そのいち
短編にする予定だったものが思いのほか長くなったので二回に分けることに
弟の朝は早い
目覚まし時計の放つ無機質な電子音で目を覚ました柊は、眠い目をこすりつつも立ち上がる。二度寝の防止に一番有効なのは、立ち上がることなのだ
おぼろげな意識のまま部屋を出て、洗面所で洗顔、トイレで排泄を済ませる
意識がはっきりとしてきた
柊は朝食を作るべく、台所に向かう
食パン二枚にマーガリンを塗りたくり、オーブントースターにイン。焼き時間は五分。トースターが温まる時間を考慮した値だ
そしてもう一つ、冷凍庫から冷凍ご飯を取り出し、ラップを剥がして茶碗に盛る。それを電子レンジで温め開始
さて
今日も地獄が始まる
嫌々ながらも、柊はリビングの隣にある、倉庫にするつもりでいた――姉の部屋に、足を踏み入れた
寝ている相手にノックをしても返事がないことはわかっているが、とりあえずノックしてからずかずか入り込む
紗依は、布団の上で腹にタオルケットを巻いて爆睡していた
「姉ちゃん朝だ、起きろ」
柊はタオルケットの片方を持って、グイっと持ち上げる。着物の帯を引っ張られたような体で、紗依はゴロゴロと布団の上を転がって床に落ちた
しかしそれでも起きない
仕方がないので、肩を掴んで揺すり起こす
「ほら、早くしろ」
紗依はうつぶせ状態でむにゃむにゃ言うだけだ
「ん~、あと五分~」
因みに、ここで本当に五分放置すると 「なんで起こしてくれなかったんだよ!」 と怒られる。理不尽だ
「そんなこと言ってると遅刻するぞ」
紗依の脇の下から腕を入れ、無理やり抱え起こす。立ち上がると、背後から羽交い締めしているような格好になる。ファサッと顔にかかったショートヘアから、少しいい匂いがした
惑わされてはいけない。髪以外は何かメス臭いし
「とっとと起きろ、ほら」
両腕を掴んでグイグイと揺する。そうすることで、紗依はようやくまぶたを持ち上げた
「ん~、ん~、んー……」
目をぐしぐしと擦り、辺りを見渡す
「うー……、朝か……。……おはよ」
「おはよう」
言って、柊は両手を離した
「ん~……、メガネメガネ……」
紗依はフラフラとした足取りで机の前に立つ。汚い机の上に無造作に置かれたメガネを、眠たげな動作でかける
それと同時に、パンが焼けたことを知らせるチーンという小気味のいい音が鳴り響いた
絶妙な焦げ色は、朝といえども食欲をそそった
こんがりと焼けたトーストをかじる。うまい
やはり朝はトーストに限る。前日の夜に米を研ぐ必要もないし、時間がないときは牛乳で流し込める。これぞ最強の朝食だ
しかし、その持論を否定する者がいた
「……やっぱり炊きたてご飯がいい」
紗依はたまごかけご飯をかっ込みながら、愚痴を漏らす
実家暮らしの頃は、父、母、紗依、柊の四人だったので、母がいつもご飯を炊いていた
だが、現在は紗依と柊の二人暮らしだ。その上食べる量も減ったので、ご飯を炊くのは数日に一度となっている
「米が食いたきゃ自分で炊け」
炊く量を調節すれば一日で食べきる量になるのだが、毎日炊くのは面倒だ。柊はそこまでご飯が好きなわけでもないので、そんな手間は御免だった
よって、紗依の協力なしに毎朝炊きたてご飯を提供することはできない
それでも
「嫌だ。お前がやれ」
いつだって姉は横暴だ
「お断りだ」
何度となく繰り返した会話を適当に切り上げ、柊は朝食に戻る。モノを食べる時は誰にも邪魔されず自由でなんというか云々
朝は忙しいので、紗依の我儘にいちいち取り合っている精神的余裕がない。そもそも柊は朝に弱いのだ
朝に弱いのは紗依も同じなのだが、それでも横暴なあたり、根が図太いのだろう。厄介な話である
それ以降はお互い無言で、朝食を終えた
朝食では紗依にイライラさせられたが、いい感じの大便が出たのでどうでもよくなった
「ふーんふふーふふーん、ふーんふふーふふーん」
柊は鼻歌交じりにスーツのボタンを留める。因みに鼻歌はそんなに上手くない
上機嫌のまま鞄を肩にかけると、隣の部屋から怒声が響いてきた
「おい、柊!」
ドタバタと床を踏み鳴らし、ガチャリと勢いよく開かれるドア。ここはアパートなのだが
「なんだよ」
飛び込んできた紗依に、柊は訊ねた。これ以上紗依が暴れると、他の部屋の住人に壁ドンやら床ドンやら天ドンやらされてしまう。ドンされるだけならいいのだが、なによりこんな朝方から騒がしくするのは申し訳ない
紗依は苛立ちを隠そうともせず、爪先で床を叩きながら言う
「あたしのケータイ知らないか?」
「知らねえよ……」
むしろなぜ知ってると思ったのだろうか
ただまあ、こんな時の大体の対処法は知っている
「どうせスーツの内ポケットだろ」
柊は、紗依の胸元を指差して言った
紗依は物臭なので、家に帰ってきてもケータイをスーツに入れっぱなしなことが多々あるのだ
言われた紗依は内ポケットに手を突っ込み、何かを見つけたらしい。急に静かになった
「……あった」
「やっぱりな」
巷で言うドヤ顔というやつをキメてやると、紗依は礼も言わず、苛立たしげにそっぽを向いた
なんだか妙に機嫌が悪い
「お、生理か?」
柊は冗談交じりにそう訊ねた。しかし紗依は答えもせず、舌打ちして部屋を出ていく
まあ、返答は期待していなかったので問題ない。むしろこれで 「ああそうだ」 とか返されても反応に困る
さて、と柊は鞄を肩にかけ直す
スタコラ歩いてトイレの前。使用中。ここに住んでいるのは柊と紗依だけなので、使っているのは紗依だろう。それ以外なら通報だ
他人の排泄を邪魔する趣味はない
柊は横の壁にもたれかかり、紗依が出てくるのを待つ
しばらくして、水の流れる音。排泄音は意識しないようにしていたが、流す音ははっきりと聞こえる。数秒の間を置いて、トイレから紗依が出てきた
入れ替わるように柊はトイレに入る。ズボンを下ろし、便座に腰を下ろし、しーしーした。やはり出かける直前に出しておくとスッキリする
流して軽く手を洗っていると、不意にゴミ箱の中身が目に入った
トイレットペーパーの芯が群れる中、そこに一つだけ潜む異質な存在
「あー……」
柊は呆然と声を漏らす
お姉ちゃん、本当に生理でしたか……
会社で友人に 「姉が生理で苛立っててさー」 と笑い混じりに話したら、 「いや、イライラするのは生理前だぞ」 と返されてしまった
言われてみれば、確かに一週間ぐらい前にすごく理不尽な怒られ方をした気がする。内容は思い出したくもない
つまり今回は生理関係なしに苛立っているようだ。まあ、朝だったしな……
さて
柊に姉の経血ゼリーをホカホカのご飯にのせてズルっといただく趣味があるかとえば、そんなことはない
むしろグロ耐性が低い方なので、使用済みナプキンとか見た朝はちょっと憂鬱な気分になる。仕事中も脳裏にチラついていて、いい気分ではなかった
こんな気分を晴らすには、やはりプラモデルがいいだろう
柊の趣味は経血ゼリーではなく、玩具収集なのだ
仕事の帰りに行きつけの模型店に寄って、夜な夜な部屋にこもって組み立てるためのプラモを物色する
塗装とかする気分ではないので、戦艦や戦闘機は駄目だ。となると、ガンプラが最適であろう
一晩で組むことを考えると、パーフェトグレードはありえない。お手軽なハイグレードにしよう
HGと書かれた箱が並ぶ棚を眺める
クシャトリヤはそこそこのボリュームがあっていいのだが、今日に限っては女性器を連想しかねないのでやめておく。同じ理由でキュベレイもパスだ
となると、曲線の多い敵軍系よりも自軍系のモビルスーツの方がいいかもしれない
……ジム系にしよう
豊富なバリエーションに手頃な値段と、気晴らしにはちょうどいい
柊は棚から適当にジムっぽいやつを三つ見繕い、そのままレジへと持っていった
大概、紗依の方が先に家に帰っている
その例に漏れず、今日も先に帰ってきていたらしい紗依は、リビングで雑誌をペラペラとめくっていた
「ただいま」
「おかえり。夕飯はそこ」
紗依が指差した先には、フードカバーが被せられた夕食が鎮座している。朝食、休日の昼食はいつも柊が作っていて、平日の昼食は社員食堂で済ませているのだが、夕食だけは交代制なのだ
……この程度でもありがたいと思ってしまうあたり、姉による調教は完璧だった
「さんきゅ」
とりあえず自室に戻り、荷物を放る。とっとと風呂に入ってしまおう
男の入浴描写など不要だ
風呂から上がった柊は、早速紗依の作った夕食にありつく
「いただきます」
柊が両手を合わせて言うと、紗依は雑誌から目を離さずに言った
「めしあがれ」
本日の献立は、ひじきの煮物と味噌汁だ。ひじきの煮物は、沼都原家では単に "ひじき" と呼称されている。主な具は、油揚げと人参とひじきと大豆とこんにゃくとちくわ。味噌汁の具は豆腐とわかめだ
紗依の料理は絶品……というわけでもないのだが、毎日食べても飽きない。恐らく、お袋の味と同じ類のものなのだろう
特に、豆腐とわかめは柊が味噌汁の中で一番好きな具の組み合わせである。次点で油揚げとネギ。もやしだとか白菜だとかを入れるのは許さない
紗依には具の好みがないらしく、基本的には柊好みの具で作ってくれる。しかし姉弟喧嘩をすると話は別だ。もやしと白菜を大量に投入され、更に豆乳まで投入されたデロデロの味噌汁が出てくる。アレは最早味噌汁と呼んでいいのかもわからない
嫌なことを思い出した柊は、目の前に広がる平和な食事に感謝した
茶碗の中身が、半分ほどまで減った頃
ひじきをおかずにご飯をもぐもぐしつつ、紗依が読んでいる雑誌にちらりと目をやる
柊が帰ってきた時からずっと読んでいたので、少し気になったのだ
タイトルと表紙を確認。有名なホビー雑誌の最新刊で、柊も昨日買ってきたものだった
――というか
「おい、それ俺のだろ」
まだ読み終わっていないに
よく見ると、紗依の膝には先月号以前も積まれている
「ん? ああ、借りた」
「なんで読んでるんだよ……」
そもそも、紗依にそんな趣味はなかったはずだ
柊が訊ねると、紗依は平然と答えた
「ああ、柊がいっつもニヤニヤしながら打ち込んでるから、どんなものかと思ってな」
「勝手に読むなよ……」
柊が歯向かうと、紗依はムッとする。理不尽な逆ギレだ
「いいだろ別に」
こんな相手には立ち向かうだけ無駄なので、柊の方から鉾を収めた
「ちゃんと返せよ」
「それぐらいわかってる」
この微妙にイライラしている感じは素直に信じていいのか不安になってくる
唯一の同居人を無闇矢鱈と疑うのはこちらの望むところではないので、こういうのは控えていただきたい
……まあいいや
最後に味噌汁をズズズッと啜り、空になった椀を重ねて立ち上がる
「ごちそうさま」
「片付けはお前な」
「ういうい」
生返事を返しつつ、柊は食器を抱えて台所へと向かった
洗い物が終われば、至福の時間だ
買ってきたプラモのパッケージを開封し、早速プラスチック製のランナーとご対面
柊は、このプラスチック感丸出しの安っぽい成型色が好きだ
プラモデルというのは基本的に生産ラインを組まれて大量生産されるもので、一つ一つにそこまで手間をかけられない
大概は全自動、金型にプラスチックを流し込むだけである
制作陣は、それをいかに元デザインに近づけようか、可動範囲を広げようか、ライトユーザーにも組み立てやすい物にしようか、頭を絞って試行錯誤しているのだ
つまり、箱の中身を説明書通りに組み上げ、シールを貼ったその姿は、制作陣の苦労の結晶なのである
もちろん、塗装して自分の好みの一品に仕上げるのも好きだ
だが、素組みしただけの、プラスチック感丸出しの安っぽい成型色にも、また違った魅力があると認識していた
というわけで、今回は説明書に従って組むことにする
「暇だ、構え」
紗依が入ってきたのは、二体目の股間を作り終えた時だった
今いいところなのだ
「嫌だ、帰れ」
邪魔されたのが癪なので、柊は紗依に振り返りもせず答える
しかし紗依は怯まない
「……」
何も言わずに隣に座ってくる傲慢。あまりにもナチュラルに座ってくるので、一瞬受け入れそうになってしまった
あまり好ましい状況ではない
「そこに座られると邪魔なんだが」
「……」
紗依は無言で尻半分ほどずれる。更に九十度ターン
(そうじゃねえよ……帰れって意味だよ……)
柊は内心で毒づくが、紗依に聞かれるといじめられるので口には出さない。ヘタレである
最早お姉ちゃんの所有物状態の柊は、仕方がないのでそのまま進めることにした
下半身を上半身に取り付ける。これがとても楽しい。バラバラに出来上がっていた各パーツを一つの人型へと合体させるというのは、いつでもワクワクするものだ
「おっと」
その前に、足を股間につけなければ
股関節パーツに左足を取り付け、さて――
「あれ?」
右足がない
左足と一緒に、箱に入れておいたはずなのだが
柊が周囲を見回していると、ボキリ、とプラスチックの折れる音がした
「あ」
次いで、紗依の声
そんな馬鹿な
見たくない見たくない見たくない。そういえば視界の端に紗依の腕と一緒にちらっと映った気がする右足の末路なんて見たくない
そうだ……、紗依の腕力でこの短時間にプラスチック製のパーツを折ることができる確率を五十パーセントだとする。すると、柊が振り向いた時に右足が折れている確率は五十パーセント、折れていない確率も五十パーセント。なので、右足は折れている状態と折れていない状態が一対一で重なり合っていると解釈しなければならない
つまり、柊が振り向くまで右足は折れているが折れていない。柊が振り向かなければ波動関数は収束せずに右足の状態は重なり合ったまま。これぞマイシスターの右足――
「ごめん、折れた」
波動関数が収束した
右足の状態が確定する
柊が振り返ると、紗依の手元には膝関節の付け根がバッキリと折れたジムコマンドの右足があった
関節パーツと外装パーツの配置を見るに、逆関節にしたらしい。生憎、柊は逆関節派ではなく、人間と同じ骨格の方がヒロイックで好きだ。まあ、無骨な兵器も嫌いではないのだが……
「なんで逆に曲げてるんだよ……」
普通やらないだろう
柊が問うと、紗依は申し訳なさそうに視線を逸らす
「む、昔のプラモは、こっちにも曲がったし……」
「いつの話だよ……」
確か最後に見たのは旧キットだ。それも一部のキットのみ
そもそも膝関節は大概装飾の関係で逆に曲がらない。一目見ればわかると思うのだが
「はぁ……」
意識せずとも、特大の溜息が漏れる
これどうすんだよ……
破損部分を活かしてダメージ加工するという手もあるが、その場合は塗装などが必要になってくるので今回の趣旨から外れてしまう
メーカーに注文表を出すという手もあるが、それも今すぐ届くというわけではない
今日中に完成させることができなくなってしまったのだ
なんだか疲れてきた
「……もう寝るわ」
柊はそう言いながら、紗依の手からもぎれた足をすっと回収する
組立途中のプラモとランナーを箱に戻し、出来上がった箱と手をつけていない箱とで重ねて部屋の隅に寄せた
「……そ、その……なんだ」
「おやすみ」
紗依が何事か言いかけたが、柊はそれを遮るように言い放つ
押入れから敷布団を取り出し、無造作に敷く。枕と掛け布団も適当に放り投げる
無言で消灯すると、紗依も無言のまま部屋を出た
翌朝
その朝、柊は紗依の分の朝食を用意しなかった
昨日までの事情を考えれば、柊は完全なる被害者だ。しかし、一度でも反撃すれば、事情は変わってくる
一方的に刃を向けられていた状態から一転して、お互いに刃を向け合う状態。そこから斬り合う程の戦いには発展しないが、姉弟の間には微妙な壁が発生する
姉弟喧嘩とはまた違う。怒りの感情よりも、呆れの感情の方が強い。愛想を尽かした、といったところか
壁越しのコミュニケーション故に、起こし方も乱雑だ
「起きろ」
紗依の脇腹を踏み、爪先でグリグリする
「……ん……ぁ……いだ、痛い、痛い痛い痛いやめろ痛い」
起きたので、無言で回れ右して部屋を去った
「っておい、ちょっと――」
紗依の言葉に耳も貸さず、部屋の扉を閉める
それは明確な拒絶のサインだった
壁があるので、会話の量は格段に減る
紗依は生活の殆どを柊に依存しているので、こちらからの干渉を減らすことはそれ自体が攻撃力を持つ
だから、相手がこちらにとって不利益な行動をとっても、無視する
そもそも愛想を尽かしているので、相手の行動に期待はしないのだ。故に、トイレが長引いていても別に気にしない
激しくノックすることもせず、早く出ろと急かすこともせず、紗依はこういうものだと諦め、会社のトイレで用を足す
この会社のトイレは素晴らしい。ウォシュレットがある
柊の通っていた学校は、小学校から大学までウォシュレットがなかった。まあ、設備が全体的に古かった小学中学はまだいい。問題は高校大学だ。この二つは最新設備を謳っていたというのに、ウォシュレットがなかった
小便器の自動洗浄機能や暖房便座はそれなりに見かける。しかしウォシュレットに関して、この会社以外の公衆トイレでは二箇所しか確認していない
ウォシュレットは、文明人の必需品だというのに
会社帰り、柊はいつもの道を進む
昨日は寄った模型店の前をスルーし、川縁に沿って自転車で十数分
たまに車が欲しくなる距離だが、柊の住んでいるアパートの貸駐車場は有料なのだ。対して、自転車なら無料。自動車と自転車の維持費は、比べるまでもない
紗依が柊に払うのは、家賃の三割のみ。食費などは一切入れてくれないので、できる限りの倹約をしないと柊の玩具ライフが損なわれる
それに、自動車などという便利なものを買えば、紗依は間違いなく勝手に使う
最初から持っていないのよりも、持っていると思っていたものが用意できなくなる方が被害が大きい
柊の行動範囲もそこまで広いわけではないので、自転車だけで十分だった
……さて
途中のスーパーマーケットに寄って夕食を確保しなければならない
本日の夕食当番は柊だ。いつもは惣菜にプラスしてカレーだとかチャーハンだとか野菜炒めだとかを適当に作っているのだが、面倒くさい
そもそも柊が一人で住んでいた時は食事の九割が惣菜だった。しかし紗依が惣菜生活を拒否したので、夕食を当番制で作ることになったのだ
なので、紗依の意思を無視するのならば、夕食は惣菜だけで問題ない
この時間帯なら、ちょうど出来合いの半額弁当が狙えた
駐輪場に自転車を停め、ガチャリと鍵を閉めてから足早に店に入る
この店は、タイミングが合えば百五十円以下で弁当が買えるのだ。当然、ライバルは多い
いい香りのする揚げ物コーナーを通り過ぎ、弁当コーナーに辿り着く。まだ弁当は残っていた
陳列棚に並ぶ商品の値段を一瞬でソート。税込価格百三十円の唐揚げ弁当と百四十円のエビフライ弁当。これだ
カゴの中に商品を放り込み、任務完了
後はレジで精算するだけなのだが、せっかくスーパーに来たので食玩コーナーを見に行くことにする
最近のプラモデルの技術進化には目を見張るものがあるが、食玩の進歩も凄まじい
主に頭のおかしい変態企業がわけのわからない技術で不可能を可能にし、五百円以下で完全変形だとか超絶可動だとかを実現しているのだ
その分シールの量は多いのだが、そんなことがどうでも良くなるぐらいにクオリティが高い
最近、一部戦隊モノのミニプラなどはDX版より動いたりする。だが、DXの売りはあのデラックス感なので住み分けは出来ていた。ハリケンホークはよかったな……DX高いけど
……まあ、あのシール地獄は好きでもない人間には苦痛でしかないのだが。シール貼りを楽しめるのは才能だと思う
閑話休題。柊は食玩コーナーの前に立ち、棚の中身を確認する。目当てのシリーズを発見
「むぅ……」
――したのだが、棚には三番と五番と七番しかなかった。欲しいのは六番である
このシリーズ、いつもは箱買いしているのだが、今回のバージョンは金欠のせいで箱買いするタイミングを逃してしまった。その後、ちまちまと買い揃えているのだが……この六番 (一番格好いい) のせいで揃っていない。コレクション的には、是非とも揃えたいところだ
とりあえず、今日のところはもう帰ろう
柊はレジに向かい、カゴの中身を精算する。締めて二百七十円也
小銭入れの中身は、五百円玉一枚に百円玉二枚に十円玉五枚に一円玉三枚。お釣りを減らすには少し足りない布陣だ
仕方がないので五百円玉を出した。お釣りは二百三十円
カゴからレジ袋に移し、手にぶら下げて駐輪場へと向かう
自転車のカゴに入れる際、中身が傾かないように細心の注意を払う。成功
そのまま、自転車を漕いで家路に就いた
買ってきた弁当を渡すと、紗依は露骨に嫌そうな顔をした
「これからずっと、これで行く気?」
これからの食事当番、柊は全て惣菜や弁当だけで済ますつもりだ
「ああ」
短く答えると、紗依は不満げに漏らす
「……こんな食事じゃ体に悪い」
健康マニアかよ……
「嫌なら自分の分は自分で作れよ」
柊はうんざりとして返した
すると、紗依は何事か小声で呟く
「……そうじゃなくて」
それはとても小さな声だったが、しっかりと聞き取ることができた
「そうじゃなかったらなんなんだよ」
唐揚げ弁当を開けながら柊が訊ねると、紗依は小さな溜息をつく
「……」
そして少しの間黙ってから、再び口を開いた
「……昨日のことは……怒ってるなら、謝るからさ……」
言いつつ、ポケットからなにやらゴソゴソと取り出す
取り出されたのは、例の食玩シリーズの、六番
「これで機嫌直してってわけじゃないけどさ……あんたのプラモ、折っちゃった分……」
――柊の心に、迷いが生じた
ここでこれを受け取って、今までの生活に戻るか。それとも、このまま冷戦を続けるか
根が律儀な柊に、受け取りつつ手を抜くという手段は取れない。選択肢は二つに一つ
このバージョンは、発売開始してからそこそこの期間が過ぎていた。そろそろ次のバージョンに移行する時期だ
これを逃せば、もう手に入らないかもしれない
「……」
柊は、紗依の手から食玩を受け取った
「これ、どうして……」
「雑誌の、これだけバツ印ついてなかったから」
雑誌――昨日紗依が勝手に呼んでいたホビー誌のことだろう。確かに、数ヶ月前にこのバージョンが取り上げられていた。印もつけておいた覚えがある
「さて――」
柊が食玩のパッケージを眺めていると、紗依はエビフライ弁当を開けた
「今日はこれで許してやるけど、次からはちゃんとしたもの作れよ」
そうだ。受け取ってしまった以上、冷戦は終了だ
「わかってるよ」
「そう、それでよろしい」
柊がぶっきらぼうに返すと、紗依は満足げに言うのだった