第五話 遭遇
「ただいまー。・・誰もいないのー?」
お母さんとお父さんがいないのは分かる。お母さんは介護の仕事、お父さんは不動産屋を営んでいる。
私は靴を脱ぎ、家に上がった。いつもなら、玄関の棚のホワイトボードに連絡事項が書いてある。
どれどれ、と呼んだ私は吹き出した。
「夕飯は自分で作れ(笑)」
なんじゃこりゃ! おいおい、どうしたお母さん! なんか文章乱暴だよ! しかも、“(笑)”の使い方どころ間違ってるよ! これじゃ、私を嘲笑ってる感じになってるよ!
「ざまぁ」
とか、見下した表情で言ってそうだよ! いや、狙ったのか!? そうなのかぁ!? しまった、ネットを与えてしまったのが運の尽きだった・・。くぅ、VIPPERめ、我が母になんてことを・・!
ん・・?そういえば、いつもならここらで飼っている猫が顔を出すはず・・。
今日は寝てるのかな? それともかくれんぼか? 受けて立とうじゃないか。
「ねーこさーぶろー」
名前を呼んで探す。私達のぺット、猫三郎は今五歳。まだまだいけるっていう顔をしてる猫だ。ネーミングセンスが乏しいのは、家族が良く知っている。彩乃には、散々笑われた。
その猫三郎は決まって玄関まで私の様子を窺いに来る。たまに来ない時があるが、それは大体が、定位置で寝ている時だ。
「猫三郎~。・・いない。」
おかしいな。いつもの定位置、私のベッドの下で寝ていないとは。
「ね~こさ~ぶろ~。」
両親の寝室、いない。物置き部屋、いない。人間用トイレ、もちろんいない。
二階かな? 和室。猫三郎の爪で出来た痕はあるけど、ここじゃないだろう。洋室、いない。
・・残るはリビングだ。あれ・・? おかしいな。リビングに入るドアは、お母さんがいつも閉めて行くはずで、猫三郎が入れるはず無いのに。・・多分、今日は閉め忘れたんだな。鍵も無いんだから、普通忘れないと思うんだけどな。リビングに猫三郎が入るのは嫌だって言っていたのはお母さんなのに。駄目だなあ。
半開きになっていた扉を引き、リビングに入る。その瞬間、私の背筋を冷たい物が走った。なに、この寒気・・? いつも通りの外見のリビングだ。家族の記念写真も、壁にかかった時計も異常はない。だけど、空気が冷たいのだ。外との温度がはっきり分かるぐらいに。
「あ、猫三郎!」
やっと見つけた。壁と食器棚の間にうずくまっている。
「どうしたのー。私だよー。」
猫三郎がくるりと私の方を向いた。すると、あの温厚な猫三郎が、毛を逆立て、威嚇するような声を上げ始めたのだ。その猫の目は、私に向けられている。いや、正確にいえば、私の背後に。
「大西さん、取り憑かれてるよ。」
あの先輩の声が、脳内で繰り返し再生される。猫は、人に見えない物が見えると言うけれど・・。もしかして、本当に・・。
このまま固まっていても仕方ない! 私は、思い切って振り返った。誰もいない。
「なんだー。猫三郎。怖がらせないでよー。」
「うぅ・・・・・・。」
え? え? 今、声・・・。
「うぅ・・・・・。」
そんな、そんなはずない、ない。だって、今はまだ日が出て・・。
私は希望の光が消えたかのように、立ち尽くした。・・窓から見える外は、黒いペンキで塗りつぶしたように真っ暗だったのだ。猫三郎を探しているうちに、もうこんな時間に・・?
と、いうことはこの声は本当に幽霊・・?
「うぅ・・・・。」
さらに、声が近付いているのが分かった。幸いにも、まだ遠い。逃げられる。入ってきた扉のドアノブにに手を掛け、そのままノブを回す。
・・開かない・・? 嘘でしょ・・? この戸に鍵なんて無いのに・・!
「うぅ・・。」
声はさらに近付いてくる。何度ドアノブを回して、押したり引いたりしてみても、扉は開かない。
「なんで! なんで開かないの!」
「うぅ・・。」
もう、手が痛い・・。無意識に、私は後ろを振り返った。そこには、白い、人型をした靄のようなものが、滑るように私に近付いて来ていた。
「キャァァァァー!」
思わず、私は叫んでいた。私、どうなるの・・? 頬を涙が伝う。怖い、恐い、こわいよ!
そのとき、ドンドンと、向こう側からドアが叩かれた。
「大丈夫、大西さん!?」
ガチャっと音がして、扉が開いた。――そこには制服を着た、あの先輩が居た。
「た、たずけてえ・・・・」
私は、私の声とは思えないような惨めな声で、助けを求めていた。
「大丈夫、大西さんに害はないから。」
そう言い、落ち着き払った表情で、何のためらいも無く白い靄に近付いて行く。そして、それに優しく語りかけ始めた。
「はじめまして。」
先輩は少し間を置く。
「君、このお姉ちゃんと遊びたかったんだよね?」
白い靄が少し動いた。頷いたのだろうか。
「でもね、君とお姉ちゃんが一緒にいると、お姉ちゃんの体に良くない事が起こるんだ。お姉ちゃん、ちょっとしんどそうだったでしょ?」
また、白い靄が少し動く。
「もし、君がこれ以上お姉ちゃんと一緒にいると言うなら、僕は君に痛い思いをしてもらわないといけなくなるんだ。・・分かるね?」
今度は、靄は動かない。
「お願い。二度と人に取り憑かないと、約束してくれないかな。」
靄と先輩は見つめ合う。やがて、靄が頷いた。
「いい子だ。」
あれ・・? 頭痛が消えた。寒くも無い。部屋の温度も元に戻ったみたいだ。
「今のは、一体どういうことなんですか・・?」
「大西さんに憑いていたのは、小さい男の子の幽霊だよ。」
は・・? 固まる私に、先輩は笑いかける。
「うん、信じられないよね。無理も無いよ。けど、今のは本当に男の子の霊。小学校で良く見かけた子だよ。もしかしたら、大西さんを気に入って、勝手に付いてきたのかもしれないね。」
まるで、その道のプロのような口調? さっきの白い物は男の子? ああ、駄目だ、私混乱してる。
とにかく、何か話さないと、私の小さい思考回路じゃ収束がつかない。
「え・・えと・・先輩、何者・・なんですか?」
「僕? 僕は、唯の中学生。――まあ、でも大西さんには言うよ。僕は霊が見えちゃう体質なんだ。」
恥ずかしそうに笑う先輩。・・さっきのを見れば、信じられなくもないけど・・。
「それも、僕が霊媒師だからなんだけどね。たまたま、そういう家に生まれちゃって。」
「レイバイシ、って何ですか?」
「霊媒師って言うのは、簡単に言うと、霊に纏わるトラブルを解決する人たちの事だよ。」
へえ、そんな人たちが居るんだ。
「じゃあ、今までに何かトラブルを解決したことあるんですか?」
「うん、色々。最近のは、井戸を取り壊すのに立ち会っただけの簡単な仕事をやったよ。依頼主さんが、井戸から何か出てきたら怖いから、って。」
テレビから白い女の人が出てくる映像が、頭の中で流れた。ああ、お母さん、なんであんなに昔の映画を私に見せたの・・。
「そろそろ、僕帰るよ。」
気付いた時には、もう先輩はすたすたと廊下を歩いて行ってしまうところだった。慌てて追いかける。
「待ってください、待ってください!」
先輩は振り返った。
「先輩、霊はこの世に本当にいるんですか!?」
「・・いるよ。」
嘘じゃないんだ・・。そう思ったのは、先輩の真剣な表情からだ。なぜか、私はもうこの先輩を信じてもいい、と直感で分かっていたのだ。
「・・先輩。先輩は、何で霊媒師をやってるんですか? ・・怖く、無いんですか?」
先輩は、少し考えると、微笑んだ。
「霊達と関わっていると、なんだか嬉しくなってくるんだ。それが理由。・・やっぱり、おかしいよね?」
私は首を横に振った。
「霊には、確かに悪い奴もいる。霊媒師が活躍するのは、そういう悪い霊を退治する時。・・でも、ほとんどは、自分が死んでしまった事に気付いていない、可哀想な霊達なんだ。・・実際、現実的に考えれば、僕達霊媒師は、その一人一人を成仏させることは出来ない。砂漠の砂を、全部数え上げるようなものだからね。・・でも、僕は、それをしたいと思ってるんだ。初めて、ある人のお父さんを成仏させた時、そのお父さんは、とっても嬉しそうな、幸せそうな顔をしていた。そして、僕に向かって、一生懸命口を動かしていた。霊になってしまった人達は、ほとんどが僕達生きている人と話すことは出来ないから、直接そのお父さんからその言葉を聞くことはできなかったんだ。でも、今思えばそのお父さんは、僕に、「ありがとう」って言っていたんだと思う。僕は、あの幸せそうな顔に、心を打たれた。それが、そう決心した理由で、霊媒師をしている理由でもある・・あっ、ごめん。長話だったね。」
「いえ! そんなことありません!」
恥ずかしそうに頭を掻く先輩に、私は言った。はきはきとした言葉を心がけたつもりだ。・・もう、私はこの先輩を手伝うしかない! そう決心した。
・・あ、そういえば。
「先輩、名前を聞いていなかったんですけど。」
「優人。清田優人。」
「改めまして、大西里奈です。・・優人先輩、これからよろしくお願いします!」
手をぐっと差し出すと、温かい感触と共に手が握られた。
「ところで、優人先輩。一つ提案が。」
手を握ったまま、思いついたことを喋る。首を少し傾げる優人先輩に、私は言った。
「一緒にクラブ活動、始めませんか?」