表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
記憶の道  作者: 桐霧舞
17/63

聖水とアンナ教




 いつも通りの獣臭がする朝。風通しが中々良い馬小屋を囲む壁の隙間から差し込む朝日により目を覚ます響也。早めに出発してゴブリン退治と行きたい所ではあるものの、ここ四日間剣すら抜かずに過ごしていたので日課であるサイコメトリーと剣の素振りをする為一人外へ出る。

 眩しい朝日に目を瞑り、一度背伸びをすると固まっていた体中の筋肉がほぐれ始める。このままラジオ体操でもしたくなる様な陽気ではあるが、この世界に体操をする習慣は無い。見られれば即おかしな奴と言う烙印が押されてしまう。

 腰の鞘から剣を引き抜き銀色に光る刃を見つめると、歴戦の傷が如く刃毀れや血が硬化した錆の様な痕、そして本物の錆までもが響也の目に入る。ジントリムの古道具屋の店主が格安で譲ってくれた剣ではあるが、サイコメトリーで見るこの持ち主は鍛錬を重ねる為日々素振りをしていたのが分かる。

 斬り、払い、突き、どこかの流派の如く型に収まった剣術のお陰で響也の腕も見る見るうちに上がっていく。剣道でもない『実践的な剣術』を己の体に叩き込み、ルイーザの度肝を抜いてやると言わんばかりに今日も素振りを続ける。

「鈍ってないようだな。」

 素振りを始めて五分程経った頃、起床したルイーザが背後に立っていた。

「お前に頼ってばかりじゃカッコ悪いからな。」

 そう言って剣を鞘に戻すと朝食の準備を始める響也。しかし、昨夜買ったパンにクタクタになった人参だけと言う質素極まりない食事しか用意出来る物は無かった為、準備から食事の終了まで三分と掛からなかった。

「善は急げ。早速向かうぞ。」

「今日の稼ぎはご飯代にしないか?全然食べた気がしないんだけど。」

「聖水代が余ったらな。とは言えお前の剣はでかいからなぁ、俺の倍は使いそうだ。」

 食事量が少ない事に不満を持つルイーザに対し当初の企画を曲げない響也はそう言うと傷薬等を入れた袋を腰に下げ馬小屋を出る。日の高さから言って恐らく時間は午前七時。と言っても日本とは気候も季節も異なるので目安程度にしかならない。

 三十分程歩くとダミアバルの北門が見えてくる。初めてこの門を見た時は余りの大きさに驚かされた事もあったが、今では見慣れた風景となっている。

 門番の兵士に挨拶を済まし、更に一時間程歩いた場所にある森。この森は密度が高い為色々な生物が生息しているのが特徴で、野生の鹿や鳥を始め、ゴブリンやケルベロス等もおり、新米冒険者や駆け出しクランの御用達である。

 そんな中響也が一番感心するのはルイーザの剣技である。木が隣接していようと百三十センチを超える刃を引っ掛ける事無く的確にゴブリンを斬る程の腕前には毎度の事ながらついつい目で追ってしまう。

「よく木に当たらないな。」

「剣は私の体の一部だからな。この剣一本に命を全て預けてる分、剣の先まで神経が通ってる。」

 ルイーザの種族であるアレス族は生まれながらに高い筋力を持っている。その為物心がつく頃には戦闘に参加していたり、力仕事をしているのが大半である。無論ルイーザも例に洩れず戦闘を行っていた。

「響也も映像<ヴィジョン>を頼っているだけじゃなく、その剣技を自分の物にしないとな。」

 返す言葉も無いぐらいの正論。普段の素振りもサイコメトリーの映像に合わせて振る事をメインとしている為、形通りには動くが自分で意識的にコントロールしている訳ではない。この剣が無くなった時、剣技を自分の物にしていなければ、響也は二度と今の様に戦う事が出来なくなってしまうだろう。

 木の実や果実を昼食代わりにしつつ三時間。探しては倒すを繰り返していた響也は疲労困憊で切株を椅子代わりに休んでいた。

「ずっと剣握ってたから腕がパンパンになっちまったよ。お前は余裕だろうけど。」

 左手で右の二の腕を揉み解しながら話す響也。本来筋肉馬鹿と言うのは漫画やアニメでネタとして使われるのだが、この世界では体力や筋肉が物を言うので皮肉にも嫌味にもならない。寧ろ体力のない響也は転移した初日に街を見つけられなければ今頃死んでいたと言える。

「余裕だ。まぁ普通の人間なら長時間剣を振る事も無いから当然と言えば当然だが。」

 落ちている葉やボロ布で剣に付いた血を拭いながら返答するルイーザ。血に含まれた鉄分が酸化し錆の原因にもなるので乾く前に拭き取る事で剣を長持ちさせる寸法である。

 休憩を終えると魔物探索を再開。更に二時間程討伐を続け気が付けば陽が大分偏って来ていた。

「ルイーザ、今日はこの辺りで止めよう。聖水を買わないとだ。」

「そうだな。聖水は教会で扱ってる物と店で売っている物があるが、どっちが良い?」

「何が違うんだ?」

「教会のは頼んだら用意してくれる。店のは鮮度の様な物が落ちている分安く手に入る。」

 聞けば、教会で買ったは良いが使わなくなった聖水を冒険者から買い取り店で販売しているらしい。古い聖水は浄化効果も薄れ、ただの水にもなってしまうらしい。

「十マルクなのは店売り価格だったのか。教会だといくらなんだ?」

「二十マルクだ」

「やっぱり安いなオイ。」

 二倍の値段だとしても最初の想像していた物より遥かに安い為再びツッコミを入れる響也。この世界では日本円に直すと一マルクが大体十円。つまり二十マルクで約二百円と言う自販機の飲み物に毛が生えた程度の値段となる。

 話し合いの結果、一日で駄目になる物ではないので当日に買いに行くのならば、その時間を移動に使用し、暗くならない内に調査を済ませようと言う事になった為、ダミアバルに戻ると二人は北門に一番近い教会へと足を運ぶ。

 白く塗られたレンガ造りの教会に入ると、広い聖堂の様な場所に出る。

「こっちだ響也。」

 映画でしか見た事の無い聖堂を目の当たりにし動きが止まった響也を入口横のカウンターへ招くルイーザ。

「聖水が欲しいんだけど。」

「いくつ必要になられますか?」

 シスターの問に会話が止まるルイーザは響也へ何本必要かと尋ねたが、一本どれ位の量か分からないと返答が来る。

「こちらの瓶に入ります。」

 二人の会話を聞いていたシスターが丁寧に現物の瓶を掲示する。その手に載せている瓶は響也が想像していた物より小さく、肉体疲労用の栄養ドリンクと同じ程の大きさである。この量で二十マルクとなると非常に高価な代物になる。

「すぐに作れますか?」

「いえ、本数にも寄りますが三十分程お時間を頂きます。」

「なら丁度良い。十本作ってください、その間にギルドへ報告してお金を取って来ますから。って事でルイーザ、ここで待っててくれ。」

 手持ちの額も少なく時間の節約になると思った響也はそう言うとルイーザの返事を待つ事無く協会から出て行きギルドを目指した。

「全くしょうがないな。私は待つのが得意じゃないのに。」

 腕を組み、若干不貞腐れながらルイーザは近くの椅子に腰を掛けると、丁度正面にあるステンドガラスが目に入り眺め始めた。そのガラスは三日月の下で白い服を着た女性が座っている者に手を伸ばしている様な作品で、理由は分からないが何故か暫く見ていられる物だった。

「アレは聖母アンナ様が干ばつで飢えた民に水を差し出している物です。この出来事によりアンナ教は水を重んじており、水こそが生命の源と考えられております。」

 又しても気遣いで説明を始めるシスター。それを聞いたルイーザはステンドガラスから目を離す事は無く「へぇ。」の一言だけ返すが、一呼吸して再び口を開く。

「もしかして聖水を受注生産するのもそれが原因?」

「はい。聖水は正しく私達の命の源。一滴たりとも無駄にはしたくないのです。」

 聖水の有難みを知らないルイーザは勉強になったと感心し、自分の中にあった価値観を見直す事にした。

「普段から教会とかに来ないけど、やっぱりこういう所に来ると色々考えさせられるな。」

「教とは人其々の考え、その悩みがあなたの人生の助けになる事をお祈りします。」

 そう言うとシスターはルイーザの元を離れカウンターの奥の扉へと姿を消す。『悩みは人を育てる』と言う言葉もアンナ教の教えの一つであり、言葉の意味さえも、どう受け取り解釈するのか悩んで出した結果ならばそれを信じると言う考え方らしい。このようにアンナ教は複雑な考え方をする為、教徒の数は決して多くは無いが、同時に心の拠り所として参拝に来る者も少なくない。

 二十分程経った頃、再び教会の扉が開かれ肩で息をした響也が転がる様に飛び込んで来る。どうやら待たせるのは悪いと思い走ってギルドへの往復をしたらしい。

「思いの外早かったな。報酬いくらだった?」

「九百・・・五十・・・マルク・・・・・八グラン。」

 呼吸が乱れて聞き取りづらいが九百五十マルク八グランと言う二人で狩った割には思いの他少ない金額である。

「聖水は十本で二百マルクだから残りは・・・。」

「七百・・・マルクは・・・残る。」

「疲れてても計算早いな。」

 変な所に関心するルイーザに対し若干の怒りを覚えた響也だが、息切れが酷く怒鳴る気にもなれない。

「お待たせ致しました。聖水の用意が出来ましたのでこちらへどうぞ。」

「こっちも早いな。代金は二百マルクだったな。」

 奥の扉から聖水をトレーに載せた状態で戻ってきたシスターに対し、響也が持っていた財布をぶっきら棒に取り上げ支払いを済ますルイーザ。その時、今度こそ一言言ってやろうと顔を上げる響也の正面にシスターが水の入ったコップを差し出す。

「こちらをどうぞ。代金は頂きませんので。」

「大事に飲むんだぞ響也。アンナ教は水を重んじる宗教だ。」 

 汗だくで体は水を欲している為有難く水を頂戴し、喉で音を立てながら一口ずつ飲み込んでいく。その水は程よく冷えており、カラカラになった響也の喉を潤し始めた。軽いマラソン程度の運動ではあるが、北の森での討伐時に水袋の水は全て飲み干し水分補給が満足に行われていなかった為、口にした水の味は格別であった。

「まるで、先程話していた聖母様の様だ。」

 ルイーザはふと思い出し口にするが、シスターは慌てて「滅相も無い。」と否定しながらも響也と同じ様にルイーザへコップを手渡す。その水も今まで色々な食料や飲料を口にしてきたルイーザの舌も唸らせる程の味である。

 水に満足した二人は聖水の小瓶を割れない様鞄に押し込めると、水のお礼と水への感謝をシスターに伝え教会の外へ向かう。

「アンナ様のご加護があらんことを。」

 シスターの言葉に軽く手を上げて返事をしながら逆の手で扉を開くと、既に傾いていた陽が軽い夕焼けとなり光が教会に差し込む。

 まるで暗い世界に差し込まれた一筋の光へ旅立つかの様に思えたシスターは、目を閉じ再び二人の加護を祈った。

「聖水は手に入った。って事で早速明日は廃墟とやらに向かうか。」

 聖水の入った鞄を軽く叩きながら話す響也。

「ゴーストが出なければ聖水も使わずに済むが、逆に言えばゴーストが出るならば長居は無用だな。」

 先日ルイーザが話した通り、ただの剣士である二人にとって通常の剣を無効化するゴーストは非常に不利な相手である。剣に塗った聖水が除霊効果を発揮しているだけで、剣その物は全く役に立たない為、飛び道具や魔法と言った遠距離攻撃できる物が最も望ましい。

「期限はあと四日。朝になったら出発して、到着は夜になるか?夜の廃墟とか明らかに出そうだが・・・。」

「随分怖がりだな、お前の世界の男は皆そうなのか?」

「お前の神経が図太いだけだ。」

 ルイーザにツッコミを入れる響也だが、この時只ならぬ気配を感じ咄嗟に剣の柄を握る。

「どうした?」

 殺気に敏感なルイーザは全く気付いていない様子。場所は分からないが誰かに見られつつ変な気を感じた事を伝える響也だが、ルイーザは殺気ではないから問題ないだろうと能天気な返事をする。

 そうこうしている内に気配は消え、響也の跳ね上がった心拍数も正常値まで落ちる。今感じた気配は何なのか分からぬまま、後ろ髪を引かれるような思いと、気味の悪さを引きずりながらギルドに向かい再び歩き出す事にした。

 結論から言うと、この日は再び変な気配を感じる事は無く、ギルドの食堂で食事を済ませた後は銭湯に向かい、ここ数日分の汗や返り血を洗い流す。今思えば凄まじい臭気を放ちながら病院へ行っていた事を思い出し、馬小屋暮らしで鈍った自分の嗅覚を怨む響也。

 王都ともなると脱衣所内で営業している洗濯屋があり、衣類は風呂に入っている間に洗濯出来ると言う非常にありがたいサービスになっている。とは言え、洗濯から乾燥まで行う為、着るものが無く必然的に長風呂になる。しかも脱衣所には魔石を利用した冷蔵庫の様な物を所有する売店が存在し、マッチポンプの如く売り上げを伸ばしている。

 風呂では身分や種族の差は無く、黒髪の響也ですら入浴は許可されており、現在王都内で馬小屋を除く唯一フードを被らなくて良い場所なので、金さえあれば毎日でも通いたいと思う響也ではあるが、今の暮らしではまだ夢の話。

 乾燥も終わり、ごわごわになった服に再び袖を通す。この服はこの世界に来た当初世話になった宿の娘カレンから送られた物で、響也が大事にしている物の一つである。

「相変わらず遅かったな。暇だったからパンと果物を買っておいたぞ。」

 銭湯から出ると買い物袋を抱えながらリンゴを食べているルイーザに声を掛けられる。ルイーザが着ている物は『防具』と呼ぶに相応しく、服と呼べるのは鎧の下に着るシャツと、ショートパンツ状のズボンだけである為、洗濯乾燥が異常に早い。

「ありがとよ。明日の分はそれで良いとして、明後日の飯買いに行くか。」

 礼を言いながら歩き出す響也。街中に居る分には数日持つパンであっても、旅となると日光や、所有者の汗等から来る湿気で長持ちはしない。その為街を出る時は乾物や火の調理を前提とした物が好ましい。

 近くの店で胡桃、オートミール、干し肉を購入し、綺麗になった体で馬小屋まで帰って来る。綺麗になってからの馬小屋。この感覚に慣れてしまった響也も改めて「嗅覚がおかしくなったのはこれが原因か」と感じながらも『我が家』と言う名の馬小屋に入る。

 今の二人は今回の任務が運命を変える日である事を知る由もなく、陽が落ちると共に眠りについた。





評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ