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第九百五十九話 センティア(三)

 センティアが物々しい雰囲気に包まれたのは、シーラたちがセンティアに到着した翌二十六日のことだ。公開処刑決行日の前日である。

 午前十時過ぎ、アバード国王リセルグ・レイ=アバードの先触れとして、アバード王国軍獣戦団がセンティアの西門に到着。続いて、王の親衛隊である天翼隊がセンティアに入ったという情報が、シーラたちの耳に入った。親衛隊が到着したとなれば、国王がセンティアに着くのも時間の問題である。センティアという都市全体に緊張がもたらされたのは当然であり、正午前、厳戒態勢の中、王を乗せたと思われる馬車がセンティアの西門を潜った。

 西門付近には、国王の到来をひと目見ようと集まったセンティアの住人による人集りができており、シーラとセツナが紛れ込むことも難しくはなかった。西門から闘技場へ至る厳重な警備も、国王の到着に声を上げる観衆のひとりひとりの素顔を見ようとするほど暇ではないのだ。頭巾を目深に被り、外套で全身を包み込んでさえ於けば、シーラの正体がばれるようなこともない。念のため、セツナにも頭巾をかぶらせていた。国王の下向に付き従うようなアバードの重臣の中には、黒髪赤目の少年武装召喚師を目の当たりにしたことがあるものもいるだろう。今回のセンティア行きに同行しているかどうかはともかくだ。用心に越したことはなかった。

「一日違い……。あの後すぐ出発しておいてよかったですな」

 といったのは、エスクだ。彼は素顔を晒しているが、群衆に紛れていることもあって、警備兵に見咎められるようなこともなかった。隣のレミル=フォークレイも同じだ。アバード国内で知らぬもののいない傭兵団の団長代理と部隊長とはいえ、その素顔を知るものはそう多くはない。それは、シーラも同じだ。どれだけ国民に支持され、人気を得ていようと、実際の姿形を知っている人間はそれほどいるものではない。シーラが注意するべきはその特徴的な白髪であり、容貌そのものはそれほど問題ではなかったし、顔くらいなら見られたとしても騒ぎにはならないだろうという確信がある。それでも、万が一に備えて、顔さえも隠している。それだけのことだ。その注意深さが、今日までエスク以外には正体を看破されなかったことに繋がるのだ。

「まったくその通りだな」

 セツナがエスクに同意を示した。一日早くセンティアに辿り着いていたから、さほど問題もなく市内に入ることができたのだろう。これがもし、今日、明日到着ということになれば、警備の兵と一悶着あったかもしれない。シドニア傭兵団はアバード有数の戦力だが、同時にならず者集団として嫌われている部分もある。昨日、なんの問題も起きなかったのが奇跡とさえいえた。

「そしてあれは王家の馬車です」

 シーラは、親衛隊・天嘴隊に守られながらセンティアの大通りを進んでいく馬車を指し示して、つぶやいた。豪華絢爛という言葉がこれ程似合う馬車も中々ないのではないかと思われるほどのものだった。また馬車に描かれたふたつの流星の意匠は、アバードの象徴であり、王家の証でもある。きらびやかに飾り立てられた二頭の馬車馬にも見覚えがある。ルベリアとアゼリア。リセルグが愛してやまない軍馬のうちの二頭だ。

「王家の馬車……」

「王家の人間だけが使うことを許された馬車で、馬車を引くのは陛下の愛馬。陛下が乗っておられるのは間違いなさそうです」

「ま、王宮が陛下の御観覧を発表したんですし、当然じゃないですかね」

「……ええ、そうですね」

 シーラは、エスクの発言に疑問も挟まなかった。エスクは、そんなシーラの反応が少しばかりおかしかったのか、肩を竦めた。レミルがエスクを見る。エスクは頭を振ると、大通りを進んでいく馬車と行列に背を向けた。群衆が国王を乗せた馬車に向かってさまざまな声を上げる中、エスクの姿だけが浮いている。

 エスクとしては、シーラが王宮に対して嫌悪感を示したりして欲しかったのかもしれない。シーラほど、王宮の発表が必ずしも正しいことばかりではないということを知っている人間もいない。シーラの処刑に関する情報など、嘘ばかりだ。王宮にとって都合のいいように装飾された言葉の数々。だが、シーラは王宮に怒りを覚えるようなことはないのだ。

 それは、最初からそうだった。最初から、彼女は王宮の意図に疑問を抱きこそすれ、複雑な感情を覚えこそすれ、怒りが湧き上がるようなことはなかった。ただ理不尽だと感じ、途方に暮れ、絶望していっただけのことだ。

 絶望から怒りは生まれ得ない。

「一旦戻りますか」

「そうだな」

 セツナはエスクの提案を肯定すると、シーラの手を引っ張った。宿を出てからずっと、手は繋いだままだった。しかし、今回はシーラから手を繋ごうとしたのではなかった。セツナが、手を差し出したのだ。夫婦を演じることを恥ずかしがっていたセツナも、いまや慣れたということだろうし、どうせシーラが手を握ってくるのだから、という諦めもあるのかもしれない。

 セツナに引っ張られながら、シーラも西門前を後にした。群衆の中に交じる反王宮の声には、むしろ心が痛む。

 シーラは、王宮が憎いわけではない。王家を恨んでいるわけでもない。国が嫌いになったわけではない。むしろその逆だ。王宮も、王家も、国も、愛している。心の底から愛しているからこそ、苦しいのだ。憎むことができれば、嫌うことができれば、恨むことができれば、楽だったのだろう。それは、なんとなくわかっていた。アバードを見限ることさえできれば、きっとなにもかも違って見えただろう。そもそも、この場にはいないに違いない。セツナの元で、まったく別の人生を歩めたに違いない。それこそ、シーラ・レーウェ=アバードという人間ではなく、ただのシーラとして。龍府領伯近衛・黒獣隊長のシーラとしての人生を歩めたのではないか。

 しかし、それは、きっと違うのだ。

 シーラではなくなる。

 少なくとも、過去から連続する自分ではいられなくなる。

(それは……嫌だな)

 別にセツナが嫌いなのではない。セツナの部下や周りの人間が嫌いなのではない。ガンディアは悪い国ではないし、シーラにとっても住みやすい国ではあった。セツナと過ごす日々は、シーラの心を多少なりとも救ってくれた。彼が手を差し伸べてくれたから、シーラは再び、自分を認識することができた。それもまた、事実だ。

 だが、だからこそ、彼女はシーラの人生を捨てられないのだ。

 リセルグを乗せた馬車が遠ざかっていくのを見遣りながら、父への想いを捨て切れない自分に、むしろ感謝した。

 そうであるからこそ、自分は自分でいられるのだ。

 自分でいられるからこそ、ここにいるのだ。

 そして、ここにいるからこそ、すべてを終わらせることができるのだ。


「処刑は明日、午後二時に決行されるということですが」

「それは前々からわかっていたことだろ?」

 セツナが怪訝な顔をしたのは、エスクがわかりきったことをいってきたからだ。公開処刑の日程は、エスクたちが仕入れてきた情報であり、その情報に変わりはなさそうだった。

「ええ。日程に変化はないということをお伝えしたかったのですよ」

「そういうことか。で、どうする?」

 シーラたちは宿に戻るなり、会議を開いていた。議題は、無論、闘技場での公開処刑をどうやって台無しにするか、だ。処刑そのものを台無しにすることでシドニア傭兵団の意地を見せつけてやる、というのがエスクがドーリンとレミルに話した参加理由だったし、議題もそれに基づくものだった。とはいえ、ただ台無しにするだけでは意味がない。シーラは、リセルグに逢わなければならない。逢って、直訴して初めて、意味があるのだ。直接訴え、すべてを終わらせる。そのための会議であるということを知っているのは、シーラとセツナとエスクだけだ。レミルとドーリンは知らない。知れば、シーラの正体も知る必要がある。いまはまだ、隠し通しておく必要がある。

 シーラの目的を理解しているエスクが会議を進行していることもあって、処刑をぶち壊す方法も、シーラの目的に沿ったものとなるはずだ。

「昨日からいまに至るまでうちの連中が色々と当たっくれていたんですが、ひとつふたつ、いい方法が見つかりましたよ」

 いって、エスクは五人が囲んだ机の上に地図を広げた。センティアの古地図は、現在地と目的地に印がつけられている。目的地はセンティアの西部にある闘技場で、現在地は東寄りの宿場街。

「帰りに見たことと思いますが、現在、センティアの闘技場は凄まじいまでの警備体制が敷かれています」

「王都以上といっても過言ではありませんぜ」

 王都の警備体制を直接目にしてきたドーリンがいうのだから、間違いはないだろう。蟻一匹入れないような警備体制以上の警備とはどれほどのものなのか想像もできないが、ともかく、簡単には侵入できないということは理解できる。そして、それだけの警備体制が敷かれている理由も、わかる。

「陛下が来られているんです。当然でございましょう?」

 リセルグ・レイ=アバード個人の身の安全を守るとなれば、王都以上の警備体制が敷かれたとしてもなんら不思議ではない。リセルグは国王だ。国の象徴であり、頂点であり、支配者である。アバード国民からの人気も人望も悪いものではないが、敵がいないわけでもない。政敵も少なくはないし、そういった連中が暗殺者を差し向けてこないとも限らない。近隣国の魔の手が伸びてくる可能性も皆無とはいえない。そういう危険性を踏まえれば、公開処刑などせず、内々で済ませるべきなのだが、シーラ派への見せしめということを考えれば、公開に踏み切らざるを得なかったのかもしれない。そして、公開処刑をシーラ派の一大拠点ともいえるセンティアで行うのは、見せしめの効力を高めるために違いなかった。

 その結果、王都以上の警備体制が闘技場一帯に敷かれることになり、センティア全体が物騒な緊張感に包まれることになったのだ。

「ええ。親衛隊が二隊も出張っている上、獣戦団までが警備に参加している。公開処刑とはいえ、会場に入るにあたっては当然、身体検査を受けなければなりませんな」

「それは困ります」

「はい。不幸が押し寄せてくるという話ですしね」

 エスクはみずから考えた設定がまるで真実であるかのようにいってくるから、シーラは少しおかしかった。人前では頭巾を外してはならないというエスクが考えた偽りの風習は、シーラの正体をレミルたちから隠し通す上で役に立っている。エスクがそれを信じている以上、レミルたちも従わざるをえないのだ。傭兵たちは、信頼できない団長代理とはいえ、彼がいなければシドニア傭兵団は空中分解するということを理解してもいるのだ。だから、エスクの命令には従っている。

 もっとも、レミルはエスクに心服しているようだし、ドーリンもそれなりに敬意を払っているようだ。

「ということで、正面突破は諦めました。まあ、当然ですが」

「それがいい」

 どのみち、正面から入り込むなど、言語道断ではある。たとえ厳重な警備体制が敷かれていなかったとしても、頭巾を被ったまま会場に向かうなど許されはしないだろう。そして、頭巾を脱げば、正体が明らかになることは疑いようがない。そうなれば大騒ぎになる。その結果、リセルグに対面できるというのなら構わないのだが、そう上手くいくかどうか。

 一か八かの賭けに出ることはできない。

「考えついた方法はふたつ。ひとつは、俺たちシドニア傭兵団が闘技場に攻め込み、その騒ぎに乗じて旦那様方が闘技場内部に潜り込むという、陽動隠形策」

 ひとつ目の方法を言い終えると、彼は筆を手にした。おもむろにセンティアの地図の中心に印を入れる。

「もうひとつは、ウィンドウ家本邸の地下通路から闘技場に潜り込む、地道潜行策」

 センティアは、ウィンドウ一族によって支配されていた都市だ。

 都市の中心にはウィンドウ家の本邸があるのは、シーラもよく知っていた。というより、王家の人間は、センティアに訪れるたび、ウィンドウ家の本邸をよく利用していたのだ。ウィンドウ一族がアバード国内で強い発言力を持つのは、王家とそういう繋がりがあったからだ。

 国王を乗せた馬車がウィンドウ家本邸に向かわなかったのは、ウィンドウ一族がシーラ派に与していたからだろうし、シーラ派の屋敷よりも親衛隊に守られた闘技場のほうが遥かに安全だからにほかならない。ウィンドウ一族が王宮派、セイル派ならば、ウィンドウ家本邸でリセルグと対面するということも不可能ではなかったかもしれないが、その場合、ラーンハイルと一族郎党の処刑は、センティアで行われることはなかっただろう。

「地下通路?」

「かつて――数百年も昔の話ですが――、皇魔から逃れるには地下に隠れるのが一番だと信じられていたころ、多くの都市に地下空間が作られたといいます。センティアの地下通路もそのひとつでしょうな」

 エスクの説明にセツナが納得したような顔をした。シーラも、同じような顔をしていたかもしれない。いわれてみれば、地下空間を持った都市は多い。龍府もそうだった。龍府の広大な地下空間は、迷宮のように入り組んでいるという話であり、ミリュウの助力がなければ抜け出すことは不可能だったかもしれなかった。

 センティアの地下にも似たような迷宮が横たわっているのだろうか。

「ウィンドウ一族がそのころから権勢を振るっていたのかは知りませんがね」

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