誕生日その2
カウンター越しにコップを磨きながらマスターが尋ねた。
「どうしなさるおつもりで?」
左手で頬杖をつきながら木嶋はため息をついた。どうしようか?聞き返したところで返事が得られない事はわかっていたのだが…
「私に言われましても。」
白髪オールバック、後ろで三つ編みに束ねた初老のマスターは微笑みながらそう答えた。
「ただ、子育ても悪くはないですよ。私は4人おりますゆえ。多少向き不向きはあるかと存じますが…、しかし、まるで立場が逆ですな。どちらかといえば彼女が焦っているようにも見えます。まだお若いのに」
確かにその通りだ。三子はまだ24歳、法廷年齢まで6年はある。いまどきにしては珍しく、若くして子供をほしがっている。口では育児なんて!とか言ってるがまんざらでもなさそうだ。早くノルマを果たしたいという合理的な思考なのかもしれないが、どこかで焦っているようにも見えた。
フロアに出てくることはまれだが、マスターの娘の一人はこの店にいて厨房で調理を担当している。他の三人は家は出たようで、見ることはない。
日曜日だというのに彼女に置いてきぼりにされた木嶋はしばらく店に滞在したものの、場所を移動することにした。よっこらしょ、デイバッグを背負い歩きながら、子供か…と空を向きぼやいていた。強い日差しの中、近くの公立こども園「あざらしといるか」に足がむかっていた。こども園の中には休日でも数人の子供が見えた。一人のこども教諭が木嶋を見つけ笑顔で尋ねた。
「子育て体験プログラムの受講でしょうか?」
若い男性はパンフレットを渡そうとしながらそう言った。いや、まだそこまでの踏ん切りはついてないんだと説明をしたが無理やりパンフレットを渡され見学を勧められた。
「桃紙はお届きでしょうか?あ、やっぱりそうなんですね。そういった方多いです。一種の踏ん切りには良い制度だと思います。私は生業としておりますが、やはり子育ては人として当然の義務だと思いますね。もし気が向きましたらいつでも体験は受け付けておりますので…、そうそう、来週にでも…」
饒舌かつ美声の男性は歌うように揚々と語った。やや気押されしながら、いやまた今度…と出ていくことにした。子どもをほとんど見ることも触ることもなく。
外に出てパンフレットをしまおうと背中の黒いデイバッグをおろす。ズシッ、ファスナーを開けると中には赤い箱がある…、三子からの誕生日プレゼントだ。開けてみるか。手に取るとかなりの重さだ。リボンを紐解き包装紙をバリバリと破いて出てきた段ボール箱には「tenitol」大手通販サイトのロゴが記載されている。箱をあける。
中から出てきたのは分厚い本が3冊「命名辞典ナヅケール」「開運命名法」「つやつやな名前を赤ちゃんに」…どんだけ乗り気だ。30歳の誕生日プレゼントの定番となっている名付け辞典だが、三冊。どおりで重いはずだ。再び箱に詰め込みデイバッグに入れ帰途についた。日はすでに傾いていた。