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第九百八十話 烙印(十三)

 センティアを抜け出すことに懸念したほどの苦労はなかった。

 センティア到着後から闘技場侵入までの間、セツナたちが拠点とした宿《星のきらめき》亭の主人であり、シドニア傭兵団の元団員の力添えにより、移動用の馬車を確保できたからだ。シーゼルからセンティアまで移動する際に使用した馬車ではなく、《星のきらめき》亭印の馬車であり、宿泊客が市内を移動するために運用されたり、宿の物品や資材の運搬にも利用される馬車だった。総勢五十名あまり。二台の馬車の大きな二台に分乗し、荷物の影に隠れた。そのまま、《星のきらめき》亭の荷物と一緒にセンティアの市街を走り抜け、町の外に出ることに成功している。検問こそあったものの、《星のきらめき》亭の主人が検問の兵士に金を握らせたことで事なきを得ている。

 それもこれも、宿の主人がシドニア傭兵団の元傭兵の兄であるとともに、熱狂的なシーラ派であったことが大きかった。これがもし、王宮派の人間であったならば、協力を頼むことなどできなかっただろう。頼んだ途端、アバード軍や騎士団に突き出されていたことは疑いようがない。

 アバード政府によってシーラの存在が公表されて以来、センティア市内は、王宮派とシーラ派で二分される騒ぎになっていた。センティアは元来、シーラ派一色に染まっていた都市だったが、エンドウィッジの敗戦以降、王宮の怒りを買うことを恐れたセンティア市民の中にはシーラ派から王宮派に乗り換えるものも少なくなかったらしい。ゼーレ=ウィンドウもそのひとりであり、ウィンドウ家を頼っていれば、いまごろ突き出されていたかもしれないというエスクの一言には、セツナも肝を冷やした。闘技場から抜け出す際、セツナの頭の中には来た道を引き返す以外にはなかったからだ。

 シーラ姫が生きていたという事実が公表されたことで、シーラ派が多少なりとも息を吹き返し、勢いを取り戻したという事実は、シーラ自身にとっては耳にしたくない現実だったのかもしれない。彼女は、闘技場から抜けだして以来、ずっと沈み込んでいた。

 そして、《星のきらめき》亭の主人もまた、シーラ派であることを公言して憚らず、シーラが生きていたことを心から喜んでいたというのだ。その話を元部下から聞いたエスクの提案で、宿の主人の力を借りることにしたのだ。

 宿の主人は、シーラが難を逃れるためならば命も惜しまないというほどに苛烈な人物であり、エスクがシーラを匿っていることを耳打ちすると、血相を変えて協力を申し出てきた。宿の主人のシーラへの献身ぶりには、彼を利用することを考えたエスクやセツナたちもおどろくほどであり、馬車に乗り込むシーラの姿を一目見た瞬間、その痛ましい姿に涙を流していた。そんな様子を見て多少の罪悪感を覚えたのは、このことが露見すれば、宿の主人もただでは済まないからだ。

『そのことならお気になさらないでください。そのときはそのときです。わたくしは、王女殿下の御活躍、アバード王国への献身ぶりを知っているのです。それを否定する王宮などくそくらえ――などといえば、王女殿下には嫌われるかもしれませんが……まあ、そんなものです』

《星のきらめき》亭の主人は、馬車が出る前、セツナの手を握って、そんな風にいってきた。

『ともかく、わたくしどものことなど、お気になさりませぬよう、王女殿下にお伝え下さい。セツナ様におかれましては、どうか、王女殿下のことをよろしくお願いいたします』

 主人は、深々と頭を下げてきたものであり、セツナは任せられた以上、その期待に応えるしかないと想ったものだ。頼まれずとも、シーラを守る気持ちに代わりはない。

 宿の主人がセツナのことを知っていたのは、エスクが喋ったからだ。シーラがガンディアのセツナと行動をともにしていることは公表されている。明らかになってしまっていることを隠す必要がなかった。

 もちろん、セツナがガンディアの黒き矛だと知ったときは心底驚いていたようだが。

 ガンディアの英雄と呼ばれるセツナ=カミヤがまだ十代の少年であるということは、よく知られた話だ。しかし、まさかセツナのような一見頼りにならなそうな外見とは思いもよらなかったのだろう。それは、エスクにもいわれたことだ。

『旦那が強いのはわかってましたけどね。まさか、ガンディアの英雄殿とは想いもしませんでしたよ』

 地下通路を移動中のエスクの一言が耳に残っている。セツナたちがエスクを騙したことを詰っているふうでもない。単純に、自分がセツナの正体を見抜けなかったことにあきれているような、そんな表情と声音だった。


 センティア市内を抜け出せたのは、朝焼けが東の空を染める頃であり、セツナたちは眠れぬ夜を馬車の荷台で過ごすことになった。荷台そのものは狭くはない。むしろ、セツナたちがシーゼルからセンティアに移動する際に使用した馬車の荷台よりはよほど大きく、広い空間があった。しかし、二十五人ほどが乗り込むとなると狭苦しくなるのも当然だったし、セツナはシーラとレミルに挟まれて潰れそうになっていた。ふたりとも肉感的だからだが。

 シーラも馬車の隅で小さくなり、馬車が揺れるたびにうめいた。そのたびにセツナは彼女との距離を確保しようと動くのだが、隣のレミルや目の前のエスクなどのせいで動くに動けなかった。動くとレミルの体に当たったりした。

 広い荷台が狭苦しく感じるほどに詰め込まれている上、セツナたちの頭上には布団などの荷物が載せられていた。つまり、セツナたちは宿の荷物と一緒に市街に運搬されたということであり、宿の主人たちは一台二十数人の大人を覆い隠すために四苦八苦していたものだった。検問を難なく抜けられたのは、金の力だが、かといってセツナたちを覆い隠していなければそれさえもできなかっただろうことは疑いようがない。

 そんなぎゅうぎゅう詰めの状態で一夜を過ごしたのだ。息苦しく、狭苦しい一夜。眠気こそあったものの、その眠気は馬車の揺れと同乗者の圧迫によって吹き飛ばされ、セツナが夢に落ちるようなことはなかった。両足の痛みもある。二度に渡る空間転移のために裂いた足は、手当こそしているものの、痛みは完全には引いていなかった。レミルたちに押される度に傷口が悲鳴を上げたが、彼はなにもいわなかった。傷つけたのは自分自身であり、誰かの責任ではない。

 セツナたちを乗せた二台の馬車が止まったのは、センティア南西の森の真っ只中だった。太陽が中天からまばゆいばかりの光を降り注がせていたが、森の中ではその光も木漏れ日となって降りしきるだけであり、森の闇にあざやかな陰影をもたらすだけだった。

「なんじゃ……もう着いたのか……?」

 ラグナが寝ぼけ眼をぱちくりとさせながらつぶやいた。馬車での移動中、彼だけは、ぐっすりと眠っていた。セツナからすれば羨ましくなるほどの眠りっぷりであり、彼の大物ぶりがよく現れているようにも思えた。実際、ドラゴンともなれば大物も大物なのだが、いまの愛嬌たっぷりの姿からは想像もできない。

「いや、まだだ」

 セツナは、服の襟元から頭だけを覗かせたラグナの額を優しく撫でながらいった。馬車の荷台に潜んでいる間、荷物の下敷きになっているということもあり、ラグナはセツナの服の中に潜り込んでいたのだ。そして、そのまま寝ていたということだ。

「では、わたくしどもはこれから予定通りシーゼルに向かいます。どうか、ご武運を」

「おう、またな」

「団長代理、お気をつけて」

「わかってるさ」

 馬車の御者に扮した元傭兵とエスクのやり取りを見ていると、エスクが団長代理らしく見えてくるのだから不思議な感じがした。団長代理としての威厳もなにもあったものではないのが普段の彼なのだが、こういう場面では、それらしく振る舞えるものなのかもしれない。

 やがて、二台の馬車は、セツナたちの視界から走り去っていった。つまり、セツナたちは森の中に置き捨てられたということになるのだが、セツナは別段不安に思ったりもしなかった。

「で……こんな森の中に本当にあるのか?」

 見回す限り、鬱蒼とした森が広がっていることくらいしかわからない。無数の木々が乱立し、頭上を緑の天蓋が覆っている。木漏れ日は光線となって降り注ぎ、暗い森の中に輝く光明のように見えた。召喚武装を手にしていないいま、周囲の状況を完全に把握することは難しい。といって、武装召喚術を唱えるつもりもない。闘技場以来、まともに休めていないのだ。闘技場では消耗を強いられた。二度に渡る空間転移に地下通路を破壊するための光線の乱射は、セツナの精神力を著しく消耗させている。 

「ええ。ついてきてください。眠たいからってつまずいて転んだりしないでくださいよーっと」

 エスクは、振り向き様、足元にあった小枝に足を引っ掛け、腰が浮いた。が、なんとか踏みとどまり、転倒することだけは回避して、彼は天を仰いだ。

「ふいー……危ねえ危ねえ」

「いったそばから」

 セツナが呆れると、ラグナがセツナの胸元で嘆息した。

「やはり、あやつは駄目じゃな」

「黙れこのドラゴン野郎!」

「うるさいわい! 駄目駄目男子おのこ!」

「駄目駄目駄目ドラゴン!」

「駄目駄目駄目駄目男子!」

 なぜか大声で言い合いを始めたひとりと一匹を交互に見比べて、それから周囲を見回す。レミル、ドーリン、傭兵たちは皆、呆気にとられたような顔をしていた。エスクの性格をよく知っているはずの傭兵たちですらあきれているのだ。セツナが彼らと同じような表情をしているのも、当然だったのかもしれない。それでも、ひとりと一匹の口論――ともいえないようなものだが――は続く。

「駄目駄目駄目駄目ドラゴン!」

「駄目駄目駄目駄目駄目男子!」

 いい加減耳が痛くなってきたこともあって、セツナは自分の服の中に手を突っ込んで小ドラゴンの首根っこを掴んだ。驚くラグナを尻目に引っ張りだし、眼前に持ってくる。ラグナのきょとんとした顔とエスクの顔を交互に睨みつけ、告げる。

「うるせえ」

「す、まぬ……」

「すみません……」

 ラグナとエスクが恐縮のあまり身を縮めるのを見て、セツナは少しばかり罪悪感を覚えた。そうなると、セツナはわざとらしい笑顔を作るしかない。

「わかればよろしい」

 セツナは、笑顔を浮かべると、掴んでいたラグナを優しく撫で、それから頭の上に置いた。ラグナはなにが起こったのかわからないような顔をしていたが、定位置に置かれると、安堵したのか、ゆっくりと息を吐いていた。エスクもきょとんとしている。

 背後から肩をぽんぽんと叩かれた、だれかと思い見てみると、たっぷりとした赤い髭が視界に入ってきた。ドーリンだ。

「さすがは黒き矛の旦那」

「どこがさすがなんだよ」

「いやあ、あの団長代理を一言で黙らせるなんて、そう簡単なことじゃございませんて」

 そうやって朗らかに笑うドーリン=ノーグからは、初対面のときとは人が変わったかのような印象を受けざるを得ないが、いま目の前にいるのが本来のドーリンなのかもしれない。ラングリード・ザン=シドニアなる指導者を失い、やさぐれていたのがシゼールのドーリンたちだったのだ。それがいまや水を得た魚のように活き活きとしているのだから、人が変わったかのように感じるのは当然だった。なぜ彼ら傭兵団の残党がここまでいきいきしているのかは、エスクの説明である程度はわかっている。

 シドニア傭兵団の残党には、王宮への不満があるのだ。

 シドニア傭兵団は、団長ラングリードがシーラ派として活動していたこともあり、組織全体がシーラ派に染まっていたという。シーラは、王女でありながら、みずからの危険も顧みず戦場に立っていたこともあり、軍人や傭兵に人気が高かった。そのことは彼女の国民的人気にも繋がるのだが、傭兵たちにとっても自分たちと同じ戦場に立つ王女は親しみやすかったという。そんなシーラのために戦ったのがエンドウィッジの戦いであり、シドニア傭兵団は、その戦いに敗れ、すべてを失った。

 団長を失い、組織はバラバラになった。

 剣の達人であり、ラングリードの右腕でもあったエスクが残党を纏め上げなければ、シドニア傭兵団という組織は露と消えていたという。

 要するに彼らは、傭兵団をばらばらにし、あまつさえラングリードを討ったアバード軍に意趣返しをしたいのだ。闘技場襲撃に全力で参加したのは、その一環であるらしい。

「てめえは本当、セツナの旦那に乗り換えたって感じだな?」

 エスクがドーリンに向かって凄んだが、やはり威厳もなにもあったものではなかった。

「いったはずでございましょう、金こそすべて、だと!」

「ぐ……否定できねえ」

「なんなんだこいつらは」

「シドニア傭兵団は荒くれ者揃いですから」

 レミルがにこやかにいってきたが、セツナは首をひねった。

「賑やかってこんなのだったか?」

「細かいことばかり気にしなさんな」

「あのなあ」

「さー、目的地目指してもうひと踏ん張りでっす!」

「はあ」

 セツナは、やはりエスクという人物が掴めず、嘆息を浮かべた。

 そして、横目にシーラを一瞥して、息を止める。

 白髪を晒した彼女は、いまにも消え入りそうな顔をしていたからだ。

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