自己啓発本がおもしろい
最近はパソコンを使える時間を制限されているので執筆がはかどらない。
そこで、啓蒙本の言葉を借りるなら、「責任転嫁をやめて己で背負い」前向きな姿勢で今できる事を探した。執筆できないなら資料の読み込みをすればいいじゃない、というわけで余暇には本を読んでいる。
心理学系統の本と啓蒙本を何冊か読んでいて、気付いたことがある。
これらは小説家を目指そうという者をターゲットにしているわけではないのに、多くの言葉が小説家を目指す者にも当てはまるのだ。
ドラッガーの言葉にこんなのがある。
「まったくするべきではないことを能率的にする。これほど無駄なことはない。」
要するに、選択の重要性ということだ。
真に小説家を目指すのなら、ゲームキャラのレベル上げにうつつを抜かしていてはいけない、という事だ。
ゲームならまだ解かりやすい。誰でもそれが無駄だと解かる。(小説家を目指す者にとって、のみだが)
だが、意表を突くようなところにも無駄は隠れている、と私が読んだ本には書かれていた。
「時間はもっとも貴重だ。それを他人に浪費させないことが肝心だ。」
仕事や付き合いで相手の為に何かをしてあげる事は、貴方になんの見返りをもたらすのかを考えるべきだと書かれていた。
夢を実現することを引き延ばしにし、保留にしたまま、日々飛び込んでくる緊急事態に追われて、他人の為に時間を浪費する、これほどの無駄な時間の過ごし方はないと。
残念ながら、この世の中には恩を仇で返す人々が確実に存在し、また、人は「公正な世界」の信念を守るために他者の無償の行いを貶める性質があるということを忘れてはいけないわけだ。
「因果応報」という考えは広く信じられている。
人の日頃の行いや考えは、後に必ずそれに応じた結果が現れる、という考えだ。
この考え方は「人はみな平等である」だとか「誰もが意味を持って生まれている」と言った人間の希望を支えている。
だが、もっとシンプルに書き換えてみればこう言っていることになる。
つまり、「世界は平均的で、人はみな平均的に出来ている」と信じている。
ある実験で、被験者は電気ショックを受けねばならないというようなケースを用意して、人々の反応を見るという事が為された。
被験者に対してどういう評価を付けるか、という実験だ。
3つのグループに分け、1つは「被験者は謝礼をもらう」とし、1つは「実は演技だ」とし、1つは「完全に無償」とした場合に、一番評価が低かったのが「無償」のグループだった、という。
つまり、「無償の行いを、本当に何の見返りもなしにやる」人を、平均値以下にまで引き下げて評価を下す傾向にあるわけだ。やった行いが立派な分、見えないところにマイナス要因がある、と。
つまり、「バカ正直」だとか「エエ恰好しい」だとか。
無償でやる、それが完全に善意であると考えると「公正な世界」のバランスが崩れると考えてしまうのだという。これは別の心理学の本にあった記述だ。
人は、自分を基準にものごとを測る。
だから、「人はみな平等である」ということは、他者もすべてが自分と似たようなものだ、という基準になる。そして、自分自身の未知数を指して、偉人の偉業を認めているに過ぎない。
「他人の為に時間を浪費することは無駄だ」という考えは、一見では強く反発する人もいるだろう。
啓発本の多くには必ずと言っていいほど、ある言葉が掲げられている。
「誰かの為に、誰かの役に立つことを考えなさい」
これを額面通りに受け取って実行すると、貴方は他者の為に貴重な人生を浪費して、不満のうちに死ぬことになるだろう、という事だ。
「無償の行いは尊い」という言葉は、見返りを受け取ることが出来なかった者の為の慰めの言葉だ。
その人は、奉仕する相手を選び間違えただけなのだから。
「借りは返すもの」と教わるはずだ。人から受けたあらゆる行為が、本来は恩であり返すべき対象であるなら、無償のつもりで行ったあらゆる行為にも見返りは付いて来るのが当然なのだ。
それが返らなかったということは、無償をした相手が恩知らずだったということだ。
これを指して「無駄」と多くの啓発本は指摘しているのだ。付き合う人を選べ、と。
八方美人は結局のところ誰からも褒められたりはしない。
「他人の人生に寄与したい」という願いほど、人の精神を高揚させ、モチベーションを上げてやる気にさせてくれる動機付けはない。
けれど、先に述べたようにそれは相手を想定していた場合には多く、裏切られる危険を含む。
成功者の多くは、「誰かを豊かにしてあげたい」という願いを抱いて邁進したと証言しているらしい。実際にそうであろう。
人が価値を認めるものは、自分を豊かにしてくれるモノ、だからだ。
他人の顔色を見て、他人の為に時間を浪費することは無駄。
「貴方は、貴方が一日中考えていることの、そのような人間になる。」
恋の悩みに振り回されてばかりの人はそういう人生を送る、ということだ。
小説を書く時に、他者の評価ばかり気にしている人は上っ面だけの作品を書くことになる。
「人の為になるものを」と考える意味が、少しは解けたような気がした。