その五
(五)
森の中を散歩する。といっても、歩くのではなく、大きくなった翼を使って木々を飛び回ることだ。
そんな当たり前のことに飽きてきた飛鳥は、何か違うもの、いや、何かが変わらなければいけない、と思っていた。
何が? どんな風に?
嫁さんをもらう、子孫の繁栄――などと、いつの間にか雄としての責任を感じ始めていた。
森の中では、雄と雌がつがいで飛び回る鳥たちの姿が、やけに目に付くようになっていた。鳥だけではない。地上を走り回る猛獣だって、仲睦まじくじゃれ合っている。
この森にも、時折、飛鳥と同種の雌鳥が遊びに来ることがあった。
仲良くなろう。お嫁さんになってもらうんだ!
と思って近づいてみるが……。
「クルルル、クルルル」
と、可愛い鳴き声を聞かせてはくれても、近くまで行くと逃げて行く。違う雌鳥がやって来て、今度はクッ、クッと首を振りながら、少しずつ寄ってみた。それでも結果は同じ。
びっくりするような美しい羽に身を包んだ雌鳥が来たときには、どうしても仲良くなりたくて、一番好きそうな虫を捕ってきて、彼女にプレゼントしようと試みたのだった。
「これ、僕が捕ってきたんだよ。この虫、知ってるだろ。とても難しくて、大変だったんだから」
言われなくても、この種の鳥たちが好む、この森には数少ない貴重な虫なのだ。
くちばしに挟んだその虫を、さりげなく枝の窪みに置いてみる。そして警戒されないように、チョンチョンと二、三歩離れてみた。
雌鳥が、クッ、クッと頭を振りながら近づいて来る。
「食べてもいいの?」
飛鳥に訊いているのか、餌の前でいつまでも首を動かしていた。
「もちろんだよ。君のために捕って来たんだから」
飛鳥も首を振りはじめた。
すると、スッと伸びたきれいなくちばしで餌を啄んだ雌鳥は――。虫をくわえたまま、遠くに飛び去って行ったのだった。
またか……。どうしてお嫁さんになってくれないんだろう……。
「虫を返せ! 僕だって食べたかったんだぞ!」
何度も何度も、飛鳥は振られるばかりだ。
「わはははっ! そんなことじゃダメ。いつまでたっても独り者さ」
突然、笑い声が聞こえて来た。そう、飛鳥の本能である。
「うるさい! 僕の方から振ったんだよ。あんな偉そうにしてる奴、嫌いなんだ」
と、負け惜しみを言っても、所詮、自分に言っているのである。
「ちゃんとプロポーズしてないじゃないか」
「プロポーズ、って……」
「虫をやっただけじゃ、誰も来てはくれないぞ」
「だったら、最初っから教えてくれればいいじゃないか。意地悪するなよ」
飛鳥は怒ったように翼を広げた。
「それだよ。お前の自慢するところ、そこが一番じゃないか」
本能が言った。「誰にも見せたことがないだろう。そこを見せて、自分をアピールするんだ。誰にも負けない、美しいところをね」
それは、翼を広げたときに見える、胸の羽毛。情熱を発する色なのか、地味な茶褐色の身体と違って、薄紫の輝くような羽が鮮やかに光っているようでもあった。そしてそれは、飛行しているときには見えないものであり、爪を枝に食い込ませ、伸び上がるように翼を広げたときだけしか見ることができない、秘密の場所なのである。」
知らなかった。いや、気がつかなかっただけかもしれない。
飛鳥は広げた翼の中を、改めてじっくり見つめた。――本当だ。こんなに綺麗だったんだ。
「それだけじゃない。喉を膨らませてみろ」
飛鳥は素直に従った。大きく息を吸い込み、喉の辺りに溜めてみる。すると、風船のように皮膚が伸びて、オレンジ色に輝いたのだ。
「僕、知らなかった……」
視線の中に現れたオレンジ色の膨らみ。
自分をアピールするって、このことだったんだ。
「後は踊りだな。翼を広げ、胸や喉を自慢する。そして、首を振って踊り続けろ。もちろん失敗することだってあると思う。相手にも好みがあるからな。でも、頑張ってアピールしろ。いつかお前にピッタリの嫁さんが来てくれるはずだ」
本能の助言に、飛鳥はためらいながらも喜んでいた。
その証拠に、いつまでも翼を広げ、何度も喉を膨らませていたのだった。
可愛い! よし、決めた!
森の中を探索していた飛鳥は、梢で休んでいる小鳥を見つけた。
勢いよくその梢に飛び移った飛鳥だったが、行動の激しさに、小鳥はびっくりして飛び去ってしまう。
そしてまた、別の雌鳥。今度はゆっくりと近づいて、強烈にアピールしようと思いっきり翼を広げた。
「おい、そんなことしたら、誰だって驚くだろ」
また来た! おせっかいな本能だ。いちいち説教するなよ!
と、やり返しているうちに、雌鳥はあっという間にいなくなってしまった。
――プロポーズするの、何回目だろう。どうしてダメなのかな? 友達になってくれるだけでもいいのに……。
飛鳥は本当に心配になって来た。
「どうすればいいんだよ。お願いだ、教えてくれ」
本能に訊くしかない。だって、やるだけのことはやったつもりなのに、お嫁さんどころか、友達だってできやしない。
翼の広げ方が悪いのかな? 喉の膨らませ方が足りないのかな? それとも僕が、ハンサムじゃないからかな……。
「おい、返事してくれよ!」
そう叫んでみても、本能の声を聞くことはできなかった。
自分で考えろ、って事なのだろう。冷たいよね、結局自分のことなのにさ。
――すっかりしょげ込んでいる飛鳥の前の樹に、またまた雌鳥がやって来た。
これまたカワイ娘ちゃんだ! でも、また振られるんだろうな……。
もういいよ、どうせ僕なんか……。
と考えながらも、翼が少しずつ開きかけている。もちろん故意にそうしたわけではない。おそらく本能の仕業だろう。
その雌鳥が飛んで来て、飛鳥のすぐ横にとまった。
びっくりしたのと同時に、飛鳥はためらってもいた。
たまたまここに来ただけだ。と、自分に言い聞かせながら、ゆっくりと翼を広げ、何となく喉を膨らませてみる。今までとは違った、さりげない仕種でもあった。
――飛鳥は驚いた。雌鳥が、クッ、クッっと首を振り始めたのである。
そうか、こうやればよかったんだ!。
喜んだ飛鳥は、更に自分をアピールしようとして……。
羽音が聞こえて来て、枝上のラブダンスが止まった。同種の雄鳥が、樹の周りを旋回している。そして割り込むように、飛鳥と雌鳥の間に翼を休めたのだった。
よく見ると……。
何だ、あの時の友達じゃないか!
飛鳥の、唯一といっていい、あの友達だった。集団の猛禽から逃れて以来、久しぶりに会う懐かしい姿だ。
「どうしたの? また悪者に追われてるのかい?」
友達思いの飛鳥は、頭を上下させながら、友達に近づこうとした。
と同時に、大きく翼を広げる友達。そして、大きく喉を膨らませたのだった。
「――凄い! 僕より綺麗じゃないか」
胸の輝きは、とても羽毛とは思えないほど鮮やかに光を反射し、喉の膨らみは、飛鳥のそれとは比べ物にならない、透き通るようなオレンジ色に輝いていた。
そして、今度は大きく首を横に降りはじめた。
な、何するんだよ。どうしてそんなことしてるの? まさか、僕のお嫁さんを……。
雌鳥も首を降り始める。それも、友達と波長を合わせるように、首を大きく横振りにしていた。
待てよ! 僕のお嫁さんだぞ!
――友達じゃなかったのか? 僕、仲良くしようと思っていたのに。
飛び去って行く二羽の鳥を、飛鳥はいつまでも見つめていたのだった……。




