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第九百九十五話 大義(七)

「シーラ姫に陣頭に立って頂くに辺り、セツナ様には総大将を引き受けていただきたいのですが」

「俺が総大将?」

 セツナは、ナーレスの発言に素直に驚いた。総大将とはつまり、その一軍の頂点に立つ役割を担うということだ。そんな役割を担ったことなど、これまで一度たりともなかった。立場的にも、ありえないことだ。セツナはたったふたりの領伯のひとりであり、王立親衛隊《獅子の尾》の隊長を務めているが、軍の総大将といえば、ガンディア王レオンガンドや大将軍アルガザード・バロル=バルガザール、左右将軍などが受け持つものだと相場が決まっている。

 領伯は、政治的立ち位置としては大将軍に比肩するものといってもいいのだが、軍事的には、そこまでの立場ではなかった。

 ナーレスは、セツナの考えを察したのだろう――静かに告げてきた。

「このアバード侵攻軍には大将軍閣下はおろか、副将のお二方も、左右将軍もお呼びしておりません。領伯様が指揮を取られるのが立場的にも順当かと。それに総大将といっても、セツナ様にやっていただくことに変わりはありませんよ。敵陣に切り込んで、敵を薙ぎ倒してくれれば、それで構いません。総大将みずから先陣を切れば、我が方の士気は否応なく上がるでしょう」

「……わかった」

 セツナは、ゆっくりとうなずいた。そもそも、セツナに断るという選択肢は存在しない。相手は軍師だ。軍師の定めた物事に対して意見を述べられるほど自分の立場が強いものだとは、セツナはとても思えなかった。特に、ガンディアの軍師ナーレスの戦争における立場は、とてつもなく強い。クルセルク戦争では、連合軍全体の戦略、戦術さえも、彼の頭から出ていたといってもいいのだ。それほどの頭脳。セツナを総大将に据えるのにも、なんらかの意図があるに違いない。

「引き受けていただけるのですね?」

「ああ。いつもどおりでいいのなら、なんの問題もない」

「良かった。セツナ様が引き受けてくださらなければ、わたしが総大将を務めることになるところでした」

 ナーレスは笑っていってきたが、無論、冗談だろう。軍師が総大将を務めるなど、聞いたこともない。いや、ありえない話ではないし、ガンディアの歴史上ではよくあることだったのかもしれない。セツナの頭の中の常識では計り知れないことがあるのが、この異世界なのだ。

「セツナ様は、わたくしになにかいいたいことはないのですか?」

「え?」

 セツナが聞き返したのは、予想もしていない問いだったからだ。まさか、ナーレスがそんなことを聞いてくるとは思っても見なかった。ナーレスは軍師だ。ガンディアの政策、戦略について頭を巡らせ続ける人物であり、そのために人生の全てをなげうっているといっても過言ではない。実際、ガンディアのために死の運命を与えられたのだから、そのセツナの評価に間違いはないだろう。彼ほどの覚悟を持ってガンディアで働いている人間はどれほどいるだろうか。

 セツナは、どうだろう。

 きっと、まだ足りないはずだ。

 まだまだ、彼の領域には及ばない。

 彼の領域に辿り着くには、生半可な覚悟ではいけないのだ。無論、セツナは生半可な覚悟でガンディアの戦いに身を投じているわけではない。

「シーラ姫の保護を決め、これまで行動をともにしてきたあなたには、わたくしのやり方についてなにかしら意見があるのではないかと思ったのですが」

 ナーレスの表情は、穏やかだ。幽鬼のように痩せ細り、骨と皮だけになったような男が温和に笑みを浮かべたところで、恐ろしいとしかいえないのが残念ではあるが。

「ないよ」

 セツナは、いった。

「ナーレスさんはガンディアの軍師だ。ガンディアにとって最良の方策を取っているにすぎないんだろ?」

「もちろんです」

 ナーレスの返事には淀みがない。

「だったら、俺が意見することなんてないですよ」

「しかし、わたくしのこと、心底嫌いになったでしょう?」

「そんな単純な人間なら、もう少し気楽に生きられたかもしれませんね」

 そういって、セツナはナーレスとエインに一礼し、部屋を出た。

 シーラを探しださなければならない。

 目的を優先する彼女のことだ。みずから死を選ぶようなことはないだろうが、自暴自棄に陥ってろくでもないことをしでかすという可能性がないとはいえない。たとえば、ここから抜け出し、単身王都バンドールへの潜入を試みるという可能性もある。

 彼女は、ここにきてますます追い詰められている。

 放ってはおけない。

 



「これで、よかったのですか?」

 エインは扉が閉まるのを待ってから、ナーレスに向き直った。

「これでいい。なにもかも上手くいっている。想像以上にね」

 ナーレスは寝台の上でわずかに身動ぎした。

「わたしには時間がない」

 ナーレス=ラグナホルンの命の時間がいまにも尽きようとしているのは、エインの目にも明らかだった。全身から肉が削げ落ちたのではないかと思うほどに痩せこけており、生きているのが不思議といっていいほどの姿だった。見るからに痛ましく、エインですら見ているのをためらうほどだ。ナーレスがこれほどまでに痩せ始めたのはこの十日の間であり、それまではやたら元気で、エインたちが振り回されるほどだった。それがいまや見る影もなくなってしまっている。

『この姿をメリルに見せずに済むことだけが幸いかな』

 シーゼル攻略中、ナーレスが囁いた言葉がエインの耳に残っている。

「残された時間でできることといえば、このようなことしかない」

「恨みを買ってでも、ですか」

「恨まれ、憎まれ、嫌われて、ようやく一人前の軍師だよ」

 ナーレスは、異様に輝く目でエインを見ていた。その目の光の強さは、彼のやせ細る体とは対照的といってもいい。

「君もせいぜい恨まれたまえ」

「局長の後を継げば、自然と恨まれますよ」

「だろうね」

 ナーレスは否定しなかった。否定せずに笑い、寝台に体を横たえた。上体を起こして座っているだけでも、体に堪えるらしい。セツナとシーラがいる間、彼はずっと座っていたのだが、苦痛を感じている様子さえ見せなかった。軍師には涼しい顔が相応しい、とはナーレスの教えのひとつだ。たとえ策が失敗に終わったとしても、涼しい顔で流すのが軍師という存在なのだという。軍師が狼狽えれば、軍全体の士気に関わるからだ。失敗さえも狙い通りという顔をしていれば、兵士たちもそういうものかと思うものだ。

「シーラ姫、セツナ様……駒は揃った。まずはバンドールを落とし、ベノアガルドの騎士団をアバードから追い出さなければな」

「騎士団からの援軍は総勢三千名の大所帯だそうですね」

 騎士団の本拠は、小国家群北端の国ベノアガルドだ。遠路遥々ご苦労なことだといいたいところだが、実際、どうやってアバードまで到達したのか、知りたいところではある。ベノアガルドとアバードの間には、マルディアという国が横たわっている。マルディアの領土を縦断しなければならないということであり、それは難しい問題のように思えた。

 マルディアは、ベノアガルドと敵対関係にある国だという情報が入っている。だが、実際にベノアガルドの騎士団がアバード国内に滞在している以上、マルディア領土を通過してきたことは疑いようがなく、マルディアとの間でなんらかの交渉が行われたのかもしれない。無論。迂回路を通ってきたという可能性もなくはないが。

「それだけアバードに力を入れているということだろう。なぜ、なんのためにそれだけの戦力を派遣したのかは、いまのところ見当もつかないが……彼らの目的がなんであれ、看過できないのは事実だ」

「アバードを乗っ取るんじゃないんですか?」

 エインが笑いながら問いかけると、彼は涼しい顔で告げてきた。

「ベノアガルドが本気でアバードを乗っ取るつもりなら、内乱時の混乱につけ込んだはずさ」

「ではやはり、さきほどシーラ姫に仰られたのは」

「彼女を納得させるための方便……もっとも、姫様は納得してくれなかったようだが」

「納得しようがしまいが、関係ないでしょうに」

「関係はないさ。姫様が納得せずとも、了承せずとも、我がガンディア軍は姫様を旗印に戦う。シーラ姫の窮状を救うという大義を掲げて戦うのだから、シーラ姫が合流した以上、彼女を御旗として掲げるのは当然のことだ」

 ナーレスの説明には、一々うなずくしかない。

 その通りだった。

 戦争とは元来、非道だ。

 領土防衛のための戦争ならばまだしも、他国の領土を奪うための戦争は、非道という他ない。領土に侵攻し、蹂躙し、殺戮し、略奪する。そこに正義もなにもあったものではない。ただの破壊であり、ただの殺戮なのだ。そんなものだ。正当化しなければ、大義を掲げなければ、兵士たちもやってはいられない。たとえ明日のため、生活のためとはいえ、戦っていられなくなる。だから、大義が必要なのだ。戦うための大いなる正義を掲げる必要があるのだ。

 ガンディアはこれまで、戦争のたびになにかしらの大義を掲げてきた。でなければ、この一年の間にあれだけの戦いを起こすことなどできなかっただろうし、できたとしても、あれほどの戦果を上げてくることはできなかっただろう。

 大義がなければ、正義がなければ、兵は動かない。

 当然、アバードへの派兵にも、大義を掲げた。

 それがアバードの姫君シーラ・レーウェ=アバードを窮状から救い、王位を継承させ、アバードに安定をもたらすというものだった。

 ガンディアにおけるシーラ姫の知名度は、クルセルク戦争によって大いに上がっていた。ガンディア軍人はおろか、ガンディアの国民の間でも知らぬものはいないほどに有名だった。ガンディアの英雄セツナと交流があったことも影響があるのかもしれないが、彼女が長らくアバードの代表であったことが影響しているのだろう。ガンディアにおけるアバードの顔がシーラ姫だった。故にクルセルク戦争における彼女の活躍は広く伝えられ、ガンディア国民にも親しまれた。シーラ姫の処刑を嘆き悲しんだものが続出したのも、そういう経緯があるからだろう。

 そんなシーラが実は生きていて、アバードで窮地に立たされているとなれば、ガンディアの人間としては放ってはおけないというのがある。

 同盟国であるアバード政府よりも、アバードの顔であったシーラ姫に親しみを覚えていたのが、ガンディア国民でありガンディア軍人なのだ。アバード政府の立場よりも、シーラ姫の窮状こそどうにかしてやりたいと考えるものが多かったとしても、なんら不思議ではなかった。

 それが、功を奏した。

 アバード侵攻軍の士気は、極めて高かった。

「局長は恐ろしいひとです」

「そうかな」

「こうなることが最初から視えていたんでしょ?」

 エインは、ナーレスのことを気遣いながらも、聞かずにはいられなかった。

 エインのいう最初とは、龍府でのことではない。ラーンハイルとその一族郎党の公開処刑と止めるため、セツナがシーラとともに龍府に旅立った直後には、エインにもアレグリアにも、こうなることは予見できた。セツナとシーラによる公開処刑の中止が成功するかいなかに関わらず、このような状況が生まれただろうことは間違いないのだ。それくらいのことは視えなければ、軍師候補になどなれるはずがない。

 しかし、ナーレスは、もっと以前からこの状況を視ていたのだ。

 だから、セツナの新たな領地として龍府を推した。龍府はアバードとの国境に近い大都市だ。内乱の果て、アバードの姫君が落ち延びてくるには格好の場所といえた。ひとびとの目を逃れ、隠れ住むには複雑で広大な古都ほど相応しい場所はない。そして、シーラならば、龍府の領伯となったセツナに接触を試みるだろう。セツナは、そんなシーラを放ってはおけない。セツナは優しいからだ。そこからアバードへ至るのは、時間の問題だ。

 アバードがシーラを放置するか、それとも、謀殺するために動くか。

 アバードがシーラを放置したとしても、ナーレスとしては特に問題はなかったかもしれない。シーラは、戦力として運用する上では申し分のない実力の持ち主であり、召喚武装の使い手でもあった。彼女の従者たちも強い。代えがたい戦力が苦もなく手に入ったと思えば、それでいい。

 だが、アバードがシーラの謀殺に動いたことで、事態はナーレスの思い描いた通りのものになっていった。

 それが、この状況だ。

「ここまでうまくいくとは思っても見なかったさ」

「嘘でしょう」

「本音だよ。なにもかも上手くいきすぎだ。どこかに落とし穴はないかと不安になるほどね」

「落とし穴があるとすれば、バンドール攻略前に局長の命が尽きること、ですかね」

「そんなもの、落とし穴でも何でもあるまい」

 彼は、にべもなくいってくる。それが、エインには空恐ろしい。

「君がいる」

「俺が、ですか」

「そこは、任せてください、というところだろう」

 ナーレスの苦笑に、エインは目を細めるしかない。眩しかった。魔晶灯の淡い光で照らされた室内。ナーレスの姿が輝いて見えた。

「君がいて、アレグリアがいる。わたしの死後の空白を埋めてくれる人材がふたりもいるのだ。これほど幸運なことはないよ」

「俺は、局長に巡り会えたことを幸運に思います」

「セツナ様に、だろう?」

「それは否定しませんが」

「いい答えだ。君になら、ガンディアの将来を任せることができる」

「いまにも死にそうなことをいわないでくださいよ」

「いまにも死にそうなんだが」

 彼はそういって、苦笑した。

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