表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/8

第1話 回顧

昔、長い戦争があった。

今、さらに長い戦争が続いてる。

未来、きっと戦争は無くなっている。

そう信じて戦ってきた。


――― 人と魔。


この2つの種族は互いの生存をかけて歴史の以前、神話の時代から戦いを続けていた。

はじめは『境界の地』と呼ばれる不毛の大地、セントール平原での局地戦が続いていたが、俺が志願するころには戦線が拡大し、ネイシス神聖同盟、ノルト北部国家連合、ラシイスカ帝国に属する大小100余りの国家が戦火に巻き込まれていった。

俺は戦った。はじめは生まれ故郷のジルス・ラウ王国のため信じて戦った。

だが、戦いは長引くばかりで終わりがなかった。


幾重にも重なる屍。

流血は視界を黒く染め、腐臭が鼻孔をふさぎ、死に囚われた者たちの最後の呼吸が耳朶にこびり付く。


誰かが言った。

「地獄に向かって進軍しているようだ」と。


飽きることなく繰り返される戦闘、休息、移動、その果ての死。

単純な、しかし凄惨なルーチンワークは人のあらゆるものを摩耗させていった。

命も、夢も、野心も、正義さえも。

出陣前、戦う意義を問えばほとんどはこう答えたはずだ。


『人々を魔族の脅威から救うために』。


そして今はこう答えるだろう。


『生き残るため。 帰るために』と。


俺は疲れた。

誰も彼もが疲れていた。


今は戦うことに。

いずれは戦い続けることにも疲れるだろう。

前者と後者の違いは、特に後者は戦っていない時間にも嫌気を感じ始めることか。

その先にあるのは悲劇的な死か、喜劇的な死か、英雄的な死か。

どれにしても変わらない。


――― まだ生きていたい。


そんな願いだけが心中を占めている。


――― 故郷へ帰りたい。


その思いだけが足を進める。


――― 死にたくない。


その一念だけで槍を突き出し、敵の臓腑を抉る。

角を生やした異相が苦痛と憎悪に歪んだ瞳がこちらを睨みつけ、そしてそのまま視線を虚空へ転じる。

瞳は既に光を失っていた。


あるいは剣を振るい、異形の四肢を切り飛ばす。

トカゲのような鱗を持った腕が赤い鮮血をまき散らしながら大地を転がっていき、

それでもなお突進を止めなかった蜥蜴人(リザードマン)の持つ剣の刃先が胴鎧を削って流れる。

もし、鎧が粗末なものだったら切っ先を受け流しきれずに脇腹を切り裂かれていたことだろう。

その点で遠征軍に赴くさいに新品の武器防具一式を揃えてくれた父の厚意に感謝した。


あとは無茶苦茶になった。

ぶつかり合い、もつれ合うほどの至近距離では互いに満足に武器も振るえない。

だからただ殴りつけた。

拳で、剣の柄で、肘で。 その他のあらゆる部分で。

何度も、何度も、何度も。


リザードマンの鱗に覆われた皮膚は固い。

素手ではほとんど傷つけることはできないが、それでも鉄よりは柔らかく、

なにより剣という重量を持った鈍器で殴り続けられれば例え刃先で切られずとも

衝撃で肉はたわみ、骨が折れ、血管は傷付く。

つまり、殴り続ければ殺すこともできる。

だから殴り続けた。

殺すために。 死なぬために。


「死ねッ!」


俺が生きるために。


「死ねッ!」


俺を殺せなくなるように。


「 ――― 死ね! 死んじまえッ!」


かくして望みは果たされる。

血泡を吐き、潰れた瞳から涙と血を滴らせたリザードマンはしばらく痙攣していたが、ほどなく動きを止める。

人とは異なる発声器官で最期に何かを呟いた。

呪いの言葉か、悔恨の言葉か、それとも意味のない呻きだったのか。

それを知る術はなく、それを遺す者はいない。


一つの死が一人の生を繋ぐ。

そうして生き残ったとしても、そこはまだ地獄だ。

死はあらゆる手練手管を使って生者を懐に招く。


「 ――― ドラゴンだ!」


不意に聞こえた単語に目を見開き、周囲を確認した。


「畜生ッ、なんて数だ!」


そして続く言葉に更に緊張がみなぎる。


ドラゴン。

魔獣種・龍族の魔物の総称。

その姿はいまさら言うまでもない。

直立するトカゲにコウモリの羽根を取り付けたイメージとよく言われるが、

実際目の当たりにすると「トカゲ」と言うには余りに巨大な体躯に圧倒される。

体表を覆う鱗はその一枚でも人が持てば盾にできるほど大きく強靭であり

正面からは攻城戦用の大砲でも抜くことは不可能と言われる。


あまりに有名なその名はいっそどこか現実味を欠いて聞こえた。

例えるなら、明日空が降ってきて大変なことになるよと言われたかのように。


それが重大なことであるのに心が受け入れられない。

大規模自然災害のように、どこかで大きな被害が出ているとしても、

それは遠くにあり、被害者に同情しながらも同時に「ああ、自分でなくてよかった」と安堵し、

5分後には別の身近な悩みの方に心を砕いている。

そんな、あまりに大きく現実離れした災厄の権化。

対抗手段はごく限られた上位の戦闘魔術士の行使する対龍魔術か、

さもなければアーマード・ギア(Armored Gear、略称はAG)と呼ばれる

8m級の人型兵器を持ちだすしかない。


そのドラゴンが戦場に在った。

数は見える限りで1、2、3……

そこまで数えてやめた。

数えている途中からも増援と思しきドラゴンが2匹、新たに舞い降りたからだ。

どの道、生身ではドラゴンが1匹であっても絶望的な相手なのだ。

それが増えたからと言って結果は変わらない。


対龍魔術を使えるほどの魔術士は宮廷魔導師団付きでしかおらず、それらは虎の子として

温存されているはずだ。

仮にこの場に投入されたとしてもあの数を相手では全滅の憂き目を見ることだろう。

対龍魔術は攻撃力こそドラゴンの装甲を抜くに足りうるが、射程は精々10~300m。

それ以上近いと自分が巻き込まれ、それ以上遠いと命中が期待できない。


厳密には『致命傷となる個所への』命中が期待できないということになる。

小型種でも5~10m、中型種で10~20m、それ以上は大型種に分類されるドラゴンの巨躯に

攻撃を当てることは難しくない。

しかし、初撃で致命傷を与えられなかった場合、ドラゴンの反撃によって術者はこの世界からの

自由を獲得することだろう。

術者は生身であることに変わりはなく、その点で防御力は一般の兵と大差はない。

むしろ鎧等を着込んで疲労を蓄積し、いざと言う時に動けなかったり魔術を使えなくても困るため

防具も極めて軽装であることが多く、

その意味では一般の兵よりも弱いとさえいえる。

ただし、相手がドラゴンでは大差ないというべきか、金属の全身鎧でも棺桶と同義になるので

比較する意味はないだろう。 


ドラゴンの一撃に耐えうるような防御魔術を展開するのはやはり対龍魔術を行使するのと

同程度の技量を要求される。

そしてドラゴンに対抗できる攻撃と防御の魔術を同時展開するのは人の身では不可能だ。

つまるところ、対龍戦術とは『その国でも有数の魔術士が、決死の思いでドラゴンに近づき、

至近距離から大火力の一撃を見舞い、相手が死ななかったら自分が死ぬ』という

極めてコストパフォーマンスの悪い戦いである。

無論、一撃を見舞う前に発見されて攻撃を受ける場合もあれば、放った一撃が急所を外れることも、

一撃では致命傷に至らないこともあるので通常複数人で行う。

9名を1分隊とし、攻撃・防御・補助を各3名ずつ。 それを3個編成して3方向から

同時攻撃を仕掛ける。

宮廷魔術士級を1個小隊30名(分隊9名×3個+指揮官1名・副官2名)をつぎ込んで

1匹を仕留められるか否かという戦いなのだ。


ではもう1つの対抗戦力であるAGはどうかと言えば、こちらもあまりあてにできない。

まずAGが対抗すべき主敵として考えているのは20m以下の中型龍族、

龍族と異なり文字通り『でかいトカゲ』な亜竜族、巨人族、鬼族の大型種といったものであるが、

龍族 ――― ドラゴンを相手取るときは最低1個中隊12機で当たれと言われている。

つまり今戦場にいるドラゴンに対抗しようと思うなら最低でも大隊、あるいは連隊規模で

AGが必要になる。

だが、それらは先日の戦闘で消耗してしまい、今は精々2個中隊規模が残るだけだ。

これではとても5匹以上のドラゴンを相手にできない。

似たような体躯の亜竜であれば単機でも相手取れるにもかかわらず、ドラゴンとはそう言う存在だった。


その差はどこから来るのか、その答えを示す光景が眼前で繰り広げられようとしていた。

雷鳴にも似た轟音、視界を塗りつぶす閃光、肌を焼く熱波。

衝撃と振動、音として捉えられないほどの轟き。

横合いからの土砂流によって上下の区別もままならない程にかき回されながら吹き飛ばされた。


何度も地面を転がり、泥水にまみれ、砂利を噛みながら体を起こす。

ぼやける視界で周囲を見渡せば、同じように泥と同化したようなありさまで転がる人影が

いくつも確認できた。


そして確認する。

これは単なる余波に過ぎない、と。

その証拠に300mほど離れたところの地面が長く、一直線に抉り取られている。

そこに居た兵たちがどうなったかは想像に難くない。

おそらくは自分の身に起きたことを知覚する暇もなくこの世界から消滅したはずだ。

そして、これはあの恐るべきドラゴンたちの撒き散らす惨事のほんの一部に過ぎないのだと。


それは完全に正しかった。


――― 龍の吐息(ドラゴン・ブレス)


ドラゴンのドラゴンたる所以。


姿だけなら亜竜とあまり区別できない……昔は亜竜が龍の幼体と思われていた時期もあったほど

似ている両者を決定的に分ける点。


それは大砲さえ跳ね返す防御力?

否、亜竜種でも甲殻竜と呼ばれる種は龍種の鱗より堅い殻を身に纏っている。


小型でも5mを下らない、大型では30m以上に達する体躯?

否、水棲竜の一種には成体で40mを超えるものもいる。


それほどの巨体でありながら空を飛ぶこと?

否、ロック鳥や翼竜種などは大型の体躯でありながら龍族よりも更にうまく飛ぶ。


そう、ドラゴンのドラゴンたる所以はその攻撃力にある。

龍種は生まれながらの魔術使いである。

莫大な魔力を溜めこむ器官を持ち、全身に巡らされた神経系は正中線上に存在する補助脳と連携して

演算装置として機能し、

複雑かつ多重化された発声器官によって咆哮一つでも人の行う詠唱を何重にも行ったと

同様の効果を得て魔術を行使できる。


そのもっとも単純な発露がドラゴン・ブレスと呼ばれる魔砲。

火龍ならば炎を、水龍ならば冷気を、風龍ならば雷を、地龍ならば金属粒子を、

そして今戦場に在る皇黒龍は ―――


「これは……レーザー・ブレスか!」


自身の魔力を純粋なエネルギーとして指向性を持たせて放出する。

抉られた地面は光沢を放ち、高温によってガラス化していることを伺わせる。

だがそれは炎によるものではない。

周囲に延焼はなく、つまりそれはブレスが直撃しなければ効果がないと言える。

炎のように延焼を広げることで被害を増やすことも、冷気のように防がれたとしても

対象の周囲を凍結させることで動きを封じる副次的効果も期待できない。

ただし、龍族の中でも最も魔力効率の高い攻撃であり、恐るべきは連射が利くということだった。


再び閃光が届く。

今度は遠い。

それでも轟音と震動は地面を通して伝わる。


「あそこは……第2中隊が……消えた……」


一撃。

効率を重視し、威力を抑え目にしたと言われる一撃でさえ容易に300人からの部隊を

消滅させるに足る。

この攻撃力。 圧倒的な攻撃力こそがドラゴン。

災厄の象徴。 破壊の権化。 絶望の象徴。


その首がこちらを向いた。

次が来るまでに約15秒。

絶望するにも、後悔するにも、覚悟を決めるにも短すぎる時間。

出来たことは自分に終わりをもたらすであろう存在をただ眺めること。

闇色をした体が向き直るのを、魔術を行使するために息を吸い込み喉が膨らむのを、

魔力が巡った残滓の燐光が翼から放出されるのを。


咆哮が轟き、刹那の間を置いて光が ――― 裂けた。


咆哮から数秒。

ブレスは既に放たれている。

それでも自分は生きている。


……なぜ?


その解答は眼前にある。

しかし、理解が追い付いていない。


初めに感じたのは、色。


一面の白。


視界を埋める一色。

印象としては白い壁。


訳がわからなかった。


さらに数秒。

その『白』が動いたことでようやく事態を悟る。


それは白亜の機体だった。

普段目にしているAGは人の使う全身鎧を大型化したような形をしており、攻撃を逸らす為に

流線型をしている。

この機はそれらとは違う、角ばった武骨なシルエット。

盾も持たず、手にしているのは細身で反りの入った片刃の剣。

それを両手で保持し、自身の正面に立てることでブレスを『斬った』のだとようやく悟る。

無論、通常のAGではありえない。

魔術を斬るなどという芸当ができるのは武器自体も魔力を帯びているか、魔術を行使しているかだが、

少なくともドラゴンのブレスを斬ることができるほど強力な魔術を使用できる機体は1種。


「紋章機ッ! 勇者が、勇者が来てくれたのか!」


歓声が爆発した。

倒れこんでいた者も立ち上がり、立っていた者は武器を構え、武器を構えていた者は歩みを取り戻す。


ドラゴンが絶望の象徴ならその白亜の機体は希望のそれだった。

8mの巨人が体をひねってこちらの無事を確認するような仕草を見せた。

その胸には巨大な宝玉が埋め込まれており、表面にはうっすらと幾何学模様とその中心には

文字にも見える紋章が浮かび上がっている。

鎧を模したものとしては防御上の弱点にしかなりえないような構造だが、これが勇者専用のAGが

紋章機と呼ばれる要因だった。

原理も製法も不明ながら勇者の使うAGは例外なく胸部に紋章の浮かぶ宝玉を備えており、

加えて他のAGにない強力な固有能力を有している。


白亜の機体がいかなる方法でブレスを斬り、自分たちを救ったのかまではわからない。

わからないが、重要なのはその機に乗る勇者が自分たちを救う意志と能力を持っていること。

そしてそれを実際に行ったことだった。


白亜の機体は告げる。

「あのドラゴンは自分達が排除する。 だから貴方達はそのまま進んでほしい」と。

勇者がそう宣言する間にもそれは実行に移されていた。


彼方から飛来した青白い光。

それが今まさに追撃のブレスを放とうとしていたドラゴンに突き刺さる。


それは矢。

人の扱うものと姿こそ変わらないが、大きさは段違いであり、攻城用のバリスタで使用するサイズだ。

しかし、攻城用バリスタをもってしてもドラゴンの鱗は貫けない。

ならばそれを成したのは ―――


「もう1機の紋章機!?」


目のいいものはそれを目視出来たようだった。

遠目からは蒼いシルエットが何か長いものを構えて……おそらく長弓だろう、

それを再度放つのが確認できた。

狙い違わず宙を駆ける蒼光はまた別のドラゴンに突き刺さった。

と、次の刹那にはそのドラゴンが彫像のように固まり、一拍置いてガラガラと崩れ落ちた。

矢に込められた魔術によって一瞬で細胞が凍結し、もろくなった体躯が自重に耐えきれず

崩壊した結果だった。


そして眼前にあった白亜の機体も正面を向き直ると、武器を構え直し ――― その姿が歪む。

湖面に写された影が波紋で揺らめくように、そして蜃気楼のように消え失せる。

白昼夢でも見たかのような奇妙な感覚。

思い返せば白亜の機体が現れる時も周囲にはそれらしき影などなかったように思えた。


だが、それでもそれは現実だった。

両側面の地面は連隊が消滅した場所のそれと同じようになっている。

無事なのは自分達の居る僅かな幅だけ。


「どうなってるんだ……」


その疑問に答える声はなく、しかし視界の彼方では再び現れた白亜の機体によって

残るドラゴンが斬り伏せられているところだった。



○ ● ○ ● ○ ●



「 ――― それから俺は次の戦闘で足を負傷して、そのまま後方に送られて除隊。

 今から15年ほど前の話さ」


そう言って壮年の店主は話を打ち切った。

参考になったかね、と問う瞳に頷き返す。


「ありがとうございました。 何しろ今となっては資料さえ碌に残っていなかったので」


そう答えたのは平凡そうな青年だった。

黒髪、黒目にそれなりに鍛えてはいるが中肉中背。

目を見張るほどの美形でもなければその逆でもない。

女の子の評価を聞けば「優しそうな感じ」という無難な回答No.1を獲得することだろう。

しかしながら容姿が平凡であっても中身まで平凡とは限らないのが人間である。

事件のインタビューで「普通の子だった」とか「まさかあの人が」とか言われるのと同じように。

いや、少し違うか。


「何しろ……か。 そうだな」


青年の言葉を受け、年齢の皺の中、いくつもの戦傷を混ぜたいかつい相貌が頷く。

そしてやや声を潜め、


「今となっちゃ大きな声で言えないがね、それでもあの白いのは俺達には恩人なのさ」


そう告げる。

その懐かしむような、古傷の痛みを噛み殺すような、そして今だ大きな疑念を抱いているような、

そんな複雑な胸中を込めた『それでも』という言葉。


「だから、いまだに信じられないんだ」


「……そうでしょうね」


そうは言うが、それはただの相づちだ。

本音では店主が『その事』を信じようが信じていまいがどうでもいいとは思っている。

真実が明かされていない以上、人は信じたいものを信じるしかない。

ここで彼が店主の言葉を否定したところで相手の心証を悪くするだけで何一つ得はない。

だから彼はその話題はそれに止め、聞きたい事を聞くことにした。


「その後、その『白い紋章機』の搭乗者と会ったことはありますか?」


「いや、それっきりさ。 騎士とはいえ、末端の兵隊じゃ『勇者』様にお目にかかる機会なんて……。

 ああ、そう言えばあんたも ――― 」


「まあ、一応は『勇者』の端くれですね」


『勇者』。

彼が知る語意そのままならば、勇気のある者のこと。

誰もが恐れる困難に立ち向かい偉業を成し遂げた者、または成し遂げようとしている者に対する敬意を表す呼称として用いられる。


その意味ではまったくもって自分には不釣り合いな称号だった。

彼自身は勇気があるなどとは思っていない。

また、困難に立ち向かったという意味では目の前の店主の方が(今の話が真実なら)よほどだった。

戦傷から騎士を引退し、家は息子に継がせた後はこうして酒と軽食を出す店を営んでいるのは

自分の武勇を客へ語りたいがためらしい。

語り口もなかなかのものだった。


それに対して『こちらの世界』に召喚されてから約1年。

その期間に成したことと言えば紋章機 ――― 先の店主の話にも出てきた勇者専用のAG、すなわち8m級の人型兵器 ――― の扱いを学んだこと。

あとはひたすらに基礎体力をつけるための訓練。

合間にこうして『先達の勇者達』の話を集めているだけ。

訓練が楽かと言われればそんな事はないが、それでも命のやり取りといった血生臭い現実からは

離れていられた。

今もって人類が魔族との戦争中であることを考えれば破格と言っていい。

とても『困難に立ち向かっている』とは言えなかった。


それでも人は彼のことを『勇者』と呼ぶ。

それは『勇者』の称号が彼の知る辞書的な意味とはやや異なるからだ。


『勇者』。

そう呼ばれる者に勇気は要らない。

困難に立ち向かう必要もない。

何かを成し遂げる必要もない。

それはただ『紋章機を使役できる者』に対して贈られる称号。


清廉潔白である必要はなく、勇猛果敢である必要もなく、公明正大である必要もない。

ただこの世界へ召喚され、異能の力を得た者達の総称。

故に人格に関しては問われない。

役割についても同様。

しかし、


「端くれなんて言い方をするってことは実戦は?」


「未だに」


そうかね。これは予習をかねてるのかと独り言のように漏らす店主。


そして少しばかり高級な酒の注がれたグラスを2つ用意する。

1つを彼に差し出し、1つは自ら手に取る。


「未来の偉大な勇者様に。 名前を聞いてもいいかな」


「ニノマエ・ハジメです。 ハジメが名前で」


「では、勇者ハジメに乾杯」


「乾杯」


そうして遠慮なく好意の酒を飲みほした。


このように大概の相手は『勇者』の職を『魔族との戦争に参加する兵士』と考える。

くどいようだが『勇者』は『職業』ではなく、『異能の力を持つ者』の称号だ。

召喚される前の世界にあった某国民的ゲームのように勇者だからという理由で16歳の誕生日に

王様に面会させられた挙句、僅かな資金と貧弱な装備で魔王討伐の旅に出されることはない。


それでも勇者のほとんどは魔族との戦争に参加する。

せざるを得ない。


何せ彼の場合は召喚された時点では右も左もわからず、この世界の常識も知らず、

またこの世界での貨幣も持ち合わせていない。

住むところもなければ食料もない。 あるのは着の身着のままの一張羅。

要するに生活基盤がない。


そんな状態で放り出されても、政治形態は中世よりやや進んだ程度、技術は一部を除き産業革命前。

治安に至っては「ロスじゃ日常茶飯事だぜ!」レベル。

翌朝には身元不明の遺体が川に浮かぶか、路地裏に転がるか。

自殺志願者でも御遠慮申し上げますな最期が待っていることだろう。


そこに来て召喚者達からの嘆願。

勇者様、どうかこの世界を救うためにお力をお貸しください云々。

弱々しい老人や、愛らしい女の子や、なんだか偉そうな王様にまで揃って頭を下げられて

「いや、ムリムリ」と即答できるほどの意思の強さは持ち合わせていなかった。


考えてみればそれはほとんど強制に近いのだが、それ以外に選択肢がないのも事実。

であれば無用に事を荒立てるよりもまずは様子を見るために受け入れてみよう。

異世界へ召喚されるといういささかファンタジーな体験の混乱から持ち直した彼はそう判断した。

そして今思う。


――― きっと先達の勇者達も同じようなパターンだったんだろうな。


だからこそ彼はこうして訓練の合間に先達たちの話を集めている。


今はまだいい。

訓練に明け暮れるだけで戦争というものが実感として感じられていない。

だが、いずれその時が……自分が命をかけ、他者も命を落としていく戦場に在ったその時、

自分は戦えるのだろうか。

命をかけるに足る理由を得ているのだろうか。

あるいは流されるままに居るのだろうか。


その答えを探して。

先達たちは何を信じて戦いに赴き、何を感じながら生き、何を想いながら死んでいったのか。

その一端にでも触れることができればと思いながら彼は勇者の話を集め、召喚時に持っていた

ノートに書きためていた。


もっとも、勇者にまつわるほとんどは教訓を含んだ逸話めいたものか、

閉めが「すべては神のおかげです」で終わるような宗教色の強いものばかりなので

あまり参考にはなっていない。

それだけに今回の話は興味深いものだった。


15年前、彼と同じように召喚され、似たような経緯かは知らないが魔族と戦った先達。

そして今ではすべての記録を教会により抹消され、名前・年齢・容姿を含めて

どんな人間だったのかまったく知ることができない元勇者。


――― 人類を裏切り、魔族へ味方した元勇者。


少なくとも『白い紋章機の勇者』は最初から人類の敵だったわけではないらしい。

彼と同じように何もないまま召喚され、戦いを対価に何がしかを手に入れ、そして全てを棄てた。

何を信じて戦いに赴き、何を感じながら生き、何を想いその結論へ至ったのか。

それを追いかけてみるのも悪くないかもしれない。


無論、他の勇者達の話も集めることも忘れない。

今まで書きためた分も含めるとちょっとしたものになるのではないか。

そうしたら本にまとめてみるのもいいかもしれない。

まさか異世界で自費出版を考えることになるとは思わなかったが、訓練ばかりの日々には飽きていた。

幸いにして戦いに赴くまでの時間はまだある。


勇者の書く勇者の逸話集。

タイトルはさしずめ ――― 『勇者見聞録』。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ