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61. とある令嬢の捕球

「おーい、交代してくれよー」


 バッターボックスに立つ選手がそう声を掛ければ他の選手が立ち上がる。


「次はわたくしですわ」


 緊張した面持ちの令嬢が席を離れれば、そこに別の令嬢が腰掛ける。


「駄目でしたわ」


 捕れなかった令嬢が、どさりと椅子に倒れるように座ると、近くにいた令嬢がその近くに移動する。


「残念でしたわね」

「どうでした?」


 そんな風に、だんだんとその場から緊張感がなくなっていった。


「きゃー!」


 という叫び声がホームベース付近で聞こえることにも、もう誰も反応しない。


 ジュディさまが二球目まで捕ったことで、仮に一球目が捕れても二球目も捕れなければ合格はしない、ということも関係していると思われた。


「ええと、次の次がわたくしですわね」


 そう発言した令嬢の近くにいた選手が、彼女に声を掛けた。


「行く前に、なにか聞いておきたいことがあれば答えますが」


 ウォルター殿下の、アドバイスなりなんなりして欲しい、という言葉を受けたものなのだろう。

 けれど彼女は、少し口を尖らせて返した。


「どうせあなたたちは、あの二人の味方なんでしょう?」

「二人?」

「コニーさまとキャンディさまですわ」


 そう吐き棄てると私たちのほうを見てくる。

 私は思わず身を縮こませた。


「味方というか……」


 困ったように選手は眉尻を下げた。


「そういう人が、わたくしに有用な助言をしてくださるとは思えないんですけれど」


 そう言って睨むように選手を見つめている。

 彼は諦めたように、軽く肩をすくめて口を開いた。


「そりゃあ、たくさん練習した人にこそ良い結果が出てほしいと思うのは、人情というものでしょう?」

「……そうかしら」

「僕が、練習すればするほど良い結果が出るものだと信じたいんです。練習しても練習しても、あっという間に才能のある人に抜かれる。そういうことはままあります。だから、練習した人こそに結果が出るのが見たいのです」


 令嬢は、なにを思っているのか、眉根を寄せてその話を聞いている。


「ですからその心情には、申し訳ないですが、目を瞑っていただきたい」

「あの二人は、そんなに練習していましたの?」


 球場に来ていないから、わからないのだろう。

 令嬢の質問に、選手はうなずいて答えた。


「ええ。彼女たちは、毎日練習に来ていましたから」

「毎日? ……まさか、雨の日も?」

「コニー嬢はそうですね」


 小さく笑って選手がそう答えると、令嬢はこちらに目を向けて呆れたように口を開く。


「馬鹿なのね……」

「すみません……」


 なぜか謝ってしまった。


「まあいいですわ。アドバイス、聞いて差し上げてよ」


 令嬢はなぜか胸を張ってそう言った。選手は苦笑しながらも彼女に教える。


「グラブはなるべく開いて、大きく構えてください。殿下から見て広くなるように。的は大きいほうがいいでしょう?」

「ふうん、なるほど」

「なるべく芯で捕ることを心掛けて。くぼんだところに入れるんです」

「18番の方、ご用意をお願いします」

「あら、わたくしだわ」


 聞いている途中で呼び出され、彼女は立ち上がった。

 そして何度も手にはめたグラブを開いたり閉じたりしながら、ホームベースのほうに向かって歩いていった。


          ◇


 彼女の番がやってきて、そして彼女は膝を揃えてしゃがんだ。

 自分のグラブを確認するように見てから、そして前に広げて構える。


 殿下はやはり、いくぶんか緩やかな球を、彼女に投じた。

 ふわりと到着した球を、おろおろした様子でグラブで追い、そしてそれをグラブで握り込んだ。


「あ」

「捕った!」


 令嬢たちの中からそんな声が沸き上がった。


「ストライーク!」


 ジュディさま以外で初めて、一球目を捕った令嬢が出たのだ。


「捕れましたわ!」


 彼女のはしゃいだ声がグラウンドに響き渡る。


「うん、よく捕った。では二球目にいこう。がんばって」

「はいっ」


 殿下が満足そうにそう励まして、彼女はまた構え直す。

 けれど二球目はグラブで弾いてしまって、捕ることは叶わなかった。


「ああー、捕れる気がしましたのにぃ」


 心底悔しそうにそう口にすると、彼女は立ち上がって、ぺこりと頭を下げた。


          ◇


 二球目を落としはしたけれど、彼女は軽やかな足取りで席まで戻ってきた。


「見ました? 捕れましたわ!」


 彼女はいの一番にアドバイスした選手の前にやってくると、胸を張ってそう自慢げだ。


「ええ、見ていました」


 選手はそう返して微笑むと、立ち上がって、胸の前で両手を開いて立て、彼女のほうに差し出した。

 令嬢はいぶかしげに眉根を寄せる。


「……なんですの? これ」

「ハイタッチです。良いプレーをしたときは、選手同士で手を叩き合って、称えるのです」

「へえ……」


 彼女は選手と同じように、両手を開いて差し出す。

 選手が自分の手を前に押し出して、彼女の手を叩いた。パシ、という鈍い音がした。


「よく捕れましたね」


 しばらく自分の両手を見つめていた令嬢は、そう言われてふふんと鼻を鳴らすと手を腰に当てた。


「ちょっと要領を得ればこんなものですわ! 二球目だって、わたくしなら少し練習すれば……」


 そこまで言いかけて、彼女は口を閉ざす。


「練習すれば捕れましたよ、きっと」


 選手がそう穏やかな声音で声を掛ける。


「でも、していませんもの」


 少し沈んだ口調で、彼女はそう言った。

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