力の差
それは、ほんの一瞬の出来事だった。
俺は、一瞬にして地中奥深くへ落ちてしまったのだ。どうやら、ここに落とし穴が仕掛けてあったらしい。
いやでも、これはただの手の込んだ落とし穴じゃないようだ。
なぜなら、ただの落とし穴にこの俺が引っかかるわけないもん!
そういうわけで、落ちてから数秒でこの落とし穴は魔法によって細工された罠、落とし穴だと確信している。この罠、さらなる追撃はあるんだろうか。
普通に考えて、これはエルニーニョの罠……だろう。
迂闊だったぜ。
あいつの外道っぷりを目の当たりにしてつい冷静さを失ってしまった。うーん、なんともダサいな。まあ、とりあえず脱出が先決か。
とりあえず、上を見上げる。
俺が落ちたのは地中のだいぶ深くだ。
かなり上の方に穴が見える。
並の人間ならこのままここから出られないだろう。魔法を使えばいけるかもしれないが。
とにかくこの落とし穴が捕らえる目的を持った罠ならば、追撃は何もないかもしれない。
まあ、様子見しつつ脱出しよう。
と、そんなことを考えていると上から大男が顔を突っ込んで何やら叫んできた。
「てめぇは、馬鹿だぁぁぁ! だからぁぁ、じゃますんなっていってたのによぉぉ! この仕掛けはお前みたいなただの雑魚にゃあ勿体ねぇくらいの代物なんだよぉぉぉ! 」
何を言ってんだあいつは?
声がでかすぎて何も聞こえない。
多分物凄く心配してくれてるんだろうな。ほんとうにいい奴だなお前。悪魔の目に涙が浮かびそうだぜ。
「心配ありがとよ、おっさん。あ、でも今から上出るからそこどいてくれ! 」
俺の発言に対し、大男はなおも叫んだ。
「何馬鹿なこと言ってんだてめぇは! この中は、魔法が使えねぇんだよ。 それでどうやって上でてくるんだよぉぉ! このいかれた野郎が!」
今度は聞こえた。なんか、このおっさん心配してくれてるんじゃないみたいだ。なんか怒り方の種類が違う。
ところで俺は魔法を使おうとしてみる。俺の場合、無詠唱で念じれば魔法を使えるはずなんだが、確かに使えない。体の外に魔力が出てこない。この落とし穴は、無理やり魔力の流れを止めるようなそういう仕様になってるらしい。
相当高レベルの代物だ。
残念ながら俺でも、この中では魔法を使えないらしい。
で? だからどうした。俺には焦りなんてこれっぽっちもない。
何故なら俺にはーー。
と、 大男だけでなく周りのたくさんの人々も出てきて俺を罵倒し始めたようだ。
凄まじい数、勢いで俺を呪っている。
え?俺ってなんかしたのか?
俺ってお前らを助けてやってるいい奴じゃねえの?
まあいいか。 そんなの関係ないな。俺のやりたいようにやらせてもらう。
「お前なんてこの中入っても入らなくても大して変わらねぇだろうが! お前の魔法なんてたかが知れてるんだよぉぉ! 」
外ではさらに罵倒が続く。
どうやら、この罠、街の連中が仕掛けたものらしいな。領主エルニーニョに一発逆転する秘策ってのは、これか。確かにこれで魔法を使えなくなれば、あいつはただの生身の人間になる。大幅な弱体化がのぞめるだろう。
その場合奴はここから出れまい。だから、後は餓死させるもよし、上から土をかけて生き埋めさせるのもよしってことか。
そりゃあ確かにちと邪魔しちまったな。まあ作戦に気づいても、明らかに俺の方が勝率が高いがな。
と、街人の罵倒で完全に埋もれていた存在が、ついに口を開いた。
「お前ら、この私の前で随分と元気がいいではないか。いいぞ、いいぞ。面白いぞ。さあ、お前ら列を作って並べ。長蛇の列を作れ。取り敢えずお前らを死なない程度に一人一人痛ぶってやるからな。楽しみだなぁ、ふへへへへ」
気味の悪い声。
さっきの怒りが再燃する。
だが、俺に焦りはなかった。
何故なら俺には、この穴を出るのに魔法なんて必要ないからである。目覚めた時、魔法を使わないで出たからな。
俺は足に力を込め、力を貯める。
そして最高のタイミングで力を解放した。
悪魔の跳躍舐めんなよ。
目にも留まらぬ速さで俺は宙を飛んでいく。
推進力は俺の脚力のみ。
でも、それは余りすらあって地上を追い越して空中に舞い上がる。
コンマ数秒の後、俺はエルニーニョの目の前に、街人の前に、降り立った。
「俺が列の一番目だ。 そして、てめえを逆に殺してやるよ 」
場は騒然。
エルニーニョも、周りにいた者も皆唖然としている。
彼らの目には俺が一瞬でここに現れたように見えたのだろう。
「てめえ、今どうやって上がってきた? 」
大男も困惑しているようだ。まあ、人間なら到底できない芸当だから無理もない。俺はそれには答えず、前にいるエルニーニョに目を向ける。
エルニーニョは少し驚いている様子だが、余裕な表情は崩さない。
今もその悪人面に不敵な笑みを浮かべている。
「この私を殺すだと? ハッハッハッ! そんなことをこの私に言ったのはお前が初めてだ。 俺に楯突いたアホはこれまではいなかった。俺が何をしようが、誰も止められない。 仕方ないこと。 世界がそう定めたんだ!ハッハッハッ!」
エルニーニョは一人で爆笑している。
ならば、その世界の定めとやらに従ってもらおう。世界は言ってるぞ。お前の命運は今ここで尽きることになるのだとな。
「そうか。そりゃあ残念だ。 お前のオツムがな 」
「その強気の仮面が剥がれ落ちる瞬間が楽しみだ。どんな心地良い絶叫と懇願をしてくれるんだろうか 」
エルニーニョは先程とは打って変わって赤子を宥めるような優しい声で撫でるように言った。
異常だ。
元々こんなやつだったのか、力が強すぎたが為にこうなってしまったかは、知らない。
まあ、どっちにしても。
と、その時シュヴァの声が心に囁きかけてくる。
( 街の人達にはあまり見られない方がいいワン。 正体がバレてしまうかもしれないワン )
はっと気づいた。
確かにその通りだ。圧倒的な力を目の当たりにすれば街の人は俺の正体が人間でないことに気づいてしまうかもしれない。 その可能性は十分ある。そしたら、面倒なことになる。
じゃあどうするか。
ここからエルニーニョだけを連れ出すか。
でも連れ出す時点でもう力の差が見えてしまうかもしれない。
それだと面倒臭い。
上手く力を見せずに誘導できるか? 俺はそういうの向いてない気がする。
と、いい案が浮かんでくる。
俺は怒り狂うエルニーニョを差し置いてリーベを呼び寄せる。
そして周りには聞こえないようにリーベに囁いた。
「妖精はその鱗粉で人間を眠らせることができるよな。 また、お前を頼ることになっちまったな、それを今すぐ実行してくれ !」
するとリーベは少し満足げな表情を見せた後かなり空高く飛んでいく。
少しだけ時間を稼がなくては。
エルニーニョの方に再び目を向けるとどうやらこいつ既に魔法を使っているようだ。余所見しているやつの方が悪いということだろう。満足げに薄気味悪い笑みのような憐れむような表情を浮かべている。
「苦しいだろう。 でもお前の固い固い意志は、こんなもんじゃ動かないよな。もっともっと苦しむ表情を、頑張って耐えてる表情を見せてくれ 」
「そうだな。こんなもんじゃあ俺の意志は動かねえ。 もっとくるしめねぇとな 」
俺は苦しみを我慢しているように演技する。
だが、実は俺は何も感じていなかった。 苦しみどころか魔法が働いていることすら感じない。
悪いが格が違う。彼の魔法は俺には届かない。
「いいぞ。 もっと耐えてくれよ? 少しはこの私を楽しませてくれよ? 」
エルニーニョはさらに力を込めているようだ。
表情に力が入り始めている。
かなり力を出しているのではないか。
だが。俺には届いていない。
「こんなものか、エルニーニョ。 全然だぞ 」
俺は少し苦しそうにエルニーニョを煽る。
と、エルニーニョの表情がだんだんと険しくなってきた。
そろそろか。
そう思った時、上空から声が響いてくる。
「べリィ! 完了しました 」
よし!
俺は演技をやめ、普通に背筋を伸ばして立ち上がった。こんなものもう無意味だ。
「もうお遊びはおしまいだ、エルニーニョ。 今からここでお前を消させてもらう」
俺は静かに死刑宣告する。
エルニーニョは俺の突然の余裕ぶりと周りの様子に気づき驚いている。
「まさか、効いていなかったのか!? いやハッタリだ! あ? なぜ周りの者がみな眠っているのだ。 魔法か!一体なんのために」
先ほどまでの余裕の表情が、少しずつ歪み始めている。
不安からか疑問を連発している。
「お前を殺すところを周りの人間には見せたくなかったからな」
俺は隠さず答えてやった。どうせ死ぬのだ、教えてやっても何も問題はない。
エルニーニョは信じられないという表情をしている。
いや、信じたくないのかもしれない。
「本気で言ってるのか? この私を殺す? この世界で最強のこの私を? この世界の主人公たるこの私を! ふふふ、そうだ。お前は余裕ぶってはいるがそこからは一歩たりとも動けないんだろ?」
その言葉は虚しく、俺は軽々と動いて見せた。
「俺は全然苦しくもなんともないぞ。いや、苦しいどころか何も感じてねえ。 てめぇはただの狂ってるだけの雑魚だ 」
それを見てエルニーニョは訳がわからないという表情をしている。
まあ、無理もないだろう。人間に俺みたいなやつはいないだろうから。
実際に自分の魔法が効いていなかったとわかってしまったのだから。
だが、エルニーニョはそのままでは終わらなかった。
一転してエルニーニョの表情が怒りに変わる。そして、大声で喚く。 空気が震え、赤黒い魔力が体から溢れだした。この量、質ともに化け物だ。そして、どれだけ歪めばこうなるのか。
「この私がっ! 雑魚だと!? ああ、イラつく、心底! この私にこんな嫌な気分を与えるとは、いい度胸だ! この雑魚が! ただで……死ねると思うなよ。この私をイラつかせたからには、地獄よりもひどい苦しみを味あわせてやる。グチャグチャにして再生してまたグチャグチャにして再生して何千回何万回死を味あわせてやる。 毎日毎日俺がお前の苦しみの相手をしてやる!」
エルニーニョの表情はこれでもかというほど歪んで、その身体からは赤黒い魔力が溢れ出している。
最後の馬鹿力といったところだ。
大きい広場をその膨大な量の魔力が覆い尽くした。
「すごい嫌な感じがしますっ! べリィ大丈夫なんですか?」
リーベが苦しそうに叫ぶ。この禍々しい魔力に耐えられないのだ。彼女は、高度を維持できず落ち始める。シュヴァは落ちてくるリーベをその背中で受け止めて、そのまま走って広場から離れていった。
(後は頼むワン! )
眠っている人間たちも今この禍々しい魔力によってもがき苦しんでいる。悪夢を見ているのだろう。
まさに地獄絵図だ。地獄のような光景。
この世の人間ならば全員そう形容するだろう。
が、しかし。
残念だったな。
俺には少しも通じない。
俺とエルニーニョとの距離は数メートル。
その距離は遠いように思えるかもしれないが、俺にとってはーー。
一瞬の後、エルニーニョは俺に頭を鷲掴みにされていた。
エルニーニョはどうしてそうなったのか理解できていない。
人間には、認識できないから仕方がない。
文字通り彼は一瞬で間合いを詰められ気づいたら頭を掴まれていたと感じているだろう。
俺はお前みたいに苦しめる趣味なんてない。 だから一瞬で終わらしてやる。
エルニーニョが恐怖で顔を歪ませる。
そして最期に情けなく命乞いする。
「お前は一体! 頼む!殺さないでくれ! 頼むよ! 私はーーーー」
彼の言葉は最後まで紡がれない。
その言葉の代わりに広場にはグシャッという頭が潰れる嫌な音が鳴り響いた。