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第九百六十四話 陽動隠形策

「キルケ?」

 セツナが耳元で囁いたのは、先ほどの通路から数分ほど移動してからのことだった。だれにも聞かれないような小声で発したつもりだったが、どうやら彼の耳には届いていたらしい。

 シーラは、頭巾の影からエスクたちを覗き見て、彼らがこちらの様子を伺ってもいないことを確認して、胸を撫で下ろした。セツナに聞こえたのは、彼が召喚武装を装着していたからだろう。決して、シーラの声が彼女の想像以上に大きかったからではないはずだ。

「キルケ=シルダー。国王親衛・天翼隊の隊長なんだ」

 国王親衛と呼ばれる国王直属の部隊は、全部で三隊ある。天翼隊、天嘴隊、天尾隊の三隊であり、中でも天翼隊は国王リセルグの信頼がもっとも厚い部隊だった。その隊長であるキルケは、リセルグから最大の信任を受けているということだ。

 リセルグが下向するとあらば、天翼隊が同行しないはずがなく、シーラは、キルケ=シルダーとあのように対面する可能性も考えていた。考えたからといって、なにができるわけではない。懐かしむことさえできなかった。

「その親衛隊長殿が警備の担当者だった、ということか」

「実力的には申し分ないはずだ」

「相手が悪かったって話だな」

 セツナが、黒仮面を懐から取り出して、笑った。召喚武装の使い手にしてみれば、この厳戒態勢も問題にはならないのかもしれない。ここに至るまで、召喚武装を身につけたことで得られる超感覚が警備の隙を見出してきている。そして、突破が不可能と判断すれば、“死神”によく似た闇人形が警備の兵を混乱させ、隙を生んだ。困難を極めた箇所もあるにはあったが、いまのところ、だれひとり、発見されることなく移動できている。

 獣戦団の軍服を手に入れてからは、さらに安定した。もちろん、獣戦団の警備兵から奪い取ったのであり、エスク以下十名ほどが獣戦団の兵士の格好をしていた。五十人分揃えることなど不可能だったため、レミル=フォークレイ率いる四十人ほどは、別働隊として行動している。いざとなれば騒ぎを起こし、警備体制を混乱させるのがレミルたち別働隊の役割だった。

 闘技場の内部図は、シーラの頭の中に入っていた。決して複雑な構造をしてはいない。ただ、地下通路から地上に上がった際の場所がどこなのか、判別するのに多少時間がかかったのは否めなかった。仕方のないことだろう。現在地を把握したのは、地下通路出入り口付近の警備を突破して、場所を移してからのことだ。それから休憩中らしかった獣戦団の兵士たちを昏倒させ、軍服を剥ぎ取り、エスクたちに着替えさせている。

 キルケから奪った懐中時計は、一時十二分を指し示していた。公開処刑が始まるまで後一時間もなかった。処刑を止めるには、それまでにリセルグの居場所を探し出さなければならない。

「陛下がいるとすれば、迎賓室……か」

「だな。警備も、迎賓室に近づくに連れて厳重なものになっているようだ」

 セツナの空間把握能力は、黒仮面の補助によるものとはいえ、凄まじいものがあった。彼には、通路のはるか先の状況まで把握できている。どこに警備兵が配置されていて、どこを巡回兵が歩いているのかさえ、手に取るようにわかっているのだ。シーラもハートオブビーストさえ使うことができれば、同じような超感覚を得ることができるのだが、現状、召喚武装を用いることはできない。ハートオブビーストは、シーラの代名詞といってもいい。形状も知られている。シドニア傭兵団の傭兵たちも見たことくらいあるだろうし、一目見た瞬間、シーラだと感づかれてしまうかもしれない。

(あと少し)

 もう少しで望みが叶うのだ。

 リセルグと対面し、言葉を交わすこと。

 それだけでいい。それだけで、すべてが解決するはずだ。それだけですべてが終わるはずだ。それまで、正体を明かすことはできない。逆をいえば、すべてが終われば、正体が明らかになろうとどうでもいいということだ。いや、正体は明かされるだろう。リセルグやアバード王国の発表によって。

 シーラは、気を引き締めながら、セツナの手を強く握った。

 迎賓室とは、闘技場に訪れる賓客を迎え入れるための部屋であり、闘技場二階北部区画にいくつもあった。そのうちの一室にリセルグが滞在しているだろうことは、リセルグが闘技場に入ったと知ったときから想像していたことではある。ほかに国王ほどの立場の人間が寝泊まりできるような部屋が見当たらないからだ。

 闘技場は、元々、ウィンドウ一族のための施設なのだ。そこに国王のための部屋を作るという発想は、ウィンドウ一族は愚か、センティアの人間にもなかったのかもしれない。

 シーラたちは、既に二階に辿り着いている。二階東武区画から北部区画へ移動中なのだが、警備を掻い潜りながらの移動ということもあって、遅々として進めない状況にあった。二階の警備は、一階の比ではないということも、セツナの説明によって明らかになっている。そして、その警備の厳重さは、北部区画に近づけば近づくほど、繊細かつ重厚なものになっているらしい。

 闘技場そのものが複雑な構造をしていないことが、警備をする側には功を奏したということだ。作りが単純であれば単純であるほど、警備は簡単になる。そして、簡単な警備を厳重なものにすることは、必ずしも難しいことではない。

 死角を埋めるように配置していけばいいだけなのだから。

 つまり、死角がない、ということだ。

 一階では、黒仮面の闇人形を使って強引に突破してきたものの、二階北部区画では同じ方法は使えそうになかった。使えば、一箇所は突破出来ても、別の箇所の警備兵に気づかれかねない。

「エスク」

 セツナが団長代理を小声で呼んだのは、東部区画を突破し、北部区画の端の部屋に潜り込んでからのことだった。

「なんです、旦那」

「ここで陽動隠形策の出番だな」

「うぇっ……まじでいってんすか」

「ほかに方法はないんだ」

 セツナは嘆息するようにいうと、黒仮面を被った。闇色の仮面を身につけると、途端に彼は別人になったような印象を受ける。彼は、そのまま扉を僅かに開くと、通路のほうを見やり、再び扉を締めた。そのわずかな動作にすら細心の注意を払っているのが、彼の手から伝わる緊張感でわかる。

「道がない」

「その仮面の力でどうにかならないんです?」

「無理だな。数が多すぎる」

「数が多いってことは、俺たちが暴れたって同じことじゃないんですかね」

「そうかもな」

「そうかもって……」

「だが、少なくとも、俺たちが迎賓室に辿り着くことはできるさ。なんたってあんたらは獣戦団の格好をしているんだ。混乱は大きなものになる」

 セツナがエスクたちに目をつけたのは、彼らの格好も大いに関係していた。エスクたちは、確かに獣戦団の軍服を纏っていた。軍服のおかげで難を逃れることができたということも少なくはなかった。キルケ=シルダーを出し抜けたのも、軍服のおかげかもしれない。

 軍服を着込んだ傭兵たちは、一見、獣戦団の兵士にしか見えなかった。獣戦団の兵士たちも屈強な戦士ばかりだ。

「辿り着きさえすりゃ、こっちのもんだろ」

「陛下を人質に……ですね」

 シーラがセツナの言葉を補足する。

「なるほど」

 エスクは納得したようにうなずきながらも渋面を作った。彼は、シーラの正体を知っている。シーラの目的がこの公開処刑を止めるためだけだということも、リセルグを人質にするわけではないことも、知っている。だからこそ、渋い表情になるのかもしれない。自分たちが陽動に出るということは、捕まる可能性が高いということだ。捕まれば、ただでは済まない。

 もちろん、シーラは、リセルグに今回の騒動に加わった人間の無罪放免を約束させるつもりだし、リセルグならば、そのような荒唐無稽な申し出も聞き入れてくれるだろう。でなければ、このような行動には出ない。勝算があるから、彼女は打って出たのだ。

「北側区画だけで百人以上の警備兵が配置されている。そのすべてを誘いだすくらいの騒ぎを起こしてほしい。無論、警備兵を殺すのは論外だ」

 セツナが念押しするようにいうと、エスクの表情はさらに渋いものになった。

「陽動が目的だ。それに処刑を止めるために人を殺しちゃ、なんの意味もないからな」

「そりゃあそうだ」

「じゃあ、あとはよろしく」

 セツナの口調は、軽くはない。エスクたちの役割の重さを一番認識しているのが、セツナなのかもしれない。彼ほどこの北部区画の警備状況を理解している人間はいないのだ。

「ったく、あんたに出遭った運命を呪うぜ」

「運命を呪うついでにドーリンも呪うといい。あんたの部下が手出ししてこなきゃ、こんなことにはならなかった」

「そうだな。あとでドーリン野郎をいたぶってやる」

 エスクは右手で拳を作り、自分の左手に叩きつけた。

 シーラは、布袋と一緒に持った懐中時計に目を向けた。時計の針は、止まることなく回り続けている。

「一時二十分。処刑までもう時間がありません」

「仕方がねえ……」

 エスクは、ようやく覚悟を決めたようだった。彼は表情を引き締めると、背後の部下たちを振り返った。シドニア傭兵団の屈強な戦士たちは、暴れられる機会を待っていたのかもしれない。皆、一様にどこか嬉しそうな顔をしていた。

「いくぞ、野郎ども!」

『おおーっ!』

 エスクが扉を開けて飛び出すと、傭兵たちが大声を上げながら続いていった。猛獣の咆哮が静寂極まる二階北部区画に混乱をもたらしたのは、セツナの思惑通りだったに違いない。二階北部区画の警備兵たちは、突如として獣戦団の兵士たちが暴れだしたと勘違いしただろう。

「もう少し様子見をしたら、迎賓室に向かうぞ」

「ああ」

「目星は付けてある」

 いまのシーラにとって、セツナの言葉ほど心強いものはなかった。

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