第5話 とある勇者の1日・午後
――― 午後は休み? じゃあ、買い物につきあってよ。
ネコミミの少女にそう言われたハジメは、一も二もなく承諾した。
異性と触れ合った機会などほとんどない彼には福音にも等しいその申し出に迷うことなく頷いた。
共学だったからクラスメイトの女の子は居たが、学生時代は恋愛に発展したこともない。
なんとなくいいなと思う子はいても、そこから交際を申し込んだりというところまでいかなかったのだ。
ようやっと浪人生時代にできた彼女はいたが、一緒に大学へ行こうと約束してたもののハジメはまた落ちて
相手が合格すると速攻でフられた。
思い返せば召喚前の世界ではほとんどの時間を勉学に費やしていた。
両親の期待もあった。
夢もあった。
何よりそれしか生きる術を知らなかった。
だが、それらは召喚されたあの日にすべて無意味になった。
いや、ずっと前からそうだったのかも知れない。
ただ自分には才能がない、そう認めるのが怖かっただけで。
召喚はある意味言い訳に過ぎない。
『こんな世界じゃ学校の勉強は役に立たない』という言い訳。
だからあれだけ時間を費やして、あれだけがむしゃらに取り組んできたことを簡単に捨てられた。
本当に必要だと思っていたならば、本当にそう思って取り組んでいたのならばできなかったはずだ。
ようは重荷だったのだ。 両親の期待が。
期待されることは悪くない。
誰かに必要とされることは嬉しい。
ただ、それのみを糧に生きてきた人間は、それを無くした時どうすればいいのか。
まして自分からも逃げ出したとなれば。
『あいつは駄目だ。 才能がない』
その言葉は今も心の奥底に澱となって残っている。
ああ、その通りなのだろう。
あれだけ打ち込んで、他の何もかもに目を向けずにただ邁進した。
それでも届かなかった。
挫折した。
だからこの世界へ召喚された時、そして自分が召喚された目的を聞いた時、
ハジメは確かに喜んだ。
自分の身に何が起こったのかという不安も忘れ。
これからどうなるかのという戸惑いも忘れ。
ただあの時は歓喜した。
『勇者様、どうぞこの世界を救うためにお力をお貸しください』
その言葉を聞いた時、紛れもなく捨てたものを、無くしたものを取り戻せるとして。
期待されることは悪くない。
誰かに必要とされることは嬉しい。
――― そうだ、僕はまるで懲りていない。
ならば自分は何の役に立てるのかという答えは目下模索中である。
模索中ではあるが……
「じゃあ、次。 研ぎに出してたナイフの回収と。
あとは短弓用の矢も補充しないとね。
あ、いくつかポーションとか魔導具の見てかないと」
「デスヨネー」
目先のことに限定するなら役立つ方法は確定している。
『サイフ』と『荷物持ち』として。
「うん、分かってたんだ。 デートじゃないことくらい」
――― 海か空か、何か青いものが見たくなった。
「でーつ? ナツメヤシなんて買ってないよ?」
「分かりづらいボケだ!? というか意外と万能だよね、この翻訳魔術どうなってんの!?」
いくつかの野菜や果物を編み籠に入れたカティが不思議そうに言う。
いまさらだがここは異世界なので当然ながら日本語は通じない。
文字も漢字やひらがなもなければアルファベットでもない不思議な文字を使っている。
なのに言葉も通じるし、文字も読めるのは例によって『魔術』のおかげだったりする。
召喚後に聞いたことなのだが、勇者召喚の魔法陣にはいくつもの術式が組み込まれているのだが、
そのひとつに翻訳の魔術もあるとのこと。
説明を担当してくれた宮廷魔術師は技術者肌で、まあ、その手の人間にありがちなことに説明が大好きだった。
聞いてたことはもちろん、聞いていないことまで懇切丁寧に教えてくれた。
なんでも勇者召喚の魔法陣は主たる術式は「勇者の才能を持つ人間を探すこと」、「異世界との通路を開くこと」の2つらしいが、
付随して「こちらの言語・文字を翻訳すること」、「この魔法陣が異世界への召喚を目的とすることを説明する」術式も組み込まれているとのこと。
勇者召喚が目的なので前2つは当然として、後ろ2つも重要である。
まずいきなり見知らぬ場所に拉致しておいて「よし、俺達のために戦え」と言われたら大概の人間は怒る。
実に当たり前である。
最悪の場合、敵に回りかねない。
それでは無駄になったコスト《-1》+敵の増加《-1》=大損《-2》だ。
せめて助力を頼むなら可能な限りの説明責任と支援は果たさなけれならない。
この世界の人間はその点でまだ常識的だった。
なので召喚前に魔法陣に触れた時点で「YOU! 異世界で勇者しちゃいナYO!」とか
「当魔法陣では誰でもウエルカム。 どうぞ存分に世界を救ってください。 我々はその姿を心から応援するものです」
というようなニュアンスのメッセージを『頭に直接刷り込まれた』のだった。
――― ご都合主義万歳。
おかげで念願のネコミミ少女と問題なく会話を交わせる。
この世界では英会話講座のようなものは絶対に生まれないだろうし、
相手に分からないように外国語で毒づくという真似もできそうもないが。
この魔術は原理は不明ながら独特の言い回しや慣用句もニュアンスを汲み取って訳しているようだ。
例えば「姫を娶るにはドラゴンを倒せ」というこの世界特有の言い回しがあるが、
これが「危険を冒さなければ貴重なものを得ることはできない」という
「虎穴に入らずんば虎児を得ず」と同じ意味になるのを理解できたりする。
なお、英語でもNothing venture, nothing have.(冒険がなければ、何も得ることができない。)という
言い回しがあるのでこのあたりの真理は異世界でも普遍らしい。
それにしても万能だ。
「わたしが魔術のことわかるわけないよ。
次行くよ、次」
「ワカッタヨー」
まあ、翻訳が万能であっても心の機微までは伝えてくれないようだが。
境界の都市<ボルダール>は海に面しているため、市場や商店の並ぶ一角は港にほどなく近い海側に存在する。
船から下ろしてそのまま店へ運びこむことで少しでも手間を減らそうということだ。
ジルス・ラウ王国の本国から送られてくる補給物資の他にも新鮮な海産物や他国から輸入してきた日用品、茶や砂糖菓子といった
嗜好品の類まで、様々なものが陸揚げされて店先に並ぶ。
何でも王都並とまではいかないが、それでもライン城塞群の支援都市の中では随一の品揃えを誇るとか。
昼に会ったあのサンドリオンという商人(?)が「金と質を問わなければ何でも揃う」と言っていたのも伊達ではないということか。
何軒目かに訪れたのは魔導具屋。
一般の雑貨店と違うのは文字通り魔術を使う道具を取り扱っていること。
魔術を導くから『魔導』といい、魔術士でなくとも魔術の恩恵にあずかれるようにした道具が魔導具と呼称される。
魔導具の作成・調整には特別な技術と知識を必要とし、また燃料となる魔石は貴重品であり、
流通ルートが魔術士ギルドを通してと限られるので専門業者として魔導具屋がある。
ちなみにお値段も高いが、性能はお値段以上に便利なので富裕層や軍隊では割とよく利用されている。
2人はボルダールにも4軒しかない魔導具店の一番大きな店舗に足を運んでいた。
一番大きな店舗と言っても広さとしては土地面積が一般的な家屋の倍程度。
さらに2階建てで商品が並ぶのは1階部分。
2階は調整用の工房となっているとのこと。
魔道具作りの工房そのものはまた別の大きな工房で一括に作成し、それを各店舗に配っている。
いわゆる工場制手工業の状態だ。
「これは……なんて言うか壮観だ」
基本的に魔導具は展示品を見て店員に言うと在庫を出してきて販売してくれる。
単価が高価であることと、種類が多いのですべて店舗内に置いていたらスペースが足りないという事情がある。
それでもなお壁一面と室内に置かれた棚にも所狭しと置かれた魔導具の数々。
ピンキリではあるが、安くても庶民の月収に相当するとか、高いと年収に相当するとか
そんな金銭的な意味でも豪勢な光景でもある。
光を(正確には太陽光に含まれる紫外線を)嫌う薬品の類もあるため
店内の窓は遮光カーテンで閉ざされており、薄暗い。
そんな有様だからじめっとした空気が澱んで留まり、
薬草のものなのか、妙に甘かったり酸っぱかったり
辛かったりするような臭気も漂っている。
「そろそろハジメも準備しとかないとないとね。
せめてポーションくらいは選べるようにしとかないと」
「え? 僕のためなの?」
「当たり前だよ。 わたしの給金じゃポーションだってめったに
買えないから普段は薬草で済ませてるのに。
勇者様ならお金は何とかなるでしょう?」
「でも、そんなに持ち合わせないけど」
「庶民と違って勇者様なら証文で売ってくれるし、
現金持って買い物しようとしたら重たくて仕方ないよ」
なるほど、と納得。
この世界の貨幣は紙のものはなく、金貨や銀貨、銅貨といった硬貨が主体。
高ければ庶民の年収に匹敵するような代物を買うのに金貨で持ってきたら重くてかなわない。
ここで買い物をするような者は社会的な信用があって『後払い』が利くことが条件と言うわけか。
「でも、何を買えばいいのやらなんだけど」
「実戦経験もないハジメにそこまで期待してないから。
わたしが言ったものを買ってけばいいよ」
そのために一緒に来たんだし、というカティに頷く。
そういうことなら一安心でいいのだろうか。
「一振りで『薙ぎ払え!』みたいな光線が出る魔剣とか、かざすと爆発の魔術を放ったりする杖とか?」
魔導具と言われて思いついたものを上げてみる。
が、ジトッという視線と溜息が返ってきただけだった。
「そんなのあったら間違いなく宝具扱いで、教会が管理してると思うけど。
どうせ勇者様は紋章機に乗ってしか戦わないから、そんなの要らないよ」
「いや、まあ、そうなんだけどさ」
でもそこはロマンと言うか。
せっかくファンタジーな世界で勇者をやっているのだから『約束された勝利の剣』とかやってみたい。
まあ、彼の腕前ではそんなものを持っていても
「ねんがんのアイスソードをてにいれたぞ」 → 「殺してでもうばいとる」 → 「な なにをする きさまらー!」
のコンボになりそうな気がする。
「でも派手な攻撃で一撃必殺ってやってみたいし」
「ハジメの紋章機は魔術使えるよね?」
「あー見た目が地味なんだよ。 僕の魔術。
フェンネル教官にあまり外で能力の内容を言うなって釘を刺されてるから教えられないけど」
「その教官、正解。 ハジメはもう少し危機感を持つべきだよ」
「そうかな。 別にばれたって防げる類の攻撃じゃないと思うんだけど」
少なくともビームが出て薙ぎ払う類の攻撃ではない。
視覚的にはかなり地味な部類に入る能力である。
ただ、生物相手なら火炎や冷気以上に一撃必殺なので強力には違いない。
基本的に射程は短い(実質的に相手に触れていないと有効な攻撃にならない)し、
遠距離で攻撃しようとすると途端に魔力の消費が大きくなる欠点もある。
そこは武器の選択次第で何とかするしかないとは思っているが、さてどうしたものか。
「と・に・か・く、いまは買い物優先」
「えーっとじゃあ、最初は?」
「うーん、そうだね。
まずはポーション、10本あればいいかな」
そう言いながらポーションの小瓶を物色するカティ。
魔導具と言っても消耗品の類であるポーションは複数在庫を展示している。
そのうちのいくつかをひょいとばかりにつまんでは時折、光に透かしている。
薬液の中に不純物が混じっていないかを確認しているのだ。
生憎とこの世界には品質管理、つまりはどれをとっても一定に品質内に保つという概念がない。
そのため、適当に買っていてはかなりの当たり外れがあることになる。
怪我をしたときに『ポーションを使いました。 体力が100回復しました』が常にできるとは限らない。
飲んだはいいが『おおっと』な事態になったら洒落にならない。
命を預けるものに下手はできないのでここはカティに一任である。
先程から適当に選んでいるように見えて、本人曰く「光に透かしてみるまでもなく色の悪いものは避けている」とのこと。
ハジメにはパッと見てそこまでの違いは分からないし、指摘された上に良い物と悪い物を見比べてやっと分かる程度だった。
その辺が経験の差なのか、人間と獣人の差なのかまではわからない。
どちらにせよ信頼しているので問題はないと彼は考えていた。
その間はネコミミ少女の揺れる尻尾を観察しながら「やばい、すごいモフモフしたい」と思っているだけでいい。
(ちなみに耳は例のごとく帽子で隠している)
しかし、
「勇者様、お申し付け頂ければ私どもでお選びいたしますが」
そう店員に言われる。
「いえ、別にいいですよ」
ハジメとしてはカティに任せておけば間違いないし、
いちいち店員さんを呼ぶのもなーという日本人らしい遠慮でそう考えていた。
ただ、相手はそうは思わないらしい。
「ですが、獣人などに任せるのは」
さすがに勇者たるハジメに対して「如何なものでしょうか」と真っ向からは言わなかったが、
後半部分は明らかに分かった。
その態度にいささかムッとする。
これで「私どもは魔術の専門家ですので、お任せください」と言われれば
ハジメとて「そうかも」くらいは思っただろう。
だが、今のは明らかにカティを獣人だからと言って見下しての言葉だった。
「彼女は斥候兵ですから、目の良さは信頼しています」
カティから獣人に対する一般的な差別意識は聞いていたが、
それを見せられて不快感を抱かないほど愚鈍ではない。
言外に「僕が良いって言うんだから文句を言うな」と告げる。
「ですが、獣人は目は良くともおつむが ――― 」
「……このッ」
だが、空気を読めないのかそれとも獣人を平等に扱うという発想にそもそも至らないのか、
さらに余計なことを言いかけた店員に、いい加減文句の一つも言ってやろうかと
口を開きかけ、
「はい、勇者様。 これでよろしいでしょうか」
カティが絶妙のタイミングで割り込んできた。
何気なく掴まれた手が気持を少し和らげる。
「カティ ――― って、多いよ!?
さすがにこんなに要らないよね?」
「でもこれくらいはあった方がいいかと思いまして」
籠に一杯のポーション。
ざっと見て30本はある。
でもさっき、10本くらいでいいって自分で言ってたのに。
「さすがに使いきる前に劣化致しますよ。
10本程度でよろしいかと」
店員もハジメにそう告げる。
「ああ、うん。 そうだよね」
それは店員に同意したというよりも、カティの方になんで?と聞きたかったのだが、
「そうですか、では減らします」
とカティはしおらしい態度でポーションを戻していく。
「……次はお任せくださいますよう」
店員は「それ見たことか」と言わんばかりの態度だ。
そしてポーションを戻すカティの手つき。
“どれを抜くのか決めてあったかのように”迷いがない。
(……ごめん、カティ)
そんな彼女に内心で謝罪する。
獣人がいいのは何も目だけではない。
生まれながらの狩猟者たるワーキャットは当然ながら耳もいい。
まして斥候兵たる彼女が周囲に気を配っていないはずがない。
先程の店員との会話も聞いていたのだろうし、
それに対して彼の抱いた怒りにも気付いていた。
だからあのいけすかない店員の言うように頭の悪い獣人を演じて見せた。
すべては勇者の権威を保つため。
決して勇者の権威を損なうようなまねはしないこと。
カティはそういう条件でハジメと行動を共にすることを許されている。
ある事情から彼女はそれを必要とし、彼もそれを受け入れた。
だからこれも必要なことだ。
互いにとって、必要な ―――
(なんて納得できればいいんだけどなぁ)
気に入らないものは気に入らない。
ハジメはそう思っている。
それを当然としている人間も、それを受け入れてしまっている獣人たちも。
獣人が低く扱われる理由は分かる。
人間達が形成した社会の中に獣人達が『間借り』している状態なのだから。
それは人間の側に生きる他の亜人種 ――― エルフやドワーフも同じことではあるが、そちらは決定的に違うことがある。
だからこのような扱いは獣人に限るとも言えるが、ネコミミをこよなく愛する彼からすれば不愉快極まりない。
そんな悶々とした思いを抱えながらいくつかの魔導具を眺めていく。
(……なんとなく用途は分かるんだけど)
その良し悪しが分からない。
魔術を使うものと言っても道具である以上はそれに適した形状というものが存在する。
剣なら握りの部分と対象を切る『刃』の部分から構成される。
魔術を行使できる魔剣の類であってもそれは基本的に変わらない。
機能を突き詰めていくと形はおのずと決まってくる。
魔剣だろうと鈍ら刀であろうとも形は同じだ。
だからこそ目利きと呼ばれる技能があるのだが、
「……うん、わからない」
早々に諦めた。
そもそも魔法のない世界で生まれ育っていた人間に
初見で見破れというのは無理な相談だ。
オーラのようなものでも見えればと思ったが、
生憎と余程の魔剣、神刀、宝具の類でもない限り見分けはつきそうもない。
ちらりとカティの方に目をやるが、
『あっちに聞け』とばかりに小さな仕草で店員を示す。
先程のやり取りのせいもあってあまり気の進む相手ではない。
(でも、それって僕のワガママだよな)
獣人を差別するやり方は気に入らないことは気に入らないし、
その点に関しては妥協するつもりもない。
だからと言ってここで変な意地を張っても仕方ない。
『智に働けば角が立つ。 情に棹させば流される。 意地を通せば窮屈だ。
とかくに人の世は住みにくい』
そう綴った文豪が居たが、その真理は100年経とうが異世界へ来ようが変化ないらしい。
「あー、すいません。 これって何の道具ですか」
なので人は妥協する。
それは一概に悪いことではない。
自分が正しいと思うのは当然の心理だが、それが過ぎればただの自己中心主義だ。
完璧主義者は人が付いていけない。 ミスをしない人間はいないが、
それを責め立てるばかりでは人はやる気をなくすばかりだ。
完璧な正しさは存在しない。
折れることを知らずただ我を通すばかりの完璧超人。
それはあまりに人間味がなさすぎる。
正しいことを行うだけのロボットのような存在に何の意味があるのか。
そんなものは神だけで十分だと思う。
勇者ではあっても神ではないハジメは、だからこそ妥協する。
自分の気持ちに折り合いをつけて専門家に頼る。
内心穏やかならざるハジメの問いに、それでも店員は的確に答える。
「これは照明具の一種です。
他のものと違うのは1回使用したら回収して魔術を込め直まで
再使用できないという点です」
「んー、使い捨てって意味ですか?」
「いえいえ。 店までお持ちいただければ再度魔術を込めますので
使い捨てにはなりませんよ。
回収できる限りはそうされるのが一般的ですね」
エコロジー仕様らしい。
安いと言っても一般的な中産階級の1月分の所得に匹敵するほど
高価な魔導具を使い捨てにできるほど金のある奴はそうそういないのだろうが。
「こちらのタイプは照明の時間と照度を調整できますよ。
込められている魔力は一定なので明るさと持続時間は反比例しますが」
太く短くか細く長くか。
まるで人の生きざまのような代物だなあと感想を抱く。
『できれば植物のように平穏に暮らしたかった』派のハジメはそれをしげしげと眺めた。
「でもお高いんですよね?」
調整機能などと言う面倒な術式を組み込むにはそれなりの技術と手間を要する。
それは値段として跳ね返る。
「ええ、調整不可のものよりは。
それでも昨今はだいぶ安くなりました」
「へえ、なぜです?」
ぱっと思いつくのはいくつかある。
1つは量産効果。
例えばこの種の製品を作るのに必要なものがいくつかある。
それは素材、技術者、設備、時間だ。
そのうち設備に関して一式揃えるのを初期投資と言う。
これに金貨100枚 ――― この世界の通貨単位で100万ギルスかかったとする。(金貨1枚で1万ギルス)
その設備で製品を1個しか作らなかったら、初期投資の回収に100万ギルス分、製品価格に上乗せする必要がある。
材料費と人件費に100万ギルスとしても最低で200万ギルスの価格でないと赤字ということだ。
では同じ製品を100個作り、設備はそのまま使い回せばどうなるか。
100万を分割し、設備費用の回収は製品1個につき1万ギルスで済む。
そうすると最低価格は101万ギルス。
200万と101万。
同じ物を作ったとしても単純に数を多く作れば安くできる。
無論、設備の維持管理費用が発生するのでこれがそのまま適用されるわけではないが、
これが量産効果だ。
あとは技術者の賃金カット。
手っ取り早く価格を下げることができる半面、モチベーションも一緒に下がる諸刃の剣。
玄人にもお勧めできない。
他にも色々考えられるが、あとは ―――
「魔石が安くなったのです」
「……材料費の低下」
店員の回答に、ポツリとつぶやく。
素材が安く手に入るなら原価が下がる。
ごく単純ながら、意外と難しい手段である。
特に魔導具の原料ともなればそう簡単に増産できる類のものでもなし。
そもそも戦争中なのだから増産できるならなりふり構わずやっているはずだ。
「ここ10年ほどになって参入してきた商会が新たに魔石の供給を始めましたから」
「素人なんであれなんですけど、魔石ってそう簡単に手に入るものなんですか?」
「いいえ。 魔石もピンキリ ――― それこそ魔力を帯びた石ころから護符に使用されるような霊珠まで様々ですが、
基本的に魔力を帯びた霊地でしか生まれない。
有力な霊脈と鉱脈の二つを持った地がそうそうあるものではありませんから、当然入手は困難です」
そうだろうなー、と思う。
かつての世界でも資源は大きく偏って存在した。
地形的に大規模な鉱脈を持つのは大陸同士がぶつかって隆起した山脈地帯や火山帯など。
そこに霊脈 ――― 地下水のように流れている魔力の奔流が重なるという条件まで必要になる。
霊地とは霊脈から地表に漏れだした魔力の吹き溜まりのこと。
鉱脈でありかつ霊地である。
そんな都合のいい条件がそろう場所がそうそうあるとも思えない。
故に魔石や魔力を帯びた鉱石の入手は困難である。
だからこそ魔石の中でも上位に属し、多量の魔力を内包する宝石の一種 ――― 霊珠を使用した護符や
ミスリル銀やオリハルコン、ヒヒイロカネといった魔導金属を使った武器はとんでもなく高価になるのだろう。
「さすがに霊珠ほどのものはありませんが、このクラスの魔導具に魔力核として使用するには十分な魔石です。
それを大量に持ち込み始めたのですよ」
「それは……なんとも豪快な話ですね」
さぞかし裏では同じように魔石を扱っていた商人たちに恨みを買ったことだろう。
買い手としてはありがたいが、価格破壊を起こすほどの供給量となると相当なはずだ。
ほぼ間違いなくいくつかの商人は破産。
下手をすれば商会が丸ごと潰れているだろう。
その場合は路頭に迷うか、首をくくるか。
それを考えると手放しで「よかったですね」とは言えない。
「おかげでこの町の魔石の取り扱いはテフラ商会の独占状態ですがね」
「へえ ――― ? テフラ商会?」
またも適当に返事をしかけたハジメだったが、引っかかりを覚えて聞き返す。
どこかで聞いたことがあるというか、ごく最近聞いたというか。
記憶の過去ログを開いて|Ctrl+F(検索)。
――― 申し遅れました。 私はサンドリオン。
――― テフラ商会所属の商人です。
1件Hit。
「……サンドリオン、テフラ商会」
昼に会ったあの若い商人がそう名乗っていた。
あの商人らしからぬ商人は意外と優秀だったのだろうか。
「おや、サンドリオンを御存知で?」
「ちょっと縁がありまして」
ハジメとしては何げなく口にしただけの単語だったが、店員の反応は大きかった。
「ああ、有名ですからね。 あの若さで相当な大口にも関わっているとか。
それに ――― 」
そこまで言って店員はちらりとハジメではなくカティの方を見た。
その視線の意味をハジメが考えるよりも早く店員は回答を口にする。
「彼は変わり者ですから」
「なんとなく雰囲気で変わってるのは分かりますけど、具体的には?」
「商会が奴隷も扱っているのは御存知で?」
「ええ、見ましたから」
なら話は早いと店員は言う。
「彼は混血の……それも子供ばかり買っていくのですよ」
「 ――― はぁ!?」
そう言えば確かにあのとき連れていたのも獣人の混血児だった。
しかし、一人ではなく口ぶりからすると『混血の子供ばかり買いあさっている』ようだ。
「趣味なのかもしれませんが、好き好んで混血ばかり買っていくのも」
「あまりいい趣味じゃなさそうですね」
「奴隷でも人間ではなく混血ですからね」
そこじゃない、と言っても通じないだろうからスルー。
いい趣味じゃないと言ったのは『子供ばかり』の部分だったのだが。
「せめてドワーフやエルフならそれなりに使えるでしょうが。
奴隷として出回っているのはほとんどが獣人かその混血ですし」
獣人の混血児の奴隷は安い。
人間のそれにしてもさらに安いくらいだ。
その理由の一番はずばり『需要がないから』。
労働力が欲しければ獣人の方がいい。
愛玩用かもっと高度なことをやらせるなら人間の方がいい。
つまりどちらとして使うにも中途半端。
ちなみに一番高価なのはエルフかドワーフ。
同じ異種族でありながら価格的には
エルフ≒ドワーフ>人間>獣人>(越えられない壁)>混血 くらいになる。
その差異は技術だ。
ドワーフはミスリルやオリハルコンと言った希少金属を加工できる冶金技術が、
エルフは紋章魔術を駆使して人の手によるよりもはるかに高度な魔導具を作りだすことができる。
いつの時代も技術者と言うものは重宝される。
芸は身を助けるというのはどんな場所でも変わらない。
芸と言えるものは『紋章機を扱える』という勇者であるハジメも似たようなものだ。
カティが斥候兵になったのも同じような理由からだろう。
とりあえず技術を身につけておけば食いはぐれることはない。
生憎とこの時代に人権などという考えはない。
生きているだけで素晴らしいなどと誰も言ってくれない。
『何ができるのか』『何の役に立つのか』ということに関してとんでもなくシビアな世界と言える。
だからこそ技術を持った職人や、特殊能力たる魔術を使える魔術士などは重宝される。
逆に言うとできることの少ない者 ――― 特に子供などは安値で扱われる世界だ。
混血の、しかも子供。
価値としては最下層に位置するであろう者を買い漁る。
単なる変わり者と言うには疑問が残る。
無論のこと何かしらのメリットがあるからこそなのだろうが……
(それってロクなことが思い浮かばないよなあ)
子供ばかりというとあまりいい想像が働かない。
例えば『青髭』のモデルともなったと言われるジル・ド・レイ。
イギリスとフランスの間で行われた百年戦争における英雄。
だが、彼は戦争が終結した後でその狂気を開花させた。
彼はその権勢と財力をもって少年ばかりを狙い、その毒牙を突き立てていく。
ジル・ド・レイ少年への凌辱と虐殺に性的興奮を得ており、
それによる犠牲者は100人を超えるとも1000人を超えるとも伝えられている。
まさに何とかに刃物の見本のような例だが、こと時代が時代だけにこちらの世界にもありえそうで怖い。
というか、余計にたちが悪そうだ。
ジル・ド・レイは領内で少年たちが次々に行方不明になるという異常さから事が発覚し、断罪された。
しかし、混血の子供を『合法的に』買い取っている限りは罪ではない。
少なくともこの国の法律はそうなっている。
人身売買が犯罪だった21世紀の日本とはそこが致命的に違う。
それに相手が混血の子供では恐らく当人たち以外はどう扱われようとも誰も気にしない。
凌辱され、拷問され、打ち捨てられたとしてもどこからも文句は出ない。
この世界には人権団体も動物保護団体も存在しないが、例え存在したとしても口出しするか怪しい。
鯨を保護しようという輩は居てもオキアミを保護しようという酔狂は現れないのと同じで、
価値がない、価値を認められないというのはそういうことだった。
ならばせめてハジメの感性からして『まっとうな人間』であることを期待するしかないのだが。
サンドリオンと名乗ったあの男。
あまり商人らしからぬ、しかし利に聡く頭も切れそうだ。
『いい人そう』には見えなかったが果たして
「……期待できるのかなあ」
「それはもちろん。 こちらのなどエアリーズ工房の逸品でして。
使用している魔石こそ通常のペトラ級ですが ――― 」
「いえ、そっちのことじゃ……って聞いてませんね」
どうやらこの店員は人の話を聞かない類の人種らしい。
それとも自分の専門の話になると饒舌になるタイプなのか。
ハジメには分からない専門用語も交えて解説を始める。
正直、構造がどうとか意匠がどうとか言われてもさっぱりなので
簡潔に機能と用途、あとは使用上の注意くらいを教えてくれればいいのだが。
結局、深夜番組の通販のような解説を聞かされ続けて解放されたのは夕方になってからだった。
本日の成果 ―――
1.ポーション(傷が治る魔術薬) 30ギルス×10個
2.使い捨ての魔術照明(光量調整可) 50ギルス×10個
3.ネコミミ少女との休日 Priceless
お金で買えない価値が ――― あったらいいかもしれない。
仕事がデスマーチでしたが、何とか生還。
しばらくは通常速度で行けると思います。