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第7話 謁見

魔族たちの領域と聞いて思い起こすのはどんな光景だろうか。


例えば瘴気の漂う森。

鬱蒼と茂った木々に阻まれて行く先も見えない小道。

不気味な鳥の鳴き声、猛る獣の唸り声が耳朶にこびり付く。

日の光も届かない異界と化すその場所は人を食らう魔物が跋扈し、

一度足を踏み入れれば無事に帰ることのない死の迷宮と化している。


例えば毒を孕んだ湖。

紫に色付いた毒の霧が吸い込んだ生物を死に至らしめる。

そしてその湖に住まうのは毒に抗する術を持ち、

逆に毒霧で死んだ犠牲者たちの肉を貪る怪魚たち。

死と生の共演する魔の生態系がそこにはある。


例えば熱砂の吹き荒れる砂漠。

終わることのない荒涼の大地。

流れる砂によって絶えず変化する景色は容易に人を惑わす迷宮と化す。

太陽が肌を焦がし、迷いこめば全ての水分を奪われるだろう場所。

砂の海に蠢くのは鎧ごと人を飲み込んで噛み砕くサンドワーム。


例えば全てが凍てつく極寒の世界。

全てを埋めるほどの白銀。

吐息さえ凍りつくほどの冷気。

そこは音さえも凍りついたかのような絶対の静寂の世界。


例えば魔王城。

混沌と闇の支配する魔を統べるものの砦。

峻険な山岳に周囲を囲まれた難攻不落の城塞。

内部には多くの魔族が潜み、侵入者に襲いかかる。

内部は迷宮化され、多様な罠が行く手を阻む。


それが闇の支配する魔族領 ――― なわけがない。


魔族とは言っても多種多様。

獣人のように人間に近い生態を持つ物たちは瘴気に当てられては自分たちも健康を害する。

温暖で、適度に雨が降り、作物が育つ肥沃な土地(例えば巨大な河川の形成する三角州など)が住みいい。


爬虫類系のリザードマンは適度な水量の河川沿いに集落を形成し、湿地帯に生活圏を持つ。

植物系のアルラウネは森林地帯に生活し、同じく森林地帯に生活圏を持つのは鳥の翼を持つハーピーだが、

こちらは樹木の上に住居を作るという習性がある。

海水でないと生きられないマイーメイド、淡水でないと生きられないナイアス。

中には砂漠に適応したギルタブリル(半身がサソリ)、雪山に生きる雪男、雪女のような種族も居る。


それらに共通するのは召喚前の世界から見れば異形ではあっても、

ある程度は生物の常識が通じるという点は共通している。

酸素で呼吸し、他の生物を捕食することで栄養を得て、生殖によって増加する。

あとは適度な温度・湿度が必要になることも含めてある程度は常識の範囲内。

中にはスライムヴァンパイアやドランゴンのようにのようにファンタジー全開で

どういう原理でそうなっているのかさっぱりな者もいたりするが。


一部の例外を除き、生物にとって暮らしやすい環境というのは似通っている。

よって魔族領 ――― 厳密に言うなら魔族たちの生活圏も人間側のそれと近くなる。

瘴気溢れる森や毒の湖では生きていけないものの方が多い。

(毒の沼地に適応したバブルスライムや瘴気を吸って生きる皇黒龍のような例外はあるが)


つまるところ、人間にとって快適な環境は大概の魔族にとっても快適であり、

元人間の彼が暮らすにもさして不自由しなかった。

特に気候が穏やかで、十分な水源となりうる河川が近くに在り、交通の要衝となっている場所には

物も人も集まりやすいのは人間も魔族も変わりない。

そうして出来上がった巨大な集落はいつしか周辺の小さな集落を従え、1つの巨大な形を形成する。


――― それを『国家』と言った。


そして中心にあった集落は『王都』と呼称され、政治の中心的存在としてそこにある。

別段、魔族たちが国家を名乗っているわけでもなく、人間側も国家として見ているわけではないが、

実質的にはほとんど変わらないといっていい。

その事実は彼にある種の疑念を抱かせたが、それは今は割愛する。


かつて人間だった頃 ――― 人間側として戦っていた頃には最終目的地であり、

そしてついに辿りつけることはなかった場所。


「案外、感慨というものもないものだな」


魔族領の中心。

魔の王都<リアージュ>。

そこにサンドリオンは居た。


「まあ、数ヶ月ぶりではな」


初めて来たときにはあまりにあっけなくて拍子抜けしたものだった。

同時にその人間達と変わらない、いわば思い描いていた『最終ダンジョン』と

あまりに異なる光景に笑いの発作を抑えられなかったことを記憶している。

同席していた3人からは妙に生温かい視線を送られたり、

「しばらくはゆっくり休め」だの「そういうお年頃なのね」とか

終いには「……うわぁ」とか露骨に言われたものだ。


「独り言が多いのは歳の証拠と聞き及びます。 他意はありませんが」


「少し昔を思い出していただけだ」


狭い室内の向かいに座るメイド姿のサキュバス ――― ミレイユにそう返す。

過去に露骨に「うわぁ」とか言ってくれたその人物は今日も平常運転だった。


「最初にこの光景を眺めた時のことを、だ」


「……懐かしいですね。 あの頃はまだお二人も御健在でした」


「……ああ」


そして今は居ない。

それだけ。

それはただそれだけの事実。


僅かに蘇る軋むような胸の痛みも、砂を噛んだような苦い味も。

全ては過去の残滓に過ぎない。

語るべきは過去ではない。

見つめるべきは昨日ではない。

考えるべきは未来であればいい。


例えそれが『悪』そ誹られ、『裏切り』となじられようとも。


だからそこから会話を続けることはしない。

ただ窓から流れていく下界の景色を眺めるだけだ。


眼下に広がる街並みはどこか入り組んで巨大な迷路のようにも見える。

それもある意味当然で、市街部は戦争時のことも考えてわざと入り組んだ構造をしていた。

加えて古くからある旧市街部と最近の発展に伴って建設されつつある新市街部が

不規則に入り混じっているため余計にそうなっているのだった。


生憎とここの行政官たちには都市計画という概念がないらしい。

攻め込まれた時ならこの混沌とした市街は防壁となって機能するのだろうが、

散歩には少々適さない場所だった。

実際、何度か歩いて迷子になった経験のある身としては中々に笑えない。

馬車を使うにしても中心地まで行くにはやたらな遠回りを強いられる。

なので急ぎの時にはこうして特別便に頼ることにしている。


その名を『竜籠』と言った。


原理としては特に難しいことはない。

単純に馬車で言うところの箱の部分に持ち手をつけた上で飛竜に掴ませて運ばせる。

簡易的なものは2人乗りで屋根なしのまさに『籠』だが、

彼らが使っているのはそれより上等な『箱型』。

屋根付き、窓有りの4人乗りという中々に立派な代物で、

2頭の飛竜に運ばせるようになっている。

要人移送用に強固な防護の魔術を施された箱の中では

外部の音もほとんど遮蔽されている。

ただ無音に近い状態で風景だけが高速で後方へ

流れていく光景はどこかフィクションめいていて。

感傷じみたことを思ったのもそんな事情からかもしれない。


軽く眼を伏せて思考を過去から現在へ切り替える。


無論のこと通常の馬よりも飛竜と言う遥かに飼育の手間のかかるものを

2頭も用いるため、値段の方もかなりする。

感覚的にはヘリをチャーターするに等しい。

決して安いものではないが、そこはそれ。

「時は金なり」とはよく言ったもので、時間と金の等価交換で考えるなら

彼の場合は竜籠を使ったとしても短縮された時間で働けば釣りが出る。

逆に飛行機に対する船旅のように「時間を贅沢に使う」者もいるのだろうが、

平時ならともかく戦時の今にその様な余裕はない。


それに『最上位者からの呼び出し』とあっては一分一秒たりとも無駄にはできまい。

であればこそサンドリオンは『積荷』の荷解きも部下に任せると竜籠を乗り継いで王都へ急いで来た。

目的地は魔族領の王都、さらにその中心地。


――― 魔王城。


そこはそう呼ばれている。



○ ● ○ ● ○ ●


それは泡沫の夢だった。

まどろみの中にのみ許される僅かな夢。


そこは静かな庭。

黒に染められた木製の椅子は少し大きくて、まだ一人では座るのにも苦労していて。


『ははは、まだ" ――― "には大きかったかな』


そう言いながら大きな手がそっと抱きあげて。

それが父と呼ぶべき人だった。


季節はいつだったか。

きっと外でくつろぐくらいだから、春の頃だったか。


『さあ、" ――― "。 今日はあなたの好きな苺のタルトよ』


うん、それは好きというよりも母がほとんど唯一

まっとうにできる菓子だったから食べていただけで。

どうやったら群青色の生クリームなんてできるのか。


そして母が切り分けてくれたタルトを頬張りながら

自分は母に問うのだ。


『ねえ母様、"………"はどこへ行ったの』


その問いに答えたのは父。


『呼んでもらったからもうすぐくるよ。

 でも、ほんとうに" ――― "は"………"が好きなんだね』


少し苦笑を含んだ言葉。

でもその意味は分からないまま、自分は無邪気に答える。


『うん、大きくなったら"………"のお嫁さんにしてもらうの』


『よーしパパ、ちょっと"………"とOHANASHIしてくるから』


ちょっと大人げない父と、カップに紅茶を注ぎながら笑う母。


『やめてあげて。 さすがにあの子が死んじゃうから』


『昔はパパのお嫁さんって言ってくれたのに……』


そう言って真面目に落ち込む父。


『なぜか死亡フラグが立ちかけた気がする』


静かに割り込んでいた声。

そこに来たのは1人の男。

魔族たちの間では珍重される黒髪をした青年だった。

手にしているは ―――


『あら、白詰草の冠ね』


『姫様に手土産の一つもないのはどうかと思ってね』


そっと白い花輪が載せられる。

微かに鼻孔を撫でたのは花の香りか、それを携えた彼の残滓か。


『えっとね、ありがとう。 "………"!』


『いずれ戴く本物には及びませんが』


生真面目な返答。

それでいて表情は柔らかい微笑み。

その優しい表情が好きで、その温かな眼差しが好きで、

固いくせにそっと撫でてくれる手が好きで。

だから自分も笑い返した。


『乙女心のわかんない子ねー』


母の呆れたという態度。

父はムスッとしたままだ。


『そうは言われても姫様は……』


『えー、あなたが言うとすごいいまさら感があるわ』


はぁ、と母は嘆息したのだろうか。

自分は頭に置かれた手のひらを握り、引き寄せる。

椅子に腰かけているとはいえ、幼い自分に腕を抱え込まれる形になった"………"は

体を傾げたまま困ったような笑みを浮かべる。


座り込むには椅子がなく、立ったままでは抱え込まれた腕を振りほどく必要があり、

それは彼の性格からしてできない。

ゆえに妥協点として彼が中腰でしかも左側に15度ほど傾いだ状態となる。

帯刀はしているが、抜けないのでまるっと意味がない。

職務放棄もいいところだ。


『そんな状態で大丈夫か?』


『大丈夫じゃない。 問題だ。

 おい、そこの魔王陛下。 何とかしてくれやがりませんか』


『そうですね ――― よし、腕を斬り落とすから

 ちょっと動かないでいてくださいねこの野郎』


『喧嘩を通り越して戦争を吹っ掛けてきたなッ!』


『そしてその腕を娘への手向けにする』


それは魔族っぽいわねー、という母。

そして残る2人の大人はいつものように騒がしく。


それは懐かしいいつもの光景。

甘く、そして苦い後味だけを残していった記憶。

もう、二度と戻らない失われたもの。


――― ただの“過去”


今となってはそのすべてが失われた。


父は人間の勇者に討たれ、母も追うように病に伏せ、

ほどなくして亡くなった。

そして暖かな眼差しで自分を見ていた彼も、今はもう居ない。


もう誰も ―――



「…ひ……ん下、姫殿下」


そんな事を考えていたからだろうか、

呼ばれていることに気付くのが遅れた。


声の方に視線を向けると何とも言えない表情にぶつかる。

困惑したような、それでいて叱るわけにもいかずに対処に

苦慮していますとその表情が語る。


彼女を呼んだ豹頭の獣人は名をオセという。

役職としては宰相位にあり、つまるところ文官の筆頭であった。

『力こそパワー』な脳筋(脳味噌まで筋肉)な獣人の多い中で

政治ができる数少ない有能株としてここに居る。

彼女にとっては敵の多い宮廷内で信頼できる数少ない相手と言えた。


「姫殿下。 近衛総帥殿、御帰還の由にございます」


オセの豹頭の表情を見分けるのは中々の苦労だったが、

それ以上に表情を読み取るのに苦労する人物が眼下に控えていた。

意識を切り替えるために「はぁ」と息を吐いてから声をかける。


「御苦労でした、サンドリオン」


「ご拝謁に預かり恐悦至極にございます」


ちっとも「恐悦至極」とは思っていない声で回答される。


灰被り(サンドリオン)のあだ名が指す灰色の髪はくすみ、

まだら模様をつくっている。

今は漆黒に彩られた近衛の制服をきっちりと着こなし、

片膝をついた状態で頭を垂れているためその表情はうかがい知ることはできない。

目を引くのは特徴的な髪の他に腰に帯びた細身の剣。

騎兵の使うサーベルのように反りの入った曲刀の一種で、

使っている本人は『刀』と呼称していた。


言うまでもなく武器の一種である。

これが人間達の場合は貴人に謁見するのに武器を携帯するというのは礼を欠く行為であったし、

何より害意があるのではと勘ぐられかねない行為であった。

しかし、ここに列するのはいずれも魔族。

その牙は、爪は、または単純な膂力でさえ人間を軽く凌駕する者たちばかり。

サンドリオンが武器の一つを持ったくらいでは『どうとでも対処できる』と思っているため、

とくに咎められるようなことはなかった。


この場に居合わせるような高位の魔族にとって「刀を置いてこい」ということは

「ひっかれると嫌だから爪切ってこい」というに等しい感覚であり、

ともすれば臆病すぎると言われかねないものだった。

これが矢をつがえたクロスボウあたりならさすがにやる気満々すぎだが、

近接武器の一つくらいでは何も言われない。


まあ、例え完全武装してこようともサンドリオンが「必要な措置にございます」とでも

言えば異を唱えるものはそう居ないだろうが。

周囲に列する魔族たちも、この謁見の間の実質的な主が誰かを知っている。


自分のような10と3年しか生きていない小娘にかしずきながらも

この男は少しも卑屈になっているように見えない。


鬼族のように怪力無双というわけでも、吸血鬼のように不死性を持ち合わせているわけでも、

獣人のように高い身体能力があるわけでも、エルフのように魔術を使いこなすわけでもない。

それでもそれらのいずれの種族たちをも差し置いて『近衛総帥』の地位にある。


これは魔族領においては字義通りに『近衛軍を統べる地位』であり、

戦時の今では近衛総帥は魔王に次いで軍のNo.2にあるべきとされている。

今現在、『魔王が不在な状況』が続いているため、軍の統帥に関しては事実上のトップである。


それに近衛軍は魔王軍の中でも高い戦力を誇る。

人間の国、例えばジルス・ラウ王国では騎士団という

国王直属の騎士 ――― 高い戦闘技能を持つ専門職の集団が存在した。

この中でも近衛騎士団は平時は国王を含めた王族の身辺警護や、

他の騎士団に対する教導部隊として、

戦時は招集に時間のかかる諸侯軍に代わり第一に事態へ当たる即応集団、

その他にもここ一番で投入すべき戦略予備として扱われるエリート部隊が存在する。

国にもよるが、規模はおよそ500人ほど。

近衛を除く他の騎士団と合わせれば3000人程度にはなるだろうか。


魔族たちの近衛もこれに倣っているが、規模はかなり大きい。

近衛軍と呼称されており、規模は常設で1個師団。

人員は1万人を超える。

何より特筆すべきことは高い自己完結性を有すること。

簡単に言ってしまえば「他所から支援されなくても戦い続けることができる」ということだ。


近衛騎士団はあくまで騎士の集団でしかない。

食料を調達したり、宿営のために必要な資材を集めたり、それを適切に振り分けることまで計画し、

専門に行う部隊を持ち合わせているわけではない。

せいぜいが『気のきく奴に任せる』といった程度でしかない。


これに対して魔族の近衛軍は「ただ補給と兵站、それだけを管理する部隊」が存在する。

戦闘行為に参加する必要はなく、ひたすらに後方で物資の管理・計画・調達・配分などを行う。

「必要なのはわかるがそこまでする意味が分からない」と言われてはいるが、

おかげで近衛軍は一度命令を下されれば戦い続けられる期間が

他の部隊などより遥かに長かったため、効果的ではあるようだ。

ちなみに考案者はこのサンドリオンである。


曰く『人間の軍隊では技術的限界から機械力を得るまでできなかった戦術ができる』とのことらしい。

その点はよく分からないが、戦果に関してははっきりとしている。


15年前の人間達との決戦において魔族側は致命的な敗北を被った。

それは現王家の権威の失墜を意味し ――― 結果として影響力の低下した地方で反乱がおきた。

反乱そのものについては『そんなものだろう』という感想しかない。

王は力を示し、頂点を極めればこその王なのだ。

力を無くしたものが有るものに取って代わるのは極当然のこと。

王を続けたければ力を示す ――― つまりは反乱を叩きつぶせばいいだけ。

人間の王たちは王権は神に認められた絶対の云々というようだが、

魔族たちにとってはその程度のものでしかない。


それ故に大半の部族は静観を決め込むことになった。

これは権威の低下もさることながら、敗戦から間もないため決戦に参加した貴族は

介入しようにも手がなかったからと言える。


それに、後の視線から言うなら介入する暇さえなかった。

反乱の第一報を受けるとサンドリオンは再編を終えたばかりの

近衛軍から旅団(師団の半分程度の戦力)を抽出。

一直線に反乱を起こした貴族領の州都へ兵を進軍させた。

途中の砦や街道の要衝たる都市はことごとく無視。

ただ首魁たる領主の居る州都を矢のごとく射抜かんとしているような勢いだった。


州都には反乱を起こした領主の私兵が約1000ほどいたが、

そこに対して近衛第一旅団の5000が全力で殴りかかったのだ。


勝敗は極短時間で決した。


もとより精鋭たる近衛兵と、必要な時だけ徴兵される一般兵では錬度が違う。

数でも近衛側が勝り、そこに加えて心理的な奇襲効果 ――― 反乱軍はまさかこれほど短時間で

州都まで到達されるとは考えていなかった。

少なくとも準備に1ヶ月はかかり、侵攻はさらに行軍の時間を鑑みて2ヶ月後と読んでいた。

その間に迎撃準備を整えた砦や拠点の守備部隊が鎮圧部隊に抵抗して時間を稼ぐ、

可能であれば撃破するというのが基本戦略だった。

それがまさか2週間で州都まで一気に切り込んでくるというのは、あまりに非常識過ぎた。


「兵は神速を尊ぶ」とも「巧遅は拙速に如かず」ともいうが、

まさにそれを地で行く展開だった。


無論のこと、これを実現するためにはいくつもの障害があった。


まずは編成。

この世界における通常の軍隊は兵を常に雇い入れているわけではなく、

ある程度の数の指揮官となる騎士階級を除けば兵は必要な時に募集をかけるか徴兵するか。

傭兵を雇用するということもあるが、とにかく必要になってから集めるものだ。

募集をかけ、集まった人員を整理し、訓練して、軍として編成する。

最低でも1ヶ月はかかる。

必要な時に下手をすると間に合わない、ということも考えられる。


じゃあ日頃から準備しておけばいいじゃないかという話になるが、できればとっくにやっている。

軍隊とは何も生産することがない割に何もかもを必要とする金喰い虫である。

何千、何万人もの働き盛りの連中をただひたすらに食わせていくだけでも相当な出費だ。

加えて武器やその他の資材にも金がかかる。


これが生産工場ならば人員を確保し、資材を仕入れていけば商品がつくられる。

それを売って投資金を上回る利益を出せば黒字ということになるのだが、

軍隊はだたひたすらに消費するだけで金を一銭も生まない。


こんな困った代物を常時飼っておくだけの財布の余裕などない。

最低限、領内の治安維持や小規模な小競り合い、ノウハウの維持などに

必要な分だけは確保しておいて、あとはきな臭くなってきたら集めるというのが

この世界における『常識』だった。


ただし、近衛軍はこの『常識』に対する『例外』である。

経済面におけるデメリットを許容した上で常備軍として1万人を確保している。

経済面に関する事情は別の機会に譲るとして、事に臨んでは既に準備できている体制を

維持し続けているため、近衛軍は編成における時間を短縮することができた。


次に行軍。

どの道を通って目的地を目指すかということに関して、非常に重要な意味がある。

何も考えず最短ルートを行こうにも、そんな場所には大概防衛のための砦などが用意されている。

迂回ルートは当然ながら道が悪かったり、距離が遠かったりで余計に時間を食う。

そして砦に正面からぶつかるよりはマシとはいえ、防衛戦力が置かれているし

近くの砦からも援軍はあるだろう。

そうなるとさらに時間がかかり、結果として人員や物資を余計に消費する。


この点を近衛軍はかなり乱暴な手段でクリアーした。

移動に関して全ての歩兵を含む戦闘部隊から非戦闘員の支援部隊までを漏れなく

走竜の引く車に乗せて移動させることで軍全体の高速化を実現したのだった。

これによって砦や防衛戦力をことごとく迂回突破し、敵に対応する時間を与えなかった。

(通常は戦闘部隊のみである。 全てをそんな風にしていたらコストがかかり過ぎる。

 今回は一回こっきりかつ短期決戦に限定することで可能とした)


さらには補給。

通常は食料や燃料になる薪、明りのための油などは現地調達である。

優先順位的には徴発>略奪。

後者は恨みがたっぷり付いてくるので玄人にもお勧めできいない。

が、前者にしてもやはり金がかかるという問題点はあるし、

何より敵地で素直に売ってくれるのか、あるいは売ってくれたとしても

毒でも仕込まれていたら目も当てられない。

では安全なものを自分達の拠点から持ってくるのはどうかというと、

これは「派遣部隊が必要とする物資」+「それを輸送する部隊が必要とする物資」

+「後方でそれを準備する部隊が必要とする物資」+(以下略)

という具合になり凄まじく効率が悪い。


なので通常は敵地に策源地を求める。

順番としては最初に必要最低限の物資を持って出発。

次に道々の町で食料を確保。(徴発や略奪を含む)

最終的に敵地の要衝を包囲、周辺地域に食料を要求あるいは略奪しつつ、包囲、攻城戦。

行軍の経路はこの策源地をどこにするかに大きく依存する。


が、今回に限ってはそれも無視。

効率が悪いことを許容して後方から補給を続けることで迂回可能なルート内でも最短を行くことにした。

その為に後方に大規模な ――― 人員的には戦闘部隊に匹敵する兵站部門を設けて対処した。

さらには輜重隊も高速化するために走竜引きの車で移動させる徹底ぶり。

財務担当者をして半年も続ければ近衛軍の金庫が空になると言わしめるほどの

金をかけてまで実現した。


実際、近衛軍には後がなかった。

時間をかければろくに退路も確保せずに突っ込んだため包囲される危険があり、

最低限の食料と物資しか持ってこなかったために飢えることにもなる。

武器や消耗品の魔導具も大規模な戦闘を1回と小規模数回で使いきる程度しかない。

面倒な調整に時間を取られて進軍が遅れることを嫌ったために他の諸侯への根回しもしておらず、

援軍やその他の支援は望めない。

重く嵩張る攻城戦兵器の類も一切持ち合わせておらず、籠城されたらばなす術がない。


これだけの悪条件があった。

それでも勝利した。

速度を極端に重視し、敵の弱点目指して全力で駆け込んで思い切り殴りかかるという

乱暴かつ有効な戦術によって、近衛はその任務をまっとうした。


サンドリオンはこれを『魔族版の電撃戦』と呼んでいたが、

「では人間版があるのか?」という問いには「今は“まだ”出来ない」という妙な回答をしていた。


それはとにかく、敗戦において失墜していた王家の権威と近衛の名声はこの一件を機に回復した。

同時に誰もがサンドリオンの実力認めざるを得なかった。

例え、それがかなり出自が怪しい人物だったとしても、戦争をやらせれば強い。

魔族たちにはそれで十分だった。


いつまでもそれでは困るのだけれども。


実際、この人物の素性は知れない。

15年前に人間側からこちらの魔族側へ鞍替えしてきたこと。

父に ――― つまりは今は亡き先代魔王によって『眷族』にされて魔族になったこと。

あとは、


(……昔は優しかったこと)


それにもう1つ彼女にも関係のあることがあるが、それは今は割愛する。

男はいつからか本名を名乗らなくなり、白でも黒でもない灰色の態度をとり続けて本心を隠し、

そして魔族領の実権を掌握した。

いつから彼が変わってしまったのか、記憶は定かではない。


父が討たれた頃か。

母が亡くなった頃か。


あるいは最初から全てが演技だったのか。


――― そんなはずはない。


あの温もりが、あの思い出がすべて幻に過ぎないなどとは思いたくはない。

それを否定してしまえば共にあった父母との思いでも褪せてしまうようで。


「上奏致します」


少し思案にふけり過ぎていたようだ。

サンドリオンの言葉で我に帰る。


「1年前にジルス・ラウ王国で観測されていた魔力反応は

 やはり勇者召喚のものだったと確認できました」


「そうですか。 根拠は?」


「この目で新たな勇者を確認して来ましたので」


ざわりと周囲の魔族たちがにわかに騒がしくなる。


理由は2つ。

まず近衛総帥という高位にあるものが『直接確認する』などというリスクを冒してきた点。


反応は2通り。

『軽率なことをする』という侮蔑と『そこまでやるのか』という称賛と。

彼女は別に何も思わない。

それが必要だからそうしたのだろうと思う程度だ。

元来慎重で徹底した合理主義者なサンドリオンがそうしたというのなら、

それが最も効率が良かっただけ。

別に虚勢を張るとか勇敢なところを示すとかそんな意味はない。

ただ必要だから、そうした。

そんなところだろう。


そしてざわめいたもう1つの理由は、言うまでもなく勇者が増えたことに対して。

15年前の決戦に参加した勇者は8名だった。

その8名と8機の紋章機の前に魔族は大敗を喫した ――― というのはさすがに言い過ぎだろう。

実際には勇者たち以外にも各国の通常戦力も多数参加し、紋章機以外のAGも多数参加している。

それでも紋章機が極めて目立つ活躍していたのは間違いなく、

たった2機の紋章機に一軍が足止めされ、

結果として魔族が大敗を喫する一因ともなったとすればなおさら。

あの決戦に参加し、勇者の戦いぶりを目にしていた将も多いから危機を

実感として持ち得るのだろう。


「わかりました」


だから頷き、次を促す。


「それで、対策は?」


勇者が増えることくらいは想定済みだ。

だからこそサンドリオンに命じて ――― 実際は彼が提案してきたのを承認しただけだが ―――

勇者を探らせた。

ただそれくらいのことなら、他にできるものもいるだろうし、わざわざ彼が赴くことはない。

ならばこそ、直接“対処”するために行って来たのかと思ったのだが。


「必要ありません」


真っ向から否定された。


「……理由を述べよ」


なんだか自分が酷い間抜けになったような気がする。

救いなのはそばに控えるオトも絶句しており、ざわめきも一瞬で収まっているので

内心は誰も似たようなものだと分かったことだ。


「勇者はまだ訓練中であり、あと半年 ――― いえ、早くとも3ヶ月は訓練で動けないはずです。

 その間、あのボルダールの城塞に残る勇者は1人。


 3年前までは3人の勇者が砦を守っていました。

 これは3交代で24時間常時最低で1人が臨戦態勢にあるべき最低限の数です。

 それを今は1人までに漸減しています」


つまり、1人では常に備えておくことができない。

必ず勇者が休憩に入る空白の時間が存在することになる。

それはおそらく人間の生理的に夜間となるはずだった。

逆に魔族には夜行性の種も多い。

つまり、サンドリオンが提言するのは、


「“いまだからこそ”なのです、姫殿下。

 むしろ我々は全力を持ってボルダールを攻略すべきと愚考致します」


魔族から人間への全面攻勢。

そういうことだった。


電撃戦は第2次大戦でドイツ軍がやった戦術です。

作中でも書いている通り、機動力を最大限に生かして

敵の弱い部分を突破、後方へ浸透するというものですね。


人間がこれをやるには中世レベルでは輸送力とか指揮・通信能力が

低すぎて無理ってことです。


ようやく戦争の準備が始まった話です。

でも肝心の戦争シーンはまだ先になる見込み。

次も魔族サイドの話です。

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