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第九百七十八話 烙印(十一)

 セツナは、シーラのことを案じながら、動き出した傭兵団の後に続いた。彼女は、地下通路を抜け出すまでの間、セツナの手を離さなかったが、同時に一言も発さなかった。

 ラグナばかりが喋っていた。

 ラグナの饒舌さは、セツナやシーラの服の中に隠れて黙っていなければならなかったことの鬱憤ばらしのようであったが、単純におしゃべりが好きなだけのようでもあった。そんなラグナに構うのはレミルとドーリンばかりだった。

 セツナは、彼の話に付き合うよりも、シーラのことばかりを気にしていた。

 結局、騎士団の追撃はなかった。

 セツナが通路を破壊しまくったことが功を奏したのか、どうか。

 ともかく、セツナとシーラは、エスクに導かれるまま地下通路を抜け、センティア東部宿場街に辿り着いた。宿場街の一軒の建物の地下室であり、どうやら放置されて長いらしく、手入れされている様子もなかった。

 エスクの話によれば、建物内の各所にある印章などからウィンドウ家所有の物件だということが判明したが、ここまで長年放置されていることが明らかならば問題はないだろうということで、セツナたちはその建物に留まることになった。

 宿場街に出ることを避けたのは、宿場街に限らずセンティア全体に厳戒態勢が敷かれていることがセツナには明らかだったからだ。黒き矛の補助による広大な感知範囲は、センティア中に兵がばら撒かれ、シーラと彼女に関わったものたちを探しだそうとしていることがわかったのだ。

「まあ、当然こうなりますわな」

 エスクが窓の外を見遣りながらいった。その部屋は建物の三階にあるのだが、彼は外から中が覗かれることを恐れたのか、古ぼけた帳をわずかにずらしただけだった。窓を全開にすれば、さすがに怪しまれると判断したのかもしれない。

 なにもかもが古錆びた空間。本棚や調度品には埃が積もっており、どれだけ長い間放置されているのか、想像するのも難しかった。それでもほかの部屋よりはましだったし、部屋の広さや椅子などの調度品の多さも、休憩場所にはちょうどよかった。埃は我慢するしかない。

 もっとも、全員が全員、この部屋にいるわけではなかった。傭兵団の半数ほどはドーリン=ノーグとともに建物内の探索と物色を行っており、残り半数がエスク、レミルとともにこの広間にいた。セツナは、シーラ、ラグナとともに長椅子に座り、事態が進展するのを待っている。

 ちなみに、シドニア傭兵団は、だれひとり欠けることなくこの場に辿り着くことができている。陽動作戦中にぶっ倒れた傭兵たちもなんとか合流できたということであり、その話を聞いて、セツナはほっとしたものだった。いくら騎士団がシーラ以外に手を下さないとはいっても、アバード政府はそうではあるまい。今回の騒動に関与したものを処分しないはずがなかった。

 捕まっていれば、ただでは済まなかったということだ。

「どうする?」

「さて、どうします?」

 エスクが皮肉げな笑みをそのままに問い返してきた。

「センティアに隠れるなんてのは、無理ですな。ウィンドウ一族の権勢が弱まったいまとなっては、センティアで姫様を庇ってくれる物好きなんていないでしょうし。いや、それ以前に、これからどうするんです? 姫様の目的は、リセルグ陛下と直接あって話し合うことだったんでしょう?」

「……ああ」

「それが無駄に終わり、旦那方が隠していたことがすべて明らかになってしまった以上、なにもかもしまいですかね」

 エスクが大袈裟に肩を竦めた。

 なにもかもしまい。

 そうかもしれない。

 なにもかも、終わりなのかもしれない。

 彼のいうように、無駄に終わってしまった。闘技場にいたリセルグ王はよく似た別人、つまり影武者だった上、公開処刑そのものもシーラを炙り出すための方便に過ぎなかった。公開処刑を見るために集まった観衆さえ騎士団の人間であり、なにもかもがシーラを殺すためだけに仕向けられたものだったのだ。

 シーラにラーンハイルらの処刑を伝えに来たロズ=メランさえ、騎士団の策だったのではないかと思ってしまう。

 巧妙、とはいえないだろう。

 シーラが黙殺すれば空振りに終わった策だ。シーラがラーンハイルの願いを聞き入れ、アバードに関わろうとしなければ、騎士団はあの場で待ちぼうけたことになる。

 だが、シーラには、看過することなどできなかったのだ。どうあがいても、彼女はあの場に行くしかなかった。あの場に行き、処刑を食い止めるほかなかったのだ。

 でなければ、シーラはシーラでいられなかったに違いない。

 不意に、シーラの指がセツナの手に食い込んだことで、彼は彼女が苦しんでいることを悟った。いや、それ以前からわかっていたことだ。シーラは、ずっと苦しんでいる。それこそ、彼女が王都への帰還を拒絶されたときから、ずっとだ。

(ずっと)

 セツナは、シーラを見た。セツナと同じ長椅子に座る彼女は、顔を俯け、唇を噛んでいた。彼女の心情を思いやると、自分の胸まで苦しくなる。セツナはシーラではないし、出自も立場もなにもかもが違う。彼女の気持ちを完全に理解することはできない。しかし、思いやることはできるのだ。思いやり、彼女の力になってやることはできる。

「まだ……終わってねえよ」

 シーラが喉から絞りだすように声を発した。

「あの騎士の話が嘘じゃないなら、シーラ派への弾圧は俺を炙り出すためだけのものだ。俺が誘き出された以上、王宮がシーラ派を攻撃することはないはずだ」

「まあ、そうなりますな。それが事実なら、ですが」

「騎士が嘘をいっていたとも思えない」

「……ああ」

 シド・ザン=ルーファウスにせよ、ベイン・ベルバイル・ザン=ラナコートにせよ、その言動に嘘は見えなかった。彼らは、シーラを優先して行動し、シーラ以外、反撃こそすれ、致命的な攻撃を叩きこむようなことはなかった。傭兵たちが全員生還できたのは、ベインが全力で傭兵たちを迎撃しなかったからだという。

 そこまで徹底しているのだ。

 彼らは、嘘などいってはいない。

 シーラを殺すことだけが彼らに下された命令であり、それがすべてなのだ。

「そして、あの騎士の話が本当なら、俺の死を望んでいるのは、母上――王妃殿下ということになる」

 シーラの声が、わずかに震えていた。その震えがわかったのは、セツナがシーラの隣にいるからかもしれない。俯いた彼女の表情を見ることはできないが、きっと、苦悩の中にいるに違いない。

 実の母親に死を望まれているのだ。

 シーラが父や母を愛し、王家を大切に想っているのは、彼女のこれまでの言動からも伝わってきていた。だから彼女は王宮との対立を望まず、セイル派との対決も望まなかった。愛する王家と、家族と敵対することなど、彼女には考えられないことだったからだ。

 そんな家族のひとりに裏切られたといってもいい。

 いや、裏切りなどという生易しいものではあるまい。

 全人生の否定に等しい。

「俺は、母上がどうして俺を殺そうとしているのか、その理由が知りたいんだ」

「シーラ派とセイル派の対立が問題なんじゃないですか」

 エスクの声音は、冷ややかだ。

 アバードの内乱については、セツナは、シーラから直接聞いてよく知っている。シドニア傭兵団はその内乱に巻き込まれた当事者だ。団長ラングリード・ザン=シドニアは戦死し、傭兵団そのものも壊滅に近い打撃を受けたという。その残党をなんとか纏め上げている彼としては、内乱のきっかけとなったシーラ派とセイル派の対立ほど憎いものはないのかもしれない。

 シーラの主観で語られた話では、シーラ派や内乱など、シーラの望んだものではないし、知ったことではないのだが、それこそ、エスクたちにとっても知ったことではないのだ。彼らにとってはシーラ派という派閥があり、セイル派――つまり王宮と対立し、戦争に踏み切ったという現実がすべてなのだ。その結果、すべてを失ったことを恨んでいたとしても、なんらおかしくはなかった。

 とはいえ、セツナはエスクたちに肩入れするつもりはない。シーラの話を聞けば、シーラにこそ肩入れしたくなるのは、当たり前の話だった。

「だとしても、俺は直接、母上から真相を聞き出したいんだ」

「つまり、今度は王妃殿下と直談判する、ということですな」

「ああ……」

 シーラは低い声で肯定した。彼女の爪がセツナの手の皮膚に強く食い込んでいる。彼女の心情を思えば、その程度の痛み、どうってことはなかった。むしろ、この程度の痛みで済むのなら、肩代わりしてやりたいくらいだった。それができないから、苦しいのだ。

「どうやって? なんてことは、これから考えるとしますか」

 エスクは窓の帳を閉じると、手についた埃を払った。

「まずは、この状況をどうにかすることが先決だな」

 セツナの言葉にエスクと彼の近くにいたレミルがうなずいた。


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