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第九百八十九話 大義(一)

「大変だぜ、大将! 姫様!」

 エスク=ソーマに大声で話しかけられたのは、日課の訓練中であり、木剣を手にして睨み合っている最中のことだった。木剣は木を切り倒し、そこから削りだしたものである。もちろん、一本だけではなく、何本か作ったものの、どうも不揃いで、均一には作れなかった。黒き矛で木材を削るのは難しいのだ。本来の用途とは違う使い方ということもあるが、木剣を木から削り出すなどという作業をしたこともなかったというのもある。ともかく、武装召喚師ならざる傭兵たちがあきれる中削りだした数本の木剣は、ここ十数日の間、毎日のように虚空に踊っていた。

 セツナはシドニア傭兵団との睨み合いをやめると、エスクに視線を向けた。砦の裏手にある簡易訓練所は、訓練所とは名ばかりの空間に過ぎない。鬱蒼とした森の中にあるわずかな間隙を訓練所などと銘打っているだけのことだが、ほかに木剣を打ち合えるほどの空間は見当たらなかったため、ここで訓練をする以外にはなかった。砦には生活空間として利用する以外の価値はない。五十人あまりの人間が入り込んでいるのだ。仮にいずれかの部屋が訓練施設だったのだとしても、居住空間として利用している以上、木剣を振り回すことはできない。

 砦に隠れ住むほうが、訓練よりも余程大事だ。

 それでも訓練を欠かさないのは、人間の筋肉など、鍛えることを止めた途端、瞬く間に落ちていくものだからだ。筋肉が落ちれば、身体能力も低下する。身体能力が低下するということは、黒き矛の力を制御することも難しくなる。黒き矛は、ランスオブデザイアやマスクオブディスペアを吸収し、強力になっているのだ。セツナも肉体を鍛え上げ、強化しなければ、黒き矛の力に振り回されることになりかねない。

 圧倒的な力。

 振り回されるということは、仲間や味方にも被害を及ぼすということも起こりかねない。

 いくらなんでも、それだけはあってはならない。だから、彼は訓練を欠かさなかったし、ルクス=ヴェインに弟子入りしたのだ。肉体を鍛え上げ、召喚武装を完全に制御するだけの力を身に付けるために。そうやってはじめて、セツナは胸を張って武装召喚師を名乗れるのではないか、と思うのだ。

「なにがあった?」

 セツナは、木剣を遊ばせながらエスクに向かって歩き出した。エスクは砦の裏庭と訓練所の間くらいに立っていて、なにやら紙切れを手にしていた。新聞か、あるいは、彼の部下からの報告書の類か。どちらにせよ、エスクの慌てたような口ぶりには、嫌な予感を覚えざるを得なかった。エスクがそのような態度をとることは極めて珍しい。

 シーラも、椅子代わりにしていた岩から腰を上げると、エスクに向き直っている。シーラに抱えられていたラグナが彼女の手の中から飛び立つと、ばさばさと羽ばたきながらセツナに向かって飛んできた。そのままセツナの頭の上に着地したドラゴンに対し、セツナはなにもいわなかった。彼がセツナの頭の上に陣取るのはいつものことだった。

「大変なんですよ、大変」

 エスクの返事は、要領を得なかった。出し惜しみしているかのような彼の口ぶりに、セツナは彼との距離を詰めながら口調を荒くした。

「大変じゃわかんねえよ」

「いいますよ?」

「いえよ」

「ガンディアが姫様を救援するため、アバードへの派兵を決定したとのことです」

 エスクは、紙切れを掲げ、そこに記された内容を読み上げるかのように告げてきた。実際には読み上げているのではなく、紙切れの内容を噛み砕いたものを言葉にしているに過ぎないのだろう。遠目にも、紙切れの文章はもっと長く複雑なものに見えた。

「はっ!?」

 セツナは、単純に驚愕した。驚かざるをえない。理解し難いことだったし、容易には信じ難いことだった。エスクが嘘をつくとは思えないし、たとえ嘘をついてくるとしても、彼がつく嘘というのは冗談で済まされる範囲のものだ。いまさっきいってきたようなことを冗談でいってくるはずもない。冗談で済まされるわけもない。

「いま、なんていった……?」

 セツナが再度問いかけたのは確認のためでもあったし、冷静さを取り戻すために時間が必要だったからでもあった。彼の頭の中にちょっとした混乱が起きている。

「ですから、ガンディアが、シーラ姫の救援のため、アバードへの派兵を決定したって」

「どういうことだ?」

 どういうこともこういうこともないのだが、いまのセツナは、冷静に判断することができなくなっていた。だから、簡単にわかることもわからない。派兵の決定。つまり、ガンディアがアバード領に軍を差し向けるということだ。

 アバードはガンディアの友好国。同盟さえ結んでいる。敵対する意味もなければ、理由もなかったはずだ。

「簡単に言うと、それがガンディアの答え、ってことっすよ」

「答え……」

「アバードがガンディアを糾弾したこと、覚えてます?」

「ああ……そういうことか」

 セツナはエスクの冷ややかなまなざしを受け止めながら、横目にシーラを一瞥した。彼女は、呆然と立ち尽くしていた。手が震え、瞳が揺れていた。彼女も衝撃を受けたのだろうが、セツナよりも正確になにが起き、これからどうなるのかも理解しているかのような様子だった。顔から血の気が引き、表情が強張っている。

(売国奴――)

 そんな言葉が脳裏を過る。

 シド・ザン=ルーファウスが指摘し、アバード政府が突きつけた烙印が、ガンディアの行動によって現実のものになるかもしれない。

 エスクの話によれば、ガンディアは、シーラを救援するために派兵するといっているらしいのだ。シーラがガンディアに国を売ったと取られても仕方のないような対応であり、セツナには、ガンディアの動きがまるで理解できなかった。

「とにかく、ふたりとも砦に戻ってください。これからどうするべきか、考えなくては」

「そうだな……」

 セツナは、エスクの提案にうなずいて、彼ではなく砦に向かって歩いた。しばらく歩いて、彼女がついてこないことに気がつく。振り向くと、シーラは、さっきと同じ場所に立ち尽くしていた。

「シーラ」

「ああ、すぐに行くよ」

 彼女は、表情を強張らせたまま、動かなかった。

 セツナは彼女に歩み寄り、その手を引いた。シーラは抗わなかったが、セツナの手を握り返してはこなかった。


 砦内に戻れば、傭兵たちが騒然としていた。皆、エスクから話を聞いたらしかった。ガンディアによるアバード侵攻が現実のものとなれば、戦争が起きる。戦争とは傭兵たちの稼ぎどころであり、仕事場だ。傭兵たちの血が騒ぐのも無理はなかったし、彼らがどちらにつくべきかで討論をかわしているのも当然だったのかもしれない。

 エスクに案内されるまま向かった先は食堂だ。いや、食堂兼会議室といっても過言ではないくらい、この食堂は会議に利用されていた。といっても、この十数日あまりで数回ほどしか開かれてはいないのだが。

 砦を取り巻く情勢に大きな変化がない以上、会議のしようがなかった。代わり映えのない日常の報告をし合ったところで、なにも得るものはない。その時間を訓練や休息に費やしたほうが余程価値がある。

 しかし、今回ばかりは話は別だ。

 情勢が動いた。

 しかも、かなり大きな動きがあったのだ。会議を開かざるをえない。

 会議に参加するのは、この砦の一団の支配者とでもいうべきセツナと、この一団の行動目的であるシーラ、それに傭兵たちの代表であるエスクと、彼のふたりの腹心といってもいいレミルとドーリンだ。ついでにラグナも参加しているが、彼はセツナの頭の上からたまに口出ししてくる程度であり、参加しているともいえなかった。

 そんな五人と一匹の会議は、今回、いままでにないくらいの緊張感の中で開かれた。

「議題は、今後の我々の行動指針について、です」

「俺たちの目的は、変わらないぞ」

「それはわかってますが……ね」

 エスクは、一枚の紙切れをセツナに手渡してきた。

「これは?」

「うちの団員が手に入れたものですよ。ガンディアの声明文だそうで」

「ガンディアの声明文……」

 セツナは、紙切れに記された文章に目を通して、さっきのエスクの言葉が嘘ではなかったのだと理解した。紙切れは、六月九日付けの新聞の記事らしかった。龍府新報という誌名は、龍府で発行された新聞である証明であろう。

 そこには、アバードの糾弾に対するガンディアの反応が克明に記されており、ガンディアがアバードに兵を差し向けるということも、なぜ派兵するに至ったのかもはっきりと説明されていた。記事は、ガンディアの決定に対して賛同するものであり、アバードのやり方を非難し、ガンディアにこそ正義があると説いている。

 アバードがガンディアを糾弾したのは、六月二日のことだ。

 セツナ・ゼノン・ラーズ=エンジュール・ディヴガルドとその一党による暴挙への糾弾であり、シーラ・レーウェ=アバードを匿っていたことへの弾劾であった。ガンディア政府に釈明とセツナ・ゼノン・ラーズ=エンジュール・ディヴガルドへの対応を求めるとともに、シーラ・レーウェ=アバードの引き渡しを要求している。

 このアバード政府の糾弾に対するガンディアの反応こそ、世間の注目を集めたし、セツナたちも気がかりだった。ガンディアの反応次第では、アバードの国内情勢は大きく動くからだ。ガンディアがアバードに対して謝罪し、シーラの引き渡しに応じるとなれば、セツナもそれに応じざるを得なくなる。かといって、ガンディアがアバードに対して反発すれば、両国の関係は悪化の一途を辿る。シーラが苦労して築き上げてきた友好関係が瞬く間に破綻するということだ。また、ガンディアがアバードの糾弾を黙殺する可能性もあり、セツナはそれこそを望んでいた。ガンディアが沈黙を保っている限り、アバードも迂闊な行動には出られないだろうからだ。その間に王都への潜入を果たし、シーラと王妃を対面させることこそ、セツナの考えだった。

 それもこれも、ガンディアの対応がセツナの想像を超えるものだったこともあって、無駄に終わった。

 ガンディアがアバードに謝罪することはありえない、ということまでは想定済みだった。セツナの行動は、ナーレスの黙認を受けている。ナーレスが認めたということは、彼がレオンガンドを説き伏せる自信があるということだろうし、たとえ外交問題になったとしても、なんとかしてみせるというつもりだと、セツナは認識していたのだ。でなければ、セツナはシーラとともにアバードに来ることなどなかっただろう。シーラのアバード行きさえ認めなかったかもしれない。それで彼女が納得しなかったとしても、だ。

 だが、ナーレスが認めたとあらば、話は別だ。

 ガンディアに数多の勝利をもたらしてきた軍師が認めたのだ。軍師には、どのような状況も打開する策が思い浮かんでいるに違いない、とセツナは確信を持った。だから、彼はなにも気にせず、シーラのことにのみ集中することができたのだ。

 どんな事態になったとしても、ナーレスやレオンガンドがなんとかしてくれるだろう。

 甘えかもしれない。

 甘い考えかもしれない。

 しかし、信頼するとは、そういうことだろう。

 そして、信頼は、セツナの想像するものとは違う形となって、現れた。

 それこそ、ガンディアによるアバードへの派兵である。


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