エピソード Y 中編
寿命が二十五年。自分だったら既に死んでいてもおかしくはないと言う年齢の回答に幸成の頭は暫くの間、脳が体へ信号を送る事が出来ずに居た。日本であれば一番の活動時期とも言える年代が彼女等にとっては死期、そんな事があって良いのかと言う悔しさに似た何かの感情が胸の奥から込み上げて来る。
しかし同時に、先程クラーラの弟であるシピは精密検査出来ない状況下ではあるが可能性が一番高いのが自律神経失調症。その原因がストレスと食事にもある事を思い出した幸成は目の前に居る患者の体を可能な限り隅々まで調べる事に。すると腹部には妙な外傷、口腔内の出血を発見。更には筋肉や骨の付き方に違和感を抱く。
「クラーラ、この人は幾つか分かる?」
「・・・二十四。もう長くない事は分かってる。」
その返答に幸成は一つの仮説を立てた。それは食事や運動量等を基本とする『健康』に対する知識不足から来る物ではないかと言うもので、それならば二人しか診察はしていない物の説明が付く。つまり医術よりも食事療法を前提として考えれば治療は決して難しいものではない。
「クラーラ。この村で手に入る野菜や果物は何がある?」
「え?何急に・・・。ここじゃ全然手に入らないよ。森に行けば木苺位なら手に入るけど、基本的には茸と畑で取れるオーツ麦しかないよ。」
これで分かった。ここの住人は圧倒的に栄養が足りて居らず、言わば虚弱体質の親から虚弱体質の子が生まれたと言っても過言ではない。この種族が短命なのは寿命が決まっているのではなく純粋に栄養失調が原因なのだ。
「この人は恐らく『壊血病』だ。ビタミン・・・野菜や果物を長期に渡り摂取しなかったのが原因だ。この村じゃ同じ症状の人が居るんじゃないか?」
「何で分かるの?」
この返答が答え合わせになる。自分は医師だが今回必要なのは栄養と言うのはある意味好機。何故なら幸成は主に内科を担当している医師で外科手術が必要とされても道具が一切無い上に不衛生なこの環境下で行うのも心もとないからだ。
「この人達に必要な物は野菜や果物だ。どうにかして手に入らないか?」
「どうにかって言われても・・・この辺りにはあっても野草だし。」
それでも良いからと幸成はクラーラに食べた事のある野草を全て持ってくるようにお願いし、残った幸成は壊血病以外の症状も細かく診察し隠れた症状が無いかをもう一度確かめ直す事に。
二十分程するとクラーラが近所で取れるのはこれ位だと袋一杯に数々の野草と詰め込み帰ってくる。中身は見た事もない植物が多く、持って来いと言ったが自分の知識がここでは通用しない事を実感する幸成だが、歯や茎の部分を自分で口にし日本でも取れる野草に似たものが無いかと検証する。
三十種類を超える野草から幸成の分かる範囲で恐ろしく酸っぱい葉と茎を持つ三つ葉の植物『カタバミ』に似た物を始めとする「何となく似ている物」を分別しクラーラへ何処で手に入れたのかを聞こうとするのだが、先程までと違いクラーラの顔色が悪くなっており机に突っ伏すような体制から動かなくなっていた。
よくよく考えればここへ来た時にさえ誰ともすれ違わず生活作業音等が一切聞こえない集落、そもそも動ける人間が少ないのではと思い幸成はクラーラの診察を始める。指の感覚だけでもわかる程高い血圧に高い脈拍数、ここにきて幸成は『クラーラだけが健康であるはずがない』と言う前提を忘れて居た事を思い出し集落の近辺の野草を探し始める。
だが必要なのは肉類や豆類等大量にある。野草だけで補える訳も無いが現状手に入る物がこれだけしかないので幸成は持ち帰った野草を近くにあった器と匙を使用し磨り潰した後、水を求め外へと飛び出す。
自分が来た方向には水源らしき物は無かったが、クラーラがここへ来る最中に水を持って居た事と、生きて行く上で水分がない所に集落は作らないだろうと来た時と逆方向を探していると直径五メートル程の小さな泉を発見する。しかしその泉をよく見れば虫の死骸を始めとする汚れた水。不衛生な環境と不衛生な物を口にし続けていた事実からこの集落の者が病気になったのも納得する。
幸成は瓶と言うより桶に近い物に水をすくうとなるべく零さぬ様集落へと運び込み、クラーラの家を始め家の中に竈が無いか一軒一軒回ってみる事にした。しかし、見つかるのは出鱈目に石を積み上げただけの竈のみ。これでは真面な蒸留は不可能な為、まずは蒸留に適した竈を作らなければいけないのかと唖然とした。その際、組んできた桶を見ると少しばかり奇妙な事が起きていた。
「汲んできた水、こんな色だったっけ?」
幸成が見た泉は砂や泥が混じった黄土色の様な水であったはずだが、今見てみると砂は完全に沈殿しており、少し動かしても混ざり合う事が無いのだ。その為水は透明度を増し如何にも飲めそうな状態になっている。が、先程飲んだクラーラの水は非常に酸っぱく痛んでいる様な味であった為、幸成は恐る恐る手で掬うと口へ運んだ。
おかしい。先程まで汚れ切っていた水が何故が飲料用として使用出来ると言っても過言ではない程スッキリとした味をしている。そんな状況に疑問符が飛び交う幸成だが、とりあえず原因は分からないが飲料水確保と言う事で砂が入らぬ様丁寧に別の桶に移し、湯を沸かすための鍋を探し始めた。が、どこを探しても金属製の品物さえ見つからない。
そこへ来たのはクラーラの弟達。入るなりクラーラの姿を見て心配そうな顔つきで呼びかけている姿を見て幸成は「疲れただけだから大丈夫だよ。」と安心させる為のと嘘をついた。すると子供達は「じゃあ僕達が代わりに手伝う。」と幸成に協力する意思を見せた。会って間もない人を信用するのも問題ではあるが今の幸成にとっては猫の手も借りたい状況、早速湯を沸かす為の竈を作ろうと話すのだが三人の子供は「何で?」と腑に落ちていない様子。
「お湯なんて別にそんなの無くても出来るじゃん。」
そう言って一番背の小さい男の子は右手から拳台の炎を上げ幸成に見せつける。クラーラにも見せて貰った『魔法』を目の当たりにし、とことん自分がこの世界に馴染んでいない事を思い知らされた幸成はその子に桶の中の水をお湯にするよう頼み、他の二人を連れて泉の水を汲みに向かう事に。
「ここの水を汲んだらさっきの・・・そう言えば名前聞いてなかった。」
「僕はヤルッコ。」
「私はエルマ。弟はマウノだよ。」
「よろしくねヤルッコ、エルマ。そしたらマウノの所まで水を持って行って貰えるかな?俺は野草をもっと集めて来るから。」
それに対し「は~い。」と元気に答える二人に笑みが零れながら幸成は近くに生えているであろう野草を手あたり次第持って三人の待つ家へと急ぐ。
戻るとそこには湯を沸かし終わり暇そうにしているマウノの姿があり、ヤルッコとエルマは桶の水と睨めっこをしていた。
「どうかした?」
「ユキナリの水と違って僕達の水汚いまま。」
そう言われ桶を見てみると水は完全に濁って全く砂が沈殿していない。先程の自分の水は放置しているだけで沈殿したのに何故だと桶を手に掴むと水は見る見るうちに透明度を増していく。
全く持って理解出来ない状況だが、幸成が触れると綺麗になったと言うのが事実。もう一つの桶に触れればこちらも徐々にきれいな水へと変化していき、益々疑問符が浮かぶ。どんな原理か分からないが幸成が触れれば水は綺麗になるので綺麗になった水は砂が入らぬ様別の桶に居れ、こちらもマウノに頼み湯にして貰う。
その間、先程磨り潰した野草のお椀に湯を注ぎ匙で混ぜ合わせる。即席の青汁と言えば聞こえは良いが、ただの薄めた野草汁である。試しに一口飲んでみれば強烈な酸味の後に襲い来る苦み、口当たりは最悪で潰しきれなかった葉や筋が口内にへばり付くと言う拷問に違い味に悶絶する幸成。しかし今現在簡単に摂取できる方法はこれしかないとクラーラへ飲むよう勧める。
幸成の声に虚ろな表情のまま椀を受け取り口にするクラーラ。「不味くても飲むんだ。」と口を押え強引に飲ませる幸成に子供達は「いじめるな。」と幸成を叩き出す。が、「ありがとう。」と言うか細いクラーラの声を聴き三人は手を止めた。
「これは物凄く不味くて飲みにくいけど、皆を元気にする飲み物なんだよ。だから沢山作って皆に飲ませて上げれば元気になるから。」
そう説明され納得した三人。純粋な子供相手に燃やされず助かったと安堵する幸成は野草を片っ端から磨り潰し集落全員分の野草汁を作成する。
「明日には元気になる?」
「明日はまだかなぁ。でもすぐ良くなるはずだよ。」
クラーラを家のベッドへ移し彼女の前で会話をするエルマと幸成。勿論この三人にも野草汁は飲ませてあり、少しでも栄養失調にならぬ様にしては居るが、どうしても必要な動物性のたんぱく質を如何にして手に入れるかが今後の課題となる。せめて鶏が居れば卵が、牛が居れば牛乳が手に入るのにと考えている内に幸成の意識は遠くへ行ってしまった。
翌日、患者の事ばかり気にかけ自分は食事すら取っていない事を体が訴え目覚めた幸成は昨日煮沸した水を椀で掬い一口飲む。余計な雑味も無くすっくりとした口当たりから「これは軟水か?」と意味の無い疑問を浮かべつつクラーラの様子を見に行く事に。
ベッドでは発汗からかシーツと呼ぶにも烏滸がましい布をびっしょりと濡らしたクラーラが深い寝息を立てていた。起こさぬ様そっと手首に指を当て脈拍だけを見てみると、どうやら少し落ち着いてはいるものの血圧はまだ上がったままの様な状態。活動する前にまずは医者の不養生とならぬ様、野草のスムージーと言う名の不味いペーストを口へ入れ水で流し込む。
ふと部屋の中を見てみればクラーラが使用していた弓が掛けられていた。動物性たんぱく質を手に入れるには狩りを行うしかない。しかし魚を捌くのが精一杯な自分に弓で狩りが出来るのだろうかと考えているとヤルッコが目覚めた様で話しかけて来る。
「それ姉ちゃんの弓だよ。ユキナリも弓使うの?」
「いや、俺はこういったのは全然駄目。どうにかして動物や魚が捕まえられれば良いんだけど、何か方法無いかって考えてたんだよ。」
「この辺りは魔物ばっかりだからね。魔物は不味いし体壊すから食べられないよ。」
「魔物・・・動物とは違う?」
「動物は食べられるか役に立つ奴。魔物は食べれないし襲ってくる奴だよ。」
どうやらこの世界では害を成す者を魔物、有益になる者を動物と呼んでいるらしい。しかしヤルッコの話が本当であれば動物を捕まえる事は困難を飛び越え不可能とも言える。どうにかして手に入れる方法は無いかと尋ねれば「街へ行けば手に入る。」との事。
「街まではどれ位?」
「僕は行った事ないけど、姉ちゃんは三日位で帰ってくるよ。」
森に慣れたクラーラの脚で三日。自分の脚では倍は掛かるかもしれないと予想し絶望的になる幸成。だが自分が動かねばクラーラはおろかこの子達や集落の全員が死んでしまう。医者として助けが必要な人を見過ごし亡くすのだけは許す訳にはいかずヤルッコにどの方向へ歩いて行ったのかを訪ねる。
「あっち。でも姉ちゃんも街には滅多に行かないから木に目印してるって言ってた。僕はそれが何か分かんないけど。」
「ありがとうヤルッコ。俺は街へ出る準備をするから桶でも壺でも何でも良いから泉の水を沢山汲んで来てくれないか?」
するとヤルッコは「分かった。」とだけ言い部屋の中から水が入りそうな物をかき集め外へ出て行く。同時に幸成も籠らしき物を手に野草を集め出す。
幸いな事に樽と呼べそうな程大きな桶を所有している家があり、使用の許可を取るとクラーラの家へと運び込み、浄水した水を次々に移していく。これだけの水があれば自分が帰るまで何とか持つだろうと予想し、自分はクラーラの使用していた水袋へ水を移す。
「水は必ず煮沸・・・お湯にしてから混ぜたり飲んだりするんだよ?そうしないとヤルッコ達もお腹痛くなっちゃうからね。それと、クラーラが目覚めても街へは行かず野草汁を作る様に伝えてね。」
そう言って幸成は自分の持って来た鞄とクラーラの水袋と弓矢を手に「あっち。」と言われた方向へ歩き出す。鞄にはクラーラが以前取って来たであろう茸を寝ぼけたままのマウノに焼いて貰った物と煮込んで水を切った野草が入って入るが、成人男性の一日分にはとても足りない量である。
日が暮れ始めた頃、幸成は適当な枝を集め持って居たライターで着火し暖を取っていた。寝袋になるような物は無く、汚れない様にと白衣も脱いでいるので夜の森の寒さは堪える。動物は火を怖がると言うが魔物はどうなんだろうと深くは考えず幸成はそのまま眠る事にした。
翌日、夕暮れになり掛けた頃、クラーラの言う目印であろう木に付けられた文字を伝って行くと視界が開け始めた。どうやら森を抜けたらしく草原の様な場所で到達する。革靴で歩き続けた為足は肉刺だらけになり、疲れ切った幸成は草の上に寝ころび気が付けば寝てしまっていた。目が覚めた時は真っ暗で月明りだけが唯一の光源であった。
更に翌日、太陽がほぼ真上に来た頃、道らしき物を発見。これを伝って行けば街へ出れるだろうと意気揚々とするが、どちらへ歩けば良いのかが分からず頭を抱える。ここはもう運しかないと矢を地面へ立て手を離した幸成は、矢が倒れた方向へと歩き出す事を決意した。なお、帰り道が分かる様にと歩いてきた道には草を掃って矢を刺す等の行為をしていたのだが、ここで矢が尽きてしまう。だが、ここは森の入口へ向かうための道故、人が通る道まで矢が持ったのは奇跡とも言える。日が暮れれば焚火、この日は水も食料も尽きてしまった為何も食さず眠る事となった。
出発して四日、この日初めて幸成の前を馬車が通った。御者に話を聞けばこの道を伝って行けば右側にすぐ見えて来るとの事で、幸成は疲れ切った体に鞭を打ちながら街を目指す事に。
夕暮れまではまだ十分に時間がある時間帯になると幸成は対に街へと到着する。疎らな石畳の道に木製の看板。先程の馬車でも分かっていたが幸成の世界とは文明が全く異なった世界。しかし森の中と比較すれば明らかに進化している街並みに感動さえ覚えた。
問題はここでどうやって食料ないし動物を調達するのかと言う事。森に住むクラーラの財産は初めから期待しておらず、物々交換が出来ればと自分の鞄を持参したのだ。中には聴診器やガーゼ、包帯等の医療器具は当然、体温計や血圧計、血中酸素濃度計等の機械も入っている。検診に必要な器具を除くとなるとニトリル手袋やポリ袋等のこの世界では手に入らないが複数所持している物が好ましい。そんな考えのもと街中を練り歩いているとパン屋が目に留まった。
「すみません。パンが欲しいのですがお金を持って居ない。そこでよかったら物々交換できませんか?」
「物々交換?・・・まぁそんな訳の分からん身なりをしてる場所じゃ金も無いんだろうな。」
森を歩き続けた結果、来ているシャツやズボンは草や枝に引っかけたりと既にボロボロ。本来ならば貴族と言えそうな程の服装だったのだがある意味功を奏した。
「絶対濡れない手袋とか透明の袋があるんですがどうでしょう?」
「寝言言ってんじゃねぇよ。そんなものがあったら賢者様だって驚くわ!」
当たり前だが信じて貰えないらしい。幸成はなら使ってみてくれとニトリル手袋一双とポリ袋を手渡し反応を伺う。すると何だこれはと言わんばかりの表情をしながら手で引っ張り始めるパン屋の店員。手袋が伸びるじゃねぇかと早速装着し店の奥へ向かった。
「本当に濡れねぇじゃねぇか。」
帰って来次第話していた事が事実である事を認めた店員。問題はこの二つでどこまで強請れるかと言う所。まず手袋は耐久性がそこまでない事と繰り返し使用するのも数回が限度である事、ポリ袋も使い回しに向かない事を話す幸成。すると店員は各々十個づつあれば拳台のパンを三つと交換する事を条件に出してくる。せめて手袋が洗濯用ゴム手袋ならもっと良い線まで行くのだろうが、使い捨てならばここが良い所だろうと応じる事に。
その後も幸成は別の店に行っては交換を繰り返し最終的に手に入れた物は日持ちのするチーズと干し肉、そして育てる事の出来る小麦とトウモロコシ、更には繁殖用の有精卵。後は帰るまでに腐らなければ良いなと言う程度の食料のみで栄養が足りない事は重々承知していた。
陽が落ち始めた頃、これ以上手袋や袋を減らしては自分の使う分が無くなると言う事で街を立つ幸成。明るくなってから行けば良いと言う考えも無くは無いが、既に予定していた日数を大幅に超えていた為、少しでも早く戻ろうと言う意思だけで激痛さえ覚えた脚を無理にでも動かしていく。
「あ、ユキナリだ。」
そんなマウノの言葉で真っ先に反応したのは動けるようになったクラーラであった。
「街に行ったって?森に詳しくないのになんて無茶な事を・・・」
「無茶は当然。人を助けるのが医者だからね。」
そう言って幸成は八日ぶりにクラーラの家へと到着した。履いていた靴の底が擦り減りまっ平になる程険しい道を歩き続け、健康的な体形は肋骨が浮いて見える程痩せ、清潔だった顔は髭と脂でギトギトと言う医師には見えない風貌へと変化していたが、そんなになるまで自分達の為に動いてくれたのかとクラーラは汚れ切った幸成を抱きしめた。
「お帰り、ユキナリ。」
「ただいま、クラーラ。」




