表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

48/85

48. 捕球の感覚

 球場に到着して更衣室に向かうと、今まではそれでもちらほらといた令嬢たちが、誰も来ていなかった。

 グラウンドに出て防具を装着していると、ジミーがやってきて、そして辺りを見渡してから口を開く。


「誰も来そうにないっすね。たぶんもう、これからは二人だけっす」

「そうでしょうか」

「一度折れると、復活するのは大変っす。雨の日って心が折れやすいんすよね」


 ジミーはそう話して、肩をすくめる。

 キャンディはバツが悪そうに、「あー……」と一度天を見上げた。


「雨が降ったから休もう、ってなったら、次の日が晴れても、続けようって思わなくなりがちっす」


 そしてジミーはキャンディのほうに振り返った。


「正直、キャンディちゃんは脱落するかなって思ってたっす。よく来たっす」


 そう声を掛けると歯を出してにかっと笑う。


「師匠……」


 キャンディはなぜかジミーの呼び名を変え、感極まったように瞳を潤ませていた。

 ジミーは腰に手を当て、私たちの顔を見渡してから、声を張る。


「さあ、本選まであと五日っす。どう転ぶかはわからないっすけど、やれることはやっていくっす」

「はいっ」


 私たちは声を揃えてそう返事をした。


          ◇


 いつものように、投手の人に投げてもらって捕球練習をする。

 ストレートを何球か投げてもらったけれど、なんだか今日はけっこうグラブがいい音を立てている気がする。

 それを見ていたジミーが、大きくうなずいた。


「うん、良くなってきたっす」

「本当ですか!」


 ジミーが満足そうに認めてくれて、私ははしゃいだ声を上げた。

 けれどそこで終わらず、ジミーは投手の人に指示する。


「じゃあスプリットお願いするっす」


 その指示にうなずいた投手は、落ちる球を投げてくる。

 グラブで追うように捕球しようとするけれど、落ち方を把握できずにグラブから逸らしてしまい、内股にボールを当ててしまう。


「いっ……」


 私はまた痛みをこらえてうずくまる。


「大丈夫っすか?」

「だっ、大丈夫です! もう一球、お願いします!」


 もうちょっと下かしら、などと考えて受けるけれど、今度はグラブでボールを弾いてしまって肩口に当たる。


「きゃっ……!」


 反動で、後ろに転がってしまう。

 ボールが当たったところが痛い。また痣になってしまっているだろう。


「ああー……」


 ジミーが額に手を当て、呆れたような声を出している。

 私は慌てて構え直し、声を出した。


「もう一球、お願いします!」

「手だけで捕ろうとせずに、身体で捕るっす。動けるように足を開いてるんす。いつでも正面で捕る気持ちで」

「はいっ」

「まずは身体で止めることを考えるっす」

「はいっ」


 投手の人が、ボールを投げてくる。

 私は心の中で、正面で捕る、正面で捕る、と繰り返す。

 落ちる球に身体を合わせるように下に動くと、片膝をつく。


 すると。

 ボールがグラブの中に収まった衝撃が訪れた。


「とっ……」


 私は自分のグラブの中を見る。そこに白いボールが確かにあった。


「捕れました! ちゃんと捕れました!」


 グラブの中のボールを見ていた視線を、ジミーに移す。彼は大きくうなずいた。

 おおー、とそれを見ていた選手たちの中から声が湧く。


 今まで、まったく捕れなかったわけじゃない。

 けれど今回の捕球は偶然でもなんでもなく、ちゃんと自分で捕れた、という感覚があった。


「なんだかわかった気がします!」

「じゃあ忘れないうちにもう一球。身体に染み込ませるっす」

「はいっ」


 私はまた構える。

 次の球も、ちゃんと捕れた。


 なんだかこうして練習するのが、楽しく思えてきた。

 ウォルター殿下が野球をこよなく愛しているのがどうしてなのか、わかる気がした。


          ◇


 キャンディの捕球練習を、ネットの後ろで眺める。

 さすが彼女は、ほぼほぼボールをグラブの中に収めている。

 一通り練習して彼女が立ち上がったとき、私は声を掛けた。


「やっぱりキャンディはさすがね。もう問題なさそう」


 けれど、彼女は小さく首を横に振る。


「でも殿下の球は、もっと速くてキレがあるのでしょう? スプリットも落ちるって。大丈夫かしら」


 頬に手を当て、小さく息を吐きながらそう零す。

 私は思いついて、ジミーに訊いてみた。


「あの、今日もブルペンに行ってみてもいいでしょうか?」

「いいっすけど、どうして?」

「ブルペン?」


 それを聞いていたキャンディが首を傾げる。私はそれに構わず続けた。


「もし殿下がおられたら、投球を見たいのですけれど」

「どうかなあ」


 ジミーはうーん、と考え込む。

 キャンディは目を瞬かせながら、呆然と口を開く。


「殿下が……いらっしゃるの?」

「いらっしゃらないかもしれないけれど」

「ま、行ってみるっす」


 ぞろぞろと歩き出した私たちのあとを、慌てたようにキャンディが追ってくる。


「ちょっと待って、ブルペンって?」

「投球練習するところらしいわ」

「そんなところがあるの? そこに殿下がいらっしゃるということ?」

「毎日来ていらっしゃるのですって。でももう帰られたかも」


 歩きながら彼女の質問に答えていく。


「コニーはそれをいつ知ったの?」

「昨日」

「それで、殿下の球を見たということ?」

「そうよ」

「受けたの?」

「受けてはいないわ。けれど、後ろで見たの。勉強になったと思うわ」


 そこまで聞いて、キャンディは「いいなー」とつぶやいてから、なにか納得したようにうなずいた。


「あー……なるほど。一日サボったツケは、きっちりあるものよね」


 ため息交じりで、キャンディは零した。

 それから私のほうを見て小首を傾げる。


「じゃあそれを、私には黙っていればよかったのに」

「でも黙っていたら、なんだか『ずるい』気がしたの」


 それを聞いて、キャンディはしばらく黙り込んだあと、小さく笑った。


「本当、コニーは強いわよね」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ