48. 捕球の感覚
球場に到着して更衣室に向かうと、今まではそれでもちらほらといた令嬢たちが、誰も来ていなかった。
グラウンドに出て防具を装着していると、ジミーがやってきて、そして辺りを見渡してから口を開く。
「誰も来そうにないっすね。たぶんもう、これからは二人だけっす」
「そうでしょうか」
「一度折れると、復活するのは大変っす。雨の日って心が折れやすいんすよね」
ジミーはそう話して、肩をすくめる。
キャンディはバツが悪そうに、「あー……」と一度天を見上げた。
「雨が降ったから休もう、ってなったら、次の日が晴れても、続けようって思わなくなりがちっす」
そしてジミーはキャンディのほうに振り返った。
「正直、キャンディちゃんは脱落するかなって思ってたっす。よく来たっす」
そう声を掛けると歯を出してにかっと笑う。
「師匠……」
キャンディはなぜかジミーの呼び名を変え、感極まったように瞳を潤ませていた。
ジミーは腰に手を当て、私たちの顔を見渡してから、声を張る。
「さあ、本選まであと五日っす。どう転ぶかはわからないっすけど、やれることはやっていくっす」
「はいっ」
私たちは声を揃えてそう返事をした。
◇
いつものように、投手の人に投げてもらって捕球練習をする。
ストレートを何球か投げてもらったけれど、なんだか今日はけっこうグラブがいい音を立てている気がする。
それを見ていたジミーが、大きくうなずいた。
「うん、良くなってきたっす」
「本当ですか!」
ジミーが満足そうに認めてくれて、私ははしゃいだ声を上げた。
けれどそこで終わらず、ジミーは投手の人に指示する。
「じゃあスプリットお願いするっす」
その指示にうなずいた投手は、落ちる球を投げてくる。
グラブで追うように捕球しようとするけれど、落ち方を把握できずにグラブから逸らしてしまい、内股にボールを当ててしまう。
「いっ……」
私はまた痛みをこらえてうずくまる。
「大丈夫っすか?」
「だっ、大丈夫です! もう一球、お願いします!」
もうちょっと下かしら、などと考えて受けるけれど、今度はグラブでボールを弾いてしまって肩口に当たる。
「きゃっ……!」
反動で、後ろに転がってしまう。
ボールが当たったところが痛い。また痣になってしまっているだろう。
「ああー……」
ジミーが額に手を当て、呆れたような声を出している。
私は慌てて構え直し、声を出した。
「もう一球、お願いします!」
「手だけで捕ろうとせずに、身体で捕るっす。動けるように足を開いてるんす。いつでも正面で捕る気持ちで」
「はいっ」
「まずは身体で止めることを考えるっす」
「はいっ」
投手の人が、ボールを投げてくる。
私は心の中で、正面で捕る、正面で捕る、と繰り返す。
落ちる球に身体を合わせるように下に動くと、片膝をつく。
すると。
ボールがグラブの中に収まった衝撃が訪れた。
「とっ……」
私は自分のグラブの中を見る。そこに白いボールが確かにあった。
「捕れました! ちゃんと捕れました!」
グラブの中のボールを見ていた視線を、ジミーに移す。彼は大きくうなずいた。
おおー、とそれを見ていた選手たちの中から声が湧く。
今まで、まったく捕れなかったわけじゃない。
けれど今回の捕球は偶然でもなんでもなく、ちゃんと自分で捕れた、という感覚があった。
「なんだかわかった気がします!」
「じゃあ忘れないうちにもう一球。身体に染み込ませるっす」
「はいっ」
私はまた構える。
次の球も、ちゃんと捕れた。
なんだかこうして練習するのが、楽しく思えてきた。
ウォルター殿下が野球をこよなく愛しているのがどうしてなのか、わかる気がした。
◇
キャンディの捕球練習を、ネットの後ろで眺める。
さすが彼女は、ほぼほぼボールをグラブの中に収めている。
一通り練習して彼女が立ち上がったとき、私は声を掛けた。
「やっぱりキャンディはさすがね。もう問題なさそう」
けれど、彼女は小さく首を横に振る。
「でも殿下の球は、もっと速くてキレがあるのでしょう? スプリットも落ちるって。大丈夫かしら」
頬に手を当て、小さく息を吐きながらそう零す。
私は思いついて、ジミーに訊いてみた。
「あの、今日もブルペンに行ってみてもいいでしょうか?」
「いいっすけど、どうして?」
「ブルペン?」
それを聞いていたキャンディが首を傾げる。私はそれに構わず続けた。
「もし殿下がおられたら、投球を見たいのですけれど」
「どうかなあ」
ジミーはうーん、と考え込む。
キャンディは目を瞬かせながら、呆然と口を開く。
「殿下が……いらっしゃるの?」
「いらっしゃらないかもしれないけれど」
「ま、行ってみるっす」
ぞろぞろと歩き出した私たちのあとを、慌てたようにキャンディが追ってくる。
「ちょっと待って、ブルペンって?」
「投球練習するところらしいわ」
「そんなところがあるの? そこに殿下がいらっしゃるということ?」
「毎日来ていらっしゃるのですって。でももう帰られたかも」
歩きながら彼女の質問に答えていく。
「コニーはそれをいつ知ったの?」
「昨日」
「それで、殿下の球を見たということ?」
「そうよ」
「受けたの?」
「受けてはいないわ。けれど、後ろで見たの。勉強になったと思うわ」
そこまで聞いて、キャンディは「いいなー」とつぶやいてから、なにか納得したようにうなずいた。
「あー……なるほど。一日サボったツケは、きっちりあるものよね」
ため息交じりで、キャンディは零した。
それから私のほうを見て小首を傾げる。
「じゃあそれを、私には黙っていればよかったのに」
「でも黙っていたら、なんだか『ずるい』気がしたの」
それを聞いて、キャンディはしばらく黙り込んだあと、小さく笑った。
「本当、コニーは強いわよね」