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28. そんな恰好できません

「殿下の仰っている言葉がさっぱりわからなかったわ……」


 キャンディさまはそう零して、小さくため息をついた。

 更衣室に荷物を置いていたので、本選の確認を二人でしながらついてきてもらったのだ。

 私がロッカーから荷物を取り出している間、キャンディさまはその辺りにあった椅子に腰掛けて足をぷらぷらと揺らしながら、天井を眺めていた。


「ええと? ストレート……と、スプ……なんでしたっけ」

「スプリット、と仰いましたけど、私にもよく……」


 私は忘れないうちに、と慌てて昼食会でもらった紙の裏にペンで、スプリット、と覚え書きをする。


「あと……魔球……? なんのことでしょう……?」

「コニーさまがわからないのなら、わたくしにわかるはずがないわ」


 そう返すと、肩をすくめている。


「一応、見させてもらったけれど、違いがあまりわからなくて」

「わたくしもです。それに魔球と言うけれど、特に魔球には見えなかったというか」

「そうよね。むしろ一番捕りやすいように見えたわ」


 殿下が三種の球種を伝えたあと、選手のうちの一人がグラウンドに入ってきた。

 なにやらゴテゴテと身体中に鎧のようなものを身に着けている。

 これは捕手の人の防具だ。試合で見た覚えがある。つまり、殿下のチームの捕手の人なのだろう。


「じゃあちょっと投げてみよう。肩を作るから待っていて」


 殿下はその人から、グラブとボールを受け取った。


「あ、この人は、うちのチームの捕手だよ。つまり君たちには彼と同じことをしてもらうから、それもよく見ていてね」


 にこにこと笑いながら、殿下はその人を手のひらで指した。


「しゃーっす!」


 その捕手だという人は、よく聞き取れない言葉を発したあと、がばっと腰を折って頭を下げた。

 防御するためなのか、顔には金属の棒が何本か張られたマスクをしていて、どんな顔なのかはよく見えない。


「じゃあ、行こうか」

「ういっす」


 どんな意思疎通が行われたのかはわからないけれど、二人は連れ立ってマウンドに向かって立ち去って行った。


「あ、あの……肩を作るって……?」


 残された令嬢のうちの一人が、エディさまに向かってそう訊いていた。


「ボールを投げるための準備運動です」

「そうなんですの」


 見れば殿下は、肩を回したりしている。

 そして二人はキャッチボールを始めた。最初は緩く、ぽーんぽーん、と何球か。


「まあ、さすがは殿下ですわ」

「あんなに簡単そうにキャッチボールを」


 感心したように令嬢たちが話している。

 何回かボールが行き交ったあと、殿下はボールを手に握り、前を向いた。


「座って」


 グラブを前に差し出して、くいっと下に動かすと、捕手の人はしゃがみ込んだ。

 令嬢たちの中から、「ええっ」「嘘っ」という声が上がる。

 私も思わず口元に手をやって、開いた口を隠した。ここまで捕手の人をじっと見たことはなかったのだ。


 彼と同じことをしてもらう。

 つまり。


「えっ……足を、広げるんですの?」

「いやだ、恥ずかしい……」

「淑女としてそれは……」


 捕手の人は、足を軽く開き、そのまましゃがんだのだ。つまり、股を大きく開いた姿を見せなければならない。

 ユニフォームを着ているとはいえ、その姿は衝撃的としか言いようがなかった。


 かなりの人数が、抵抗を感じていたように思う。

 もちろんそうだろう。私だって、そうだ。

 なにせ、構えた先にいるのは、王太子殿下なのだ。

 あんな姿を殿下に晒せだなんて、死刑宣告に近いものがある。


「なんとか……ならないのかしら」

「だって、あんなの無理ですわ……」

「あ、あの方は男性ですもの、それで足を開いているだけですわ」

「別にわたくしたちは、開かなくてもいいのでは?」

「そ、そうよね」


 ぼそぼそと令嬢たちが話し合っている。

 私もその囁きを聞いて、そうよね、別に足を開かなくてもいいのかも。結果がすべてだって殿下も仰っていたし、どんな恰好であれ捕れればいいのでは? とむりやり納得した。


「じゃ、一球目ねー」


 令嬢たちの動揺を知ってか知らずか、殿下はマウンドの上からこちらに向かって声を張り上げた。


「ストレート」


 そう告げると、両手を胸の前で組むようにしてから、片足を上げ、一歩前に踏み出し、腕をしならせてボールを投げる。


 すると一瞬後には、捕手のグラブがバンッと鋭い音を立てた。

 ……野球に詳しくはないけれど、それでもわかる。

 速い。


「スプリット」


 そしてまた、一球目と同じように投げる。

 やっぱり同じように捕手のグラブが音を立てるけれど、一球目よりは少し軽い音のような気がした。


「魔球ね」


 そう言うと、一球目と二球目とは少し違うフォームで、ボールを投げた。なんだか一球目、二球目と比べると、思い切りがあまりないような気がする。


 そして明らかに、三球投げた中で、一番遅い球だった。

 なのに。


「うわっと、っぶねー!」


 捕手の人がそう声を上げ、なにやら慌てた風に捕球した。

 三球投げ終えた殿下は、捕手の人がすべての球を捕球したことを見届けると、マウンドを降りてこちらにゆっくりと歩いてくる。


「素敵でしたわ!」

「かっこいい……」


 令嬢たちは口々にそう殿下を褒め称えた。

 世辞もなかったとは言えないかもしれないが、けれどぽっと頬を染める令嬢もいたので、きっと本心からの言葉も多かっただろう。


 私はもちろん最初に見たときからマウンドの上の殿下が素敵だと思っていたので、今回、皆に知られてしまったことが、ちょっと悔しかった。


「どうだったかな? 一回見ただけではわからないだろうけれど、こんな感じだと思ってもらえれば」


 そうにこやかに声を掛けたあと、殿下はさらに続けた。


「本選は二週間後。それまで毎日、この球場は開放しておくよ。いつでも練習しにきて。うちのチームの選手を待機させておくから、教えてもらうといい」


 それなら、ここに来たほうがいいかしら、と私は思う。

 今まで兄に教わってきたけれど、やっぱり『贔屓』と思われてもいけないし、捕手の方にも教わってみたいし……と考えていたところで。


「では、二週間後にまた会おう」


 そう打ち切って軽く手を上げたあと、殿下は捕手の人と連れ立って立ち去って行った。

魔球と呼んでいますが、これは実在する魔球です。

野球をご存知の方には、もうわかっているのかも?

魔球については、本選の回で書こうと思っています。


ちなみに殿下は、ワインドアップはしていません。ほんでオーバースローっぽいスリークォーター。

この世界にスピードガンはありませんが、ストレート154キロ程度と思っていただければ。


ワインドアップ・・・振りかぶること。

オーバースロー・・・腕を上から振り降ろす投法。

スリークォーター・・・腕を斜め上から振り降ろす投法。


スプリットを投げさせようと思ったらこういう設定になりました。

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