第九百六十一話 センティア(五)
ウィンドウ家本邸前庭への不法侵入者は、エスク=ソーマひとりではなかった。おそらくエスク=ソーマの部下であろう屈強な男どもが数十人、門兵の叫び声も虚しくぞろぞろと入ってくる。何名かは顔も名も思い出せる。ドーリン=ノーグとレミル=フォークレイなどは、エスク=ソーマともどもよく知っていた。
シドニア傭兵団はキーン=ウィンドウとの繋がりがあった。
エンドウィッジの戦いで落命したシドニア傭兵団長にして傭兵騎士ラングリード・ザン=シドニアが、キーン=ウィンドウと馬があったのだ。どちらも根っからのシーラ派だった。辣腕とはいえ政治家に過ぎないキーンはともかく、戦場に出て命を削ることを生業とするラングリードにとって、率先して戦場に向かうシーラ・レーウェ=アバードは、理想的な主君だったのかもしれない。
キーンは、ラングリードと気が合っていたこともあり、よく家に招いた。そのたびにこの本邸はシドニアの傭兵たちで満ち溢れたものであり、ゼーレは困ったものだった。ゼーレはシドニア傭兵団などならず者の集まりに過ぎないと見ているし、実際、そうだった。
傭兵団が本邸に訪れるたび、屋敷の中のなにかが紛失した。傭兵に盗まれたに違いなかった。紛失事件は、傭兵たちが帰った後に発覚するということもあり、傭兵団を追求することもできない。そのことをキーンに訴えれば、彼は大いに笑ったものだ。
『天下のシドニア傭兵団も高級品には目がくらむらしい』
キーンはそれだけをいって、シドニア傭兵団に追求することもなければ、彼がラングリードにそのようなことを告げた様子もなかった。
『天下のウィンドウ家がそのようなことを気にしてどうする』
とも、いった。
金は有り余るほどにある。必要な物が盗まれたのなら、買い直せばいい。不要なものが盗まれたのなら、それはそれで放っておけばいい。
キーン=ウィンドウには、政治家としては優秀極まりなかったが、私人としては大雑把なところがあった。それもまた、ウィンドウ一族の当主に必要な器の大きさによるところなのかもしれない。
「傭兵くずれがなんのようだ?」
ゼーレは、エスク=ソーマの目を見据えながら問いかけた。五十人ほどの屈強な男どもが前庭にひしめいているが、恐れることはない。彼らにはなにもできないという確信がある。
現在、センティアは、アバード王国軍の統治下にある。
ラーンハイル・ラーズ=タウラルとその一族郎党の公開処刑に合わせ、都市全体の警備は厳重なものとなった。
昨日二十六日、リセルグ王とその親衛隊が到着し、さらに緊張感がましたのは言うまでもない。センティアの住人は、市内の物々しさに出歩くことさえ控えるほどだといい、ゼーレが本邸への余人の立ち入りを禁じたのも、その影響といってよかった。沈黙を保つことで、恭順の意を示したかったのだ。そうすることでウィンドウ一族への処分が軽いものになることを期待した。
キーンほどの政治家ではないゼーレには、これ以上の良策は思いつかなかった。もちろん、リセルグ王がセンティアに到着した昨日には目通りを願ったものの、叶わなかった。
「傭兵くずれとは手厳しい」
「事実だ」
「まったくもってそのとおりだ」
エスクは、薄ら笑った。背筋が凍るようなまなざしは、彼が自嘲しているわけではないことの証明だったのだろう。彼は、冷ややかな笑みを浮かべたまま、続けてくる。
「あんたはうちらに借りがある。そうだよな?」
「……ああ、そうだが。それがこの状況とどういう関係がある」
肯定とともに脳裏に浮かぶのは、エスクたちシドニア傭兵団とキーン=ウィンドウの関係の深さだ。キーンとラングリードの仲の良さは、ただ気が合うからではなかった。互いに互いを利用しあっていたといってもいい。ラングリードはキーンの政治手腕を、キーンはラングリード率いるシドニア傭兵団の戦力を、アバード国内での発言力を高めるために利用した。
もっとも、エスクがいっているのは、そのことではない。ゼーレ個人のことだ。
ゼーレもまた、シドニア傭兵団を利用した。そのとき、窓口となったのがドーリン=ノーグであり、彼が直属の上司として仰いだのがエスク=ソーマだった。
「借りを返して欲しいんだ」
「……そうだな。それはいい。わたしも、君らへの借りは早々に返しておきたかったのだ」
ゼーレに異論はなかった。借りを返してしまえば、彼らがこの屋敷を訪れることはなくなるだろう。彼らのような無法者が現れなくなるということは、静謐が保たれるということだ。静謐。いまこの屋敷に必要なのは、それだ。静謐。静謐こそが、ウィンドウ一族を救うかもしれない。
嵐が過ぎ去るのを待つには、静謐を保つしかないのだ。
エスクは、にやりとした。そして、ゼーレに歩み寄ってくると、囁くような声でいってくる。
「それなら話は早い。地下通路を使わせてもらう」
「地下通路? 何の話だ」
「とぼけるなよ。ウィンドウ一族がセンティアの支配者になり得た理由なんざ、俺だって知ってるんだぜ」
「どういうことだ」
ゼーレが愕然としたのは、エスクの口にした言葉が、ウィンドウ一族の中でも本家の人間しか知り得ない情報だったからだ。
確かに、彼のいうとおりだった。センティア地下に張り巡らされた地下通路こそ、ウィンドウ一族の情報源であり、センティアの名士として君臨する力の源だった。迷宮のように入り組んだ地下通路を利用して情報を収集し、敵対者の弱みを握ったり、暗殺を行ったりしたという歴史がある。ウィンドウ一族の中でも本家に連なる人間しか知らないことであり、門外不出の情報だ。通常、エスクが知りうる話ではない。
「うちの団長、あんたの兄貴と仲が良かったからな」
「……まったく、そういうところだけは間が抜けているのだ」
嘆息する。キーン=ウィンドウは尊敬するべき人物だが、そういうところだけはゼーレには理解しがたかった。ゼーレですら気をつけるようなところで気を抜いているのが、キーンという人間だったのだ。完璧な人間などいない、ということなのかもしれない。
「まあでも、あんたの兄貴は悪いやつじゃなかったぜ。俺らみたいなならず者にも平等に接してくれたんだからな。嫌いじゃなかった」
「だろうな。兄を嫌う人間は少ない」
「あんたもその口か?」
「わたしか? わたしは嫌いだったよ」
ゼーレがにべもなく告げると、エスクは意外そうな顔をした。人前では、兄を慕っている温厚な弟を演じていたからだ。ゼーレは、演技力だけは、昔から飛び抜けていた。いまも虚勢を張ることには成功しているだろう。
シドニア傭兵団は、荒くれ者揃いで知られている。彼らが手を出すはずがないと理解していたとしても、その強面の揃い踏みを目の当たりにすれば、恐怖を抱き、身が竦んだ。それでも、彼らからは、ゼーレは平然としているように見えるに違いない。
「良い兄ではなかった。政治家としては完璧に近かったがな」
「へえ……そういうもんかね」
エスクは、納得したようなしないような表情で相槌を打ってきた。
「さて、おしゃべりはここまでだ。地下通路まで案内してもらおうか」
「……いいだろう。なにを考えているのかは知らんが、ウィンドウ一族の名は出すなよ」
とはいいながら、この状況下で地下通路を使うなど、嫌な予感しかしなかった。後難が降りかかってくることを覚悟しなければならないが、こうなっては、もはやどうすることもできない。彼らを王国軍に突き出すのは、自分の首を絞めるのも同義だ。つまるところ、どちらにしても同じことなのだ。それならば、彼らの好きにさせるのも一興だろう。
ゼーレは、傭兵の一団を見回すと、軽く息を吐いた。それから、屋敷に向かう。地下通路へは、屋敷の地下からしか入れない。
「わかっているさ。これで貸し一、だな」
「まったく、おまえには付き合いきれんな」
「俺達に頼ったあんたが悪いのさ」
エスクのあざ笑う声は、いつもより柔らかかった。だからといって。彼に好意を抱くことはない。シドニア傭兵団など、ならずものに過ぎない。そんなならずものに頼らざるを得なかったのが、当時の自分の分際なのだと思えば、皮肉に表情を歪めるのも無理はなかった。少しだけ、エスクの気持ちがわかった気がした。
「だろうな。そういうところが兄との才覚の差だということは、よく理解しているよ」
「卑下するなよ。あんたも十分、立派だぜ」
エスクに背中を叩かれて、ゼーレは、苦笑を浮かべた。
ならず者の頭領のような男に慰められるとは、思いもよらなかったのだ。