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79. 私の勲章

 言われた言葉がすぐに理解できなくて、私はしばらく目を瞬かせて考える。

 辞退? 王太子妃を? 私が?


「……へ?」


 私の口からはそんな気の抜けた声が出てきた。

 それに苛立ったのか、彼女たちは口調を強める。


「で、す、か、ら! 辞退なさってください」

「え、嫌です」


 口をついて出た。

 意味がわからない。どうして辞退などしないといけないのか。


「どうしてですっ?」


 どうしてもこうしても。

 けれど彼女たちは身を乗り出してくる。


「だって納得できませんもの! コニーさまが辞退なされば、また最初から選考し直しですわ」

「それならわたくしどもだって、今度こそちゃんと練習しますし」

「そうしたほうが公平でしょう? 今のままでしたら、コニーさまだって妃として支持されませんわよ?」

「でしたら、正々堂々、やり直しをしたほうがいいではありませんか」


 支持されない。

 確かに私はまだ、王太子妃に相応しいとは思われていないのだろう。


 けれど、殿下が言ってくれた。

 君だといいなと思っていたよ、と。

 それから、私の妃になってほしいと、この手に唇を寄せてくれた。


 そして私は決心したのだ。

 殿下の妃にふさわしくあろうって。そのためにがんばっていくって。

 それを、なかったことなんかにしたくない。


「いいえ、わたくしは、辞退などいたしません」


 背筋を伸ばして、きっぱりとそう口にする。

 彼女たちはそれに怯んだように、一瞬身を引いたけれど、気を取り直したのか言い募る。


「な……なによ! せっかく提案してあげたのに!」

「けれど殿下もこの結果には納得しておられます。やり直す必要性を感じません」


 あの場で、選考会の公平性は殿下も説明したはずだ。ジュディさまの情報戦は許容できるものだと。妃を選ぶために見たかったものは見れた、と。

 彼女たちに聞こえていなかったはずはない。


 要は、最後の足掻きなのだ。

 ならばそれに付き合うのもいいだろう。きっとこれから、こういうことが何度でもあるのだ。


「コニーさまが辞退したくないってだけの話でしょ!」

「あの、お話ならお聞きするので、着替えさせてください」


 下着姿で、ユニフォームで胸元を隠したままのこの出で立ちで、長話をするのもなんだと思うのでそう申し出たのだが、気に入らなかったのか、令嬢の一人が手を伸ばしてきた。


「えっ」

「なによ、ユニフォームなんて着て!」


 そう声を上げて、私が持っていたユニフォームを引っ張る。


「最初から着てましたものね! 一生懸命やってますってアピールがあざといんですのよ!」

「あのっ、ちょっ、止めてください」

「目障りったらないわ!」

「そうよ、一人だけ目立っちゃって!」


 三人ともがユニフォームを掴んで引っ張ってくる。

 なんとか私も力を入れて握ってはいたのだが、ビリッ、という嫌な音がして、思わず手を離してしまった。


「あ……」


 私の手から離れたユニフォームが令嬢たちの手に残る。

 けれどそれは、すぐに彼女たちの手から離れた。

 投げ捨てた、とかそういうことではない。

 取り落としたのだ。


「ひっ」

「なに……それ……」

「嘘……」


 令嬢たちは身を寄せ合うようにして、一歩、退がった。

 私の身体を見て、絶句している。

 私は彼女たちの視線を受けて、自分の身体を見下ろした。


「ああ……」


 やっぱり、とても見るに堪えないものなのだな、と妙にのんびりと思う。

 とても殿下にお見せできるような身体ではない。


 私の身体は、とてもカラフルになっていた。

 赤い痣、青い痣、黄色い痣。

 防具をつけていたところは大丈夫だけれど、特に内ももにはたくさんついている。ボールの縫い目が残っていたりもする。


 この三週間でついた、痣。


「え……なにか……ご病気、とか」


 私の身体を凝視して、呆然として尋ねてくる。


「いいえ、捕球練習でつきましたの。ですから消えるはずです」


 苦笑しながら私は答えた。


 何度も何度も身体に硬球を当てて、それでも捕ろうとできた痣。


 殿下は、『身体中、痣だらけだろう?』と仰っていた。

 ならばこれぐらいは予想しているのかな、と思う。

 『今度、見せてもらおうかな。その努力の跡を』とも仰っていた。

 そうか。恥じることではないのか。


 令嬢たちは、ごくりと唾を飲み込むと、確認してきた。


「つまり……ボールが当たった跡……」

「そうです」


 私はうなずく。


 これは、私の勲章なのだ。

 見ればいい。

 いや、見なさい。


 私は彼女たちの前に、一歩、進み出る。


「いえ、あの……」

「お待ちになって……」


 彼女たちはまた一歩、退がる。

 すると令嬢たちの一人が、しくしくと泣き出してしまった。よほど怖かったのだろうか。


「……ごめんなさい……」


 泣き出した令嬢の肩を両側から二人が抱いて、彼女らも目を伏せてしまった。


「ここまでだなんて……」

「よく、わかりましたわ……」


 どうやら納得していただけたらしい。

 彼女たちはユニフォームを拾うと、私のほうに差し出した。


「早くお着替えになって……」

「はい、ありがとうございます」


 私は令嬢たちの手からユニフォームを受け取る。

 すると彼女らは逃げるように更衣室の扉のほうに向かっていった。


「で、では、わたくしども、失礼いたします」

「ごきげんよう、コニーさま」


 口々にそう挨拶しながら、扉を開けている。


「ごきげんよう、皆さま」


 私の返事に、小さくうなずきながら、更衣室を出て行く。

 扉が閉まる直前、彼女たちが話しているのが聞こえた。


「あそこまでやらないと、捕れないものなの?」

「まあ、王太子妃ですもの。そう簡単になれるものではないということですわ」

「わたくしには無理ですわ……」


 そして扉が閉まる。

 私はほうっと息を吐く。


 『にっぶい』私はここまでになってしまったけれど、彼女たちならそんなに痣をつけなかったかもしれないのに。

 でもこれで納得していただけたのなら、そんなことは伝えなくてもいいかな、と思った。

痣だらけ・・・キャッチャーが活躍すると、「全身痣だらけ」という記事を見かけるようになったりします。

後逸は得点に結びつくことも多いので、ミットで止められなかった場合、身体を張ってボールを止めることを要求されることが多々あるのです。

お風呂に一緒に入ってキャッチャーの身体を見ると、ピッチャーはなにも言えなくなるんだとか。


捕手が一人だけ、マスク、プロテクター、レガース、と防具で身を固めているのは、それだけ危険な守備位置だということです。

それでも全身を覆っているわけではないので、痣ができるんですね。


今はコリジョンルールというものが設けられ、本塁でのクロスプレーは減りましたが、以前は身体で走者をブロックせねばならず、しかもそれが技術として推奨されていました。

ボールだけでなく、走者との接触により怪我することも多々あったのです。

今は見られなくなったこのブロック技術、見る分にはとてもカッコよかった。本当に。時代ですなあ。


コリジョンルール・・・本塁でのクロスプレーを防止するルールの通称。

捕手がボールを持たずに走路を塞ぐことを禁止したり、走者が捕手への接触をもくろんで走路を外れることを禁止しています。

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