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第九百八十七話 売国奴

「シーラが現れたというのは、本当か?」

 相手が絞り出した声が苦しみに満ちていることに気づき、彼は、目を細めた。

「はい」

 シド・ザン=ルーファウスは、アバード国王リセルグ・レイ=アバードの後ろ姿を見遣りながら、静かにうなずいた。

 王都バンドールの中枢である王宮内の一室。リセルグの私室には、彼と国王のふたりしかいなかった。友好国とはいえ、他国の騎士と国王をふたりきりにさせるなど、不用心極まりなかったが、国王自身がそれを望んだとあれば、臣下がそれを拒むことはできないだろう。

 リセルグは、常にそうだった。

 シドたちベノアガルドの騎士による報告を聞くときは、リセルグの私室で、シドだけが行うことになっていた。ベインやロウファがリセルグの私室に足を踏み入れたことはない。代表であるシドだけが、立ち入ることを許されたのだ。

 なぜ、私室なのか。

 至極簡単な理由だ。

 謁見の間などでの会見となれば、公的なものとなり、本心を話しづらいからだ。公の場は、本音を語る場所としては相応しくなかった。

「亡きラーンハイルの名を使えば、シーラは必ず出てくる――そなたの申した通りになったか」

「はい」

「シーラは、我が娘は、やはり臣民想いよな」

「はい」

 シドは、リセルグの言葉を否定しなかった。

 シーラ・レーウェ=アバードの人物像とは、まさにそれだ。臣民想いの獣姫。王家のため、国民のため、率先して戦場に赴き、己の血を流すことも厭わず戦い抜いて勝利をもたらす。それがシーラ姫という人間であり、彼女が国民的人気を誇った理由だ。王家の人間が先頭に立って戦い、だれよりも戦果を上げてきたのだ。人気が出ないはずがなかったし、国民が熱狂し、彼女こそ将来のアバードを背負うべきだという論調がアバード全土を席巻するのもわからなくはなかった。

 シド自身、シーラが女王となり、アバードを治めたほうが上手くいくのではないか、と想ったものだ。

 アバードの現国王リセルグの後継者は、今年九歳になるセイル王子だ。対して、シーラは今年二十三歳。リセルグは高齢であり、いつ王座を退いてもおかしくはなかった。しかし、その場合、後継者の年齢が問題となる。セイル王子は、あまりに幼く、政を行えるはずもなかった。もちろん、今日明日にでもセイル王子が王位を継承すれば、大臣などが彼の補佐となり、政治を執り行うことになるのだろうが。

「だが、取り逃がした、か」

「はい」

 肯定すると、窓の外を見ていたリセルグがこちらを一瞥してきた。アバード王家の血を象徴する白髪が揺れ、苦渋に満ちた表情がわずかに覗く。

 リセルグが安らいだ顔を見せたことは、一度もなかった。彼は常に苦悩の中にいる。彼と、彼の妃、それに王家の人々は、この状況を喜んでなどいないのだ。誰もが苦しみ、誰もが悲しみ、誰もが悩んでいる。

 誰もがシーラを愛しているからだ。

「我々の失態としか、言いようがございません」

「……だが、黒き矛が横槍を入れてきたというではないか」

「それは、言い訳ですよ」

 シドの脳裏に浮かんだのは、闘技場での戦いの光景だ。黒き矛を召喚した瞬間から、セツナの動きが変わった。制限のあるシドたちでは、対応するのがやっとという速度であり、力だった。しかし、相手もまた、力を抑えていた。まるでシドたちを殺すことを恐れているような、そんな戦い方。だからこそ両者の力は拮抗した。

 どちらも本気で戦っていないのだ。

「目的を果たせなかった時点で、なにをいっても言い訳にしかなりませんが」

「……よい。よいのだ。シーラの、あの子が生きていて、相も変わらず国民思いだということがわかっただけでも、よい」

 リセルグは、遠い目をしていた。彼の目になにが映っているのか、神ならぬシドには想像すらできない。しかし、彼の口ぶりから、彼が考えていることはわかる。リセルグは、目的が果たされることを望んではいない。

「それにしても、ガンディアか」

「姫様が頼られるとなれば、ガンディアかイシカでしょう」

 シーラは、タウラルから消えた後、ガンディアに流れたのではないかという憶測が王宮内で流れたのは、ある意味では必然ではあったのかもしれない。アバードの近隣国の中で、もっともシーラ姫と関わりが深いのがガンディアだった。アバードとガンディアの友好に寄与したのがシーラ姫なのだ。シーラ姫の尽力によってアバードとガンディアの友好が結ばれたといっても過言ではない。

 クルセルク戦争に参加したのも、その結果、アバードの領土が拡大したのも、シーラの活躍によるところが大きかった。

 もうひとつの候補であるイシカは、クルセルク戦争においてイシカの軍勢を率いた弓聖サラン=キルクレイドとシーラが親睦を深めていた、という話がある。それも、クルセルク戦争において、イシカ軍とアバード軍が行動をともにすることが多かったからだ。

「ガンディア……黒き矛のセツナ……か」

 シーラがガンディアに匿われていただけならば、まだ良かった。それだけならば、発覚しないかぎりは問題にはなりようがない。

 しかし、ガンディアがその最高戦力であるセツナ・ゼノン・ラーズ=エンジュール・ディヴガルドを差し向けてきたとあらば、話は別だ。政治問題、外交問題に発展するのは必然であり、そのことは、シーラ姫もセツナも理解していたはずだった。承知の上での行動であろう。いくらシーラの目的を果たすためとはいえ、他国に戦力を侵入させたのだ。しかも、公開処刑を台無しにするという暴挙は、政への介入にほかならない。

 アバードは、この問題に対処するため、近くガンディアに抗議することになる。

「……娘の死の報告を待たねばならぬなど、地獄よな」

「それが王妃殿下の望みなれば」

「それも……我が罪」

 リセルグは、静かに告げた。

「セリスには辛い思いをさせてしまった」

 リセルグの言葉に秘められた真意も、シドにはわからなかった。

 シドが知っていることといえば、アバードに安定をもたらすには、国内をセイル王子派の色で染め上げなければならず、そのためにはシーラを討たねばならないということだった。そして、それを望んでいるのがセリスであり、セリスを苦しみから救うには、シーラを殺すほかないということだ。



 五月を過ぎ、六月を迎えた。

 六月五日、季節は夏に近づきつつあったが、セツナたちの置かれている状況に大きな変化はなかった。なにひとつ、変わっていないといっていい。

 センティアの宿屋《星のきらめき》亭による援助も相変わらず続いており、セツナたちの心配は杞憂に終わったかのようだった。もちろん、まだまだ油断はできない。状況に変化がないということは、いまもアバード国内はシーラの生存に関する騒動の渦中にあるということなのだ。《星のきらめき》亭の行動が怪しまれ、セツナたちが潜んでいる砦の在り処が判明すれば、立ち所に窮地に立たされるのだ。

 もっとも、《星のきらめき》亭の主人も、《星のきらめき》亭で働くシドニア傭兵団の元傭兵も、セツナたちが隠れ家とする砦の場所までは知らないはずだった。《星のきらめき》亭の馬車が補給物資を届けてくれるのは、最初にセツナたちを降ろしてくれた場所であり、森の奥地ではないのだ。砦の所在地は、森の奥深く。馬車では到底辿りつけないような難所にある。馬車が追跡されたとしても、砦の場所までは発見されないということだ。

 とはいえ、馬車が追跡されるということは、街道の外れで馬車から荷駄が降ろされるという奇妙な光景を目撃されるということであり、《星のきらめき》亭への疑いが強まるとともに、街道付近になにかがあるということまで判明するということだ。そういうこともあって、《星のきらめき》亭は細心の注意を払って補給物資の運搬を行ってくれていた。

 補給物資とは、食料や衣類のほか、数日分の新聞を纏めて届けてくれたりもした。

 情報の収集は、エスク=ソーマ率いるシドニア傭兵団も行っていることだが、補給物資とともに届けられる新聞も、情報源として大いに役立った。新聞のおかげで、アバード政府の動向や国内情勢についてつぶさに知ることができたのだ。

 二十七日、センティアの闘技場で行われる予定だったラーンハイル・ラーズ=タウラル及び一族郎党の公開処刑が、セツナ・ゼノン・ラーズ=エンジュール・ディヴガルド率いる一団による襲撃によって中止される運びとなり、無期限延期となったこと。襲撃者の一団の中に、シーラ・レーウェ=アバードの姿があったこと。そして、以前王都で処刑したシーラ・レーウェ=アバードが偽物だったことが公表され、なぜ偽物を本物として発表したのか、その見解についても述べられていた。

 それによれば、シーラ・レーウェ=アバードを処刑したという発表は、これ以上の無用の混乱を招かぬためであり、本物のシーラ姫がこのような大それた事件を起こさないと思っていたからだ、ということだった。

「事件……事件か。そうなるな」

 セツナは、つい先程届いた新聞を眺めながら、つぶやいた。

「大事件も大事件ですぜ、大将」

「わーってるよ、んなこたあ」

 エスクの妙に嬉しそうな口ぶりにセツナは顔をしかめながら、新聞をひらひらさせた。いわれなくても、わかっている。

 砦二階の一室に彼らはいる。石造りの砦は、どこにいてもひんやりとした空気が流れている。冷たいのは空気だけではない。床も壁も、なにもかもが冷え切っている。森の奥地にあることも影響しているのだろう。吹き抜ける風は、どこまでも冷ややかだ。

 その冷ややかさの中で、壁の上部に作られた小窓から差し込む光は、奇妙なほどに温かい。木漏れ日などというか細いものではなく、強くも穏やかな太陽光線は、この冷え切った空間にはありがたいとさえ思えた。

 室内には、セツナとエスク以外にシーラとラグナ、レミルがいる。ドーリンは、部下たちとともに裏手の小川で水浴びをしているとのことだった。シーラたちは水浴びを終え、すっきりとした表情だったのだが、つい先ほど届いた新聞に目を通した瞬間、浮かない顔になった。

 当然だろう。

 新聞によれば、六月二日――つまり三日前、アバード政府は、シーラ・レーウェ=アバードの生存を公表するとともに、センティアの闘技場襲撃事件に関する概要を発表した。

 公開処刑の会場であったセンティアの闘技場を襲撃したのは、ガンディアの領伯であるセツナ・ゼノン・ラーズ=エンジュール・ディヴガルドとその一味であり、その手引をしたのがシーラ・レーウェ=アバードである、ということにされていた。いや、なんら間違いではない。事実、その通りだった。セツナは、シーラの願いを叶えるために力を貸し、彼女の手引によってセンティアの闘技場を襲撃したのだ。それを否定することはできない。

 しかし、アバード政府の発表だけを見れば、シーラ・レーウェ=アバードが、アバードの政情を混乱させるため、ガンディアの戦力を誘引したという風にしか取れなかったし、シーラがみずからの女王擁立のためにガンディアに働きかけたのではないか、というような文言が躍っていた。

 実際、そういう趣旨の記事であり、シーラ・レーウェ=アバードが売国奴と成り果てたという意味の文章で締められていた。

「売国奴……」

 新聞を持つシーラの手が震えていたのは、その言葉の意味するところがあまりに衝撃的であり、彼女の想いに反すること甚だしかったからだろう。

「ガンディアはどう出ると思います?」

「……さあな」

 セツナは、エスクの皮肉げな笑みを見据えながら、それだけをいった。エスクはその笑みをより歪めただけであり、それ以上なにもいってはこなかったが。

 その皮肉めいた微笑は、気に食わなかった。

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