第九百八十五話 砦にて(四)
戦後、傭兵団はばらばらになった。当然のことだ。傭兵団は、ラングリードひとりによって纏め上げられていたのだから、その纏め役がいなくなれば当たり前のように散り散りになる。
それに、エンドウィッジの戦いにシーラ軍として参加したものは、もれなくアバード王国への反逆者となったのもある。反逆者の烙印は、シドニア傭兵団の存続も危ぶませた。アバードとの専属契約が打ち切られるのは当然だったし、アバード軍に追われる可能性も少なくはなかった。纏まっていることの危険性は大きかった。ひとりであれば世間に紛れ込むことも不可能ではないが、大人数で、となるとそうはいかない。傭兵から足を洗うものが現れたとして、だれが責められよう。他人の人生。好きに生きればいい。エスクはそう想ったものの、しかしながら、ラングリードの遺志を引き継ぐものもいなければならないとも考えた。それが自分だとは考えもしなかったが、ばらばらになった団員たちを一箇所に纏めるべく、彼は動いた。
そうやってシーゼルの酒場《銅の揺り籠》は、彼らシドニア傭兵団残党の溜まり場となったのだ。
シーゼルという王都バンドールの目と鼻の先にあるような都市に潜伏することになったのは、都市そのものが熱狂的なシーラ派であったセンティアや、シーラ派の拠点であったタウラル要塞では取り締まりが厳しくなるだろうということがあったからだ。王宮軍の拠点であったヴァルターは論外だし、王都など以ての外だ。ゴードヴァンやランシードに至っては、ついこの間まで他国の都市だったのだ。勝手がわからない街に潜伏するのは、賭けでしかない。
それならば、いっそのことシーゼルにどうどうと住み着くのはどうか、と彼は考えた。それも賭けだが、残党を集め、またシドニア傭兵団としてやり直そうというのなら、そうするほかなかった。なにもやましいことなどないのだ。胸を張って、堂々と生きていけばいい。
そうやって、生きてきた。
いつか、シドニア傭兵団としての活動を再開することだけを夢見て、飲んだくれていた。
酒に酔い、酔いの中で夢を見るほかなかった。
「しかし、ニーウェがセツナだったとはなあ」
「エスクでも気が付かなかった?」
「わかるわけねえだろ。セツナを直接見たことなんてねえし、第一、あいつが召喚したのは仮面だぜ。黒き矛なんかじゃなかったんだ」
セツナが黒い仮面の召喚武装を使うという噂さえ、聞いたことはなかった。セツナ=カミヤはガンディアの英雄であり、黒き矛の使い手として名を馳せる武装召喚師だ。彼の凄まじいばかりの戦果は、ガンディア自体が積極的に喧伝していたし、たとえ喧伝されなかったとしても、エスクのような人間の耳には届いていたことだろう。傭兵稼業は情報が命だ。情報こそが生死を分ける。金払いがいいからと弱い方についてしまっては目も当てられない。多少安くとも強い方に付くのが当たり前であり、生き延びるための手段だった。
もっとも、シドニア傭兵団はラングリード団長の時代になってからというもの、アバード一筋といってよく、エスクたちが雇い主に関する情報を集める必要はなくなっていた。しかし、ラングリードがアバードと専属契約を結んだのも、情報収集の結果であり、情報が生死を分けるという考え方に変わりはない。アバードがこの戦国乱世を生き延びるだろうと判断したからこそ、ラングリードはアバードとの専属契約を結び、アバード国内での権力を確かなものとしていこうとしたのだ。
ラングリードは、慧眼だった。
アバードは、大国と化したガンディアと友好関係を結んだことで、今後、乱世を生き延びていく地盤を得たといってもよかった。クルセルク戦争でのシーラ姫の活躍は、彼女の政治的価値を大きく引き上げただろう。アバードは彼女を交渉材料にすることもできた。
政略結婚である。
シーラ派が活発化したのは、アバード王国王女シーラ・レーウェ=アバードの政治的価値が急騰したからであり、彼女の政治的価値をアバードのために利用しようという動きが見え始めたからでもあった、という。
シーラ姫を差し出すとなれば、相手国も相応の価値を持った結婚相手を出さざるをえない。そして、アバードにおけるシーラ姫と対等の価値を持った人物など、周辺国を見回してみても数えるほどしかいまい。ただの貴族では圧倒的に足りない。ただの王子でも、駄目だ。次期国王となることが確約された王位継承者なり、国内で有数の実力を持った貴族でなければならなかった。そして、そういった相手と結婚させることは、アバードとその相手国の関係を深く結ぶことになるだろう。
しかし――。
シーラ姫は、アバードになくてはならない存在といってもよかった。
いまのエスクから見ても、シーラ・レーウェ=アバードほど、この国を想い、この国のために血と汗を流している王族を知らなかった。王侯貴族を除いても、彼女ほど献身的に国のために戦っている人間は、そういるものではない。金のために戦う傭兵だからこそ、よくわかる。
シーラ姫は、見返りなどまったく求めていなかった。
なにも求めず、ただ、国のことだけを見ている。国のためだけに剣を取り、骨を砕いている。
国民が彼女を支持するのも、ラングリードの信奉者であるエスクにだってわかったし、シーラ派の人々の無邪気な熱狂ぶりには、微笑ましささえ覚えたものだった。
シーラ姫は、国民にだけ人気があるわけではない。アバードの軍人たちにも人望があり、尊敬され、愛されていた。彼女が先頭に立って戦うその後姿を、軍人たちのだれもが目の当たりにしてきているからだ。苛烈な最前線にこそシーラの姿はあり、だからこそ、彼女は獣姫の二つ名で呼ばれ、畏れられた。そういった軍人たちの敬意は、貴族にも伝わり、シーラ派という一大派閥が出来上がったのも、必然という他なかったのだろう。
彼女がいるから、アバードは成り立っている――というのは、言い過ぎではなかった。
だから、シーラ派の人々は、彼女が政略の材料として他国に差し出されることを恐れたし、懸念した。シーラ姫の政治的価値の高騰による政略結婚の具体化は、シーラ派を刺激し、シーラ派は国民を煽った。
女王擁立運動の始まりである。
それがシーラ姫の立場を悪くし、首を絞めることになるとは、シーラ派も、アバード国民も、だれひとりとして思わなかった。
シーラ派の過激化は、王宮の反発を生んだ。
シーラ派と王宮の対立。
エンドウィッジの戦いが起き、多くのシーラ派軍人が命を落とした。
ガラン=シドール、キーン=ウィンドウ、ラングリード・ザン=シドニアほか、数多の将兵が、エンドウィッジの戦場で命を散らし、王都で処刑された。
シーラ・レーウェ=アバードも処刑された。
王女としてではなく、アバードへの反逆者として。
それですべてが終わったはずだった。
だが、終わってなどいなかった。
シーラ姫は生きていた。
のうのうと、人生を謳歌していた。
エンドウィッジの戦いを生き延びたのではない。
エンドウィッジの戦いには参加しなかったどころか、エンドウィッジには影武者を差し向け、自身は他国に逃げ果せていたのだ。
これでは、自分たちがなんのために戦ったのかわからなくなる。
これでは、あの戦場で死んだ者たちが浮かばれない。
これでは、ラングリードが死んだ意味がない。
茶番だ。
あの戦いは、最初から王宮軍が勝つように仕向けられた茶番だったのだ。
(犬死に……)
胸中でつぶやきながら、エスクはレミルの髪を撫でた。レミルは、彼の胸に頭を乗せていた。
「しかし、まあ、運がいいというべきか」
「運がいい?」
「セツナはガンディアの英雄様だぜ? そんな人間がアバードに乗り込んできてるんだ。大騒ぎになる」
既に大騒ぎになっているというべきかもしれない。
ただ、アバード国内に乗り込んできたわけではない。死んだはずのシーラ姫とともに現れ、公開処刑を台無しにしてしまったのだ。セツナの話によれば、その公開処刑がシーラを誘き寄せるためだけの罠だったということだが、そんなことは知った話ではない。
「アバードがめちゃくちゃになるんだ」
エスクは、こちらを見上げるレミルの目を見つめながら、ほくそ笑んだ。彼女は、少し不思議そうな顔をしている。彼女には、エスクの気持ちは理解できないのかもしれない。
「これほど痛快なことはねえ」
痛快で、愉快だった。
これからアバードがどうなるのかを考えるだけで胸が躍った。
復讐。
くだらない茶番でラングリードを奪い、夢を奪ったものたちに報いを受けさせるのだ。
「だから、シーラ姫にゃあ生きてもらわなきゃなんねえんだよ」
この騒動の中心にいるのが、シーラだ。
彼女が生きていて、アバードに戻ってきたからこそ、この大騒動が起きている。彼女が死ねば、それでなにもかもが終わりになりかねない。ガンディアの英雄がアバード国内に入り込んできたという問題も、政治的解決を見るかもしれないのだ。
そんなことをさせるわけにはいかなかった。
シーラには生きてもらうのだ。
生きて、生きて、生きて、アバードが壊れゆくのを見届けさせるのだ。