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第九百八十一話 烙印(十四)

 センティア南西に横たわる森には、センサールという呼称があるらしい。ガンディアとアバードの国境の森がウルクサールだったことから、サールという言葉が森を意味する古代語だということがわかる。ウルクは黒であり、ウルクサールは黒い森という意味らしいが、センサールのセンがなにを意味するのかはセツナにはわからない。センティアのセンと同じなのかすら、不明だった。そんなことが気になるのは、武装召喚術について真面目に勉強してもいるからだが。

 その成果のひとつが、エスクとの戦闘で披露した呪文の詠唱なのだが、それについてはいま考えることではなかった。

 いまセツナが考えなくてはならないのは、目の前のことだ。

 センさールの森は、センティアとシゼールを結ぶ街道のひとつである南セネール街道のセンティア側南方に広がっている。センティアを脱出した馬車がその森に立ち寄ったのは、もちろん、セツナたちというひと目に触れてはならない荷物を下ろすためであり、シゼール行きこそが《星のきらめき》亭の馬車の本来の役割だった。

 セツナたちがセンサールと呼ばれる森で降ろされたのは、荷台に詰め込んだままシゼールまで移動するのが困難だということもあるが、最大の理由は、それがエスクの提案だからだった。エスクは、いまシゼールに戻るのは危険だと判断し、セツナとシーラもそれを理解した。

 シーラの目的が王妃セリスに逢うことに変わった以上、王都バンドールに近いシゼールに潜伏するのが一番だ。しかし、王都に近いということは、それだけ警備も厳重なものにならざるを得ない。セツナとシーラが最初にシゼールを訪れた時こそ、警備体制は万全とはいえなかったが、情勢は大きく変化している。シーラがアバード国内に潜入したことが明らかになり、その事実はアバード政府によって公表された。センティアのみならず、国内全域に知れ渡るまで大して時間はかからないだろう。

 セツナたちがシゼールに到着する頃には、シゼールにもシーラ潜伏の情報が届いているはずであり、シーラを探しだすための警備網が敷かれているはずだった。それはセンティアも同じだ。脱出することさえ困難だということは明白であり、《星のきらめき》亭の助力を得られたとしても上手くいくかは五分五分といったところだった。最悪戦闘になる可能性もあった。それでも正面突破よりはマシだろうということで、《星のきらめき》亭の馬車を利用したのだが、これが上手くいった。当直の警備兵が《星のきらめき》亭の懇意だったことも大きい。《星のきらめき》亭が、時間外に馬車を出入りさせるのはいつものことであり、その際、警備兵に金を握らせるのもいつものことだったのだ。そういった幸運の積み重なりが、セツナたちのセンティア脱出に繋がっている。

 それはともかく問題は、脱出した後のことだった。

 シゼールに戻り、潜伏し続けるのが困難だと結論づけた以上、センティアを抜け出すことに成功したからといってシゼールに向かうことは、ありえない。といって、警備の薄そうな都市といえば南東のゴードヴァンと北東のランシードといった旧クルセルク領の都市になるのだが、これらは論外だ。王都からあまりに遠すぎる。シーラがセリスに逢うためには王都に潜り込み、王宮に入り込まなければならないのだ。そのためにも王都の内情を探る必要があり、王都から遠く離れた旧クルセルクの都市では不便極まりなかった。

 タウラル要塞も、ありえない。

 タウラルは、シーラ派の重鎮ともいわれる領伯ラーンハイル・ラーズ=タウラルの領地だったが、いまはアバードの直轄地であり、タウラルに潜り込めたとしてもラーンハイル時代のように庇護を求めることはできないだろうということだった。そもそも、シーラ派の拠点であったタウラル要塞の警備が緩いはずもなく、潜りこむことさえ困難だということは想像に難くない。

 王都の北に位置するヴァルターも、センティアと同様の理由で却下とされた。ヴァルターは、センティアからの直線距離ではシゼールよりも近いのだが、地形の関係上、大きく迂回せざるを得ず、シゼールと同程度の日数を要するという。が、それ以前の問題として、こちらがヴァルターに辿り着く頃には厳戒態勢がしかれているだろいうということだ。セツナたちが闘技場を脱出した直後には、シーラがアバード国内に潜伏しているという情報が各地に飛ばされたはずだ。

 つまり、アバード国内に潜伏可能な都市はない、ということだった。

 では、どうするというのか。

 セツナたちが頭を悩ませたとき、エスクが提案したのがセンサールだった。

「その森になにがあるんだ?」

「ウィンドウ一族が何百年も前に放棄した砦があるんですよ」

 エスクは、地図を指し示しながらいったものだ。

「キーンの大将がうちの団長に話していたのを小耳に挟んだだけなんですけどね」

 だから、確証があるわけではない、ということだった。しかし、キーン=ウィンドウほどの男が法螺を吹くはずはないし、現にセンティアの地下通路は存在していた。いってみる価値はあるし、なかったらなかったでセンティアに使いをやって馬車を寄越してもらえばいい。

 エスクの提案にセツナとシーラは頭を悩ませたものの、ほかに潜伏場所など見つかるはずもなかった。

 そして、セツナたちはセンティアを脱出し、センサールの森の中に放り出されたのだ。

 もちろん、着の身着のまま放り出されたわけではない。《星のきらめき》亭の馬車の荷台に詰め込んでいた荷駄のほとんどは、セツナたちのために用意された食料や衣類であり、それらを持ち運ぶのに傭兵たちの頑強さほど頼もしい物はなかった。

 獣道さえ見当たらないような森の奥へと進んでいく。目印もなにも見当たらないのだが、エスクは意気揚揚と先頭を進んでいく。野生の動物や皇魔に出くわした場合のことを考え、彼も一応武器を携帯しているものの、彼の様子は遠足にきた子供のようであり、森の中探索そのものを楽しんでいる様子すらあった。

 そのうち、エスクひとりが先行していき、セツナたちの視界から消えていなくなると、セツナはレミルやドーリンと顔を見合わせて苦笑した。

 エスクが物凄い勢いで走り戻ってきたときは、皇魔でも遭遇したのかと思ったのだが、彼の表情を見た瞬間、違うと認識した。

「ありましたよ! 砦っ!」

 そういってきた彼の表情には、喜びが満ち溢れていた。


「砦……ねえ」

 セツナは、森の奥底にひっそりと佇む小さな建物を目の当たりにして、名状しがたい感覚を抱いた。

 センサールという鬱蒼とした森の風景に溶け込むかのように、その建物は存在していた。石材を積み重ねて作り上げられた建物であり、そこそこの大きさはあるものの、乱立する木々に隠れてしまうほどのものなのだからたかが知れている。二階建てくらいだろう。間取りはどれくらいのものなのか、外観からはわかりにくいのは、建物全体が緑がかっていて、風景に溶け込んでいるからだ。緑がかって見えるのは苔むしているからであり、蔦が這い回っているからに他ならない。

「なにが不満なんすか!」

「どこが砦なのかなーってさ」

「昔は、塀と堀に囲われた建物のことを砦って呼んでたんですよ!」

「昔?」

 問い返しながら、砦といわれた建物の周囲を見回す。が、塀も堀も見当たらなかった。堀は土の下にでも埋まっているのかもしれないのだが、塀が見当たらないのはおかしい。風化したとは考えにくかった。数百年で風化するような素材ならば砦そのものが消えていても不思議ではないのだ。

 砦は、ある。

 エスクが砦と言い張る建物は、だが。

「ウィンドウ一族が、豪族として権勢を振るっていた時代だから、数百年は前のことっすね」

「数百年……」

 反芻するようにつぶやくと、セツナの頭の上でラグナがあくびを漏らした。

「なんじゃ、たった数百年か」

「おまえからしてみたらつい昨日のことか」

「さすがについ昨日とはいわぬが」

 ラグナが苦笑したのは、セツナの発想があまりにも飛躍しすぎていたからかもしれない。しかし、セツナがそう考えてしまったのも、ラグナが何百年、何千年どころか数万年もの長きに渡って転生を繰り返してきたといっていたからだ。数万年もの長きを生きたのならば、数百年など、少し前のことと認識していても不思議ではなさそうなものだが。

 ラグナの反応を見る限り、どうやらそうではないらしい。

「雨露は凌げそうだし、それで十分だ」

 シーラがぼそりとつぶやいた言葉にセツナもうなずいたものの、彼女の声の弱々しさにどきりとした。彼女は極端に口数が少なくなっている。いまの言葉も、馬車に乗ってから数時間ぶりの発言だった。

「てめえら、荷物を一箇所に集めたら中を掃除するぞ! 姫様と旦那の寝床を確保しろい!」

『おおーっ!』

 エスクが傭兵たちに命令すると、傭兵たちも傭兵たちで威勢よく反応した。そしてテキパキと荷物を一箇所に集め、砦(と言い張る建物の)の中に入っていく。

「いや……そこまでしてもらう必要は……」

「なにいってんです。何百年も放置された砦の中なんて、休めたもんじゃないですよ」

 エスクが肩を竦めたのは、シーラの言葉にまるで力がなかったからかもしれない。

「何百年、ずっと放置されていたわけじゃあなさそうなんですがね。盗賊とか動物の根城になっていた時期もあるみたいです。動物の糞がありました」

(だから部下に任せたんだな、こいつ)

 エスクの爽やかな笑顔の裏に隠された思惑を想像しながら、問う。

「なんで放置されてたんだ?」

「ウィンドウ家にとって不要になったんすよ。センティアの規模が大きくなり、こんなちっぽけな砦に戦力を割いて置いておくくらいなら、センティアにまとめておくほうが得策だと判断したんでしょ。そもそも、こんな小さな砦じゃ、アバード軍にもみ潰されて終わりだったでしょうしね」

「やっぱり小さいんじゃねえか」

「だから放棄されたっていってるでしょ!」

 セツナの茶々入れにエスクが憤然と言い返してきた。

「ま、数百年前、この砦が建設された当初は、これでも十分立派なものだったんですって」

「そういうことなら理解できる」

「あとは掃除が終わるまで待ちましょう。なんなら、眠ってくださっても構いませんよ?」

 エスクが、シーラを一瞥した。彼なりに彼女を気遣ってくれているのだろう。シーラは、いまにも倒れそうな顔をしている。疲労が蓄積しているのは、セツナもエスクも同じなのだが、シーラの場合はそれに心労が重なっているのだ。セツナたち以上に疲れていたとしても、なんらおかしくはない。

「いや……だいじょうぶ」

 シーラは毅然といってきたのだが、その目は憔悴しきっている。

「俺にはとても、だいじょうぶというふうには見えないな」

「……」

 セツナの言葉に対して、シーラは無言のまま顔を俯けた。彼女自身、自分が疲れきっていることを知っているのだ。知っていて、無理をいっている。無理をしてでも気丈に振る舞わなければならないと想っている。それが彼女という人間なのだ。

 セツナは、そんな彼女を不憫に思った。どれだけ疲労し、消耗し尽くしても、獣姫として雄々しく立ち続けなければならないなど、セツナには考えられない。

「疲れてるんだろ、きっと。疲れてるから、頭も働かないんだよ。だいじょうぶ。俺が側にいるさ」

「……うん」

 小さくうなずくシーラの声に力はなかった。

「ありがとう」

 シーラはそういうと、その場に腰を下ろした。荷物置き場となっている巨木の根本。腰を下ろすにはちょうどよい塩梅になっている。すぐさまセツナが彼女の隣に座ったのは、有言実行するためだった。側にいてやることしかできないともいえるのだが。

「当然のことだよ」

 セツナが囁くようにいうと、シーラは静かに微笑んだだけだった。そのまま背後の樹の幹に背を預け、目を閉じる。しばらくすると、シーラの呼吸が規則正しいものへと変わり、セツナに寄りかかってきたことによって彼女が眠りに入ったのだということを理解する。

 セツナは、少しほっとして息を吐くと、頭の上のラグナも安堵の息を浮かべていた。彼も彼なりに心配していたらしい。なんだかんだいいながら、ラグナもシーラのことが気に入っていたようだ。

 すると、エスクが近づいてきたかと思うと、思いもよらないことをいってきた。

「旦那、姫様から目を離さないようにしてくださいよ」

「わかってる」

「いまの姫様、相当参ってる。なにをするかわかったもんじゃない」

 セツナはなにもいわず、ただうなずいた。エスクに指摘されずともわかっていたことだ。


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