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第九百六十六話 影に惑う

「む? そなたはなにをいっておるのだ。わたしこそ、アバード国王リセルグ・レイ=アバードなるぞ」

「よく似ている。さすがは陛下の影といったところか」

 シーラは、リセルグ・レイ=アバードを名乗る男を評価するとともに、冷ややかな視線を投げた。またしても、リセルグはシーラの声に特別な反応を示さなかった。リセルグは、凡人だ。第一王子として生まれたために王位を継承し、王座についただけの人物だ。そのことは、リセルグ自身が一番良くわかっており、だからこそ、臣下の声に耳を傾けることに注力した。臣下の意見をよく聞き入れ、よく取り入れた。アバードにとってなにが必要でなにが不要なのか、そういった判断も臣下任せではあったが、有能な人材に囲まれていることもあって、失敗は少ない方だった。そういう意味では、名君といっていいのかもしれない。自分の才能、才覚を頼みとせず、有能な人材に全てを任せる――それがリセルグのやり方であり、アバードはそうやって進んできた。その結果が王宮派とシーラ派の対立を生み、内乱を起こさせたといえるのかもしれないが、それはいまは関係のない話だ。

 問題は、そんな凡人王であるリセルグにも、得意気に語ることがあった。

 それは、シーラの声だ。

 リセルグは、シーラの声をとにかく愛した。子供の頃から、シーラの声が好きで好きでたまらないといってくれたものであり、シーラが王宮のどこにいても、声で居場所がわかるというくらい、リセルグはシーラの声を聞き分けることができた。シーラが子供の頃から自分の声が好きでいられたのも、リセルグが褒めそやし、愛してくれたからだった。

 そんなリセルグが、低く抑えているとはいえ、シーラの声を判別できないはずがなかった。

「影? なにをいっているのだ? わたしは――」

「御託はいい。陛下はここにはいないんだな?」

 シーラは、リセルグとまったく同じ顔をした男を見据えながら、問いかけた。

「だ、だから、わたしがリセルグだといっている!」

 男は、当然、リセルグであると主張してきたが、そもそも、本人ならばそのような主張をしてくるはずもなく、シーラは、より冷ややかな視線を投げるとともに頭を振った。天嘴隊の隊員たちが小さく混乱しているのが目に入る。突然の侵入者が現れただけならばまだしも、その侵入者が、王が王ではないというのだから混乱するのも無理はない。

「くそっ、これじゃあなにもかも台無しだ。処刑を止めるにはどうすりゃいい?」

 シーラは、絶望的な気分になった。残された時間は三十分もない。リセルグだけが頼りだった。リセルグに直訴することだけにすべてをかけたのだ。それが空振りに終わった。リセルグの影武者がここにいるということは、本物はバンドールの王宮にいるか、別の場所に隠れているはずだ。

 影武者の存在は、前々から知っていた。それこそ、シーラが子供の頃からだ。ふたりのリセルグが話し合っている場に出くわしたこともあるし、リセルグ本人から、影武者の存在について教えられたことがある。影武者は、アバード王家の血を引く男である。つまり、シーラとも血縁関係にあるということだ。名は、知らない。シーラには明らかにされなかったからだ。おそらく、知らなくてよいことだったのだろう。

 影武者を差し向けてきた理由は、想像がつくし、なぜそこに思い至らなかったのかという自分の迂闊さを呪わざるをえない。

 センティアは、シーラ派の拠点といってもいいような都市だ。ウィンドウ一族の影響によって、都市そのものがシーラ派一色に染まっている。そんな都市に、タウラル領伯ラーンハイルの処刑のためとはいえ足を運ぶのは、危険すぎるのだ。だから、影武者を寄越した。影武者とはいえ、外見はおろか、挙措動作までリセルグ本人ではないかと思うほどよく似ている。おそらく、長年連れ添った王妃でさえ騙されるのではないか。

 それほど似ているのだ。

 公開処刑を見に来た民衆を騙すことなど簡単だ。そして、影武者であるということさえ明らかにならなければ、本人が領伯の処刑を見届けたという事実として知れ渡ることになる。

「こうなったら、会場に向かうしかないな」

「それしかないのか……!」

 シーラは、セツナの言葉に頷きながら、うめくようにいった。セツナに駆け寄り、彼とともに室外に飛び出そうとしたときだった。

「ま、まて、貴様ら……!」

 シーラが振り向くと、リセルグの影武者は、椅子から腰を浮かせ、こちらを睨みつけていた。正体を見破られたという焦りなどはない。影たるもの、そのような表情を見せるわけにはいかないのだ。どれだけ偽物と判断されても、本物であると言い切るしかない。それがわかるから、シーラはより冷ややかな視線を投げかけるのだ。

「バンドールに帰ったら陛下によろしく伝えてくれ。声はいまでも覚えていますか? ってな」

「声? なにをいっておるのだ!」

 リセルグの影が声を荒げる中、シーラは迎賓室を飛び出した。通路にはセツナが待っている。差し出された手を掴み、握る。それだけで、焦り始めていた心が急速に落ち着きを取り戻す。そういった自分の心境の変化がすこしばかりおかしくて、苦々しかった。セツナとはもう二度と会えないだろうという覚悟が、一瞬にして消え去ってしまった。

 だが、まだ終わってはいない。

 公開処刑を実力行使で止めるということは、相応の覚悟が必要だった。

「声……?」

「……父上は、俺の声をよく褒めてくださったんだ。こんな声なのにな」

「いい声じゃないか。俺は好きだぜ」

「へっ……まったく」

 シーラは、わざとらしく笑った。笑い飛ばすことで、自分の中に生じた感情も吹き飛ばそうとした。そうしなければ、彼に惚れてしまう。

 セツナが怒ったような顔をしてくる。

「なんだよ」

「なんでもねえよ」

 シーラはにべもなく告げたが、セツナは納得出来ないようだった。しかし、シーラに彼を納得させるような言葉は思いつかなかったし、納得させるつもりもなかった。というより、その話を蒸し返したくはなかった。少しばかり、気恥ずかしい。

「急ごう。時間がない」

「……ああ。闘技場までの経路は覚えてる。こっちだ」

「エスクたちには?」

「あのまま暴れてもらう。そのほうが都合がいい」

 セツナは北方区画を軽く振り返ったものの、すぐさま進路に向き直った。二階北方区画では、いまだにエスクたちシドニア傭兵団が暴れ回っている。そして、そのおかげで、シーラたちは難なく北部区画を脱出し、東部区画に至ることができたのだ。

 北部区画の騒動が二階全体に波及し、二階の警備兵が続々とエスクたちの鎮圧に向けて移動しているらしい。

「可哀想に」

「なに、全部終わったら、その分上乗せしてやるさ」

「金で解決するような問題でもなさそうだがな」

「違いない」

 セツナが苦笑したのは、エスクたちの心情を慮ったからかもしれない。

 

「ちぃっ、どいつもこいつも雑魚ばかりが!」

 エスク=ソーマは、闘技場二階の通路を走り抜けながら、悪態をついた。疲労が出始めている。当然だ。さっきから戦いっぱなしなのだ。シドニア傭兵団は、超人の集団ではない。猛者ばかりの戦闘集団ではあるが、団長代理のエスクを始め、皆常人に過ぎない。体力には限界があり、戦えば戦うほど、限界値に近づいていく。

 十人ばかりで始めた戦闘は、既に三十分ほど経過していた。三十分。ほぼ休みなしに激しく動き回っているのだ。疲れが出るのは当然だったし、このような戦い方を続けている限り、じきに力尽きるだろう。戦い方を変えなければならない。

 しかし、戦術を変えるには、戦力が足りなかった。

 当初の戦力は、十人。それがいまや六人にまで減少している。敵は数十人。そのうち、半数程度は沈黙させたはずなのだが、その撃墜分だけ敵の数が増えていた。どうやら、北部区画以外の戦力までこちらに当ててきたらしい。しかも、敵の動きを見る限り、エスクたちを包囲しようといている。もっとも、包囲されたところでさほど問題ではない。同時に多数を相手取る必要はないのだ。狭い通路に誘い込むという戦法を取っている限り、数的不利は無視しても構わない。問題は、その数的不利が無視できなくなりつつあるということだ。

 エスクが通路を駆け抜けているのは、この状況を打破する方法を考える時間を作るためだった。部下を引き連れ、敵をおびき出そうとするのだが、しかし、中々うまくいかない。警備兵たちが警戒しだしたのだ。迂闊に飛び込めばこちらの思う壺だということが分かり始めている。

 そんなときだった。前方の通路の影から大きな影だ飛び出してきた。

「雑魚相手に苦戦してちゃあ話になりませんぜ?」

「だあっ、ドーリン野郎、どこから沸いて出やがった!」

 危うく、本能的に殴りかかりそうになった拳を空中で止めながら、エスクは怒号を飛ばした。目の前に飛び出してきた大きな影は、ドーリン=ノーグだったのだ。彼は、どこから調達したのか、獣戦団の軍服を纏っていた。階下の獣戦団兵士から拝借したのだろう。

 ドーリンは、紅い髭を撫でながらいってくる。

「ディアブラス夫婦にお会いしましてね」

「ニーウェの旦那たちにか!? どこで!?」

 エスクは、ドーリンの返答が想像していたものとまったく違ったこともあって、声を上ずらせた。それから、ドーリンが部下を引き連れていることを確認する。二十人余り。彼の部下は、いまのところひとりも欠けていないようだ。ドーリンがニーウェの命令を守り、無茶をしなかった、ということだ。

 それはともかく、ニーウェたちとどこで遭遇したのかが気にかかった。ニーウェとシーラは、この階の迎賓室に向かったはずだが。

「二階の救援に向かうよう命じられたのです」

 そういったのは、ドーリンとは別方向から走ってきたレミルだった。彼女は天翼隊の隊服を身に付けており、二十名あまりの部下を引き連れていた。

「レミル!」

「レミルは野郎じゃあないんですな」

「レミルは女の子だろ!」

「女の子という年では……」

 ドーリンは小声でいってきたのだが、耳の良いレミルが聞き逃すはずもなかった。彼女は目を光らせると、ずいとドーリンに近寄った。

「年齢の話ですか?」

「い、いやあ、だれもそんなことは一言も……」

「いってたじゃねえか! このドーリン野郎が!」

「ドーリンさん、あとでじっくりと話しあいましょうか」

「は、はは、いまはそんな場合では……」

「ですから、あとで、といったのです」

 たじたじになっているドーリンに対し、レミルの冷ややかな言葉は効果的な追い打ちとなった。レミルとドーリンの相性の悪さは昔からだが、これでもましになったほうだといえる。エンドウィッジの敗戦からこっち、肩を寄せ合うように過ごしてきたのだ。多少なりとも仲良くもなろう。

「観念しとけ、ドーリン野郎。それで、旦那たちは?」

「会場に向かうとのことです」

 レミルの返答は完結で明確だ。実にわかりやすいのだが、それだけにわからないこともある。

「どういうことだ?」

「迎賓室におられたのは、リセルグ陛下の影武者だそうで、処刑を止めるには会場に乗り込むしかないと判断されたようですわ」

 と説明してくれたのは、ドーリンだ。いつものように髭を撫でながら、周囲の敵を警戒している。警戒するもなにも、既に敵勢に包囲されているのだが、エスクは動じることもなかった。頼もしい部下と合流できたのだ。もう逃げまわる必要はなかった。かといって、打って出るつもりもない。

「影武者……なるほど、まんまとはめられたってわけだ」

「嵌められた?」

「俺たちのような反王宮勢力をあぶり出すための策謀ってやつさ」

「そんなことのために、ラーンハイル領伯の処刑を?」

「処刑を利用したってことだろ。ただ処刑するだけなら、王都ですればいい。王宮でな」

 ラーンハイル・ラーズ=タウラルは、その名の通り、領伯である。タウラル地方を治める領伯であり、タウラル要塞にあってアバード北東部の防衛の要でもあった。アバードへの貢献著しく、彼ほど国に忠を尽くし、力の限りを尽くした人物はそういないだろうといわれるほどだ。国民的に人気も高く、また、王宮でも彼こそ真の忠誠者だというものも少なくはない。

 彼がシーラ派の首魁として認定されたいまでも、その評価そのものが覆ることはなかった。だれもが彼のことを惜しみ、アバード貴族の中で彼の助命嘆願を行うものが跡を絶たなかったという。

 それほどの人物だ。

 処刑するとなれば、王宮内で行うのが普通だ。

 国民の前にその処刑を晒しものにするなど、通常、考えられることではない。見せしめ以外のなにものでもなかったし、王宮のシーラ派への憎悪の根深さがよくわかるというものだった。そして、そこには、シーラ派を根絶したいという想いも込められていたのだろう。

 シーラ派なる勢力が生まれたために、アバードは真っ二つに割れた。

 シーラ派さえ生まれなければ、アバードが混乱することなどなかったのだ。内乱など起きるはずもなければ、エンドウィッジの戦いなど起こるはずもなかった。数多の将兵が討ち死にし、あるいは刑殺されることもなかったのだ。

 国内の安定を願う王宮がシーラ派を憎み切るのも、当然なのだ。

「センティアの闘技場を使うのは、見せしめのためだとばかり思ってたんだが……どうやら、見せしめよりもシーラ派残党をあぶり出すほうが真の目的のようだ」

 とはいったものの、エスクは、自分の言葉を信じてもいなかった。本当にそうだろうか。疑問が過る。本当に、シーラ派残党を始めとする反王宮勢力をあぶり出すためだけのものなのだろうか。もちろん、大掛かりだから疑っているのではない。なにかが引っかかるのだ。

 シーラ派などというもはや影も形も残らないものを殲滅するために、ここまでするものだろうか。

「どうするんで?」

「あ?」

 エスクは、ドーリンの目を見据えると、口の端を歪めた。

「会場に向かうに決まってんだろ。ぶち壊すんだよ、何もかもな」

 エスクが告げると、ドーリンもまた、にやりとした。彼も、この馬鹿馬鹿しい現状をどうにかしたくて必死なのだ。だから、エスクとともに傭兵団の残党を集めた。まさかこのような事態に巻き込まれるとは思ってもいなかっただろうが、傭兵くずれとして飲んだくれているよりはましなのかもしれない。

 いずれにしても未来はないが、こちらは、ほかの多くの物事を道連れにできる。

 エスクは、薄明るい絶望の中で、そんなことを思っていた。


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