第4話 とある勇者の1日・昼
「 ――― で、そんなこと考えてぽけらーっと突っ立てたわけ?」
ハーブで臭みを消し、塩とスパイスで味付け、あとは柑橘系の果汁で
香りをつけた鶏肉のソテー。
舌が肥えていると言われる現代日本人の味覚からしても
中々に美味なそれをハジメの皿から強奪。
あまり上品とはいえない動作で口に放り込み、咀嚼、嚥下した後に
眼前の少女は一言だけ告げる。
銅色と表現される虹彩が呆れたようにこちらを睨みつけていた。
言外に「そんな下らないことで」と言われているのはわかるが、
こればかりは平和な ――― 年がら年中、魔族との戦争をしている
この世界から比較すれば格段に平和な21世紀の日本で育った
ハジメとしてはいささかショッキングなことだったのだが、
それを理解してくれと言うつもりはない。
彼女にとっては人の死などというものはそれこそありふれたものなのだろうから、
同じ気持ちを共有してくれというのは無理な相談だと理解している。
それでも一抹の不安と寂寥感があるのは仕方がないことだろう。
理性的であることが感情の問題すべてを解決してくれるわけではない。
「待たせたことに関しては悪いと思ってるよ、カティ」
名前を呼び掛けるのは自分の意図を伝えるのに重要だと彼 ―――
ニノマエ・ハジメは思っている。
カティ・カッツェ。
それが眼前で不機嫌を全身で表現している少女の名だ。
そして柔らかく名前を呼ぶことで彼女に対する親愛の情を伝え、
言外にも許しを請うた。
返す言葉もまた一部の本音ではある。
先達の末路と言うべきものを聞いて心を乱していたが、
胸中のすべてを吐露して理解を求める事だけが
相互理解を深める手段だなどとは思っていない。
時に適度な勘違いと思い込み、無理解も人間関係には必要なのだ。
時計を持ち歩いているわけではないので正確な時間は分からないが、
体感で30分ほど前に正午を告げる教会の鐘が鳴っていた。
それを鑑みて、今は12時30分頃。
時はまさに世紀末 ――― もとい昼時。
当然のことながら食堂や露店には空腹を満たすべく
押しかけてくる連中が飽和状態で溢れている。
それもほとんどがいかつい男、男、男。
モヒカンや肩パッドをつけて「ヒャッハー」とか言う連中は流石に居ないが、
勢いは似たようなものだ。
この都市には傭兵、冒険者の類や貴族の私兵、国の常備兵たる騎士団など
合わせれば3000人を数えるほどの兵がいることになる。
都市の規模や総人口をきちんとした資料で確認したわけではないが、
ここ数ヶ月生活してみての感じからすれば兵隊の割合は
異常に多いのではないだろうか。
それらが一斉に ――― とは言わない。 一応は3交代で1時間ごとにずらして
食事をとる交代制になっているが、それでも食堂は混む。
できるだけ早い時間にいかないと席どころか
食い物自体もなくなっている可能性だってある。
訓練施設の中にも食堂はあるが、そこはほぼ駐留する
正規軍の騎士団が専有しており、なんとなく入りづらかった。
何しろ騎士団の構成員は、ほぼ貴族階級の子弟で占められていたから
根が庶民のハジメからしたら気後れしてしまうのだった。
何もマンガのテンプレのように厭味ったらしく庶民を見下しているような
連中というわけではない。(中には居るだろうが)
無論のことエリート意識はあるだろうが、
それを無為に周囲にひけらかすことはしていない。
彼らは高等教育を受けた士官であり、その任務の中には
兵卒を率いることも含まれている。
ただ階級や身分を笠に着て命じるだけの指揮官では兵は付いていかないし、
無能者に貴重な戦力を預けて無意味に消耗させることを
許容できる余裕など人類のどこにもなかった。
(それでも一定割合で無能というべき人物は居たが、
極力少なくしようという努力は各所で払われている)
そんな理由もあり、ハジメとしても騎士団そのものを嫌う理由はないのだ。
気後れはしているが、いずれは共に戦うことになる仲間であり、
親睦を深めておくに越したことはないとも理解している。
ただ、それ以上に優先したい事情があり、外へ食事に出ているだけで。
「まあ、待たせたことに関してはおごってもらったし、許す」
その『優先したい事情』はそう言って食後のフルーツをつまみ、満足そうに目を細める。
なんでそんなに上から目線なんだという反発はない。
それを許せる程度には気安い仲であったし、額としてもたかが知れている。
何より『勇者』として ――― つまりは貴重な戦力として彼は金銭面では
非常に優遇されている。
一介の斥候兵に過ぎない彼女とは比較するのも馬鹿らしいほどの給与を
支払われていた。
あまり必要品を支給するという概念のないこの世界では支払われる給与で
必要とされるあらゆるものを準備せねばならない。
兵士なら武器防具から着替え、生活用品、その日の糧秣まで。
事務方ならペンやインク、紙から果ては自分の事務机まで。
それくらい準備してやれよという風に思うような代物まで自費である。
特に兵士は自分の命に関わる装備品に金を集中してつぎ込むため、
他の部分は削れるだけ削ろうとする傾向にある。
命あっての物種ということを彼らほど理解しているものはいないだろう。
何しろ死んでも遺族に補償が出るわけでもないのだから、
生きて稼ぎ続けないと遺された者たちは路頭に迷うだけだ。
彼女もその例に漏れず、飾り気のない格好をしている。
何かの動物の皮を煮込んで柔らかくし、
形を整えた上で樹脂で固めて防御力を高めた革製の鎧。
インナーは通気性のよさそうな麻の貫頭衣。
腰には各種の魔法薬を小瓶で保持できるベルト。
そして頑強そうな造りのナイフ。
テーブルに隠れて今は見えないが、下半身はハーフパンツという出で立ちだった。
鎧にも装備品にも無駄な装飾の類は一切ない。
特に斥候兵にとって音を発して見つかりやすくなる金属の装飾品は論外らしい。
同じ理由で痕跡を残しかねない香水もつけていない。
それでもハジメにとっては眼前の少女は十分に魅力的だった。
日焼けした肌は健康的でハリがあり、しなやかな筋肉のつき方をしているが、
決して女性的な丸みも失ってはいない。
可愛らしさと凛々しさが6:4くらいの割合でブレンドされた
顔立ちも中々に整っている。
瞳は今も楽しそうな輝きを失っておらず、童女のようにあどけない仕草は
微笑ましくもあった。
だが、それらをひっくるめた上でさらに重要な点がある。
それは ―――
「食事中でも帽子は取らないんだね」
ハジメの指摘にカティが目を瞬かせる。
礼儀に関して指摘したわけではないと知れてはいるのだろう。
大きな瞳を半分ほどにしながらジトッという擬音が付きそうな視線を向けられた。
「……取ってほしいの?」
「正直に言えば、うん」
はあ、と聞えよがしに溜息をつかれた。
ハジメとしてはもったいない、と思うのだが相手はそうは思ってくれないらしい。
「『勇者様』ってのは変わってるのが多いとは聞いてたけど……。
まあ、勇者様と一緒なら文句言われることもないだろうし」
そう言いながら食事中もかぶっていた革帽子をとる。
「はいはい、これで満足?」
答えず、ただ親指を立てることで返答とする。
はあ、とまた聞えよがしに溜息をつかれた。
帽子の下から現れたのは栗色の髪。
そしてその間から突き出す2つの耳。
見事な三角形をし、柔らかな体毛で覆われたその耳。
それはある種の獣を想起させる。
「……ワーキャットの耳をそんなに見たがるなんて」
つまりは猫だ。
「僕の国では一般的だよ」
同じ日本人が聞いたら断固として否定するか「同志よ!」と言って
全力で同意するかの極端な反応に分かれそうな意見をさも当然の
常識だと言わんばかりに述べる。
そう、帽子の下に隠されていたのはいわゆるネコミミ。
彼女は純粋種の人類ではない。
この世界での分類に従えば広くは亜人と呼称され、限定するなら獣人目の
ワーキャット族ということになる。
いまいち分類がはっきりしないのだが、魔族ではないということになっている。
彼女のような獣人は他にも多く人類域に存在し、生活を営んでいる。
特に身体能力に優れる彼女ら(あるいは彼ら)は軍においても斥候や
夜間見張りなどにも大いに役立つ存在であった。
他にもファンタジーらしく、エルフやドワーフも人類側に居るらしい。
それらはまとめて亜人とくくられ、人間と生活圏を重ねている。
(魔族側についた亜人もいるようだが)
その事を知った時、ハジメは歓喜に打ち震えた。
あざといネコミミカチューシャの紛い物ではなく、
本物のそれを目撃した時は涙さえ流した。
街を案内してくれていた神官が声をかけなければ駆け寄って
万歳を唱えていたかもしれない。
とにもかくにもネコミミだった。
ネコミミなのだ。
重要なことなので2回書いてしまうくらいに、ハジメにとっては衝撃的事実だった。
ちなみにちゃんと尻尾もある。
手は普通の人間と同じであるが、足は脛のあたりから猫の体毛に覆われており、
足の裏には肉球がある。
そのため靴はサンダルのように露出の多いものを使用していた。
ワーキャットは斥候に出るときは靴を脱いでしまうことで
野生のネコ科の動物がそうであるように、足音を殺すことができた。
なるほど、生物とはよくできている。
「この町だとまだマシだけどさ。 酷いところじゃ亜人だって魔物扱いなんだ。
食堂が獣臭くなるからって入れてもらえないのはまだマシ。
買い物しても露骨に吹っ掛けてくるのもいるし、
棒持って追いかけられることだってある。
ほんとーにハジメは自分が変だって自覚しときなよ」
「勇者としての体面に関わるってこと?」
「そーだよ。 亜人と一緒に食事してること自体が普通はあり得ないんだよ」
「その機会を捨てるなんてとんでもない!」
「……やっぱり変だ、この勇者」
そして本日3度目の溜息。
「そうは言われても、本当にそう思うんだから仕方ない。
カティが僕の国へ来たら大人気間違いなしなのに」
「平和な国というか、変な国というか」
「いい国なんだろうと思うよ。 僕でも生きるだけはできた」
それでも生きることしかできなかった。
生き続けることを諦めかけた。
だからこそここに居る。
この異世界に居る。
「何もしなくても?」
「何もしなくても」
ふーん、とネコミミの少女は半信半疑でいるようだった。
無理もない。
こちらに喚ばれる前のことは話したことがあるが、
「部屋に引きこもって趣味に没頭していました。食事は親が用意してました」と
言った時は「王侯貴族か何かだったの?」と言われた。
王侯貴族だって年がら年中趣味に没頭しているわけではないだろうし、
統治者としての責務があるだろうから、
ニートと比べられると心外だと言われるだろう。
言い訳をさせてもらえば、2年前まではそれなりに順調だったのだ。
医師の父と同じ道を志している兄。 母は専業主婦だったが、
それでも出身大学は聞けば10人中8人くらいは知っている程度に有名だった。
当然のごとくハジメも医師の道を志し ――― そして挫折した。
大学受験に2回失敗し、止めとばかりに付き合っていた恋人にも振られた。
そこで彼はある意味で燃え尽きてしまった。
あとはお決まりのニートへ一直線。
引き籠り半年目にして家族が「あいつは駄目だ。 才能がない……」そう
話し合っているの聞いた時、最後の何かも崩れた。
まったくその通りだとどこかで納得してしまったのだった。
そこからはよく覚えていない。
気がつけば部屋着で冬空の下を歩いていた。
2月の夜風に晒された体は冷えるという程度をとっくに過ぎていたが、
気にはならなかった。
それ以上に心が冷え切っていた。
行くあてもなかったが、もう家には戻れないとも感じていた。
少なくとも彼の中ではあそこはもう戻るべき場所ではなくなっていた。
かと言って死ぬ勇気もない。
何も考えられないままさ迷っていたその時。
それは何の前触れもなく目の前に現れた。
それは一言で言うなら円。
円を形作るのは文字。
見知らぬ文字だった。
少なくとも見慣れた日本語のかな、カタカナ、漢字ではない。
アルファベットやキリル文字でもなかった。
それ以上に問題なのはその謎の文字で形作られた円が空中に浮いているということだった。
ホログラフの類にしては意味がわからない。
空中に三次元映像を投影する技術と言うのは開発はされていたはずだが、
一般向けに実用化されたとは聞かない。
まして人通りの少ない路地に投影している意味がわからない。
何げなく手を伸ばしてその円に触れたその時 ―――
現れた時と同じ唐突さでそれが何であるか理解した。
勇者召喚の魔法陣。
この世界でそう呼ばれているそれはこの世界とは別の世界から
勇者の才を持った人物を呼び寄せるもの。
ただそれだけの説明を脳裏に直接刷り込ませるという
非常識さで理解させられながらも彼はまだ信じられなかった。
ただ、言葉通りに受け止めるならこれは異世界への扉。
ここではないどこかへの扉。
だから彼は選んだ。
この世界へ逃げ出すことを。
「働かなくても生きてけるならわたしは是非そうしたいのに」
「あー、言うほどいいものじゃないよ」
「はいはい、勇者様は立派だねえ」
無論、カティにそこまでのことは話していない。
男の見栄を張りたい相手でもあるのだ。
不幸に同情してもらいたい訳ではないし、
不幸云々を言い出したら彼女の方が余程だ。
「僕はカティの方が立派だと思うけど?」
「立派?」
別に謙遜でもなく、本当に意味がわからないというように首を傾げる。
「だってもう5年だろ? 軍に入隊して、それからずっと」
「んー、そうだけど?」
「だから立派だなって」
そう言ってもやはりピンとこないようで、傾げられた首の角度がさらに深くなる。
つられるように尻尾も傾き、耳も伏せられていく。
その仕草に
――― やっぱりファンタジーは最高だぜ!
という、内心の叫びはおくびにも出さず続ける。
「12歳から軍で働き出して、そこから自立してやってこれているんだから、
立派だなってことだよ」
「12歳で働くのは別に早くないし、別に家族はいないから
自立ってのも元からだし、立派かなあ」
地雷を踏んだ。
考えてみれば出会ってからこの方、本人のことは聞いていても家族関係の話題は皆無だった。
さて謝るべきかとも思ったが、本人が気にしている様子が一向にないのでやめる。
誇れるほど長い付き合いでもなければ、自惚れられるほど彼女のことを
理解しているとも思っていない。
しかしながら短い付き合いの中でも理解していることがある。
それは、基本的にカティは……と言うよりも獣人は全般的に感情を隠すのが下手だ。
喜びを素直に表現し、怒りは行動を持って示し、悲しみには涙を零し、
子供のように楽しむ。
加えてワーキャット族は気まぐれ。
ついでに単独で生活をすることが多く、親離れも早い。
ほぼ猫そのままの性質を持っていると言っていい。
先程のカティがそうだったように、不機嫌になればすぐに態度に出る。
それがないということは、本当に気にしていないのだろう。
それは基本的に個人主義なワーキャットの性質故か、本人の性格ゆえかまでは分からないが。
あるいは ―――
「軍で働かないと、いきつく先は『アレ』だしね」
もっと悲惨な例を知っているからか。
「人を指さすのはよくないよ」
そう言いながらも視線だけをそちらに向けて……後悔する。
できれば食後の楽しい一時に見たいものではなかった。
視界の中で一番目立つのは男だった。
まだ若い、しかし中々に堂々としている。
ただ椅子に座り、茶を飲む。
それだけの仕草に妙な貫禄がある、と言うのだろうか。
ゆったりとした動作ながら無駄がない。
特別目を引くほどの美形と言うわけでもないが、何か絵になる。
そんな男だった。
しかし、焦げ茶色の髪に赤染めの服はやや装飾過多で似合っていない。
センスはいまいちなのだろうか。
目を引くのはその後ろに控える女性。
一言でいえばメイド。
二言でいうならエロいメイド。
加えて言うならすごくエロいメイド。
メイド自体は特別珍しいものではない。
現代日本では東京の某所で局地的に大量発生している以外はほとんどフィクションの存在であるが、
ほぼ中世に近い世界観をしているこの異世界では普通に町でお目にかかることができる。
着ている服もピンクやその他の目が痛くなるような原色のものではない。
いたって正統派の濃紺。 そしてエプロンとヘッドドレスは白のツートンカラー。
長袖にロングスカートと肌の露出はほとんどない。
徹底したことに首までハイネックのインナーで覆われている。
ハチミツ色の髪は邪魔にならぬように丁寧にまとめられ、視線は主人であろう男に向けられたまま。
格好だけなら貞淑そのものではある。
だが、その『中身』がすべてを裏切っていた。
メイド服の厚手の生地を押し上げる豊な膨らみが、
なだらかな稜線を想起させる腰のラインが、
何よりもその細面に浮かべる艶を湛えた微笑が貞淑さを塗りつぶし ―――
否、貞淑ささえ逆に『女の色香』を引き立てる。
女性の美を称賛して「女神のような」という表現をすることがあるが、
このメイドに関してはその表現は似合わない。
神と称するには、その姿はあまりに生々しい感情を誘起させる。
そこまではいい。
主人とメイド。
オープンテラスを備えた(単に建屋内だけでは収まりきれないからだが)
食堂で食後の茶を楽しむのは別に不自然でもなければ見て後悔する類のものでもない。
連れているメイドが美人でエロくても「もげろ」とか「爆発しろ」とか思う程度で済む。
問題なのは、そのメイドのさらに背後に控えている小さな影。
それは人間でいえば10歳ほどの子供だろうか。
美しい、しかし歪な少女だった。
艶やかな長い銀髪。 雪のように白い肌。
紅玉を埋め込んだような赤い瞳。
細く華奢な体にかぶせられたような黄色い服はサイズが合っていないのかぶかぶかだ。
それだけなら珍しくはあっても歪とまではいかない。
歪だと感じたのはもっと別の点。
「 ――― 人狼? いや、それにしては」
少女にはカティと同じように頭から突き出す耳がある。
鋭角的であり、ピンと立ったそれは狼を思わせる。
だが、ぶかぶかの服からのぞく素足は人間と同じだった。
何よりその『不健康さ』が獣人らしくない。
白い肌の獣人など痩せてる相撲取りくらい在りえない。
アルビノ、という単語が過る。
だが、それだけでは足のことの説明がつかない。
「混血だね」
その答えをカティが告げる。
加えて『見て後悔した』類の情報の捕捉も。
「そして奴隷だ」
その少女の首には鉄枷がはめられていた。
表面に書かれた文字は読めない。
しかし、その効果は知っている。
刻まれた文字は『隷属の魔法』と言う、紋章魔術の一種だ。
紋章魔術は特殊な魔導紋章を並べることで口頭での詠唱と同じ効果を発揮させ、
魔法を行使する技術の1つ。
ただ紋章を並べただけでは何の意味もないが、そこに魔力を供給することで
魔法が発動する仕組みだ。
魔力供給は装置の外部から使役者が行うか、装置そのものに魔力を帯びた魔石を
組み込んでおく方法が主流だ。
この奴隷につける枷のように継続して効果を発揮させなければならないものは
魔石を組み込んでいる。
これは文字通り奴隷を従わせるためのものだった。
逃亡や反乱防止に手枷足枷で行動を縛るという方法も初期の頃は取られていたが、
奴隷に作業をさせる度にいちいち外さないとならないこと、
その重量が体力を無駄に消耗させる(それは奴隷に行わせる仕事量が減ることを意味する)ことなど
諸々の面倒から解放させるために開発された。
(無論、この場合の『面倒』とは主人の側の手間である)
首輪をつけられた奴隷はその制御装置を持つ主人に逆らえない。
正確には自由意思を奪うものではなく、主人は制御装置を使って激痛を与えることができる。
この機能は(倫理や道徳というものを無視すれば)実に合理的だった。
それまでは奴隷に対しての躾と言えば『鞭で打つ』のが一般的であったが、
これは苦痛を与えるのに肉体を損傷させる。
何を当然な、と思うかもしれないがこれは実に厄介だった。
奴隷とは財産である。
できれば長く使った方がお得だ。
不用意に鞭ばかり振るって奴隷をダメにしてしまうのは損しかない。
しかしながら奴隷と言えど意思はあるので不快な仕事、
気の進まない仕事(例えば軍が使う場合は死体処理など)になると手が進まなくなる。
それでは何のために安くない金を出して奴隷を買ったのかわからない。
だから命令に服従させるために鞭を振るう。
しかしそれは奴隷を肉体的に損傷させることになり、命令に従っても健康体の時より効率は落ちる。
酷ければ傷が化膿してそのままポックリといくことだってあり得る。
奴隷の生活環境は衛生状態も栄養状態も決して良好とはいえない場合が多いから、その確率も高かった。
傷の手当てをしたり化膿止めの薬を飲ませたりしたらこれもまた手間と金がかかる。
その手間を省くための機能が隷属の首輪には付いている。
それは肉体的には一切の損傷を与えず、ただ苦痛のみを与える機能。
しかも与える苦痛は段階的に調整可能。
現代人の感覚からしてかなり碌でもないという点に目をつぶれば実に合理的である。
無論、そこにやられる側の気持ちだとかは一切考慮されていない。
加えてカティが口にした『混血』という言葉。
これはこちらの言葉に合わせるなら『人間と魔族とのハーフ』と言うことになる。
この異世界では敵対している種族同士の子というのは意外かもしれないが、少なくない。
獣人やエルフ、ドワーフのように人間側に付いた亜人達の存在もあるから、
それなりに両親がまっとうな出合い方をしてできた子供というのもいる。
だが残念なことに大半はそうではない。
何しろ延々と戦争をしているのだ。
世紀末なノリでそれこそ「男は殺せ、女は犯せ」がまかり通る。
しかも『互いに』。
亜人の例を見てもわかるように魔族にも人間に近い姿をしたものは多い。
エルフのように耳がとがっていて華奢なだけでそれ以外はほとんど変わらないという例は
流石に珍しいが、獣人は手足や耳などの特徴を除けばほぼ人型だし、
ラミアやマーメイドのように上半身は人間という例もある。
いかにせん軍隊というものは男社会であり、その手の欲望を解消する手段として
時に男同士でもコトをいたすくらいアレなのだ。
とりあえず女に見えればなんでもいいということも少なからずある。
中にはハジメのように「我々の業界では御褒美です!」というやつもいるかもしれないが、
別にそういう問題でもないので省く。
また、同じことは魔族側にも言えるため余計に混血の生まれる確率は高まる。
そうした子供の大半は生まれたその場で殺されるか、捨てられるかだ。
それでも運良く ――― あるいは運悪く生き残ってしまった一部の者達は奴隷として
売買されることが多い。
奴隷というのは戦争などで敗北した国の国民などが略奪によって奴隷化される『戦争奴隷』と
いわゆる借金のカタに売られる『債務奴隷』とがある。
一時は法を犯した者も奴隷にすべきでは、とされていたのだが需要がなくて消滅した。
少額の窃盗程度で奴隷にしていたら奴隷市場が飽和するだろうし、
殺人等の重罪人だけにするにしても、そんな奴を身近に置いて使いたいかと
言われれば『否』という返答があるだろう。
それよりも長引く戦争はそういった重罪人の手ごろな使い道を示してくれた。
すなわち、肉の壁。 囮。 捨て駒。
例えば魔法士達が呪文の詠唱を終えるまでひたすらに敵の攻撃を受け止める役割。
例えば弓兵のキルゾーンへ敵を誘い込むための囮役。
例えば無傷の敵戦列へ穴を開けるために突撃する部隊の穂先。
そうした『必要だが消耗を避けられない』部分へ罪人の部隊を当てる。
従わなければ後方から槍で突かれ、矢や魔法が飛んで来る、そんな部隊だ。
本題の奴隷の方だが、拾われた(あるいは親によって売られた)混血の子供は分類上は債務奴隷となる。
債務奴隷の価格というものは多分にその能力による付加価値と原価 ――― 奴隷商が買い取り時に肩代わりした『借金』の額に左右される。
もちろん借金にしろ回収できないような額を貸すような酔狂な金貸しはそうそういない
(回収できなければ金貸しが損をする)のでそこまで非常識な額がつくことはない。
とは言え、本人の価値+借金額で戦争奴隷に比較して割高になりがちなことは確かである。
そして戦争奴隷は魔族との戦争にかかりきりで人類同士のそれを行う“余裕”などない
現状では圧倒的に品薄。
そこで登場するのが元手がほとんどかかっておらず、維持費のみで済む上に身体能力は
通常の人間よりやや上な混血児の奴隷である。
価格が安く、かつ単純労働なら『使える』となれば需要も高まる。
恐らく赤い服の男が連れているのもそう言ったものの一人なのだろう。
ありふれていると言っていい。
だからこそ後悔した。
見るべきではなかった。
そうして視線を戻そうとして ――― 男と目があった。
思ったより長く凝視してしまったらしい。
しまった、と内心舌打ちするが遅かった。
食事中の相手を凝視するのはあまり礼儀にかなった行いとはいえない。
文句の一つでも言われるかもと身構えるが、
「これはこれは。 もしや新たにお越しいただいた勇者様ですか?」
意外と友好的に話しかけられる。
男の顔に浮かぶのは笑み。
「ええ、そうです。 ニノマエ・ハジメ。 あっ、ハジメが名前です。
勇者見習いの身ですが。
いや、申し訳ありません、お食事中の所を」
「お構いなく。 もう終えました。
もっとも、勇者様に拝謁できるとなれば商売以外は放っておいて駆けつけますよ」
『商売以外は』という物言いに違和感を覚える。
それに答えるように男は言葉を続ける。
「申し遅れました。 私はサンドリオン。
テフラ商会所属の商人です」
「……商人」
初めて聞く単語のようにその言葉を転がす。
商業を職業とする者。
商品を他の商品との物々交換、あるいは貨幣とをもって交換を行う作業を
仲介する職業に従事する者。
赤い派手な服。 いささか趣味が悪いとさえいえる装飾。
丁寧な、それでいて意図を読ませない物腰。
メイドを連れていることから富裕層だと伺える。
商人。
そう言われればそうなのだろう。
だが、なぜか言われるまでその可能性には思い至らなかった。
「ちなみに何を扱っているんですか?」
「何でも」
ハジメの問いに男は即答する。
ただし、と条件を付け
「質と金を問わなければ、ですが」
そう言って笑みを深くする。
「それは ――― あちらの2人も、ですか」
その問いに商人と名乗る男の顔に初めて笑み以外の表情が浮かぶ。
少しの困惑と少しの興味、だろうか。
「メイドと奴隷のことを仰っているなら肯定です。
ああ、無論それ以外にも人をお探しでしたら提供できます。
例えば、AGの整備士であるとか」
人材派遣会社の真似ごともしているということなのだろう。
頭は切れるのか、こちらの言葉の裏まで読んでこようとする。
『2人』という数え方をしたこちらの意図を探っているのだろう。
メイドと奴隷と区別したのはそう言うことだ。
メイドは職業であるが、奴隷は物だ。
AGの整備士云々は『人』と『物』のどちらを欲しているか探るための言葉。
勇者であれば、自分の紋章機を任せるのに遠からず必須になる人材。
そうでありながら新しく来たばかりのハジメには不足しているであろう人材。
売り込みどころを心得ている。
しかし、
「そちらではなく」
「奴隷、ですか」
ふむ、と男は少し考え込む。
そんな仕草さえいちいち絵になる。
なぜだろうか。
「失礼ですが、あまり役立たないかと思います。
奴隷とは労働力ですから……そうですね、例えば荷を運んだり畑を耕したりするのには役立ちます。
ですが、勇者様のように戦場で使うには奴隷はあまりにできることが少ない。
剣を振るわせるなら傭兵を雇うべきで、食事を準備させるなら料理人を連れていけばいい。
荷を運ぶならそれは輜重兵の仕事です」
「奴隷では役に立たないと?」
「まったくとは言いませんが、その道の専門を集められた方がいいでしょう。
労働力なら単純に兵卒がいますし」
道理だった。
戦争とは何も46時中戦闘をしているわけではなく、その他の移動やら準備やらにこそ手間がかかる。
ただ言われるがまま唯々諾々と単純作業をこなすだけの労働力に使い道があるとすれば
荷を運んだり野営時に天幕を準備したりする程度だろうが、それは徴兵された兵卒たちがやる。
そして兵たちは戦いの際には自ら刃を振るう。
あえて奴隷にやらせるメリットは何もない。
それよりも金を使うなら戦い慣れた傭兵か、兵にはできないことを
やらせる専門家を雇え。
この男はそう言っているのだった。
「ではあの奴隷を売ってくれと言ったら?」
「お断りさせていただきます」
またも即答だった。
「……理由を伺ってよろしいですか?」
「私は商人です。 商う物の中にはまあ、奴隷も含まれていますが。
何分あの奴隷は今日仕入れたばかりでして……そうですな。
例えるなら仕立て屋が生地だけを売ることがありましょうか。
料理人が刻んでもいない食材をテーブルに並べまることがありしょうか。
まだ吟味も仕込みもしていないものを右から左へ、というのは私の矜持に反するのです」
「……そう、ですか」
辛うじてそう絞り出す。
「ええ、実際多いのですよ。 病気持ちとか、傷有りとか、心の方に問題があるとか」
どこまでも正論だ。
だが違う。
少なくともハジメがいま求めるのはそうではない。
彼が考えているのはもっと単純なことだった。
見て、後悔した。
見なければ意識しないでおけた。
この世界とて誰にとっても楽園ではありえないということを。
この男は恐らくは善人なのだろう。
商売につながるとはいえ、その方面には未熟と言えるハジメに対して人材面での
アドバイスさえ与えてくれた。
商人が強欲なだけならば、ただ求められるままに差し出したはずだ。
相場も何も知らないハジメはいいカモだったろう。
だがそれをせず、商人なりの誠意を見せた。
ああ、だから分かっているのだ。
怒りにも似たこの感情を眼前の男に向けることが八つ当たりに過ぎないと。
いっそテンプレのような小悪党なら何の躊躇もなく殴り倒せた。
人を人と思わず、奴隷を虐げるだけ、ただ自己の利益を追求するだけの悪党ならよかった。
だが、そうではない。
この世界における奴隷売買は悪ではない。
公的に認められたまっとうな商売だ。
だからそれを商うものにも善人も悪人もあるだろう。
この男は前者だった。
それでも割り切れない思いを抱くのは自分の傲慢でしかない。
偽善ですらないかもしれない。
それでも手を伸ばそうとした。
救えるかもしれないと思った。
しかしその手は届かず、また伸ばすにも至らない。
「もし、気に入られたのでしたら我が商会へ。
申し訳ありません。 取っておくことは致しかねますが、『他にも』御紹介できますし」
その言葉にどう答えるべきか迷い……
「いずれ」
そう答えるにとどめた。
○ ● ○ ● ○ ●
ふー、と息を吐く。
結局自分は何一つ干渉できなかったということだ。
一礼し、去っていく男の背に一瞥だけ向けるとハジメはは椅子に沈み込んだ。
「『他にも』ね。 わかっちゃいるんだが……」
自分は勇者だ。
だが、それは必ずしも誰かを救えることを意味しない。
例え先程の少女を『買った』として、自分では何ができるはずもない。
今はただ訓練に勤しむだけの見習いの立場なのだから。
そして仮に一人の奴隷を救ったとして、その他には何も変わらない。
変わらずに奴隷は生まれ続け、商われ続ける。
今はせめてあの奴隷の少女の未来に少しでも希望があることを祈るしかない。
きっとこの世界の神様なら勇者の祈りくらいは聞いてくれるのではないだろうか。
「 ――― こらッ、ハジメ」
ペシリと俯いていた頭をはたかれる。
視線を上げるまでもなく正体は知れる。
「あんたね。 わたしをほったらかして奴隷の品定め?」
こっちの気も知らないで、と怒る彼女に対して
「だってカティだって口はさまなかったし」という言葉は呑み込む。
「あーいうのが好みなの?」
「いや、そこは否定しておくよ」
僕はロリじゃないし。
貧乳好きだけど。
そう言う意味じゃカティなんかちょうど……
と口にしたら叩かれるどころかナイフでも抜かれそうなことを心の中でそう付け加える。
「冗談。 それはわかってる。
私の仲間に気を使ってくれたこと」
「……ん、役に立てなかったけどね」
「アレは商人の方が上手だったね。 元から売る気ないよ」
「そうだね、多分」
『私の仲間』と混血の少女を表したことに少なからず驚いた。
大概は人間からも獣人からも異端、半端者として扱われるだけに。
それを口にすると、
「こっちで暮らしてるとね、獣人みな兄弟みたいな感覚になるのよ」
「ああ、そんなものなんだ」
「 ――― そんなものなんだよ」
『そんなもの』という言葉に秘められた思いにハジメは気付かない。
それは奴隷というものに対してハジメが抱いた思いを本質的にはカティが理解できないように。
「で、あんたが無駄にしゃべってる間に昼の時間も終わりなんだけど?」
「ああ、それは大丈夫。 午後の訓練は……」
しかし ――― やはり時に適度な勘違いと思い込み、無理解も人間関係には必要なのだ。
そうして2人は再び日常に戻っていく。
ハジメがこの後テフラ商会を訪れることはなく、
故にあの奴隷の少女を買うこともなかった。
だからどちらにとってもこの出会いは束の間の交差に過ぎず ―――
互いが互いのことを思い出すのは更に未来の話。
何もかもが変わり、すべてが手遅れになってからの話。
勇者サイドのヒロイン登場。
名前とか固有名詞が各国語ちゃんぽんなのはスルーしてください。
アーマード・ギアとかは英語ですけど
カッツェ=猫(ドイツ語)です。
そのまんまですね。
余談ですがサンドリオンはフランス語、テフラはギリシャ語です。