勇姿
ベリアルを置き去りに、都市に戻った爺さんは、誰もいない路地にて、大きく息を吐いた。
自分のやるべきことは定まっているが、とにかく時間がない。今は、逸る気持ちを、無理やりに押さえつけることが必要であった。
五感の機能を大幅に上昇させ、静まる夜の都市のどこかに浮かぶはずの波紋を探る。
空気の動き、大地の振動、微量ながらも感じられる魔力の流れ。それらを的確に感じとって、総合して、波紋を見つけ出すのだ。
ここまで集中したのは、本当に久し振りで、体力の消費は夜通しの研究などと比較するのもアホらしい。
胡座をかいて、目を瞑る爺さんの表情は、疲労とともに険しいものへと変化していっていた。
一一一この歳では、もはや都市中の全体像を的確に把握するのは不可能か。
闇雲の空間転移が得策ではないと承知の上で、それに頼ろうと、そう決意しかけた瞬間だった。
安らかなる眠りについていた都市に、轟音と大地の衝撃が伝わって来る。
「ロアッソ! そうに違いあるまい!」
爺さんは、轟音と振動を聞き、感じるやいなや、ロアッソの存在を確信した。
瞬時に、居場所を特定する。
そして、考える間も無く、空間を跳んだ。
ほぼ一瞬の、全身が激しく揺さぶられる感覚に続いて、視界が切り替わる。
彼は、この都市のどこへでもイメージした場所へ間違いなく転移することが可能だ。その精密さは、類稀なる才とこの土地での生活に所以する。
だから、彼の捉えた視界は、景色は、いつものような、彼が瞬時にイメージした場所であるはずだった。
広めの石畳に、両端になんの変哲もない建造物が立ち並んでいる、そのはずだった。
一一一だが。
「…………」
目の前の光景に、爺さんは完全に言葉を失っていた。
信じられないといった表情で、自らの立つ地面を、整然と並ぶ建造物を見回す。
一一一これが、魔剣の到達する力による被害。
想像の場所は、少し前までここにあった場所は、見るも無惨に崩壊していた。
ぁあががあわわわあぁぁ!
景色に衝撃を受けていると、続いて聴きたくなかった、人のものとは思えない声が耳に届いて来た。
背後からだ。崩れ去った瓦礫を避けて、背後で“何か”が立った。
その何かが発する声も、気配も、おどろおどろしく異質で、近くに立っているだけで、気分が悪くなってくる。背後から放たれる鋭い殺気。ジリジリと背を焼く、呪いのような視線。圧力。
完全に圧倒されて、屈服してしまいそうになって、一瞬爺さんは膝を折った。
が、直ぐにしゃんと立ち上がる。
「いや、儂がここへ来た目的。それを忘れるな」
小さい声だが、その強い口調は、自らに言い聞かせるようなものだった。自らを奮い立たせる。
彼は、背後に立つ、“何か”の正体を知っている。
物凄く身近な存在で、そして特別な存在だ。
彼女は、彼の考えや生き方を変えた存在なのだ。
彼は勢いよく振り返った。
その所作には、弱い自分と強い自分のせめぎ合いなど微塵も感じさせない。
モザンとアレクシスの攻撃を受けて、それから魔剣の圧迫感はより一層増していたのだが、その圧迫感に、爺さんの覚悟が勝ったのだ。
だが、そんなことはいまや関係なかった。
ここからが、一か八かの勝負なのだ。
(可能性はゼロじゃない。その証拠に、ロアッソは、儂が振り向くまでの間、ただ傍観していた。魔剣のその妖しい煌めきは、未だ魂を欲しておると見受けられるのに)
と、我慢を解放するように、遂に魔剣が爺さんに襲いかかる。飢えた狼のように、真っ直ぐに爺さんへと向かってきた。
この世界とは比較にならないほどの魔力を有した、魔界から召喚された魔剣は、所有者の身体機能に大幅な変化を与える。所有者の身体機能は、もはや人間のそれではない。
だから、魔剣を持つロアッソが、石畳を蹴って直進し始めてから、爺さんの懐に到達するまでは、ほんの一瞬の出来事だ。
開いていた距離などものともしない刹那。
だが。
爺さんはにやりと口元に笑みを浮かべると、何やら言葉を早口で唱えた。
次の瞬間、爺さんの時間が周りを置き去りにして、加速する。人の干渉能力の限界を超えた時間操作能力。
勿論、魔力消費も、それに比例した体力消費も物凄いものだ。
さきほどの空間探知が、魔法発動中の継続を困難とする体力消費・魔力消費であるのに比べて、この魔法は発動後のそれに強く影響を与える。
未だに爺さんの体内には、莫大な魔力が残っているものの、体力は限界に近いため、何度も便利にこの魔法を発動させることはできない。
だが、それでいいのだ。
「汝、邪悪なるものに一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一聖霊の力を一一一一一一一一一一一」
長い詠唱を、精神を安定させて行う。周りから意識を完全に切り離す。
疲労と緊張で、荒ぶる心臓を無理矢理に落ち着かせて、呼吸を整えて、その詠唱に全力を込める。
一一一彼女を救い出す。そのためには、この方法しかない。
決意は固まっていた。
◆
モザンとアレクシスは、一体何が起きたのか理解できずにいた。
アレクシスの攻撃に注意を引きつけ、モザンの攻撃を直接食らわした筈だったのに、気づけばこうして敗北していた。彼らは、魔剣を刺激したに過ぎなかったのだ。
二人の身体は、石畳や石壁に強く打ち付けられ、瓦礫の崩落にあい、もうボロボロだった。
なんとか死なずに済んだのは、流石は龍殺しだと言えるだろう。
アレクシスは、痛む身体を動かして、なんとか顔を上げる。身体は動きそうにないので、転がったまま首を回すと、少し離れたところでモザンも同じ状況でいるようだった。
アレクシスは、彼を見て少し安堵するが、直ぐに視線を他に回した。
今は安堵などしている場合ではない。
すぐに魔剣が、動かなくなった自分達の魂を刈り取りにやってくるはずだ。
今はとにかく、それに対処することを考えねばならない。
と、アレクシスの視線がある一点で止まった。
視線の先には、深まる夜の闇より確かに深い闇が存在していた。
あの異質な闇は、魔剣であると直ぐに確信する。
かなり吹っ飛ばされたらしく、距離はある。
だが、奴の人を超えた身体能力ならば、こんな距離すぐに追い詰められるだろう。
間に合うか分からないが、すぐに身体に治療を施さなければ、とそう思った瞬間。
人外の、龍の咆哮以上の威圧感がある声が、夜の都市に鳴り響いた。
その威圧感に思わず、背を丸めて、下を向いて怯んでしまう。
諦めのような言葉が浮かんできた。
「何をしようが、あんな化け物には勝てない。人間には絶対に勝てない」
思わず口に出していた。弱音を吐いたことにハッとするが、強ち間違いでもないと思った。彼の心は、その咆哮によって圧倒されてしまっているのだ。
「アレクシス! 早く、身体を動くよう治療するのじゃ! 奴の前に、一般市民が一人で立ちおった。儂らがここへやって来た目的を思い出せッ!」
少し離れたところでモザンが叫んだ。
アレクシスと違って、まだ諦めていない、力強い声だった。本能の部分で聞き流そうとするも、なんとか言われたことを理解する。
流してはいけない言葉があった。
一般市民が。あれの前に立っただと。
それはダメだ。死ぬとしても、自分は一般市民を守らねばならない。その言葉で、アレクシスは、完全な怯み状態から抜け出した。
なんとか我に返って、素早く自らの身体に治癒を施す。
青白く発光する身体は、みるみるうちに回復していく。全快とはいかないが、それで十分だ。
直ぐに、比較的軽くなった身体で立ち上がった。
モザンは治癒魔法を使えない。だから、直しに行かなければならないが、今はその時間がない。
「すぐに行くのじゃ!」
力強い声に背中を押されて走り出した。
視線の先、暗闇で気付きにくいが、魔剣の前には確かに人がいた。龍殺しでもない、戦闘職でもない、ただの老人が立っている。
何故その存在に気づかなかったのか。自分の未熟さが嫌になりそうだ。
モザンは共闘できる状態ではない。他の龍殺しの協力もない。
そもそもあの老人は何故あそこに立っている。もしかしたら、魔剣召喚に関係する敵なのかもしれない。助ける必要などないのかもしれない。
次々に浮かんで来る弱気で否定的かつ消極的な考え。
彼は走りながら、強く頭を振った。
ここまで来れば、そんなことは関係ないのだ。
覚悟を決めるしかない。
あの老人を信じて、そしてあの老人が魔剣によって、魂を刈りとられないよう、守るのだ。
彼は、段々と老人へと近づく。
老人のその立ち姿は、一切怯むことなくしゃんとしていて、その表情は暗闇で見えないにもかかわらず、アレクシスの脳裏にはっきりと浮かんだ。
強い覚悟を決めた表情。
一体、何を覚悟したというのか。
彼の進むスピードは、並の人間と比べれば、かなり速かった。でも、その速さは、人の域をでない。
魔剣の所持者の異常なスピードには到底及ばない。
老人と魔剣。老人とアレクシス。アレクシスが、魔剣と老人までの距離と、同じくらいの距離に入ろうとしたその瞬間に、魔剣が構えた。
下半身に力を溜めて、そして豪快に石畳を足で蹴り崩して、矢のように真っ直ぐと老人へと突っ込んでいった。
(速い! これじゃあ、到底追いつけない! あの御老人が助からない!)
心でそう叫びながら、走るアレクシス。
彼は、まるで自らが泥沼に足を取られているような錯覚に陥る。全力で走っても、こんなにも遅い。障害に阻まれて、これ以上早く進めない。意識だけが、どんどんと先へ進んでいく。
一方であの魔剣は、身軽だ。障害など何処にもない。
そもそも、土俵が違うのだ。身体強化など限度がある。スピードに特化した特殊能力を持たぬ限り、土俵が違う。
一一一そうか。それならば、諦めもつくかもしれないな。
人間に、この壁を越えることは出来るはずがないのだから。仕方がないとしかいえない。
老人は、全く動こうとしない。
出で立ちそのままだが、魔力による壁を作るわけでもない、攻撃を直接受けてしまうような状態だ。
確定された死。
そう連想したアレクシスは、曇ったような音の鳴り響く、加速する意識の中で、確かに見た。
老人の口元が、素早く何かを唱えた。
そして、その直後、加速する意識さえも、魔剣の人外のスピードさえも、置き去りにして老人の魔力が流れるのを見た。
アレクシスが瞬きをして、開いたその時。その瞬間。
光と闇の鋭い衝突が起こり、大地に衝撃が、空気に振動が、夜の闇に一閃の稲光が、甲高い音が鳴り響いた。
アレクシスは、その衝撃で、走る向きとは逆方向へと飛ばされる。
尻餅をついた状態で、状況を把握する。
目の前、老人と魔剣が渡り合っていた。
魔剣は、その身体能力で闇雲に老人に攻撃を仕掛ける。その攻撃を、文字通り一瞬のうちに展開した魔力の壁、防御結界により防ぎ続けていた。
二つの相反する属性がぶつかり合う度に、周囲に衝撃を与える。レベルの高さが垣間見えた。
アレクシスは改めて、そこにしゃんと立つ老人に目を向ける。
相当歳をとっているが、明らかに自分よりも上の存在。いや、龍殺しの誰よりも上の存在だ。
(あ、あの人を、守るだと?)
違う。間違っている。笑える冗談だ。
むしろ逆で、自分たちがあの人に守られたのだ。魔剣に反撃を食らって気絶しかけた自分達を、本来ならばすぐに魔剣がとどめをさしにやってくるはずだった。
にもかかわらず、こうして先程猶予があったのは、この老人が魔剣の前に立ったお陰だ。
(いったい、あの御老人は何者だ?)
自分が諦めた速度の壁を悠々と越え、魔剣の攻撃を完璧に防ぐ結界を張り巡らせてみせた、化け物じみた老人が、そこに悠然と立っている。
王国に伝わる長い歴史の中で、このような人がいただろうか。このような力を持ってすれば、世間に名が知れ渡っていないことの方が不自然だ。
だが、記憶を辿っても、このような強者が王国にいるとは聞いたこともない。まして、この領内にこれほどの人がいるなど。
一一一天涯孤独の賢者。俗物全てを捨て去り、魔法のみを研究し、鍛錬し続けた賢者。
名誉も捨て去り、歴史に名を残すことも世間に名を知られることさえも拒んだ、異常ともいえる魔法への執念があるに違いない。
この御老人は、間違いなくそういう存在だ。
「おい、そこの青髪。ここは、儂に任せるのじゃ。お主は、住民の避難をさせた方が良かろう。避難が、意味をなすかは定かではないがの」
突然でアレクシスは不意を突かれた。
少しばかり離れた位置で尻餅をついていたアレクシスに、老人が顔を向けて声を掛けてきたのだ。先程までの集中した顔を崩して、優しそうな、ただの老人の表情を浮かべている。
その声は、アレクシスの想像とは異なっていた。
もっと冷たく感情のこもっていない声を想像していた。だが、老人の声には、確かに温かみが含まれていた。
敵前で、結界が張られているとはいえ、余所見をして声を掛けてくるような超人的老人に対して、アレクシスはある印象を抱いた。
「だ、大丈夫なのですか?」
不思議と、そんな質問をしてしまった。
心配など、するような立場ではない。
それに余所見を心配しての言葉でもない。
ならば何を心配したのか。
自分でもなぜそんな言葉が口をついたのか、アレクシスは理解していなかった。
相手は、人を超える、いやあの魔剣さえも超えるだろう魔法を操る超人だ。
「大丈夫じゃよ。勝ち戦じゃ」
老人は、優しそうな表情を一切崩さずにそう言った。
勝ち戦、その通りだろうとアレクシスは思った。
魔剣は、どんどんと力を溜めていく様子だが、それでも現状では老人の方にかなりの余裕がある。
それなのに、何故なのか。
アレクシスの中を占める、先程まではなかったこの不安感は一体何なのか。
いつからだ。
答えは明確だった。
間違いなく、あの表情を見てから、あの声を聞いてからだ。
賢者という名が相応しい、超人的な魔法を操り、そのうえ人間的な優しさも併せ持つ、さらなる完璧な存在だと、アレクシスは素直にそうは思えなかったのだ。
その温かみは、アレクシスの中の老人のイメージを崩した。超人の中に弱みができたようなそんな気がした。
そして、老人の表情の中で、アレクシスは確かにあるものを感じ取ったのだ。
「もしや、死ぬつもりなのですか?」
遠回りもせず、アレクシスは直感的にそう尋ねた。
全くの的外れかもしれないし、質問などしている時間はない。だが、重要なことだから聞かねばならない。
「死ぬつもりなどないわい。それに、さきも言った通り、勝ち戦じゃ」
爺さんは、脇目も振らず何度も何度も突っ込んでくる魔剣の方に視線を戻した。
嘘は、ついていない。そんな気がする。
「仮に儂が死んでも、お主らに迷惑はかからんじゃろうて。我が弟子に少しばかり迷惑をかけることにはなるじゃろうが」
「弟子……?」
老人の言うことは、断片的なものでよく分からなかった。説明するつもりなどはないようだ。
老人の心境やこれからやろうとしていることの説明を受ける時間もないだろう。
だから、信じるしかない。
アレクシスの中に占める不安感は未だに渦巻いたままだ。だが、それでもこの老人に託すしかない。老人の言うことを信じるしかないのだ。
アレクシスは、老人と魔剣に背を向けて走り出した。
未だ色々な考えが頭を巡っている。
魔剣がこちらに目もくれず、執念深く老人を狙うこと。老人が、戦いの決着を先延ばしているようなそんな印象。表情から垣間見えた気がした死の覚悟。
それらをしまいこんで、アレクシスはやるべきことを決めた。まずは、モザンの元へ、治療を施しにいかなければ。
そして、その後は。 避難を。
自らの戦場で戦うのだ。




