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第九十六話 混沌をもたらすもの

「なるほど」

 セツナは、耳朶に飛び込んできた騒音と視界を埋め尽くした光景に、特に驚くでもなくつぶやいた。いや、多少の驚きはある。しかし、予感はあった。前触れはあったのだ。敵を切り裂くたび、突き破るたびに幻視のように脳裏を彩ったのだ。だから、驚きは少なかった。

 足元には、黒き獅子が倒れ伏している。黒き矛の斬撃によって頭を断ち割られてなお動き回るという生命力を持った化け物は、彼が矛を心臓に突き入れたことで絶命したのだ。巨大な皇魔。その戦闘中に合流した兵士たちによれば、ギャブレイトというらしい。今まで戦ったどの皇魔よりも巨大で、そして凶悪だった。

(ま、俺の敵じゃあない)

 大量の返り血を浴びてはいるものの、皇魔から受けた傷はひとつとしてなかった。両手の火傷と右肩の痛みは、ウェインとの戦闘によるものだ。皇魔には遅れを取らない。ギャブレイトはその巨体に似合わず鈍重ではなく、むしろ敏捷ではあったが、ウェインよりも与し易い相手だった。

 右手の甲で額の血を拭う。生暖かくどす黒い血液は、今にも目に入ってきそうだったのだ。視界を塞がれるわけにはいかない。ここは戦場――。

(そう、戦場だ)

 どよめきが、周囲に広がっている。まるで波紋のように、セツナを見て驚いている。セツナだけではない。彼の足の下で絶命している皇魔の存在も、驚きに拍車をかけていた。

 何百何千という兵士が蠢く戦場の真っ只中に、彼はあった。

 セツナが浴びた大量の返り血は、あの夜の現象を再現したのだ。血を媒介とした空間転移。漆黒の槍を召喚したルウファの元へと跳躍したあの現象だ。あれはまるで夢を見ているような感覚があったが、今回は違う。

 不確かなものではないのだ。熱に浮かされ、夢を見ているような感覚はない。実感がある。浮遊感もなく、重力を感じている。

 漆黒の槍を取り込んだことによって、黒き矛は力を増した。空間転移が安定したのはそのせいだろう。断定する。

 そして、驚くべきことに黒き矛が転送させたのはどうやらセツナだけではないらしかった。足元の皇魔もそうだが、彼の周りで戦っていたガンディア軍本隊の生存者たちもまた、同様に転移されてきたらしい。

 この戦場の真っ只中に、だ。

 ガンディア軍とログナー軍が入り乱れる戦場の各所に、本隊の兵士や皇魔が突如として出現し、多大な混乱を巻き起こしているのが彼の意識に入り込んできていた。黒き矛の召喚による感覚の肥大は、戦場全体の動きを把握するまでに至っている。これも槍との融合の結果ならば、彼はとてつもない力を手にしたことになる。

 その実感は空恐ろしいものではあったが、セツナは見て見ぬふりをするように黒き矛へと視線を戻した。

「決めたよ、おまえの名前」

 セツナは、矛を皇魔の死体から抜きながら囁くように言った。黒き矛では格好がつかないというのは、以前から言われていたことではあった。が、これまではそんな気にもなれなかったし、いい名前が思い浮かばなかったのも事実だ。

 もっとも、召喚者が召喚武装に名前をつけるのは、便宜上だけのことではないという。命名することで、召喚武装との契約をより強固なものとする。名は体を表すではないだろうが、命名することにより、召喚武装と召喚者の絆が強くなるのは本当らしい。

 ファリアは弓型の召喚武装にオーロラストームと名づけている。光の矢を放つ弓には相応しいだろう。ルウファはシルフィードフェザーだったか。グレイブストーン、火竜娘、地竜父――命名することで愛着がわくのは間違いないように思えた。

「カオスブリンガー」

 このような混沌をもたらすものには、これ以上にないくらい相応しい名前だと、セツナは自負していた。混沌。そう、これを混沌と呼ばずしてなんというのだろう。熱気と狂気が渦巻く戦場に突如として現れた皇魔たちが、殺意と悪意を振り巻いている。電光が吹き荒れ、咆哮がこだまする。剣をぶつけ合う人間たちが次の瞬間には物言わぬ死体に成り果て、返り血を浴びた化け物が次の獲物を求めて頭を巡らせる。兵士たちは敵味方の垣根を越えて化け物に立ち向かおうとする。叫び声が聞こえる。悲鳴が聞こえる。怨嗟が轟いている。断末魔が響いている。

 ルクスがいる。陽光を反射する湖面のような碧き剣が、黒き獅子の鉄槌の如き尾をあっさりと断ち切る。遠巻きに見ていた兵士たちが歓声を上げた。シグルドたちは、皇魔などには目もくれず、敵軍との戦いに勤しんでいる。狂ったような熱気を帯びた傭兵の一群が、ログナーの鉄壁の防衛網に大穴を開け、そこから怒涛のように攻め立てていくのだが、後ろが続かないようだった。このままでは孤立するだろう。

 ランカインは戦場の西にいた。皇魔の死体のすぐそばで、ログナーの赤騎士と呼ばれた男と戦っている。徒手空拳。いや、彼の足元には手斧が落ちていた。地竜父といったか。彼の召喚武装はものの見事に破壊されていた。これで二つもの召喚武装を破壊されたことになるが、彼には対抗策があるのだろうか。窮地に追い詰められたように見えるランカインだったが、彼は不敵にも嗤っていた。いつものように。

 レオンガンド王の姿もある。戦場より少し離れた丘の上。ガンディア軍の本陣なのだろう。そこには彼の側近たちもいて、それぞれに武器を手にし、ブリークやレスベルといった皇魔と戦っていた。その小さな戦場の真ん中にギャブレイトの死体があり、青年王はその化け物の亡骸を興味深そうに観察していた。折れた剣を手にした彼の心中など察する方法はない。

 戦場が見える。音が聞こえる。臭いがする。それはすべて黒き矛の力だ。あまりに強大で、手にしただけで圧倒的な万能感に支配されそうになるほどの力。自我が揺らぎ、自分が自分でなくなっていくような感覚さえある。破壊と殺戮に身を委ね、闘争の権化にでもなってしまいそうな、そんな錯覚。以前から感じていたことだが、漆黒の槍を取り込んだことでより顕著になってきていた。

 だからこそ、命名するのだ。

「それがおまえの名前だ」

 そしてセツナは、この混沌を収束させるにはカオスブリンガーの力こそ必要なのだと自らの心に言い聞かせるように柄を握り締めた。脈動のようなものが、掌に伝わってくる。焼け爛れた掌は未だに痛みを訴えてきていたが、昂る精神がそれを押さえつけている。その上で、焼けた皮膚を透過して伝わってくるのは、黒き矛の思念に違いなかった。それによれば、黒き矛はカオスブリンガーという名前を気に入ってはくれなかったらしい。

「文句は後にしてくれよ」

 セツナは黒き矛に告げながら、ようやく状況を飲み込んだらしい周囲の敵兵が一斉に弓を引き絞るのを察知していた。が、別段慌てることはない。予備動作を知覚した以上、遅れは取らない。矢が放たれる。大気を引き裂く無数の矢に込められた殺気に、彼は身震いすらする余裕があった。世界が緩慢に動いていた。

 飛来する矢のひとつひとつに込められた殺意に全身が泡立つ。研ぎ澄まされた感覚が捉えるのは殺意の深奥に潜む恐れであり、彼ら兵士たちが自己防衛的に矢を放ったことがセツナには理解できた。突如現れた異物への恐怖心が、弓を引き絞らせたのだ。それは純然たる敵意ではない。矢尻には殺意こそ込められてはいたが、それは弓引くものの宿命なのかもしれないとも思う。戦場で矢を射るということは、敵を殺すためにほかならないのだ。

 だから、なのかもしれない。

 セツナは、迫ってくる数十の矢を矛のひと振りによって生じた風圧で叩き落とすと、敵兵たちには目もくれずに跳躍した。硬い皇魔の外殻を足蹴にして、飛翔するようにその場から離れる。唖然とする敵兵たちの頭上を飛び越えて、進んでいく。目的地など考えてもいない。無心だった。なにか考えると。それに引きずられてしまう。いまはなにも考えなくていい。

 黒き矛が、カオスブリンガーが教えてくれる。矛の持ち主の行くべき場所へ、道標となって導いてくれるはずだ。それだけの力がある。その程度造作もないことをセツナは理解している。空間転移さえも、矛にとってはたやすいことなのかもしれないのだ。それほどの、恐るべき力が漆黒の矛の中に蓄積されているのがわかる。

 敵陣と一足飛びに飛び越えていく。高度が落ちれば敵兵の肩や背中を蹴りつけて再度跳躍し、矢が飛来すれば矛を振るって叩き落とす。無意識に、無心に侵攻する。その最中も戦場に渦巻く無数の思惟を感じた。男の叫びが聞こえたし、女の絶望的な悲鳴も聞いた。戦士たちの雄叫びと、化け物たちの怒号が戦場を飾り立てるようだった。剣が閃き、槍が旋回する。矢が飛び交い、雷光が吹き荒ぶ。戦場は混沌そのもので、その混沌を収束させるにはこの戦争を終結させるのが手っ取り早いだろう。

 斃すべき敵は躊躇なく斃す。しかし、いくら雑兵を殺したところで、戦争が終わるわけではない。ましてや、この状況をいたずらに長引かせることになんの益もない。むしろガンディア側の被害を考えれば、害の方が大きいだろう。ならば、素早く戦争を終わらせるのがいい。

(そのためにはどうすればいい?)

 兵を指揮する司令官を倒せば、戦いは終わるのか。それとも、戦場の司令官をも支配するこの国の王を手にかければ、ガンディアの勝利は確定するのか。

(王は……)

 恐らく戦場にはいない。耳に飛び込んでくる声の中に王を呼ぶものはなかった。この混沌とした空間にあって、王の身の安全を図ろうともしないのは不自然だ。つまりここに王はいない。みずから戦場に赴き、兵士たちの士気を鼓舞するレオンガンド王とは立場が違うのだ。

 ならば、現地の司令官を倒すしかない。ログナーの将軍アスタル=ラナディース。飛翔将軍とも呼ばれるらしいが、羽が生えているわけでもあるまい。本人の力量や戦場での采配が、その二つ名を生んだのだろう。だが、恐ることはない。恐るべきものは、自分の手の中にこそあるのだ。

 敵陣の奥深くへ、ただただ飛んでいく。ときには兵士を足場にし、ときには地面に降り立ってさらに跳ぶ。黒き矛に意識を預け、敵将の位置へと案内してもらうのだ。

 カオスブリンガーは、既に敵の位置を割り出していた。正確には敵の本陣ともいうべきか、アスタル=ラナディースとその腹心たちの居場所が、セツナの脳裏にも投影される。美々しい甲冑を身につけた女性将軍の姿に、多少の驚きを覚える。が、怯みはしない。相手が女であれ、なんであれ、倒すべき敵は倒す。

(ただそれだけだ)

 最後の跳躍で敵本陣に突入したセツナは、声すら発さぬまま、馬上の敵将へと飛びかかっていた。相手がこちらを認識したのはいつだったのだろう。少なくとも、セツナが矛を突き入れようとした時には気づいていなかったはずなのだが。

「貴様がガンディアの黒き矛か」

 カオスブリンガーの切っ先は、飛翔将軍が抜き放った剣によって弾かれ、虚空を泳いだ。射抜くような視線に曝されるが、動揺はない。心は、もはや震えないのだ。

「ああ」

 馬上、こちらを見下ろす女を見据えながら、セツナは不敵に笑った。将軍周囲の兵士たちが慌てることなく動き出している。素早い対応だ。将軍とセツナの間に割って入るように散開し、大盾を構える。槍や剣を抜いたものもいる。恐ろしく統率の取れた対応に呆れる思いがした。日頃の訓練の賜物には違いない。ガンディアの兵士たちならば慌てふためいているような気がしてならなかった。

 この対応ひとつ取っても、ログナー軍とガンディア軍の力量差が現れている。まともに戦っては勝ち目がないのは、火を見るより明らかだ。だから、陛下は混乱に乗じて侵攻し、マルスールを占領したのだろう。それだけでも十分な成果だったはずだ。しかし、都市一つでは満足できない事情があるのかもしれなかったし、主君の考えに口を挟むつもりなど毛頭なかった。

「将軍、ここは我らにお任せを!」

 恐らく精鋭中の精鋭なのであろう将軍の配下のひとりが言ったとき、その首は宙を舞っていた。

 切り口から血を吐き出しながら虚空に踊る兵士の首から視線を外すと、セツナは、血塗られた黒き矛の切っ先を馬上の敵将へと向けた。

「どれだけ殺せば、あんたは負けを認めてくれるのかな」


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