤となるような案が思いつけたらよかったのだけれど、これが精一杯だった。


「じゃあ企画してみよう。そのときはコニー嬢も来てね。必ずだよ」

「はっ、はい!」


 殿下の言葉に、こくこくとうなずく。

 間近で見る殿下のすっきりしたような微笑みに、私の頬はまた熱くなる。


 彼は窓の外に目を向け、そして太陽の位置を見て眉尻を下げた。


「ああ、時間を取らせてしまったね」

「大丈夫ですよ、帰るところだったし」


 兄が肩をすくめる。


「今日の試合が延長戦なら、まだきっと試合中ですよ」

「なるほどね」


 くつくつと喉の奥で殿下が笑う。

 そして殿下が腰を浮かせたのを合図に、私たちも立ち上がった。


「なかなか有意義な話し合いができたように思う。ありがとう」

「こちらこそ、ありがとうございます」


 私たち兄妹は、揃って腰を折った。


「では私は失礼するよ」


 兄が慌てて扉に駆け寄り、殿下が到着するより先に開いた。


「球場ではそういうのはいいと言ったのに」

「先輩は敬うものでしょう?」


 そう返して兄がにやりと口の端を上げると、殿下は小さく笑った。


「そういうことなら」


 そして部屋を出て行った。

 殿下が立ち去るのを見届けてから、兄はこちらに振り向く。


「じゃあコニー、帰ろうか」

「あっ、はっ、はいっ」


 なんだか少し、ぼうっとしていたみたいだ。

 だって本当に、夢の中にいるみたいだったもの。

 すぐそこで殿下が笑っていらして。そして言葉を交わしたのよ。

 こんな幸せがあるかしら。

 私がふわふわとしたおぼつかない足取りで部屋を出て廊下を歩いていると、兄が隣に並んだ。


「大丈夫か?」

「え?」

「なんだかぼうっとしているように見えるし、顔が赤い」

「えっ、そ、そう?」


 私は自分の両頬を両手で包んだ。

 いやだ、兄が見てもわかるくらいに赤いのか。どうしよう、殿下に見られていたら。

 そんなことを思いながら歩いていると、ふいに兄が訊いてきた。


「……もしかして、好きになった?」


 直球だ。

 私はそれに返事ができなくて黙り込む。

 なんだか否定はしたくなかった。けれど肯定するのも畏れ多いような気がしてできなかった。

 兄はため息とともに、零す。


「そうかあ。それで観に来たいって」


 結局、全部バレてしまったらしい。

 でも殿下を前にして、この気持ちを隠すだなんて器用な真似はできなかったのだ。仕方ない。

 ぽつりと兄の言葉が降ってくる。


「……でも、あんなだけど、王太子殿下だからなあ」

「……はい」


 兄にそう続けられて、やっぱりそれが現実なんだと思い知ったような気分になった。

 じわり、と目に涙が浮かぶ。

 あんなに近くにいて、言葉も交わしたというのに、きっと私は観客席で彼を見つめるだけの人間なのだ。


「そうかそうか」


 兄が私の頭を抱いて、自分の肩口に寄せた。そのままの体勢で、私たちは廊下を歩く。


「そうかあ」


 兄はそれ以上、なにも口にしなかった。

 私もなにも発さず、そっと、目尻を指で拭った。

高校野球で、過去、「振り逃げ3ラン」ということもありました……。

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