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26. 漏れていてもいなくても

 殿下は彼女の話す内容に、軽く首を傾げた。


「どういう意味かな?」

「殿下のチームの方ならこの予選会の内容もご存知だったのでは。この予選会ために、指南役として選手の方々は球場にいらしたのでしょう?」


 私に厳しい視線が注がれているのを感じる。

 公平性を欠いた予選で通過した卑怯者は、あなたでしょう? とでも責めているかのような。

 『でもそれって、ずるくない……?』と昼食会で囁かれたときのように。


 知らなかった。私は絶対に知らなかった。

 心の中で何度もそう唱える。


 けれどそれを証明する術はあるのだろうか。

 私は殿下のほうに視線を向ける。きっと縋るような目をしているのに違いない。


 殿下は小さく肩をすくめて、軽い調子で応えていた。


「いや? 選手たちはさきほどの試合のために来ていたんだよ。初心者が多すぎて、あまりに収拾がつかなくなっていたから、彼らには試合前だというのに出てきてもらったんだ。まあ私の見通しの甘さが出てしまったわけだけれど、完全に想定外だった。エディは例外だけれど彼は……ああ」


 そこでなにやら思い当たったようで、殿下はいったん言葉を切った。


「ラルフのことかな。コニー嬢の兄君の」


 そして、さくっとそう口にする。


「えっ、ええ」

「嫌だな、ラルフにだけは言わないよ。彼、あまり頭で考えるタイプの人間じゃないから、教えると面倒なことになりそうで」


 笑いながらそんなことを語る。

 それはそれで恥ずかしい。私は両手で顔を覆った。

 ラルフ兄さま……殿下にいったいどんな評価を受けているの。


「それに、漏れていても構わないよ」


 続く殿下の説明に、令嬢たちは驚きの声を上げる。


「えっ」

「そんな」


 私も顔を覆っていた手を離して、殿下のほうに視線を移す。

 漏れていても構わない? どうして。


「君たちは、知っていたら練習してきた? 私にはとてもそうは思えないけれど。君たちは、予選をなんだと思っていたのかな?」


 殿下の声に、次第に怒気が含まれていく。

 令嬢たちが怯んでいるのがわかった。


「キャッチボールというのは基本中の基本なんだよ。野球を覚えようと思ったら、まずやることだ」

「え……」


 野球をまったく知らない彼女たちには、それがわからなかったのだ。


「漏れていても漏れていなくても、やることといえばキャッチボールくらいしかない。だって、私の球を捕る、という本選内容は伝えているのだから、当然、それに準ずることを予選でやるということは予測できるよね」


 殿下は腰に手を当てた。それは、怒っていますよ、という意思表示のように思えた。


「だから、私の球を捕る、ということをするつもりなら、まずキャッチボールから始めるものなんだ。私はもっと練習をしてきた人がいると思っていた。残念だよ」


 兄が教えてくれた。まずはボールに慣れよう、と。

 だから私はキャッチボールを始めた。兄にうながされて。


「本当に予選で勝ち残りたい、と思うなら、どうやってもキャッチボールにたどり着くはずなんだ」


 でも、野球のヤの字も知らない彼女たちが、そこにたどり着けるだろうか。

 私だって、兄に提案されなければ、キャッチボールを始めたのかどうか自信がない。

 もしかしたら、私はやっぱり『ずるい』のではないだろうか。


「けれどまあ、なにから始めればいいのか迷う人もいると思うから、今回の予選ではそれを考慮しているつもりだよ。だから、練習してきていなくても、この場で一生懸命取り組んだ人を選んだんだ」


 殿下のその選出の理由に、私は少しほっとする。

 一生懸命取り組む、それはきっと私にもできたはずだ。

 ずるくない、と肯定されたような気分になった。


「中には、王太子妃になどなりたくないけれど、親に言われて仕方なく来た方もいるだろうから、練習をしていないことを責めるつもりもなかった。けれど、私の選考方法に異を唱えるならば、私にも言いたいことはあると言わせてもらおう」


 殿下の語りに、その場が静まり返る。空気がピリピリと震えている気がする。

 質問をした令嬢は蒼白な顔色をしていた。彼女に同意していた令嬢たちも俯いてしまっている。

 もう反論などする気もないであろう令嬢たちに、殿下はそれでも続けた。


「私は、努力する者には正当な評価を与えるべきだと思う」


 凛とした声が、しんとしたグラウンドに響く。


「たった、それだけの話だよ」


 誰も言葉を発しない。

 ベンチの奥のほうでなにやら音がし始めたが、そちらに振り向く勇気もない。

 けれど、その音を出していたのであろう人がベンチ奥の部屋から出てきて、こちらに向かって歩いてきた。


「そんな気がしたので、早めに出てきました。案の定です」


 苦々しい響きを持った声が、耳に届く。

 その人は殿下の横で立ち止まると、はっきりと告げた。


「殿下、言い過ぎです」


 その声に、皆がほっとしたように顔をそちらに向ける。

 エディさまだった。


「そう? 言い過ぎかな」


 小さく首を傾げて、殿下が応える。


「言い過ぎです。あと、期待し過ぎです。ですから進言したではないですか。一番の野球バカは殿下で、ご自分を基準に考えるのはお止めください、と」


 ため息交じりに、そう語っている。けれど殿下は納得できないようで、眉根を寄せていた。


「うーん……」

「仰ることを否定はしません。けれど、言い過ぎです。そして期待し過ぎです」


 きっぱりと重ねるその言葉に、それでも納得できない素振りを見せる殿下に、エディさまはさらに語った。


「ご令嬢方は選手じゃないんです。我々と同じように扱ってはお気の毒です。そもそも、王太子妃選考に野球を持ち出された時点で、この上なくお気の毒です」

「別に、野球が上手ければいいって話ではないよ。私は野球を通して」

「お気の毒です」


 殿下の反論をひったくってそう言い切るエディさまをしばらく見つめてから。


「わかった」


 殿下は軽く両手を上げて、降参、のポーズをした。

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