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43. 王太子の球

 マウンドに到着したウォルター殿下を見て、ふと不安に駆られる。

 さきほどの殿下の様子が、少しおかしかったように思えたのだ。


「……まずかったのかしら」


 ぽつりとつぶやくと、ネットの向こうのジミーが首だけをこちらに巡らせて、それに応える。


「なにが?」

「やっぱり、選手の人たちとあまり親し気にしてはいけなかったかしら」


 殿下は、公平を期す、ということを重視しておられるように感じる。

 だったらジミーと私が親しくすることは、選手の人に特別に配慮を受けるように誤解されるかもしれないし、避けるべきことだったのではないか。


「気にすることはないっす」


 けれどジミーはあっけらかんとそう返してきた。


「でも……」

「ま、予想外だったっすけど」


 パン、とキャッチャーミットの真ん中を右手で叩きながら、ジミーがつぶやく。


「え?」

「ジミー、座って」


 マウンドの上から殿下の声が飛んできて、ジミーは軽く肩をすくめて、座った。

 私も慌ててジミーの後ろに立つと、膝の上に手を置いて、少ししゃがむ。

 殿下は少しの間、三本の指でくるくるとボールを回したあと、こちらに向かって顔を上げる。


「じゃ、ストレートからいくからね」

「しゃーっす」


 正面から見るのは初めてだ。

 ちゃんと球筋を見ないと。殿下に見惚れている場合でもない。せっかく投げてくださるのだから。

 殿下はグラブの中に球を隠すように構える。そして片足が上がる。それから後ろから腕を振って。


「え」


 なかなかボールが出てこない、と思わず目を凝らす。そしてふいにボールを持った手が出てきた、と思った次の瞬間に、パーンとジミーのミットが音を鳴らした。


「え……」


 私は呆然と、ジミーの後ろから彼のミットを見つめた。

 今のは、なに?


「いったあ」


 ジミーはミットを外して、ぷらぷらと手を振っている。


「殿下あ、なにかボールに籠ってません?」

「いや別に? いつも通りだよ?」


 すました顔で、殿下がジミーに答える。


「そうかなー……」


 なにやらジミーがぶつぶつと零している。

 小さくひとつため息をつくと、ジミーはこちらに振り向いた。


「どうだったっすか?」


 訊かれて私はしどろもどろで答える。どう表現すればいいのだろう。


「あ、あの……なんだか、急に来たって感じで。いつボールが飛んでくるかわからないというか」

「ああ、殿下は球の出どころがわかりにくいんすよね。それに球持ちがいいし」

「ええ」


 私はこくこくとうなずく。出どころがわかりにくい。そうだ、そんな感じ。


「殿下ー! 本選でもそれ投げるんすかあ?」


 くるりと振り向いて、ジミーがマウンドの上の殿下にそう問う。

 すると殿下ははっとしたように顔を上げ、そして何度か目を瞬かせた。


「ああ、そうか。そうだね」


 そしてグラブで自分の顔の下半分を隠す。


「うん、そうだね。本選では全力は出せなかったね。危ないから」

「じゃあそっちを投げてくださいっす。コニーちゃん、驚いてるっす」

「わかった、ごめんね」


 グラブを下ろすと、殿下はにっこりと私に向かって微笑んだ。

 私はふるふると首を横に振る。


「じゃあ七割くらいの力でね」


 殿下がそう言うと、ジミーがさっき捕った球を返球する。パン、と殿下のグラブがその球を受け取った。


「しゃーっす」


 ジミーが構える。殿下がまた投げる。ミットが音を鳴らす。

 今度は、さきほどよりは球の出どころというものがわかったような気がした。

 そして、浮き上がってくる、というのもわかったかもしれない。


 私は腰を伸ばして立つと、はあ、と息を吐いた。

 七割くらいでも、こんなにすごいんだ。


「じゃあ、スプリットね」


 マウンドの上の殿下がそう言って、私はまた少し膝を折ってしゃがむ。

 ストレートも、投げる人によって違う、とは思う。けれどスプリットのほうが、その違いが顕著だ。

 よく見ておかないと。


 私は気合を入れ直して、殿下の投げる球を見る。

 殿下が片足を上げる。そして一歩を大きく前に踏み出す。

 あれ、さっきと変わらないような……、と思ったら、ジミーのグラブの手前でふっとボールが落ちた。


「消えました!」


 私ははずみでそう大声をあげる。

 その声に、殿下とジミーが小さく笑った。


「そう見えた?」


 殿下がそう訊いて微笑む。

 私は身体を伸ばして、ジミーの前のほうを覗き込んで見る。確かにジミーのミットの中にボールがあった。

 当たり前といえば当たり前だろうけれど、ジミーはちゃんと捕れるのだ。

 でも。


「消えるのでは、捕れないです……」


 なんだか不可能なことをやらなければならないような気分になって、私はそうつぶやく。


「たぶん、俺の身体に隠れたからそう感じたんじゃないっすかね。真正面に構えてちゃんと見ていれば、消えはしないっすよ」


 苦笑しながらジミーがそう説明した。


 けれど本当に今日、殿下の球を見られてよかった、と私はほっと息を吐く。

 これを本番一発で捕れ、というのは無理な気がする。特に私には、ほぼ不可能なのではないだろうか。


 ジミーの返球を受け取って、殿下は言う。


「最後、魔球ね」


 魔球も見せてくださるんだ、と気が引き締まる。

 ちゃんと見るんだ、と私は腰を落として殿下を見守る。

 本選で捕れるように、少しでも確率を上げるんだ、と私は自分に言い聞かせた。

球の出どころ・・・肩の関節が柔らかいと、なかなかボールを持っている手が見えなくて、ボールの軌道を予測し辛くタイミングが合わせにくい。とかなんとか。


球持ちがいい・・・投手の手から球が離れるのが遅いこと。リリースポイントが前のほうにあるため、ボールが手にある時間が長い。

極力バッターボックスに近いところから投げられるとか、加速に使われる時間が長くなるとか、いろいろ良いことあるらしい。


消えました・・・消えません。目がボールを追えなかったためにそう感じるらしい。


このあたりのスポーツ科学は難しいので、「なんかすごい」でいいよ、もう。

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