第九百六十七話 処刑場
「ラーンハイル・ラーズ=タウラルは、アバード王家第一王女シーラ・レーウェ=アバードの女王擁立運動の第一人者であり、志を同じくするものどもと徒党を組み、一大勢力を作り上げたのである。この場に集まった人々にはわかっていることと思われるが、それこそ、世に言うシーラ派である」
会場から聞こえる男の声は、朗々と、よく通った。しかし、言葉の内容には首を傾げるしかないし、どこにも真実など見当たらなかった。ラーンハイルを処刑するためのでたらめであり、でっち上げられた罪だということは、シーラには明白だった。だが、それを理解できるのは、この場ではシーラくらいしかいないのだろう。会場に満ち満ちた群衆には、いま会場に響き渡る言葉こそが真実として伝わるのだ。
シーラは、口惜しさに歯噛みした。セツナがこちらの顔を覗き込んできた。ふと気づくと、彼の手を握る力が強くなってしまっていた。無意識の反応だった。あまりに強く握りしめすぎて、彼に苦痛を感じさせたのかもしれない。シーラは申し訳なく想ったが、セツナはなにもいってはこなかった。
一階東部区画から闘技場へ至る通路の影に、シーラとセツナは身を潜めている。センティアの闘技場は、半球形の建造物であり、遥か頭上には丸い天井があるのだが、シーラたちの位置からは見えない。あらゆる天候に対応した闘技場だというのが、この闘技場の謳い文句だった。つまり、今日が嵐だったとしても、問題なく処刑を行うことができたということだ。
センティアの闘技場を処刑会場に選んだのは、そういう理由もあるのかもしれない。
「アバード王家に忠を尽くし、その功績によって領伯の座を与えられたにもかかわらず、王家の考えに背き、あろうことか王位継承権をみずから放棄した王女を擁立し、勢力を作り上げるなど、言語道断である」
通路からは、会場の様子は見えない。しかし、会場で公開処刑の準備が行われていることはわかるし、公開処刑の理由を説明する声に一々反応する群衆の声もまた、聞こえている。何百人どころか、何千人の観衆がいることがわかる。センティア市民だけではあるまい。国中から集まっているはずだ。ラーンハイルとその一族郎党の公開処刑が発表されたのは随分前のことだ。シーラたちは処刑が行われる会場を知らなかったものの、アバード国内では広く知れ渡っていたとしても不思議ではないし、むしろそのほうが自然だ。
つまるところ、ロズ=メランが龍府を目指すのが速すぎたというだけのことだ。彼がもっと情報を集めてから龍府まで来てくれていれば、シーラとセツナは真っ先にセンティアを目指したのだ。もっとも、その場合、闘技場に入る手段を探すだけで途方に暮れていたかもしれないが。
シドニア傭兵団――エスク=ソーマと知り合えたのは、不幸中の幸いというべきだった。彼がいたからこそ、なにもかも上手く運んでいる。
(上手く……?)
シーラは胸中で頭を振った。なにも上手くいってなどいない。シーラの当初の目的は、父にして国王たるリセルグ・レイ=アバードに逢い、タウラル一族の処刑を取りやめるように直訴することだった。そのためならばこの生命も差し出すつもりだった。
そのための決意と覚悟。
「あまつさえ、セイル王子殿下の王位継承権を返上するよう願い出るなど、アバード王家の家臣にあるまじきことであり、大いなる裏切り行為である」
朗々たる声が響く。
「王宮は、再三、諌めた。シーラ王女に話し合いの場を設けようと語りかけたが、聞く耳を持たなかった。それもこれも、ラーンハイルの手の内だったということが判明している。ラーンハイルは、シーラ王女に権力を握らせるため、虚偽の情報を吹き込み、王家との対立に至らせたのである」
「言いたい放題言いやがって。なにもかも嘘だらけじゃねえか……」
「シーラ……」
「ラーンハイルは、私情で動くような人間じゃねえ。少なくとも、権力を得るために俺を利用するような奴らとは違ったんだ。俺を生かしてくれたんだぞ」
シーラは、会場から聞こえてくる偽りの言葉の数々にやりきれなかった。やりきれず、耳を塞ぎたかった。しかし、耳を塞ぐにも、両手が使えない上、塞いだところでなにが変わるわけもない。ハートオブビーストを握る手に力を込める。
不意に、セツナがみずからの服の中を覗き込んだ。
「ラグナ」
「なんじゃ? でてもよいのか?」
「よくはないが、シーラについていてやってくれ」
「む?」
「どういうつもりだ?」
シーラは、セツナの言葉の意味がわからず、彼の顔を覗き込んだ。ラグナの細く長い首が彼の首元に伸びてきている。緑柱玉のように美しい外皮も、闘技場の影では映えない。彼が発光すれば話は別だが、そんなことをすればシーラたちが隠れていることが警備兵にばれてしまう。
闘技場内部にも警備兵は配置されているのだ。しかし、闘技場内部の警備は、闘技場の外郭部に比べると手薄といっても過言ではなかった。おそらく、闘技場に入るためには外郭部を通過しなければならないからであり、外郭部を厳重に警備していれば問題はないという発想なのだろう。それは必ずしも間違いではない。シーラたちが外郭部から闘技場内部に侵入できたのは、二階の大騒ぎに一階の警備兵が反応してくれたからだ。
「処刑を台無しにするってことは、さ。戦うってことだろ?」
「ああ……」
シーラは、セツナがいいたいことを把握して、うなずいた。戦闘になれば、シーラにつきっきりではいられなくなるということだ。もちろん、シーラも戦うつもりだった。セツナひとりに任せるなど、シーラの性分が許さない。幸い、武器は携行している。問題はない。
問題があるとすれば、シーラの正体がばれるということだが。
(そのときはそのときだ)
シーラは、覚悟を決めた。一度決めた覚悟を別の方向で固めるというのは、少し大変ではあったが、既に動き出したものを止めることはできないのだ。
「ラグナ、シーラを守るくらいはできるよな?」
セツナがそう問いかけたとき、ラグナは彼の頭の上に移動していた。ずっとセツナの服の中に隠れていたのが窮屈だったのだろう。伸びをするように、一対の翼と尾を目一杯広げてみせている。きわめて小さな飛龍。手のひらに乗るほどの大きさだが、翼を全開にすると、手のひらよりは大きく見えた。
「む……わしをだれだと思っておる。わしはラグナシア=エルム・ドラース。ドラゴンの中のドラゴンじゃぞ。小娘ひとり守れぬわけがなかろう。任せておくがよい」
「ああ、任せた」
「ふふふ……」
「どうした?」
「やはり、いざというときに頼りになるのは、ドラゴンよな?」
「ああ、そうだ」
ラグナは、セツナの断言に満足したのか、満面の笑みを浮かべた。それからセツナの頭の上から飛ぶと、シーラの肩に着地する。そのまま間髪を入れずするすると移動して、シーラの服の中に潜り込んでいく。ひんやりと感触にこそばゆさを覚えるが、身悶えしている場合でもない。
シーラは、ラグナが腰の辺りに身を潜めたのを認識すると、セツナに顔を寄せた。耳打ちする。
(否定しないんだな)
(乗せておけば、力を尽くしてくれるさ)
(そういうことか)
シーラは納得するとともに、セツナがラグナの扱い方をわかってきていることにほくそ笑んだ。彼は、なんだかんだで人の扱いがうまいのかもしれない。
「なんじゃ? おぬしたち、なにをこそこそと……」
シーラの胸の谷間から顔を覗かせてきたドラゴンに、セツナが眉を潜めた。
「戦術を練っていただけだ。ラグナはシーラを守ることに注力してくれればいい」
「ふむ……」
ドラゴンが不承不承といった様子で服の下に潜るのを見届けてから、シーラはセツナに尋ねた。
「会場の様子は?」
セツナに確認したのは、彼が黒仮面の召喚を維持したままだからだ。黒仮面の補助による超感覚があれば、会場の様子を掴むこともできるはずだった。黒仮面は黒き矛の力の一部だというのだ。その能力も推して知るべし、といったところだろう。
「闘技場の中心に台座が組み上げられている。処刑場だな。その処刑場の前に観衆が数千人。処刑場の上に、処刑人らしき男が三名。処刑予定者は処刑場の奥側に確保されているようだ」
セツナの説明は明瞭だ。闘技場の全体図は、シーラもよく知っている。エスクが入手した図面と睨み合い、作戦を練ったのもあるし、王女として、何度となく訪れている。そして、試合そのものに出場したこともあった。競技試合。血が流れることなどほとんどない試合ばかりだが、だからといって緩い試合などはなかった。むしろ、相手を傷つけないように点数を取り合うという戦闘には、高度な技術を必要とし、技量の比べ合いは、白熱の試合を演出したものだ。
そんな風に血が流れなくなって久しい闘技場を処刑の血で穢すのは、闘技場の所有者であるウィンドウ一族としても不本意であろうし、センティア市民からみても許しがたいものであろう。闘技場の試合に参加経験のあるシーラですら、そうだった。
「順番に処刑していく、ということだな」
「だろうな。処刑を台無しにするなら、処刑人を倒すなりして、処刑予定者を確保するしかない。しかし、そうすると、警備兵も殺到してくることになるだろうし、乱戦になる」
「ああ……そうだな」
「問題は、処刑予定者をどうやって安全に外に連れ出すかだ」
「地下通路を利用するしかないか」
「シーラは確保した処刑予定者を地下通路に導いてやってくれ。その間、俺が警備兵の注意を引き付ける」
「ひとりでだいじょうぶか?」
シーラが尋ねると、セツナは、一瞬、きょとんとした。そして、こういってくるのだ。
「俺をだれだと思ってるんだよ」
どきりとしたのは、そのときのセツナの表情が自然だったからだ。気負ってもいなければ、自身に満ち溢れているわけでもない。ごく自然に、当たり前のように言い放ってきたのだ。
セツナ。
セツナ・ゼノン・ラーズ=エンジュール・ディヴガルド。
エンジュールおよび龍府領伯にして王宮召喚師セツナ。
黒き矛。竜殺し。魔屠り。万魔不当。いくつもの異名で呼び表されるガンディアの英雄。それが彼だ。ガンディアを大国へと押し上げたひとりであり、小国家群が注目する人物。それが彼なのだ。そんな彼が、自分のためだけに力を貸してくれているという事実を改めて認識して、溜息をつく。
こんな自分のために、どうしてここまでしてくれるというのか。
彼はガンディアを代表する人間だ。領伯という立場もある。場合によっては外交問題になりうるというのに、どうして。
そんなことを問えば、彼は笑っていうに決まっている。
(困っているひとがいたら放ってはおけない……か)
セツナの目を見つめながら、シーラは、やっとの想いで口を開いた。
「……セツナは強いな」
「ああ、強いさ。それだけが取り柄だからな」
(そんなことはねえよ)
シーラは、そういってやりたかったが、そういうことを言い合える状況にはなかった。状況は逼迫している。時間はほとんど残されていない。この作戦会議を行っている時間さえも惜しいのだ。
「そろそろはじめよう。時間がない」
「ああ。けど、本当に、これでいいのか?」
「ん?」
「シーラの望みは、陛下への直訴だっただろ?」
セツナの真摯なまなざしは、彼がシーラのことを心配してくれていることの証明なのだろう。シーラは、彼の思い遣りに感謝した。感謝して、目頭が熱くなるのを止められない自分に嫌気が差した。泣いている場合ではない。
「ああ、そうさ。いまでもその想いは変わっていない。けど、この状況で父上に直訴するっても無理だろ。目の前の処刑を食い止めるほうが先だ。父上に直訴する方法は、その後考える」
それしかなかった。
ほかに方法などはない。
処刑はすぐにでも始まるのだ。始まってからでは遅い。執行されてからでは遅いのだ。失われた命は戻らない。
シーラを匿い、内乱を加速させる原因を作ったラーンハイルが処刑されるのは仕方がないと思える。しかし、彼の家族、親族、部下まで皆殺しにされるのは、理不尽以外のなにものでもない。彼の家族の中には、シーラを匿うことなど知らなかったものもいるだろう。シーラ派と無縁のものも少なくはない。見せしめとはいえ、やりすぎなのだ。虐殺という以外にない。そんなものを認めることはできない。止めなくてはならない。
止めなければ、アバード王家そのものが血に穢れるのではないか。