第7話 狼人種の姉妹
狩猟の翌日。いつものように食堂に家族が集まる。
その日の昼食はオラム鳥がメインディッシュだった。塩と香草をすり込み、丁寧に火で炙ったロースト。根野菜といっしょに煮込んだ鳥肉スープ。蒸した鳥肉をほぐして葉物野菜にあえたサラダ。他にパンや山羊のミルク、イチジクといったものがテーブルの上に並んでいる。
母親ロセアが昼食の説明を始めた。
「今日のメニューはオラム鳥が中心よ。これはフェリウスとチェリウムが獲ってきたものを料理したの」
それを聞いた長女フォリアティが、
「へえー。貴方たちがわざわざ狩ってきたんだ。フェリウス、良くやったわね」
フェリウスは得意満面の笑顔で、
「へへっ。これくらいどうってことないよ。大姉が欲しいなら、また獲ってくるよ。ねぇ、チェリウム兄」
「おっ。威勢がいいな、フェリウス。でも、また狩りに行くならアギーラさんに同行してもらわないとな」
父親のコーヌが笑いながら、
「お前たち。アギーラには改めて感謝を伝えておきなさい。さあ、料理が冷めないうちに食べよう。では、食前のお祈りを…… 」
この日の昼食はいつも以上に賑やかだった。
もちろん、話の主役はフェリウスとチェリウムで、彼らはいかに苦労してオラム鳥を獲ったかを話す。フェリウスは手を大きく振り回しながら、鳥の縄張りを見つけることが難しいかを大げさに伝える。ときおり、次兄チェリウムがフェリウスの失敗の様子を暴露しては、家族から笑いがおきた。そんなことないとフェリウスは反論するが、それでも彼の表情はにこやかだ。
たわいのない、楽しげな会話が続く食卓の様子は、まことに幸せな家庭のワンシーンであった。
楽しい昼食の時間が終わると、フェリウスとチェリウムは自室へ戻った。
彼らは机の上にオラム鳥の羽根を並べて、これからの作業について相談を始める。
「ねぇ、小兄。これからどうやるの」
「そうだな。まずはお守りで使えるような綺麗な羽根を選ぶ。痛んでいるものや汚い羽根は取り除いてから、いくつか候補を選ぶんだ」
フェリウスたちが作ろうとしているのはお祝いの品だ。
先日、長女フォリアティの婚約が決まったので、そのお祝いとして兄弟ふたりで贈り物をすることにした。彼らは相談した結果、贈る品は羽根でつくったお守りにする。
そのためにわざわざ森まで出向き、自分たちでオラム鳥を狩ってきた。
お守りにはオラム鳥の羽根を使う。
この鳥は生命力の象徴とされているのだが、その理由は繁殖力が強くて子沢山だからだ。子供を欲しがる母娘たちが、何かに肖りたくなるのは人間の自然な心理であり、その対象がオラム鳥となっていた。
その美しい羽根で作られたお守りは子孫繁栄のご利益があると信じられている。
「小兄はどれがイイ? この三本なんかはきれいだと思うんだけど」
「おっ。フェリウス、それも良いな。でも、こちらの羽根の色も美しくて捨てがたい。けっこう質のよいものが多くて悩むところだなぁ 」
「ねえ、これだけ沢山あるんだから、家族みんなの分も作れないかな」
「うむ。いっそのこと、そうしようか。フォリアティ姉さまの分だけだと、せっかくの羽根を余らせてしまうからな。
どうせ、後でお母さまにお守りの作り方を教わるから、その時に話をしてみよう。家族の人数分を用意するなら、お母さまにも一緒に作ってくれるかも……。うん。そうしよう」
次兄チェリウムは、末弟の案に飛びつく。
母親にお守り作りに参加してもらえれば良い品を作れるだろうと、チェリウムは考えを巡らす。彼は自分が不器用なのを知っていて、羽根のお守りを上手に作成できるか自信がなかったのだ。
せっかくのお祝いの品なのだから質の良い綺麗なものを贈りたい。チェリウムは末弟の頭を撫でながら、自分の考えをまとめる。
ちなみに、次女アンダシアも贈り物を準備中だ。
彼女は紫水晶で首飾りを自作しているが、ひとりで作ることはできないので、祖母マギステアに手伝ってもらっていた。
チェリウムたちが母親に手伝ってもらっても、問題ないだろうと判断した。
「よし、フェリウス。きれいで使えそうな羽根をぜんぶ選べ。舞踏の稽古が始まる前に、さっさとこれを終わらせよう。稽古が終わったら、俺はお母さまに相談してくるから」
「うん。分かった」
彼ら兄弟は、テーブルの上に散らばる羽根の選別作業を進める。
それが終わると、彼らはバタバタと階段を降りて父親が待つ場所へと向かった。
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舞の稽古が始まる。
フェリウスを指導するのは彼の父親であるコーヌである。フェニキアクス家の者は小さいうちから祭祀舞の稽古を始めるのだが、十歳のフェリウスも例外ではない。
今は兄姉たちと共に稽古をしていて、彼の前には長女のフォリアティ、次兄のチェリウム、次女のアンダシアの三人がいた。ちなみに、長兄は既に成人して家を出ている。
コーヌが両手をパンと叩き、
「では、いつもの通りに心身を整える準備運動を始めなさい」
コーヌの指示に従い、フェリウスは準備を始めた。
まずは腹式呼吸。口から息をゆっくり吐き出して肺の中をからっぽにし、吸う息は鼻からで腹をふくらますように空気を取り込む。呼吸を十回ほど繰り返して身体と意識を整える。
「ホゥ」
フェリウスは半眼状態のまま、身体を緩やかに動かす。
この動きは脱力するためのものだ。意識の焦点を頭の天頂から脊髄に沿って首、胸、腹部、腰、尾?骨へと移動させながら、前後左右に身体をゆらす。
ひと通り体幹部を緩めると、次は四肢に意識の焦点を移動させた。先刻と同様に手足をゆらしてこわばりを取り除き、固くなった関節や筋肉を柔らかく解してゆくのだ。
「フゥゥゥ」
次にフェリウスは背筋を伸ばしながら、自分の体軸を整える。
手のひらを上に向けて、目の高さまで両腕をあげ、高さを維持したまま、ゆっくりと左右にひろげる。身体の軸をまっすぐに保ちながら、臍下にある丹田を意識する。膝をわずかに曲げて重心を低く保ち、足裏全体に体重を分散させる。
この間、呼吸は途切れさせない。
呼吸を止めると、身体のあちらこちらに無駄な力がこもってしまう。無駄な力み、つまり不要な筋肉の緊張は身体の自然な動きを阻害するのだ。淀みなく流れるような動きをするために呼吸法は大切なのだ。
ただ、フェリウスはそんな理屈を知らない。
父親の言うとおりにすれば、身体が気持ちよく動くので、そうしているだけだ。彼には舞踊で身体を動かすことが心地よい。知らず識らずのうちに、小さく笑みを浮かべてしまうのだった。
父親のコーヌが師範役として声をかける。
「さあ、身体の状態を確認しようか。まずは、全身の力を抜いて脱力の状態を維持できているか? 次に…… 」
フェリウスが稽古をしている場所は、古い神祠の前だ。
この神祠は大精霊の不死鳥を祀っている。ここら一帯はフェニキアクス家が維持管理をする私有地なのだが、誰でも出入りできる。参拝者する人々のために一般公開しているからだ。
この神祠の隣地には都市の主神殿がある。
その他にも、いくつかの祠や神々の石像が設置されていて、これらが集まって神殿領域を形成していた。例えでいえば、社が幾つもある日本の神社に似ている。
この神殿領域で一番大きい建物が、衛星都市エステンシスの主神殿だ。
人種民族の隔てなく多くの人がこの主神殿へ祈願祈祷しにやってくるのだが、主神殿では世界創造神と祗候神たちを祀っている。ちなみに祗候神とは、この世界に訪れてきた外来の神である。
この世界では多神教が主流だ。
民族ごとに祖霊神がいるし、職種別の守護神、火や風のような自然現象の精霊など、多くの神が信仰されている。それに応えるかのように、神殿領域には多くの神殿や神祠があった。
コーヌは舞踊歩法の見本動作を示して、
「では、最初は歩法の練習だ。いつも言っているが、足の捌きは摺り足で行い…… 」
フェニキアクス家は司祭職を担っている。
彼らは貴族階級だが、同時に神殿域の守護管理役を務めているのだ。司祭職の仕事は祭礼儀式を執り行うことであり、その儀式で祭祀舞は欠かせない。
親子代々、司祭を務めてきたフェニキアクス家では、子供に祭祀舞を覚えさせることは家門の義務となっていた。
祭祀とは神に祈り、魂や命を慰霊することだ。
そこで重要な役割を担うのが祭祀舞であり、これは神様にお祈りをささげて神託を得るために行われることが多い。
神託とは『神の言葉を授かる』ことなのだが、神が直接に言葉を発するわけではない。そこで、神に依代となる人間へと宿っていただく。その依代の身体を通じて、人は『神の言葉を授かる』のだ。
この神を宿すための方法が祭祀舞である。
他に、祭祀舞の目的として招魂や鎮魂がある。
招魂とは死者の霊魂を招き迎えて祀ることをいう。鎮魂とは死者の魂を慰めることだ。それらの儀式にふさわしいのが不死鳥だとされているが、その理由は不死鳥が“死と再生”の象徴だからだ。当然、招魂や鎮魂の儀式では、不死鳥にまつわる舞が多くなり、不死鳥を祖霊とする鳳凰人種の者が鎮魂招魂の儀式で活躍するのだった。
フェリウスたちが稽古しているのも、この不死鳥の祭祀舞であった。
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舞の稽古が終わると、ようやく自由な時間だ。
普段のフェリウスなら、神殿横の広場に行って友人たちと遊ぶのが定例のパターンである。彼らと合流するのが少々遅れたところで問題がない。というのも、たいていは追いかけっこやボール蹴りなど多人数でする遊びだから、フェリウスが後から参加しても楽しめる。
ただ、今日のフェリウスはいつもとは違った行動をしていた。
彼は黒猫の後をついて、街中を歩いていたのだ。もともと、彼は友達と遊ぶため広場へと行くつもりだったが、その途中で黒猫を見つけたのだ。
この黒猫、名前をモティスという。
ただ、フェリウスが名づけたのではなく、猫自身が“モティス”と告げたのだと、フェリウスは主張しているが誰もそのことを信じていない。というか、猫が名乗ったという以前に、フェリウス以外にこの黒猫を見た者はいないのだ。
フェリウスには空想癖があって想像上のお友達がいても不思議はないと、家族は思っていた。彼の家族の者は、少年期の子供にはありがちなことだと割り切っている。
空想で猫を作り上げる彼を、家族の者は頭ごなしに否定はしない。
いずれ、きれいさっぱりと忘れてしまうだろうからと、彼の戯言を軽く聞き流している。
やさしくて、包容力のある家族だといえるだろう。
そんな暖かい家族の思いを知らずに、フェリウスはお気楽に過ごしていた。
黒猫はフェリウスにだけ姿を現し、ぶらりと彼の前を歩いている。
猫の歩みに誘導されて、フェリウスはフラフラと広場へと続く道を外れてしまう。黒猫は、フェリウスが知らない家並みを通りぬけてゆき、薄暗い路地裏、幅の狭い壁の間、垣根のトンネル、初めて通る小路などを歩く。それらは刺激に満ちていて、好奇心旺盛なフェリウスを満足させていた。
黒猫が崩れた壁の穴をくぐり抜けた。
それを追って、フェリウスも四つん這いになり、穴を抜ける。
「あれ? ここは…… 」
そこは、フェリウスに覚えのある火事跡地だった。
オバケ探検でシローグやキャリコーたちと共に訪れた空き地で、焦げた木材や崩れた石壁やらが散乱していた。
あちらこちらに見覚えがある。
崩れた家屋の物陰はフェリウスたちが潜み隠れた場所だったし、倒れた石柱のあたりでシローグがお漏らしをした。少し視線を遠くにやれば、フェリウスが塗料を頭からかぶった場所がある。
「へえ、あの壁の穴を抜けると、ここに出てくるんだ」
フェリウスが感心して改めて周囲を見渡すと、人がいることに気づいた。
ふたりの女の子が倒れた石柱に座っていたのだ。
黒猫は女の子たちに近寄る。
彼女たちは、交互に慣れた手つきで黒猫の頭を撫で始めた。パッと見たかぎり、狼人種の姉妹のようで、顔つきもよく似ており、お揃いの服を着ている。姉のほうはフェリウスと同じ年ごろ、妹のほうは二、三歳ほど年下であろう。頭から出ているケモノ耳がかわいらしい。
フェリウスは彼女たちにあいさつした。
「こんにちは。オレはフェリウス。この黒猫を追いかけていたら、この場所まで来たんだ」
「私はセミナ。こっちは妹のセリナよ。こんにちは。あなた、黒猫と仲良しなの? 」
「うん。ときどき遊んでいるよ。いつも、コイツがいろんな場所を教えてくれるんだ。オレの知らない所をいっぱい知っていて、あちこちに案内してくれんだよ」
「あら、そうなの。私たちも、よく黒猫と遊んでいるわ。じゃあ、あなたは友だちの友だちね」
「そうか、コイツと遊んでいるのか。この黒猫、他の人の前に姿を現さないんだ。だから、モティスのことを話しても誰も信じてくれないんだよね。というか、オレが空想でつくった猫じゃないかって言われるくらいなんだ。
あっ、モティスってこの猫の名前ね」
「へぇ、黒猫はモティスって名なんだ。でも、黒猫とはときどき遊んでいるから、空想上の存在じゃないわ」
「よかった。そんな風に言ってくれる人がいるなんて。オレ、このモティスのことを話すと嘘つき呼ばわりされることもあって、ヘコんでしまうよ」
「あら、アナタは嘘つきじゃないわ。だって、私たちは黒猫とお友だちなんだもの」
彼らはすぐに仲良くなった。
フェリウスは人見知りしないし、狼人種姉妹のセミナとセリナはおしゃべり好きだ。どちらのほうが、先に黒猫と仲良しになっただとか、歌が上手なのは自分のほうだとか、他愛無い話が続く。
そのうち、フェリウスたち三人は歌ったり、追いかけっこをしたりする。
夕方になるまで、彼らは楽しく遊び続けた。
いつの間にか、姉妹の母親がいた。
彼女は崩れた柱跡に座り、姉妹とフェリウスを見守っていたのだ。姉のセミナが母親に気づくと、フェリウスに告げた。
「もう夕方になったのね。お母さんが迎えにきたわ。フェリウスと遊んでいると、あっという間に時間が過ぎちゃう。本当に楽しかったわ。また、遊ぼうね。」
「ん。また遊ぼ! 」
「そうだね。また来るからね」
セミナとセリネは母親へと駆け寄った。
母親を真ん中にして、母娘三人で手をつなぎ、フェリウスと一緒に遊んでいたことを、姉妹は笑顔で話す。姉のセミナが振り向いて、フェリウスに別れのあいさつをする。彼女たちは崩れた壁の奥へと消えていった。
フェリウスは手を振り、また来るねと母娘に告げる。
彼の一日は、こうして平穏無事に終わるのだった。